護衛者達の憂鬱
爆ぜる火の粉が地面に当たり、黄土色を僅かに焦がす。暗い空の下影二つ。火の赤に照らされ揺れていた。揺れる影は一つは俺のモノ。もう一つは椅子代わりに使っている倒木の丸太に同席する老齢の男のモノだ。
「ヒノモト殿。昼間の戦闘はお見事でしたな」
俺の名字を呼ぶ男は、火の勢いを押さえるために薪の火を木の棒で突く。パチリと爆ぜた火の粉は老人の皺だらけの手に当たると一瞬だけ赤く燃え、そしてすぐに消えていった。その間、一切熱がる素振りを見せない。
「よしてくれ。俺は大したことしてねぇよ」
「若いうちは自己を謙遜せずにむしろ驕る方が良いのですよ。過小評価は己の可能性を狭めますぞ?」
長い白髪を後ろで結わき、白の立派な口髭を指でなぞる老人は一度背筋を伸ばすと答えを返した。白い毛髪に刻まれた皺が老人である事を証明しているのだが、伸びた背筋に穏やかながらも意思が込められている眼光は老人の雰囲気を若く感じさせる。
「有難いお言葉だ。ええっと、確か名前は?」
俺は目の前を見つめつつ、懐のメモ帳を探る。
「バルジと申します。ご気軽にバル爺とお呼びください」
メモ帳に書いた名前を見つけるのとほぼ同時に名乗り、そして戯けた調子で片目を瞑ったウィンクをする。
老齢でありながらも茶目っ気溢れる様子のバルジに俺は乾いた笑いを零す。なんとも気持ちが若い老人だろうか。
「そのうち呼ばせてもらうよ。俺の事もハジメでいいよ、バルジさん」
「わかりました。そのうち呼ばせていただきますよ? ヒノモト殿」
お互いの名を俺達はあえて強調して呼ぶ。互いの意図を何となく感じ取ると二人して沈黙した。
(隙が無いな。当然か)
このバルジという男は、プリシラのことを幼少の頃から守っていた護衛者だという話だ。
姫がこの世に生を受けてからの十余年。春夏秋冬の季節を共に過ごしてきた間柄であり、もはやその信頼関係は主従のモノでは無く肉親のモノと言えるほどだという。
今は老齢の身であり一線を退いたとはいえ、かつては名を馳せた剣豪。若かりし頃に鳴らした剣の腕は今なお衰えていないという。
「そう、身構えなくても良いですぞ? 我らは同じ任務を受けた護衛なのですから。夜這いをするつもりならば話は別ですがね?」
紳士な雰囲気で穏やかな口調で言葉を口にするが、手に持つ木製の杖が抜き身の刃と錯覚するほどの威圧感が放たれ、俺は思わず生唾を飲み込む。
「心配しなくともあんなお転婆ガキ、もとい元気なお子様に欲情なんかしないさ」
女性にとって若さとはそれ一つで美を表せる。とはいえ、いくらなんでも何も知らないお子様な女性に手を出そうとするほど常識が無いわけではない。
確かにどちらかといえば年下が好きだが、あくまでそれは常識の範疇に収まる年齢の女性が好きという意味だ。決して幼子が好きなわけではない。
「ホッホッホッ! 失言ですぞヒノモト殿。確かに姫はいたずら好きでワガママで自意識過剰でアホな子ですが、子供はその方が可愛いのですぞ?」
「待て。そこまで言ってない」
口周りの皺をくしゃりと曲げ、バルジは朗らかに笑う。今の俺の言葉は相手の身分を考えれば失礼に当たる。だがその言葉をまるで褒め言葉のように受け止め、とにかく嬉しそうであった。まるで自慢の孫娘の成長を自慢する翁のように、誇らしげである。
「ですが、そのような言葉はリーファ殿の前では口にせぬように。あの娘は護衛の仕事に誇りを持っておりますから姫への失言をすると頭から叩き割られますぞ!」
「リーファ……あぁ、龍騎士の女か」
メモ帳のページをパラパラとめくる。火の粉が爆ぜる音を聞きながら文字列を目でなぞって名前を見つける。そこには名前に丸がつけられ、重要と特に強調されている情報があった。
「彼女はルチアの義理の姉さんなんだってな?」
後方にある一台の馬車を見る。御者席には誰もおらず、荷台の幌も降ろされているので中を伺い知ることは出来ない。その馬車の横では荷台と同じ大きさの体躯を誇る赤き龍が翼を器用にたたみ丸くなっている。さながら主人の安眠を守る番犬のようにピタリと側につき、こちらを、いや、俺をジッと見ていた。
「夜這いは出来ませぬぞ?」
「だからするつもりは無いっての!」
念押しするように先程と同じ言葉を繰り返すバルジに俺は手を左右に振って答える。
あの馬車の中では女性陣が寝ている。ワガママなお姫様と毒舌のファム、俺に対して遠慮の無いノウにまだあまり関わりがないリーファという女性。そしてルチアだ。馬車の側にいる飛龍を見るに、近付いただけでどのような惨事に至るか想像するのは容易い。女性陣と飛龍による集団暴力だ。女と動物は男に強いモノだからな。
「おーい! ハジメちゃん、天幕設置できたよー!」
視線を戻して焚き火に追加の薪をくべていると、向かいに座るバルジのさらに後方からジェリコの呑気な声が聞こえてきた。闇の中から姿を現したジェリコは汗がかかれていない額を拭っている。
「おっ、ありがとよジェリコ」
手に付いた泥を払うとジェリコは俺の隣に座る。
「見張りの順番はどうするよ? 二人一組?」
「そうだな。二人一組でところてん方式にしよう」
「ところてん……何ですかそれは?」
