あられもない姿
〜〜二年前。二七号隊舎。屋外喫煙所〜〜
「電子の歌姫ニナねぇ?」
由紀はポツリと名を呟くとスマホを弄る。文字を押すたびに鳴る電子音がお互いの沈黙を埋める。
「あれ、興味無い感じ?」
「いや、別に?」
淡々と答える由紀に俺はなんだか違和感を覚えつつも、気の所為だと思え事にして煙草を咥え火を点けた。
「煙いってば。吸い過ぎじゃない?」
由紀は俺から三歩ほど距離を取る。そして息を吸い込んで俺に向け吐きつけて煙を飛ばす。蔓延する紫煙は空気の循環により空へと消えていった。
「あれれ? パイセン達なにしてんすか?」
足音がして声をかけられ、俺が振り向くとそこには何やら大きなリュックサックを背負った西野がいた。
背負う荷物を地面に降ろすと胸元のポケットに手を入れタバコを取り出す。慣れた動作で火を点けると美味そうに煙を吐き出す。
「お前が何してんだよ。脱走する準備か?」
「な〜にいってんすかパイセン。だったら夜中逃げますってば!」
冗談交じりに言うと西野も冗談で返す。
「俺あれっすよ。新隊員教育隊の班付きに行ってんす。だから訓練に必要な荷物がこの中にはいってんすよ」
息継ぎとして咥えた煙草から煙を吸うと西野は一つ咳き込み、また煙を吸った。
新隊員教育隊。一般の自衛官ならば誰もが必ず通る教育だ。それの班付きというのは俺も経験した事がある。
何を隠そう、西野が新隊員だった時に班付きとして教育したのは俺だからだ。ちなみにタケさんが班長として教育していた。
俺の時はタケさんが班付きで激烈指導な教育をしたのだが、班長として教育の立場に立った時はさらにその勢いは凄まじく、西野含む新隊員はもちろん班付きの俺まで人生のトラウマに刻まれるのでは無いかと思えるほどの教育受けた。もっとも、それはまた別の話だ。
西野の普段と変わらない様子をみると今の班長はタケさんほどの激烈指導はしてないらしい。
「いや〜、最近の新隊員はアレっすね。目上の者に対する尊敬の気持ちが無いっすよー。礼儀が無いっすね」
西野は砕けた敬語で愚痴を言うので俺は思わずタバコの煙と共に苦笑した。
「鏡見て言ってんのか?」
「ちょっと何言ってんのかわかんないっす」
「なんでわかんねぇんだよ」
どうやら皮肉は通じなかったようだ。
それはともかくとして俺も班付きとしての経験から、教育をする立場の者の大変さは分かっているつもりだ。もし、西野が訓練の事で悩むようだったら俺も一人の先輩として親身になってやらなければなら無い。
「お前大丈夫か? しっかり教育出来てんのか?」
「だ〜いじょうぶっすよ! 俺って意外とやる時はやるんすから!」
俺の心配をよそに西野は自信満々な様子で胸を張り、短くなったタバコを灰皿に押して火を消した。
「それにアレっすね。班長として来てる人に南野班長の同期の人がいるんすよ〜。それがまた面白い人なんです」
西野は嬉しそうに笑う。よっぽど良い班長がなのだろう。先輩としてちょっぴり妬きたくなった。
「守屋樹里子って言うんすよ。男なんすけど女っぽい名前で〜、なんか弄りたくなる人なんすよね〜」
ーーーーー
薄暗い地下への階段を、壁に立て掛けてある松明の灯りを頼り降りていく。篭った臭いにカビ臭さが合わさりあまり気持ちの良い空間ではあるが、不幸な事に目的地へ降りる度に臭いの不快感は濃くなる。
ここは王都の城の地下にある牢屋への階段。俺がこの城に来て最初に入っていた牢屋と同じ場所だ。一歩、また一歩と段を降りる度にあの頃の感覚が思い出される。
「ルチアは連れて来なくて良かったな。ジェリコも。あいつら多分文句言うぜ?」
俺は前を先導するイオンの後頭部に向けて言う。イオンは振り向く事無く前を進み続けている。
「ジェリコはともかく。女の子にこの臭いはオススメ出来無いからね。ハジメくんもそう思ったから来なくていいよと言ったんだろう?」
「お前も女の子だろう?」
「じゃあ一人で行くかい? もしデュラハンが暴れ出したら君がなだめるんだよ」
それを言われてしまうと黙るしかない。あの時は運良く俺の策にハマってくれたのでデュラハンを無力化する事に成功したが、再びやれと言われて出来るものでは無い。
