鬼従者長
脱ぎ捨てられた衣服に丸められた靴下。半端に水が入ったコップに一口だけ齧られた干し肉。ベッドには波打つシーツに中央部分が凹んだままの枕。片方だけ開いたカーテンからは外の光が差し込み、半端に開いた窓からは本来心地良いはずの風が装いを変え勢いを増し部屋に入り込む。
「ヒッデェなこれ。こんな酷いことする奴はどこのどいつだ?」
現在の部屋の主である俺の呟きに反応するモノは当然居らず、部屋の中の光景は微動だにしない。
メモ帳に使っている小さなノートは時折吹く風にも反応せず怠惰を貫き、汗が染み込んでふにゃりと萎れたままの姿を維持する。
俺は地面に投げ捨てられたメモ帳を拾うと胸元からボールペンを取り出し文字を書く。
「小銃弾薬、消費数合計二百八十発。あと残すは七百二十発か……」
カチカチと二回ボールペンのペン先を出し入れさせてから胸元にメモ帳と一緒にしまいこむ。
(マズイな)
俺は軽い溜息を吐き出して荒波が如く唸るベッドのシーツへと座る。重量物により沈み込むシーツは風紋を刻まれた雪の大地のように新たな皺を作る。
「節約してるはずなのに思ったより消費してる」
小銃の安全装置を確認してから弾倉を抜き取り、指で弾の後ろを押し出し弾丸をシーツの上にばら撒く。
きっかり十八発。先ほどの照準規正で撃った弾数は十二発。三十から十二を引くという小学生でも解ける簡単な計算式だ。
「あれだけ戦って、撃ちまくればそうなるよなぁ」
思えばこの世界に来てからゴブリンやらゾンビやら、生ける鎧に首無し騎士と戦って来た。その全てが命を懸けた激戦であり楽な戦い一つとして無かった。
俺の認識としては本来ゴブリンやゾンビは雑魚敵の代名詞と言っても良い。だが実際はそんな事は無く油断して戦って良い相手では無い。一つ間違えれば、一手間違えればこちらの命が危うくなる。
故に節約するとは言いつつも、その時その場所その状況で最善の方法を取らなければならず、結果として多量の弾薬を消費する事もあるのだ。
今回行った照準規正も西野の体格に合わせられた照準を俺に合わせ直すために必要な事であり、十二発の弾薬のおかげで射撃精度は俺の本来持っていた銃と遜色無い精度にまで高まった。ジェリコには弾の無駄使いでは無いのかと言われたがこれは俺が戦う為にも必要な事なのだ。
「弾をなんとかしないと。全弾撃ち尽くしたら終わりだしよぉ」
これまで無事に戦ってこれたのは、ひとえに銃のおかげと言ってもいいだろう。
この世界においても銃の殺傷能力の高さは微塵も衰えない。人は勿論のこと魔物相手にもその優位性は揺るぎはせず、俺が特別調査対象と呼ばれる特異な魔物相手にでも勝てたのは銃の性能のおかげだ。
故に。この銃が使えなくなってしまった場合に俺はどう対応するかが重要である。
今考えている案として一つ。それは俺自身がこの世界の武器を使えるようにすると言うことだ。
魔法は使えない。ルチアと会った森においても使えなかったし、ノウに調べて貰った結果俺は魔法の適性は皆無である事が判明している。魔力はごく僅かにあるらしいが小動物並みにしか存在してないらしく、例え訓練したとしても一般人並みに使えるようになる為に数年かかり、戦闘に使えるようにするには数十年はかかると言われた。故に魔法は選択肢から除外している。
逆に武術に関しては光るモノがあるらしい。首無し騎士調査任務の帰り道にてイオンに言われたのだが、槍術は基本が出来ており身体能力の高さも相まって鍛えればかなりのモノになると言われた。
恐らく自衛官として銃剣道などの武道を嗜んでいた事が要因だろう。
他にも剣術などをルチアから習う予定であり、今日の昼食前に早速一戦交えるつもりだ。ルチア曰く、戦い方は戦いの中で学んだ方が早いとの事らしい。
もう一つの対応案として考えているのは弾を製作る事だ。しかし、俺にはそんな知識は当然無い。
ならばどうするかというここでまたテッドの出番だ。銃の修理を頼んだ際に何気なく俺が弾の事について呟くと、テッドはまるで餌を投げ込まれた池の鯉のように物凄い勢いで食い付いてきた。
やれ、弾の素材は何か。
