風月無辺
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
鋼の車体に唸る装輪の起動音。耳を劈くその音は慣れていない人間ならば耳を塞がずにはいられないほど喧しい。
悪路を走行しているからなのか、座席越しに感じる振動は大きく身体を揺らし大きく我が身を跳ねさせる。もしも頭にヘルメットを被っていなければ分厚い走行に覆われた車内の角に頭をぶつけて大怪我を負っていただろう。
「寒い、やっべ、普通に寒いわこれ!」
俺は茶色の迷彩色が描かれた冬用の防寒外被に身を包み、首元に巻いた深緑色のマフラーをさらに首へ密着させる。
「今日はこの冬一番の冷え込みだってさ。気温は多分マイナス行くよ。鼻水凍っちゃうよ……」
隣で由紀が白い息を吐き出し、鼻から垂れている水を指で拭っていた。その姿に女子力と呼べるモノは無かった。
「毎度の事だけどよ、なんでこんな寒い時期にこの訓練をやるのかね?」
隊の全員が身体の所々に黒いセンサーが付いている防弾チョッキを着込んでいる。俺の愛銃とも言える折り曲げ式の銃にも普段なら装着しない部品が付けられていて所々にコードが伸びている。そのコードをまとめている黒いビニールテープを指で弄る俺に由紀は呆れた声を出す。
「脱落防止外れちゃうよ? ハジメはこの前の訓練で弾倉一つ無くしたんだからダメだよ弄っちゃさ」
俺は指を止めて横の由紀へ顔を向ける。
「見つかったからいいだろ。それに空の弾倉だ。実際問題、自衛隊ってたかが部品一つに騒ぎ過ぎだと思うぜ?」
自衛隊では物品管理がとても厳しいのだが、行き過ぎたところがあるとも俺は思っている。
確かに、銃の部品は一つでも紛失した場合、正常な動作が出来なくなる場合がある。そしてそれは銃の動作不良を招き、即ち実戦の場においてその不具合は死神と手を繋ぐという事である。
たがしかし、行き過ぎたモノでもあるのも事実だ。
ある国との合同軍事演習の際には自衛官が撃ち終わった薬莢をせかせかと集めているのをその国の軍人が笑っていたとの話だ。曰く、日本人はモッタイナイ精神だと。もちろんそれは皮肉だ。
「見つけたのが私なの忘れないでよ? あ〜、かじかんだ手で埋め直した交通壕掘り返すの大変だったなぁ〜!」
由紀はわざとらしく自分の手を擦り合わせる。防寒手袋の分厚い布生地が擦れ合う音が騒がしい装輪音の中小さく聴こえる。
「悪かったって! だからあの後に飯を奢って……うおっと!?」
「きゃっ!?」
突然、装甲車が急ブレーキをかけた。決して遅くは無い速度で走っていたのでその分の慣性の法則が働き、俺と由紀は二人とも同時に倒れこむ。
「イッテぇ!? おいこら日本一。テメェ、俺に頭突きかますなんていい度胸じゃねえか?」
「た、タケさんすいません!」
倒れた位置が悪かった。防弾ヘルメットを被っていた俺が倒れた先にいたのは居眠りをしていたタケさんの身体があったのだ。
「せっかく気持ち良く寝てたのによぉ……どうすんだオイ?」
タケさんは寝起きの不機嫌さからか、眼力だけで人を殺せそうな目を俺に向ける。
ゆっくりと手を伸ばし、俺の顎を掴むと力を込める。ただそれだけで背筋に冷や汗が流れ、身体中の体温を冷えた車内よりも低く下げる。
(やっべぇ。死んだわ、俺)
まさかここで死を覚悟するとは思いもしなかったが、人生とは何が起こるか分からないモノだ。一寸先は闇という言葉もある。
覚悟を決めた俺の耳に突如けたたましい鐘の音が鳴り響く。ジリジリジリと目覚まし時計のアラームのような音はしつこい程に響き、俺はもとよりタケさんや由紀も耳を手で塞ぐ。
「おるらぁ! 着いたぞ! ハッチ開放! 寒いわこんなん、もう車運転したくねぇわ!」
運転席から聞こえてくるのは中元班長の珍しく荒い声。右手で鐘の音を鳴らすスイッチを押している。装甲車から顔を出して運転していた所為なのか、口元を覆うマフラーには水滴が凍った痕跡がある。
「ふおっ!? もう着いたんすか? まじすか、んじゃ開けますよ!」
先程までぐっすりと熟睡していた西野が跳び起き、すぐさま装甲車の後部ハッチのスイッチが押す。