「ウェスタも後から来ると言っていたから大丈夫だろうけどね」
俺を呼んだウェスタはまさか今日の今日で来るとは思っていなかったらしく、酷く慌てていた。
業務をこなしてから行くと言っていたが、言葉にして直ぐ終わらせるほど将軍の業務とは楽なモノとは思えない。
「こんな事ならを馬を飛ばさなくて良かったな? 尻が痛え。明日は筋肉痛だぜ」
勇者アルベインの伝言を受け取った俺はすぐさま出発する事にした。奴が乗ってきた馬車を使うのは癪に触るので別のに乗ろうと思ったのだが、生憎のところ屋敷に馬車の空きは無くどうするべきか迷っていた。
仕方無しに勇者が乗ってきた馬車に乗ろうとしたのだが、イオンが屋敷に馬で来ていることを知りその後ろに乗せてもらったのだ。
「君は乗っていただけだろう。しかしまぁ、どうしてもというのならば馬の乗り方を教えてあげてもいいよ?」
「お願いするよ。結婚式には白馬に乗って花嫁を迎えたいからな」
少女の後ろで必死に馬にしがみつく大人の男の姿というのは想像したくないものであり、実際にやりたいものでもない。馬に揺られて王都に着いた時は門番のなんとも言えない顔が見た目の滑稽さを表していた。
「おっと、着いたようだね」
階段を下り終えるとそこには俺にとって少々懐かしい場所があった。鉄格子に薄暗い空間。ゴザが引かれた石畳は決して居心地の良いものでは無い。
その空間に縄で縛られた鎧が置かれていた。否。そこにいた。
首無し騎士デュラハンこと中元昴二等陸曹だ。
「……」
無言で鎮座するその姿は博物館に展示された美術品を思わせる。
「お勤めご苦労様です。イオン様、ヒノモト様」
見張りの兵士が頭を下げるので俺もつられて頭を下げる。
「あれ……ウォンだっけ?」
頭を上げると目の前にいる兵士の顔は屋敷の門を守る兵士ウォンと同じ顔だった。
俺が屋敷を出発する時に彼は確かに見送ってくれたはず。なのに彼は目の前にいる。
どういう事なのかと俺が戸惑っていると兵士はにやけた顔で俺に答えを教えてくれた。
「私の名前はフェンです。ウェスタ将軍の屋敷にいる門兵ウォンは双子の兄なんです」
「なるほどね。どうりで顔が似てると思ったよ」
確かに言われてよく見れば髭の生え方が違う。本当によく見なければわからないほどの違いではあるが。
「現在デュラハンは沈黙しております。一度だけウェスタ将軍が尋問を行いましたが、大した成果は得られなかったとのことです」
見張りのフェンが説明するのを流して聞き、俺は牢の中のデュラハンを注視する。
姿は中元班長の迷彩服では無く、漆黒の鎧を着込み微動だにしない。若干、鎧のデザインが異なる気がするがあの時は暗く視界が悪く、また戦闘中という事で鎧の形など詳しく覚えてないというのもある。
「話せないのか? ちょっと中に入って見たいんだけどさ」
もし、名札の通りこのデュラハンが中元班長本人だとしたら色々と聞きたいことがある。
いつからこの世界にいるのか。
何故人を襲ったのか。
他の自衛官や異世界から来た人間と会わなかったか。
聞きたいことは山ほどある。
「拘束はしておりますし、暴れる気配は無いのですが……なんと言えば良いのか。とにかくご注意を」
気になる言葉を話、フェンは腰につけてある鍵の束から一つ取り出すと牢の扉の鍵穴に差し込む。鉄同士が当たる高い音と擦れて軋む鉄の二種類の音が鳴り牢の扉は開いた。
「僕が先に入るよ」
俺の前に割り込むように先へ入ったイオンはそのままデュラハンの前に立つ。
胡座をかいて座っているデュラハンと直立するイオンの背の高さは同じであり、いかに身長差があるのかが分かる。これだけの体格差を前にイオンは戦っていたのだ。
「暴れる気配は……無いね」
麻の太い縄で身体を縛られ、四肢には鎖が巻き付けられておりその末端は地面に打ち込まれた杭に繋がっている。俺の時とは比べ物にならないほど厳重な拘束はそのままデュラハンの危険度を示していた。
「喋れるのかな?」
「ハジメくん、口がないのにどうやって喋れると思うんだい?」
