拾われたその先へ
騒がしい店内は活気の声というよりも御近所迷惑な騒音と例えた方が的確だろう。それがこの店廻る猫耳亭の第一印象だった。
決して上品とは言えない下卑た言葉が飛び交う一方で、絹糸のような繊細さを纏う若い女性の歌声や、酒の場には不釣り合いな少年が高い声と足りない語彙力で料理を褒めていた。
騒がしい酒の場にも関わらず、老若男女問わない客層はこの店が良い店だという証明だ。
「ニャニャニャ! ルチアさん裏で騒いでた人たちはなんだったかニャ? 喧嘩だったかニャ?」
席に座る俺とルチアに猫耳少女が声をかけてくる。ずっと働き通しだったのか気持ちの良い笑顔の隅に疲れが見える。
「ミーニャ、別に何でも無かったよ。居場所を無くした雛鳥が泣いてただけだったから親元に返してあげたわ」
ルチアは猫耳少女の事をミーニャという名前で呼んだ。そしてカッコつけた顔を作り、まるで口説き文句の決め言葉のような言い方で返した。
「……何言ってるかわかんニャイけど、代わりに見に行ってくれてありがとうニャ!」
猫耳を顔ごと傾けて困惑の様子を見せてからお礼を言い、ミーニャと呼ばれた猫耳少女は本来の自分の仕事に戻って行く。
「そんなに俺はピーピー泣いてたか。鳥さんみたいによ?」
「言葉のあやよ。子供の頃に読んだ小説でそんな言葉が書いてあったから使いたかったの」
俺は悪態を吐きつつもルチアの子供っぽい純真さに笑みを零す。
「あ、笑ったね。さっきまで人殺しそうな顔してたから心配してたんだよ?」
無意識のうちに自分の頬を触る。どれほど怖い顔をしていたのだろうか。
「とりあえず注文していい? 私ご飯食べずにこっち来ちゃったからお腹ぺこぺこでさ〜」
手を挙げて店員を呼び、来たのはミーニャでは無く人間の男の店員だった。ルチアはメニュー片手に手で指し示しながら注文をする。
「ハジメは何か食べる?」
「いや、俺はいい」
メニューが書かれた紙の冊子を受け取ると俺はそのまま脇に置いた。
元気は少し出てきたがまだ俺の胸の内は重く暗いナニカがのしかかっていた。とてもではないがご飯を食べようという気にはなれない。手元に置かれたグラスの水を一口飲むのが精一杯だった。
「そう。じゃあ食べたくなったら私の分けてあげるよ」
お互いの会話はそこで一旦終わった。
流れる喧騒が互いの空間を埋め、水を飲む音だけが俺の中から発せられた。
やがて、注文していた料理が運ばれてきてテーブルの上に並べられる。
野菜炒めや小さな骨付き肉に茹でた豆。昼間は喫茶店として営業しているこの店も夜の酒の場となれば、酒のつまみ用の料理が出てくる。ルチアは足の親指大のそら豆に似た形状の豆を一粒つまみ口に放り込む。
「ん、美味しい!」
もぐもぐと口を動かして味わう姿はどこか微笑ましい。水と一緒に飲み込むとルチアは幸せそうに一息つく。
「いやね、まいったもんだよ? アルベインが屋敷に泊まるとか言い出すからさ。流石にそれは嫌だからあいつが乗ってきた馬車の馬いるじゃない? あれを馬車から外して乗ってきたの。これなら追ってこれないしね〜」
つらつらと愚痴を吐き出すとルチアは次に骨付き肉に齧り付く。白い指先に脂の照りが光る。
「夜道は危険じゃ無いのか?」
光に包まれた現代社会の夜ですら、運転中の視界は明るい昼と比べて悪くなる。王都はまだ光源はあるが、ここにくるまでの草原の道に光なんてものはあるはずもない。一体どうやってきたのだろうか。
「問題ないよ? 私、光の魔法はすっごく得意だから。お馬さんが前見えるぐらい照らしたのよ!」
だからお腹減ってんだよね。っとルチアは付け足し、野菜炒めを口に運ぶ。
「ふーん。確かに森での戦いで凄えの出してたな」
視界一杯に広がる光の壁。黒きホブゴブリンの剣を塵芥に変えたアレは確かに眩いばかりの光を放っていた。あれだけの光量ならば、照明弾の明かりよりも強く夜を照らすだろう。
「……っで、話は元に戻るけどさ。ハジメは何をそんなに悩んでるのかな?」
「……」
俺はルチアの言葉に黙って水を飲む。
「見ただけで分かるよ。だって屋敷にいたときと顔つきが全然違うもん。城で何かあったの?」
食事の手を止めたルチアの目は俺を真っ直ぐに見据える。曇りなき青みがかった眼は胸の内まで見透かしているかのようだった。
(黙っていてもしょうがないな)
俺はグラスの水を全て飲み干し、意を決する。
