四方将軍
〜〜同時刻。王国にて〜〜
多種族溢れるグロリアス王国は落ちかけた陽の下でもなお賑わっている。
大通りには一仕事を終えた職人や商売人、冒険の依頼を終えた冒険者や腕っぷしが強そうな屈強な男が往来を闊歩する。
欠伸混じりで街を守る獣人の兵士はめんどくさそうに獣の尻尾を左右に振り、犬耳の頭と黒い鼻先を通りへと向けている。
一仕事終えた街の住人が向かうのは仕事人の憩いの地。酒場である。
日中は洒落た喫茶店を経営している店、通称、廻る猫耳亭もこの時間からは夜用のメニューも併せて提供し始める。
必然的に日中用と夜用の二つの料理を提供しなければいけなくなり、厨房は勿論のこと接客するフロアの従業員も戦場が如く慌ただしくなる。
今も看板娘の猫耳少女が足を滑らせ料理を放り投げ、自分の頭へ盛大に生クリームを装飾していた。それを見た客は皆笑い、笑顔の絶えないお店が出来上がっていた。
人々の賑わいが街を包む中、城内のとある一室では張り詰めた緊張感が支配していた。
無機質な石造りの部屋は感情が無く、日中の春の陽気とは真逆の凍てつく空気は思わず白い息を吐いてしまうほどだ。
そう広くは無い部屋に一つだけ置かれた円卓に四つのイス。そこに三人の男が座る。
頭髪を全て剃りこみ焼けた小麦色の皮膚を露わにした男は不機嫌なのか、眉間に皺を寄せ髪の毛の代わりに潤沢に生えている口髭を摩る。太い眉に鋭き眼光は到底幼子に見せられた顔では無い。
「遅い。遅いぞ……あの女は何をしているのだッ!」
苛つきが隠せないのか怒気を撒き散らし、机の上を乱暴に拳で叩きつける。木製の机は軋んだ悲鳴をあげる。
「イーサンの旦那ぁ、暴れないでくださいよ?」
名前を呼ばれた禿頭はギラリと眼光を走らせ、自分の名前を呼んだ若者を睨みつける。
「シカルド将軍。貴様はその職についてもなお規律がなっとらんな? ワシのことはイーサン将軍と呼べと言ったであろう?」
「こりゃ失礼。ショーグン様」
反省してるのかしてないのか、飄々とした態度で頭を下げ自らの茶髪の髪を弄る。整った顔立ちに若さも合わさり、どこか不真面目な様子が映る。
「まぁまぁ、シカルド将軍もイーサン将軍も落ち着いてくださいよ。女性は準備に時間かかるもんですからね。そうでしょ?」
そんな二人を諌めるように出来るだけ優しい口調で諭す。だが、それが返って逆効果だったのかイーサン将軍は皮膚に血管が浮き上がるほど力が入り立ち上がって俺を指差した。
「貴様も貴様だ! ワシが此度この場に来たのは貴様が何を企んでいるのか確認する為なのだぞ!? 分かっているのか! ウェスタ将軍!」
どれだけの年月を武に生きて来たのだろうか。俺に向けられたその指は野生の熊が如く力強い。剣ダコが分厚く盛り上がり手の平に小さな山を作っていた。
「えー、イーサン将軍? 人を指差すのは規律としてどうなのでしょうかね?」
俺が意地悪な声で反論すると隣のシカルド将軍が笑いを噴き出し、口を押さえようともせずゲラゲラと笑う。その様を見てさらに怒りがこみ上げて来たのか、イーサン将軍の顔と頭はゆでダコのように真っ赤になる。
「貴様らそんなに死にたいのかッ!?」
小刻みに震える手で剣を掴み今にも振り抜かんと力が込められた。そして一切躊躇することなく抜き放ち、薄暗い部屋に馴染んだ鈍い銀白色の刀身が露わになる。
「あらあら、これはこれは。物騒ですわね?」
一触即発の場にそぐわない声が部屋の入り口から聞こえてくる。
剣呑な調子の声は冷え切った部屋に僅かな暖かみを与え、同時にイーサン将軍の怒気を挫く結果となった。冷静さを取り戻したのか剣は再び鞘に戻り、イーサン将軍は舌打ちをわざとらしく一つすると大きな音を立てて席に着く。