呆れ混じりのイオンの言葉に、それもそうだなと思い俺は肩を揺らす。
「いや、喋れますよ。でなければウェスタ将軍が尋問できません」
「……」
無言の視線から逃げるようにイオンは顔を背ける。
恐らく今のイオンの顔は恥ずかしさで紅くなっていると思う。それぐらいの事は短いながらも濃い付き合いの中で分かるようになっていた。
「ええっと、これを使えば話せるとの事です。ウェスタ将軍の魔力が宿る高等級の魔結晶付きネックレスで、双方向の翻訳が出来るとのことです。使ってください」
牢番は懐から宝石を取り出すと俺の手に渡す。夜の海を思わせるその色はイオンの髪色よりもさらに青くて濃く、持つ者を不安にさせる魅力があった。
「落とさないで下さいね。王都の商売人の年収に匹敵するほど高価なモノなのですから」
それを聞いてさらに不安になった俺は無意識のうちに魔結晶を強く握りしめる。
「さてと、どこに付ければ良いんだろうな?」
魔結晶には細い鎖が取り付けられている。俺が身に付けているモノと同じであり、首に掛けられるように出来てあった。
しかし、ここで一つ問題がある。この首無し騎士にはネックレスを掛けられる首が無いのだ。
「どこでもいいだろう? 貸してくれ」
俺が迷っていると、逡巡する様を見かねたイオンが俺の手からネックレスを奪い取り、デュラハンの手首に巻きつける。無理矢理巻き付けたので少々不格好だが良しとする事にした。
「さて、なんて言うのかな?」
俺とイオンは真正面でデュラハンの動向を見守る。イオンにとっては自分を殺しかけた存在、俺にとっては同郷で上官に当たる存在の言葉を待った。
「……」
「……」
「……」
三人分の沈黙が牢屋の中を占め、ジワリと緊張感も高めていく。
だが、一向に喋る気配が無いことに俺はしびれを切らしかけ何度も足を踏み変える。イオンも手持ち無沙汰なのか俺の横で自分の耳にかかる髪の毛を後ろに流していた。
「喋んないなぁ。どうするイオン? 一回出直すか?」
「そうだね。うん。そうしようか」
ここまで無言を貫かれると時間の無駄なような気がしてきた。
ここは一旦出直しをして、先に尋問を行なったというウェスタの口から情報を聞き出した方が良さそうだと判断する。
俺とイオンはデュラハンに背を向け牢屋の外へ一歩踏み出した。
「……オドレら何もんや?」
「…………はい?」
俺は素っ頓狂な声を出して振り返る。するとデュラハンの手首に巻いた宝石が強く光輝いていて鎧の身体もギシギシと揺れていた。
「ワイを縛ってどうするつもりや。タダじゃ済まさんぞオドレらァッ! いてまうぞアホガキがッ! イキがんのも大概にせぇや!」
何処かで聞いたことのあるような口調で喋る中元班長の声に俺は戸惑いを隠せない。デュラハンは戸惑う俺をよそにさらに言葉を続ける。
「このジャリ共が、ワイをこないな目に合わせて……許さへんぞ! ぐちゃぐちゃにすり潰したろかい!」
デュラハンは激しく身体を動かし、今にも縛り付けてある縄や鎖を引き千切らんと力を込めていた。
「……」
そんなデュラハンにイオンは無言で近付き、手を伸ばせば触れられる位置にまで歩み寄る。
目の前に立ったイオンへさらにまくし立てるようにデュラハンは前のめりになり食ってかかる。
「なんやジャリ、ワレこらいてもうたる……ぐおぅっ!?」
「ちょっ、イオンッ!?」
イオンは言葉の途中で遮るように、デュラハンの鎧の腹に目掛けて渾身の前蹴りを放った。鈍い音を鳴らし、くの字に身体を曲げる鎧にさらなる追撃として踵落としを喰らわせた。
「きゅうぅぅ……」
二連撃をまともに受けたデュラハンは空気が抜けるような情け無い声を出し床に沈む。
「五月蝿い」
一言だけそう言った。舞った埃をめんどくさそうに払い、魔結晶の宝石を回収した。
(なるほどね。大した成果は得られなかったか……)
俺はウェスタが言っていた言葉の意味を知り、一人納得をした。
生で聞くのは初めての関西弁っぽい言葉。中元班長の名前と声で喋る首無し騎士は俺が、俺達が知っている姿では無かったのだ。




