拾う神あり。
〜〜二年前。日本一居室にて〜〜
ベッドの上で腕組みをして座り威圧的に見下ろす者と正座をして縮こまる者。自分の部屋の真ん中で俺とタケさんは向かい合っていた。
刺すような視線を一身に受けていた俺は冷や汗を流しながらひたすらに耐えていた。
「じゃあ、もういいぞ。次やったら怒るからな?」
「はい、すみません」
俺は部屋から出て行くタケさんの後ろ姿を目で見送る。荒々しく引かれたドアは大きな音を立てて閉まり、部屋の埃を宙に舞わせた。
「はぁ、痛え。めっちゃ足痺れるなぁ」
ドアの外から足音が遠ざかって行くのを確認し、足を崩す。ビリビリと足を伝う痺れに立つことすら出来ず悶える。
「タケさんもあんなに怒らなくてもいいのによ……」
正座をしていた理由は一つ。ズバリ、俺がタケさんとゲームする約束を忘れていたからだ。ただそれだけの事なのだが思っていた以上に怒られた。
確かに約束を破った俺が悪いのだが、その理由は新作の格ゲーで対戦するのを忘れたという程度の事であり、頭を叩かれた挙句に正座の説教を受けるほどの事では無いと思う。
「ハジメぇ? 大丈夫……じゃないか。平気?」
静かに部屋のドアが開き、そこからひょっこりと由紀が顔を覗かせていた。俺は苦笑いをしながらも床に手をつき立ち上がる。
「平気。いや〜、参ったね。たまにタケさん面倒くさい時があるんだよなぁ」
痺れる足を誤魔化すように歩き、タケさんが座っていたベッドに座る。人肌の温もりとシワを消すように勢いよく座ったせいか尻が痛くなった。
「ねぇ、もう一回謝った方がいいんじゃない? 南野班長、今外ですれ違ったとき結構怖い顔してたよ?」
由紀は部屋のイスを俺の前まで持って行き、そのまま座る。覗き込むように目線を合わせてきた由紀の目に俺は後ろめたさを感じて目を逸らす。
「いいって。さっき謝ったし、たかがゲームをやんなかったぐらいだしよ」
「んー、でもさぁ。険悪なムードのままでいるのもどうかと思うよ? ハジメと南野班長っていつもは仲良しなんだし……」
食い下がる由紀の目を無視して俺は黙る。
「ふーん、無視するんだ。分かった。じゃあこうしよう」
そういうと由紀は俺の手を掴み引き上げる。戸惑う俺に何の説明もせずさらに引っ張り、部屋の外へ連れ出した。
「お、おい? なんだよ?」
俺の問いに対して由紀は満面の笑みを浮かべる。
「どうせハジメはアレでしょ? 意地張ってちゃんと謝らなかったんでしょ? 分かるもん。顔見ればさ〜」
まるで俺が怒られた現場をずっと見ていたかのような物言いに俺は正直ギクリときた。
確かに俺は大した事でも無いことを怒るタケさんに、いつもと違う不貞腐れた態度で説教を聞いていた。それに呆れたタケさんは最後は説教をする事をやめて部屋を出て行ってしまったのだ。
怒る理由も理由だが、聞く側の態度も問題あるとは思う。だが俺は変な自尊心の所為で心から謝らなかったのだ。
「しょうがないから私が付いて行ってあげるよ。ハジメが一人で謝らないなら、私も一緒に謝ってあげる!」
由紀はそう言って笑い、俺の手を強く引いて行った
(バレちまうもんだな。お前にはよ)
先程までどこかスッキリとしなかった心と顔が今は大分マシになっている事に気が付き、俺は由紀に見えない角度でこっそりと微笑む。
ーーーーー
暗い夜道を当ても無く歩いていた。
一歩ずつ踏み出す足は重く、まるで数十キロの行軍を終えた後のように鉛と化している。
街を取り巻く人々の笑い声も俺には雑音にしか聞こえず、酷く耳障りだった。
目に飛び込む大通りの魔結晶の灯りも、洋燈がぶら下げられている明るい店先も、俺の目には真っ暗に見えていた。
(死んでる)
胸に浮かんだ言葉は到底受け入れたく無い事実。
何度も視線を送ったあの姿を二度と見ることが出来ないという現実。
(俺は一体何のために……?)