ゆっくりと開く鋼鉄の装甲。ギギギと不快な音を鳴らしながら徐々に向こう側の景色を俺に見せる。
「……毎度の事ながら、凄い景色だよな。中々無いぜ? こんなのはよ」
完全に開放されたハッチ。その向こう側には足跡一つ無い白銀の大地が広がっていた。
―――――
「もうすぐ着きますぞ?」
「ひゅい!? あぁ、悪い、寝てたわ」
馬車の荷台で荷物にもたれかかるように寝ていた俺をバルジの声が起こす。
「馬車の振動も慣れると揺かごのような心地良さがありますからね。私も若い頃はよく寝たものですぞ」
今は腰を痛めるから無理ですがね。そう一言付け加えたバルジは昔を懐かしんでいるのか目を細めている。
「ルチア、もうすぐ着くみたいだぞ? 起きろ」
「うう〜ん、あと五分……」
「それ、リアルで言ってる人初めて見たわ」
まるで往生際の悪い子供の言い訳をするルチアは、馬車の振動に揺られながらも徐々に身体を起こす。手を組んで上に伸ばすと身体中の関節からボキボキと音が鳴っている。
「ふぁ、よく寝た。アレだね? やっぱり都市が近くなると盗賊も見なくなるね〜」
「ん、そうだな。つーか北部って治安悪いのか? 三回ぐらい盗賊を撃退したぞ」
護衛と合流して初日の戦闘。それから五日程の旅の行程中に二度盗賊を撃退したのだ。そのいずれも商人が襲われている場面であった。
「うん。王都近辺と比べるとどうしてもね。あと、なんだっけな? 理由があった気がするけど」
寝起きで回らない頭を必死に動かし、ルチアは言葉を考える。人差し指でこめかみを指しうんうんと唸る。その様はまるで筆記テスト終了時刻まで粘る学生にも見えた。
『あぁ、それはアレですよ。魔法都市は物資が高く取り引きされるので、北部まで行商を行う商人は他と比べるとお金を沢山持っているんですよ! なので盗賊の標的になりやすいというわけなのです!』
「うおっ!? ノウ、ビックリしたぞ! 起きてたのか?」
俺は身体をビクリと震わせ、荷台の奥を見る。そこには毛布に包まれた二人の少女プリシラとファムがいた。王女と木の精霊の二人が仲良く密着して眠る様は見ていて微笑ましく、ファムの頭の上にちょこんと座るノウの姿も相まって、どこか幻想的にも見える。
『名のある商人ならば大人数で護衛を沢山付けて、隊商として北部にくるんですけど、そうでもない人は最低限の護衛を付けて一気に駆け抜けて来るんですよ』
言われてみれば俺達が助けた商人達は護衛の人数は少なかった。
護衛の人数が多くなればなるほど命の安全は保証されるが、その分費用はかかる。商いを生業している商人にとってその金勘定はとても大事なモノであるのだ。
要は、金を惜しむか命を惜しむか。普通の、いや、現代人である俺の感性で言えば当然命を優先すべきだとは思うが、この世界の商人は少し違うらしい。
『まぁ、命を賭けて商いをするだけの価値がこれから行く魔法都市にはありますからね〜』
ノウの話によると魔法都市マジカルテは魔法のみならず様々な研究が盛んに行われ、その研究成果は王国の繁栄に貢献しているらしい。
その分、研究に必要な素材や魔法の触媒は常に枯渇気味であり常に資材を欲している。
そう、東の帝国よりも西の王都よりもどこよりも、高く素材を買い取ってくれるのが魔法都市なのだ。結果としてある意味魔法都市は南の商業国家と並んで経済流通の要とも言えるのだ。規模は比べると小さいらしいが王国寄りに位置するので西側の王国含めた都市群にとって重要な街なのだ。
「おおっ! ハジメちゃん、みんな! 見えてきたよー!」
御者席で馬の手綱を引くジェリコの声が、俺達の目的地に着いた事を教えてくれる。俺は幌の布を手で押しのけ外を覗き込む。
「んー、あれ? なんか、デッケェ城壁しか見えないんだけど?」
目に飛び込んできたのは無機質な石造りの城壁。魔法都市という言葉からてっきりファンシーな外観を想像していたので予想とは違う景色に俺は戸惑ってしまう。
『魔法都市はですねぇ。さっき言った通り盗賊の襲撃に備えるため、そして北部の虫人族の警戒のために強固な城壁が築かれているのです』
虫人族。以前聞いた話によると北部の未開の地に住む虫の特徴を持つ亜人族と聞かされている。曰く、数年前までは魔物に分類されていたほど凶暴で野蛮な種族との事だ。