「……お前は大切な人がいなくなったらどうする?」
「大切な人?」
そのまま聞き返し、ルチアは言葉の意味を考えてるのか、腕を組んでウンウンと唸る。
「……探す?」
数秒考えた後に出た答えは俺が想定した答えだった。
「じゃあその大切な人に二度と会えない、絶対に会えないと分かったらどうする?」
「う〜ん……凄く悲しいかな?」
首を少しだけ傾けて出した答えはまたも俺が想定している答えだ。
「だろ?」
俺はそこで答えを切るとグラスを再び傾けた。だが、その中に水は既に入っておらず、仕方なくそのままテーブルに置き直す。
「でも……」
小さな声に俺は目を向ける。
「本当に大切な人なら絶対に会えないと分かっても、私は絶対に会いに行く」
「……っ?」
ルチアは水が無いことに気が付き、手を挙げて店員を呼ぶ。グラスに並々と水が注がれ、透明な水面が俺の顔を映す。黙り込んだ俺の顔はなんとも言えない複雑な表情をしていた。
「絶対に会えないんだぞ……それでも会えると思うのか?」
「うん。私だったら会いに行くよ」
「会いたい大切な人が、既に死んでいたとしてもか?」
「……」
今度はルチアが黙る。難しい顔をしていて眉間に皺が寄り、せっかくの可愛い顔が台無しになっていた。暫し悩んだ後にルチアは手の平を軽くポンっと合わせて叩き神妙な顔のままで口を開く。
「少し私の話をして良い? 答えになるかは分からないけど……」
「ああ。いいぜ」
俺が頷くとルチアは大きく息を吐き、どこに視線を向けているのかそっぽを向き始める。
「私ってさー、孤児だったらしいの」
「らしい?」
気になる言い回しに疑問の声を上げてしまったが、俺は咄嗟に自分の口元を拳でなぞり言葉を濁した。右手でルチアを指して続きを促す。
「実は私ね、子供の頃の記憶が無いの。記憶喪失って言うらしいんだけど……」
記憶喪失。過去の出来事や経験などが思い出せない事だ。ルチアの思いがけない発言に俺は身を乗り出して話を聞く。
「クラフおばあさんも血の繋がりは無いの。保護者として見てもらってるだけ」
「そうか」
重い話に返す声も暗くなる。だが、俺の様子を見たルチアは慌てたように手を振り、場を紛らわせる為に声を明るくする。
「いや、そんな気にする話じゃ無いよ! ハジメの国だと分からないけどこの国だと戦災孤児とか結構いるのよ? だからそんなに珍しいものでは無いよ?」
誤魔化しの為か一息に言葉を吐き出すと、グラスの水を一気に飲み干す。荒くなりかけていた呼吸は落ち着き、リラックスする為かルチアは背もたれに体重を預ける。
以前にイオンの説明でこの大陸には大きな二つの国があると言われた。
西のグロリヤス王国と東のエンプレス帝国だ。この二国間ではしばしば戦争が起こり、双方ともに少なくない犠牲が出ていた。大陸中央部の魔族領地を迂回して攻めてくる場合が多いので方角にして東北東方面の被害が大きいとのことだ。当然その場所で戦火の被害を受ける者達も多いというわけだ。
「だから私も本当の親は知らないの。どんな人なのかもね」
「そうか……」
自衛官とは言っても、戦争を知らない世代の俺でもそれはよくあることで済むような話では無いのは分かる。
「あ……でもね。私が会いたいのは親じゃ無いよ?」
「はい?」
話の流れから、てっきりルチアは生みの親と会いたいという話なのかと思っていた俺は意表を突かれて気が抜けた返事をする。
「だって私の親はクラフおばあさんだもん。血の繋がりなんて関係無いと思うしね。年はめちゃくちゃ離れてるけど」
「そ、そうか……まぁ、人それぞれだもんな? 多分……」
価値観の違いというものだろうか。俺からしたら自分の生みの親というのは居て当然であり、自分の人生に関わっているのが普通だと思っている。それをルチアは関係無いと言い切った事に少なからず衝撃を受けた。
「私が会いたい人はね。忘れた記憶の中にいる人なの」
ルチアは目を瞑り天を仰いでまるで祈りを捧げるように手を絡み合わせる。
「なんていうか……覚えてないのに覚えてる人がいるのよ。私の記憶の中に。それを見つけ出すってのが私の目標かな?」
「なんか、よくわかんない話だな?」
俺は喋り終えて少し気分が高揚しているルチアに正直な感想を述べる。
一生懸命に話してくれた相手に返す感想としては相応しく無いモノなのだが、当の本人のルチアは何故か満足気だ。