死線を乗り越えてやっと掴んだ僅かな希望。いや、願望は俺に夢を見せる間も無く虚実となった。
歩く一歩の足取りはもはや鉄枷をつけられてるかのように重い。思考を捨てて全てを投げ出したくなる思いを右手の鈍痛が許さない。
だが、その全てがどうでもよくなるほど俺の胸は空白が占めていた。光に釣られる蛾のように、ただ当ても無く街の中を歩き続ける。気が付けば俺は通りから外れ、裏路地に入ってしまっていた。
「痛。おい、そこの兄ちゃん。なにフラフラしてんだよ!」
何か聞こえた気がするが俺は構わず歩き続ける。
「あ、テメェ無視か? おいこら、聞いてんのかこの野郎!」
グイッと肩を掴まれ、俺は無抵抗に引き寄せられる。俺は引っ張られた肩を怠そうに揺するが、強く掴まれていて離す事は許されなかった。成されるがままにされ、俺は肩を引っ張る男と対面する。見たことも無い男だ。中年で赤ら顔の男。単なる酔っ払いに見える。
「テメェ、人にぶつかっておいて謝る事も出来ねえのか?」
顔を近づけて怒鳴る男に鬱陶しそうにため息を吐くと急に顎に痛みが走り、俺は地面に倒れ伏す。
「このガキが、テメェ無視してんじゃねぇぞこらっ!」
酒臭い息でまくし立てる男は俺を殴りつけたようだ。顎を撫でながらゆっくりと立ち上がり、威圧するように睨みつける。
「な、なんだコラッ! やんのかコラッ!」
酔っ払いの男は俺の目力に押されて少し退がるが、自分から喧嘩を売った手前、引くに引ききれないようだ。
「……ウルセェんだよこの野郎!」
「ぐへぇっ!?」
俺はそんな男に左の握り拳で思いっきり殴りつける。地面に倒れる男へ俺は追撃として足を踏み付ける。体重が上手く乗らなかったため威力はさほどでも無さそうだが、男の悲鳴を聞くに充分だと判断できる。
「こちとら今は虫の居所が悪いんだ。噛み付く相手は考えろ!」
俺は啖呵を切ると相手に背を向けて歩き出そうとした。しかし、そんな俺の前に男の仲間と思われる者達が数名現れ進路を阻む。
「よぉ兄ちゃん。アンタが何言ってるか分かんねぇけど、仲間をやられて黙ってるほど俺ら冒険者は薄情じゃねぇんだわ……っ」
一人の男が酔いも覚めた目で俺を睨み付けると、腰の剣を抜き放つ。鈍色の刀身は決して業物とは言えないが人の命を奪うのには十分な威力を持つと想像できる。
「……上等だよ」
丸腰にも関わらず、不思議と負ける気がしなかった。これが果たして勇猛からなのか、自暴自棄からなのかは自分でも分からない。
分かるのはいざ戦おうとしているのに、全く身体が熱くならない事だけだった。
「ちょっと待ったーっ!」
冷たい殺気が充満する場に不釣り合いな大きな声が響く。必死さと焦りを交えつつもどこか気の抜けた雰囲気の声は場の空気を一変させる。
そして俺は目の前に飛び込んで来た人間に驚きの声を上げてしまう。
「由紀っ!?」
記憶の中でなおも鮮明に残っている面影。今しがた砕かれたはずの幻想が目の前に現れ、俺は酷く動揺する。
「ゆき? ……ハジメ、何言ってんの?」
揺れる桃色の髪を手で振り払い、庇うようにして立った彼女は俺の言葉に戸惑いを見せる。
俺はそこでようやく目の前の人物が由紀では無くルチアだという事に気が付き、落胆すると同時に正気に戻る。
「なんでルチアがここにいるんだ?」
「細かい事は後で! 今はとにかく……」
ルチアは俺から視線を外すと剣を抜いた男を見る。
互いに睨み合う時間が続くが、男の仲間が剣を抜いた男に何やら耳打ちをした。
「こいつ……銀髪鬼の……とです。ヤバ……幻……問……ます」
途切れ途切れの言葉しか聞こえなかったが、耳打ちされた男は急に剣を納めて舌打ちをする。
「チッ、厄介事はゴメンだ。お互いに何も無かったことにしようや」
それだけ言うと男は返答を待たずして俺が殴った男を背負い、夜の街へと消えて行った。
残された俺とルチアを春の夜風が吹き付ける。
「ふぅ。危なかったねハジメ? ていうかなんで喧嘩なんかしてんのよ?」
「……」
ルチアの言葉に俺は無言になる。
自暴自棄になっていた自分を冷静になった頭が恥ずべき事だと認識し、声を出す事を許さなかった。
「ふーん。ハジメってアレだよね。変な所で意地っ張りっていうか頑固っていうか……子供っぽいというか……」
「別に意地張ってなんかいねぇよ……」
この返答自体が意地っ張りの証明だとは分かりつつも、俺はこの言葉を選んだ。我ながら子供っぽい事この上ないが、ルチアは呆れつつも納得してくれたのか顔の表情が解れる。
「まぁいいや。ハジメ、付いて来てよ」
「どこに? ……って痛え!?」
ルチアに右手を引っ張られると激痛が走った。見ると右手はパンパンに腫れていてまるで焼きたてのパンのように皮膚が盛り上がっていた。折れていた事をすっかり忘れていた俺は蘇った痛覚に悶絶する。
「うわ、折れてんじゃん。ちょっと待っててね」
そう言うとルチアは俺の右手に両手を重ねる。一言魔法を唱えると手に光が現れ折れた部分を包み込む。
「腫れがやばいねー。うん、でもくっついたね」
ルチアの手が離れると右手の痛みはだいぶマシになっていた。動かして見ると多少の痛みこそあれど気にはならなかった。
「あんまり無茶させないでね? 繋げただけだからさ」
「あ、あぁ……ありがとう」
何度も手を動かす俺に言葉で釘を刺したルチアはもう一度俺の手を握る。
「さ、行こ? 何かあったのなら聞いてあげるからさ。でしょ? 言葉はもう通じるんだからさ!」
俺の手を引っ張るルチアの手はとても暖かく、俺の冷えた体温を少しだけ上げてくれる。
月明かりの下影二つ。動く影は早く軽やかに動いていた。