「いや〜着いた着いた。ジェリコさんは疲れちゃったよ〜。お尻がもう限界ね!」
お尻をさすって文句を言いつつ、ジェリコは馬を巧みに操作する。そしてそびえる城壁の入り口である門へと向かう。
そこは商人の一団らしき馬車の列が並び、今か今かと入場の申請を待っている所だった。
「あらよっと!」
その列をジェリコは無視し入り口へ進む。それを見た列に並び休憩している商人が何かを叫んでいる。言わずもがな、ズル込みするな列に並べ、っと言ってるのだろう。
「おいジェリコ。お前は列には並べって義務教育で習わなかったのか!?」
「授業中はいつも寝てたからそんな教育うけてませーん!」
商人達からの罵声を受け、後ろめたい気分になった俺はジェリコを注意する。しかし、ジェリコは意にも介さずぐんぐんと進み、遂には入り口の門まで来てしまった。
当然、入場を管理している門番の兵士が俺達を注意するが、ジェリコは荷物入れから一枚の羊皮紙を取り出すと門番に見せた。
「はっ! ド、どうぞお通りください!」
門番は紙を見た瞬間、態度を急に改めさせ、右腕を水平に曲げ握り拳を胸に当てるグロリアス王国式の敬礼をする。何か信じられないモノでも見たのだろうか声は若干裏返っていた。
「どうどう、お勤め頑張って下さいね〜」
ジェリコそんな兵士を横目に手をヒラヒラと振り、馬を前に進める。
「なんかやったのか?」
沈黙の後、俺は後ろからジェリコに問い掛ける。するとジェリコは首を後ろに向けるとニヤリと悪い笑みを見せる。
「ハジメちゃ〜ん。俺達の馬車には誰が乗ってると思ってんだい? この国の王の娘だぜ、それなりの根回しはされてるってば!」
ジェリコは先程門番に見せた羊皮紙をクルクルと丸めると俺に投げ渡す。受け取った俺はそれを開いて見てみるが……
「俺に渡されても読めねぇよ。ルチア、読んでくれ」
長々と文字らしき記号が書いてあるが、当然俺はそれを読むことは出来ないので、まだ寝ぼけた様子のルチアに紙を渡す。
「うん〜? あぁ、領土自由通航手形って書いてあるね。なんか王様の権利でうんたらかんたらってさ?」
「ふん、なるほどね。どこでも行けるパスポートって事か?」
「そゆこと。それよりもハジメちゃん、外を見てみなよ!」
羊皮紙とにらめっこを続けるルチアを他所に、俺は馬車の外を見る。
そこは既に異世界だった。
「ははっ、すげぇや」
石造りの無骨な城壁の内側の景色は、俺の想像を上回って飛び越えていた。
上空を見上げればそこには何かに跨った人間が組を作って飛行している。まるで渡り鳥の編隊飛行だ。俺の良すぎる視力で確認したところ、恐らく女性だと判断できる。
空中には王国ではもちろんのこと、現代日本では一度も見たことの無い文字が多数浮かび、時折光ったかと思えばいきなり高速移動を開始するなど見ていて飽きない突飛な動きをしている。
見上げた近くの建物は工事中なのだろう。腰に玄翁を指した筋骨隆々の職人が多数いるのだが、あろう事かその職人達は身体に命綱すら付けずに、建物の壁に垂直に立った状態で作業を行なっているのだ。重力をどこに忘れてしまったのだろうか。
視線を真っ直ぐに戻し、大通りの先にある広場を見るとそこには噴水広場があった。王都にあるものと似ているのだが、一つ決定的に違う光景がそこには存在した。舞い上がる水飛沫一つ一つが空中に固定され、その上を子供達が跳ねて遊んでいるのだ。踏み付けられた水飛沫はすぐにまた動き出し元の水源に戻され何度も同じ光景を繰り返す。
馬車の横を見ると恐らく食事処なのだろうか。食事をする人間と折れ曲がった獣耳をした獣人が俺達の馬車に手を振っていた。不思議な事に誰も触っていないはずのフォークなどの食器が勝手に動き、両手を振る小児の口元に巻かれたパスタを運んでいた。
見るもの全て。上も下も右も左も。何もかもが一度も目にしたことの無い光景ばかりであった。
「へへ、見てて楽しいなこの街は!」
魔法都市マジカルテ。魔法の最先端を行くこの街の幻想的な景色。俺はこの街が期待してやまなかった異世界の姿であることに感動し、正直な感想を言う事しか出来なかった。