「そう、わかんないの。でもね。私の知らない私が、大切に想っている人がいる。それを私はなんとしても見つけたいのよ!」
「なんなのかよく分からないのにか?」
俺の皮肉めいた言葉に応えるように、ルチアは胸元から青い宝石を取り出し、指先で弄り俺を悪戯っぽい笑みで見つめてくる。わずかに覗く白い歯はなにかを企んでいるようにも見える。
「幻想調査隊は元々はね、根拠の無い空想を探し出す者達。少なくとも私はそう解釈してるよ!」
してやったりの顔で俺を見つめるその顔に、俺は思わず苦笑いをしてしまった。
「でも、俺の場合は……ウェスタが……既に死んでるって……だから……俺は……」
先のウェスタとの会話を思い出し、俺はまた顔が暗くなる。
ルチアは顎に手を当て短い時間、目を瞑る。そしてパッと開くと何かに気づいたかのように俺に指先を向ける。
「……もしかしてさ、ウェスタの説明の途中でハジメがなんか言ったんじゃない?」
「ど、どうして分かったんだよ?」
まるで見てきたかのようなルチアの言葉に俺は驚き、飲みかけの水を吐き出しそうになる。俺の反応を見て半ば呆れたようにため息を吐くルチアは俺の鼻先に指を置き何度かツンツンと突く。
「ハジメってさ〜。普段は真面目な感じなのに、変な所で馬鹿なことやったり、意外と怒りん坊だったりするからね。多分、話の途中でなんかやったんじゃないかなってさ?」
「……つぅ」
言葉の最後に強く俺の鼻を突き、ルチアは呆れ顔のまま自分の背もたれに寄りかかる。
俺は鼻を押さえ、想像していたよりも強かったルチアの突きはもとより、その言葉に図星を突かれてぐうの音も出なかった。
「さて、なにやっちゃったのかな? ハジメちゃんは?」
まるで弟を叱る姉のようなお姉さんぶった態度のルチア。若干芝居がかった言い方だが、やけに様になっていて思わず全てを話したくなり、俺は正直に告白する事にした。
「実はウェスタの事ぶん殴っちゃった。それも、結構ボコボコに……しちゃった」
「おっふ……」
想像していたやっちゃったモノとは違い、思っていたよりも馬鹿な事をしていた俺にルチアは頭を押さえて嘆息を吐きつける。
「あのね、ハジメ? ウェスタは私達の隊長なのよ。さらに言えばこの国の将軍の一人。昔から知ってる私だって最初はガチガチの敬語で話してたのよ? そんな人を殴ったら下手すると死刑もんだよ? 分かってるの!?」
「うぅ、分かってませんでした……」
まくしたてられ返す言葉も無い。ウェスタの姿を見るとどうしても西野の姿が思い出してしまい、つい昔のように遠慮の無い対応になってしまうのだ。
元の世界では俺の馬鹿な後輩だったとしても、この世界ではかなり立場の高い人物であり、そのギャップを俺はまだ引きずったままなのだ。
「はぁ〜、全くもう……分かったわよ!」
苛立ちと呆れが混じったルチアはテーブルの上に両手を叩きつけ、大きな音を店内に響かせる。一瞬俺はビクリと身体を震わせ、恐る恐るルチアを見る。
その眼光は行った動作とは裏腹に、優しさと慈愛に満ち溢れている。捨てられた子猫を見捨てておけない少女。その言葉と場面が咄嗟に浮かんだ。
「私が一緒に謝りに行ってあげる。どうせハジメ一人じゃ意地張って謝らないでしょ! まだそんなに付き合い長く無いけど、分かるもんハジメの性格はさ!」
「俺は別に意地張ってなんか……」
「もうっ、言い訳しないッ! そうと決まったら、ほらっ! これ!」
ルチアはテーブルに並べられてある料理の皿を全て俺の方に寄せる。さらに俺の手にフォークとナイフを無理矢理握らせると茹でた豆を指差す。
「沢山食べて元気出しなさいよ! さっきからずっと辛気臭い顔してるんだもん。そんなんじゃハジメらしく無いよ!」
フンッと鼻息を鳴らし、得意げな表情で胸を張るルチアに、俺は自分でも気付かないうちに口角が上がっているのが分かった。笑みと共に胸の内がスッキリしたのか、腹が急に減ってきた。
「……全く、分かったよ! 敵わねぇな、お前にはよ!」
俺は手に持っていたフォークとナイフをテーブルの上に置きルチアへ笑い掛ける。
「こんな小っちゃい豆食うのに食器は要らねえってば!」
俺は手掴みで豆を食べる一つ取り口の中に運ぶ。
すっかり冷えた料理だったが、不思議な事に不快には感じず、むしろ俺の今の気持ちがその温度を熱くさせた。