「チョール将軍。先ずは遅れた非礼を詫びるべきでは無いのかね?」
「男は女を待つのが仕事よ? それは剣を振るよりも大事な事よ」
チョール将軍は悪びれもせず、紫色の長髪を手でたなびかせ自身の色気を振り撒く。女性として若い青臭さが抜け、円熟の域に達した色気にシカルド将軍が口笛で賞賛する。
「ヒュー、姐さん年考えなよ! この前の誕生日で三十路過ぎたんでしょう?」
「シィッ! ダメですよシカルド将軍。チョール将軍って年は気にしてんですから」
「聞こえてるわよ? ウェスタ将軍にシカルド将軍。全くもう、死にたいなら早く言いなさいよね?」
いつのまにか俺とシカルド将軍の喉元には細く長い針の様な刀身が突きつけられていた。抜いた瞬間すら見せない早業だ。伝う冷や汗が背筋にまで達しているのが分かる。
「さ、さすがは撃針のチョールと呼ばれただけはありますね……怖い怖い」
突きつけられた刀身にそっと手のひらを乗せ、喉元から外す。横を見るとシカルド将軍も軽口を閉じ、引き攣った笑みで俺と同じ行動を取る。
「冗談よ。さ、始めましょう? あんまり将軍が任地から離れてしまうとよろしくないでしょうし」
チョール将軍は先ほどの殺気を誤魔化すかのように軽い笑みを見せると剣を鞘に納め席に着く。
「そのためにこんな場所で会議を行うのだ。帝国や魔族があまり活発では無いにしても、前線に指揮官不在とバレてしまうのはよろしくない」
「そうですね。ウチは西方なのであんまり害は無いですけど。とりあえずサッサと始めましょうかね?」
イーサン将軍の声に同意して俺は早速とばかりに音頭を取る。
「さて、今回の一つ目の議題は……異世界から来た人達についてです」
―――――
「……うん。こんな感じだよ? 分かったかいハジメくん?」
紅茶の香りで埋め尽くされた部屋に、黒インクの独特な匂いが混ざりあう。イオンが書いたこの大陸の地図。その中でもこのグロリヤス王国近辺を中心に描いた地図は、以前見せてもらった地図よりも無駄な情報が無く読み取りやすい。
「字は読めないって事だから口で説明したけど分かったかな?」
黙ったままの俺をイオンが心配そうに見つめてくるので慌てて頷く。
「分かったよ。とりあえずウェスタが将軍だということに吃驚したよ」
ルチアがウェスタの事を偉い人と言っていたのである程度の地位にいることは想像していたが、まさかの将軍である。
「あいつ、ただの一部隊の隊長だと思ってたんだけどな?」
「ふふ、彼はグロリヤス王国の防衛の要。四方将軍の一人なんだよ? 見かけによらないというわけだね」
イオンは紅茶を飲み陶器の器を空にする。追加のお代わりを自分で入れると一口啜り、ホッとため息を吐く。薄い桃色の唇が紅茶で濡れて独特の色気を出している。
「さぁ、ハジメくん。僕がせっかくの休みを使ってまでこの国の事を君に教えてるんだ。さっきまで教えた事覚えてるかい?」
その口をいじらしく尖らせ向けてくるので俺は一瞬戸惑うが、咳払いをして誤魔化すと書いていた自分のメモ帳を取り出す。
「まずは東の……東方将軍イーサンか」
俺はメモ帳に書いてある文字を目で滑らせるように眺め、自分に文字の内容を落とし込んでから口を開く。
「主な任務は大陸中央部に位置する敵対的な魔族に対処する部隊、また、有事の際は最前線で指揮を取る猛将……だよな?」
チラリと答えを求める俺の視線にイオンは頷くことで応える。
「あとは非常に短気。そして愛国心が強い。何より一番の特徴は異世界からきた人間が嫌いってところだね」
「あと頭がハゲてるタコ野郎ってのもな」
イオンの言葉に合わせるよう言葉を繋げると俺たちは二人して笑ってしまった。