俺とジェリコの会話に聞きなれない言葉があったのか、バルジは怪訝な顔で俺を見る。
確かに何気無く口にしたが、この世界にところてんという食べ物はあまり馴染みが無いのかもしれない。ならばその言葉の意味が伝わらないのも無理はない。
「えっと、ところてんってのは……えーっと、ツルッとしてズルズルって食べれて……ハジメちゃん。なんて説明すればいいかな?」
頑張ってバルジに説明しようとジェリコは身振り手振りを交えるが、元々ところてんの説明をする場面などそうそうある筈も無く、慣れてないゆえどうにも抽象的な説明になってしまっている。ジェリコの助け舟を求める声に俺は答えるように口を開く。
「単なる比喩だ。要は二人一組で歩哨に着いて一人ずつ交代していくという事だ」
通常歩哨は二人一組で配置され交代をするときも二人いっぺんに交代するのが基本だが、一人ずつ交代する事により警戒情報の伝達や周囲の地形の変化の認識も共有しやすいのでこの方法を取る部隊もあるのだ。
「夜明けまで六時間ぐらいだろう。一人二時間と考えて三人で回していこう」
「うへぇ……四時間睡眠かぁ。やっぱり女性陣は含めないのか?」
少ない睡眠時間にジェリコ文句ありげに眉をひそめる。俺は言いたい気持ちを分かりつつも、ジェリコを諭すように穏やかな表情を浮かべる。
「リーファって娘なら頼めば警戒に着いてくれるだろうけど、まだいいだろ? 出会って初日なんだからさ」
俺達と護衛の任に就いているバルジとリーファ、そして姫は今日の昼に出会ったばかりなのだ。
王都を出発した俺達は王国から半日ほど北に進んだ名も無き村にて一泊し、朝になると出発した。
その後予め指定された地点に行き、そこで合流したのだ。合流地点が打ち捨てられた廃村と知った時の俺の顔は同伴の面々からしてみれば見ものだっただろう。幽霊嫌いは周知されている。
自己紹介をそこそこにして済ませ、出発した矢先に盗賊達との戦闘があったのだ。
「俺という初対面の人に会って、戦闘して、少なからずとも警戒はしてるだろうし、気疲れもあるだろう。なら、義妹と一緒に今日は休ませてやるのが男ってもんだろ。違うかジェリコ?」
「へーへー分かりましたよ、モテる男は気遣いできますな!」
渋々と言った面持ちで頷くジェリコはそれ以上の言葉は言わなかった。
「じゃあ最初は俺が着くとして、もう一人はどっちが着くか?」
「ふむ。ではこの老骨が着きます故、ジェリコ殿はお先に休みなされ」
「おっ、いいのかバル爺さん。じゃあお先に仮眠させてもらうぜ!」
ジェリコはバルジの言葉を聞くとすぐに立ち上がり、尻にこびりついた砂を払う。
「んじゃ、おやすみ二人共」
「ゆるりとお休みください」
「おやすみ。寝坊したら尻尾をライターで炙るからな?」
「なんか不穏な言葉が聞こえたんだけど?」
「風の音だろ。気にすんな」
苦笑するジェリコはそのまま歩き出し、自らが建てた天幕へと歩いて行った。
夜風はさらに吹き、焚き火の勢いを増加させる。
ウェスタの屋敷でイオンにこの世界の事を教えてもらった時に、もうすぐ初夏の季節になると聞いたが、今宵の風は薄着で当たるにはいささか寒い。
俺は薪を火にくべると両手を火に当てる。ほんのりと暖かい。
「ヒノモト殿は姫のことをどう思いますか?」
「はぁ? ……んーと……」
唐突にそんな事を聞いてきたので、俺は即答出来ず暫し考え込む。
「可愛いけど、流石に幼すぎるんだよなぁ。小学校高学年ぐらいだろ? 俺の世界にはロリコン死すべし慈悲は無い。って言葉があるくらいだし……」
「はい? あぁ、質問が悪かったようです。申し訳ありません。この言葉足らずな老人をお許しください」
どうやら俺の答えは見当違いなモノだったらしい。バルジは眉間に指を置くと言葉を探し出す。
「姫はこれから魔法都市の学園に通うのですが、そこで馴染めますかなぁ?」
「あぁ、それか。逆にどう思う?」
頭の中で思考し、俺はあえて質問に質問で返した。
するとバルジは困ったように頬を指でなぞり、肩を竦めて返事をした。
「分かりません。姫は生まれてこのかた王都を出た事はありませぬし、年の近いモノ、友人と呼べるモノもおりませんでした。だからこそ、どうなるか分かりませんとしか言いようが無いのです」
「なるほどね。でも、なるようにしかならないだろ?」
「そう、ですな」
俺はまた一つ薪を火にくべる。
(実際は何か起こるだろうけどな)
質問を終え、黙って火に当たるバルジをよそに俺はそう考えていた。
あんな性格のお姫様だ。仮に元の世界の日本の学校だったら間違い無く何かしらをやらかす。ただでさえそうなのだ。ならば、文字通り様々な種族がいるこの世界の学園であれば、何も起こらない訳が無い。
(護衛っていうよりかは世話係とかなんだろうな。俺達の役目ってのは)
ウェスタや賢王が俺を護衛に選んだ理由が一つ分かった気がした。
かつてウェスタが西野だった時、部隊配置された生意気な後輩を締めた先輩としての記憶が蘇り、懐かしい気持ちになる。
「手のかかる子ほど可愛いっていうもんなぁ?」
赤き光に照らされながら一人こっそりと微笑んだ。