賢王ディリーテとの謁見の際にまくし立てるように叫んでいた男がどうやらイーサン将軍らしく、今思えば確かにゆでダコのように顔が真っ赤だった。
「えーっと、南方将軍がチョールだっけ?」
俺はメモ書きに書かれた汚い自分の字を解読し、聞きなれない名前を呼ぶ。続いて所々箇条書きにした情報の文字列を解読する。
「女だてらに戦場を駆け巡り特に南方の亜人種の魔物討伐の功績が評価されてる。二本の細剣を振るい、刺突の威力は他の追随を許さない。容姿端麗の美女だが未婚。年齢は不明……ってとこか?」
ずらずらと並べた言葉をイオンは一つずつ答え合わせをしているかのように頷く。一通り言い終えるとイオンは嬉しそうに頬を緩ませ笑う。
「チョール将軍は会ったこと無いと思うよ。基本的に彼女は南側で王国の防衛線維持やオークやゴブリン。コボルトなど大型の勢力を築きやすい魔物の討伐を任されているんだ」
「ゴブリンねぇ。大変そうだな?」
俺はこの世界に来た時の状況を思い出す。
あの森で出会ったホブゴブリンの集団は百匹以上いた。
どのくらいの頻度で繁殖するのかは知らないが、低俗な生き物ほど子を沢山産むという話をどこかで聞いたことがある。その事を考えると少なくとも人間よりかは繁殖能力が高いと判断しても良いかもしれない。
「容姿端麗の美女ね。一度会ってみたいもんだ」
「チッ!」
「なんで舌打ちしたの!?」
「フンッ。あと一人早く言いなよ。ほら、早く」
一転して不機嫌な顔に変わったイオンを訝しく思いつつも、急かされるままにメモを見る。
「最後は北方のシカルド将軍か。若くてやり手なんだっけ?」
メモ書きに取った功績を見るに、まだ二十代半ばという若さにも関わらず確かな実力を兼ね備えていることがわかる。
「北方にある魔法都市はね、王国側とはいえ元々は中立的だったのだよ。それを十代の頃のシカルド将軍がコツコツと親交を深めたおかげで王国に属する形となったんだ」
要は軍という武力に頼らず、外交だけで都市を一つ手に入れたということだ。
それが意味していることは俺にはよく分からないが、並みの人間では不可能ということだけは分かる。他にも北方の森林地帯に住む虫族との戦闘でも武功を挙げ、最年少で重要な前線の指揮官についた逸材だということだ。
「もしかしてあれか? エリートってやつか?」
「そだね。周りに敵も多いけど、若手の期待の星として王からの信頼もあるね。あと、女性からの支持が厚い」
イオンの最後の言葉を聞いて俺は顔も知らないシカルド将軍の評価を少し下げる。地位も名声もあって女性にモテるなんて男からすれば僻みの対象にしかならないのだ。
(あっ、そうか。俺みたいな感じの奴が多いから敵が多いのか。なるほど)
一人合点がいって納得した俺はすっかり冷めた紅茶を飲み干す。良い茶葉を使っているのだろう、冷めても美味しい。
「お代わりは?」
イオンが空の器を指差してきたので俺は無言で器を前に出す。
「よろしく頼むよイオンちゃん」
「もう……っ」
俺の意地悪な声にイオンは口を真一文字に結んでいるが、その口角は若干上がっており心無しか嬉しそうだ。
「まだまだ教える事は沢山あるんだから、最後までふざけないで聞くといい」
目の前で温かな紅茶が湯気を立てて注がれていく。適量で満たされた紅茶は夕刻の景色を反射して赤く染める。
ふと、湯気につられて窓の外を見ると陽はだいぶ西に傾いていた。窓から差し込む西日に照らさられた室内は日中よりもやや冷えてきて、心無しか肌寒い。
俺は部屋に備え付けてある暖炉に近付くと胸元のポケットからライターを取り出し火を点ける。弱々しくも徐々に燃えていく火はまだまだこの時間が終わらないという事を示してくれていた。