やれ、作り方は何か。
やれ、弾頭とは何か。
やれ、薬莢とは何か。
やれ、火薬は何か。
やれ、雷管て何か。
やれ、何かしか。
寡黙な男だと思っていたのだが、どうやら彼は未知の素材や武具の事になると職人魂に火が付くのか熱意が増してくる。
俺は銃の名手であると自負しているが、弾の生産については全くと言っていいほど知識は無い。なので俺がテッドに伝えたのは簡単な弾の構造と発射のメカニズムだけだ。現代社会ならば調べれば出てくる程度の内容だったのだが、新しい情報に満足したのかテッドは一言、任せろとだけ言うと意気揚々に去って行ったのだった。
「流石に昨日の今日だからすぐ出来ないとは思うけどな?」
いくら優れた職人と言えども無の状態から一つの品を作るのは困難な事である。今しばらくの時間が必要な事は間違いなく、今出来ることとしては弾の節約と前者の武術の訓練だ。
「昼飯前にルチアとの稽古だからまだ少し時間あるし、掃除でもするか?」
俺は左腕に付けられている腕時計と部屋にある大きな古時計を交互に見る。デジタル時計の四角い画面の数字は十時を示していて、アナログな古時計の長針と短針も十時を示していた。
全く同じ時を進むデジタルとアナログの時計から目を逸らし、俺はその場に寝転がりベッドの上で大きく伸びをする。寝起きの猫のように身体を伸ばすと背骨や腰骨の辺りから鈍い音が鳴り、俺は思わず気の抜けた声を出す。
「ふぉあ! はぁぁぁん……あー、気持ちいい」
朝からの射撃により少なからず疲労した身体は、節々から鈍い音や高い音が鳴り俺の身体を伸ばし筋肉の緊張を解きほぐす。
「……ねぇ、何してんの?」
「ひゅい!?」
入り口の方向に突き出すようにお尻を向け、緩みきった身体は不意に声をかけられた事により一瞬で収縮する。勢い余って飛び上がり、身体を横方向に回転させ着地した俺がとった姿勢は何故か正座であった。
「なんだよ。ルチアかよ、驚いて損したぜ」
「驚いたのは私の方だよ? 全く、今の無駄に機敏な動きは何なの?」
あまりにも俺の動きが俊敏過ぎたのか、驚きを通り過ぎて呆れ果てているようにも見える。
ルチアはそのまま部屋に入ってくると俺の横に座る。うっすら汗に混じって柑橘系の香りが漂い、ルチアの純真ながらにして精悍な雰囲気を作り上げる。
「ジェリコが整備はいいから片付けを手伝ってきなーってさ。すっごいぐちゃぐちゃになってるって門番さんが言ってたんだよ?」
砕けた態度で文言を並べてくる。日が昇ってかなり時間が経っているというのに呑気な欠伸を混じえる姿は幼さすら感じさせる。
「ハジメってもう少しお片付け出来る子だと思ったんだけどな〜」
ルチアは床に落ちている肌着を拾うと鼻先で軽く臭いを嗅ぎ、無臭である事を確認すると丁寧に折り畳む。
「嗅ぐなよ。なんか恥ずかしいだろ?」
なんだか背中がこそばゆくなる感覚を覚え、俺は無意識のうちに髪を指でとかす。
次にルチアは丸められた靴下を拾い鼻を鳴らして臭いを嗅いだ。すると、途端に顔をしかめて俺の方に靴下を投げ渡す。
「ハジメ、普通に臭いよッ!」
「言うな。嗅ぐな。猫かよ? ブーツは蒸れるんだよ!」
ルチアに倣って鼻を近付けると鼻腔に入り込んでくるのはえもいえぬ不快な臭い。数日間蒸れっぱなしの靴下は独特の湿り気混じりの臭いを醸し出していた。
「臭っ!? う、臭っ!」
「なんで二回嗅いだの?」
「な、なんとなく?」
臭いと分かっていながらも何度か鼻を近付け臭いを嗅ぐ俺に、ルチアはさらに呆れの色を濃くした嘆息を放つ。
俺は履いているブーツを脱ぐと上の方を裏返しにして窓際の陽当たりが良い場所へ置き、半開きの窓を全開にした。今まで狭い入り口に無理矢理入り込んでいた春風は落ち着きを見せ、緩やかに部屋へ入り込む。
爽やかな陽気と頬に当たる微風の感触を確かめ一旦気持ちを落ち着かせ、心機一転いざ掃除を始めようと決意した俺はルチアの方を振り返った。
「よしやるぞルチ……ツッ!?」
「ハジメ? どうしたの?」
決意を胸に秘めた俺の心情に不意打ちするが如く、その人物はいつの間にかルチアの背後にいた。
俺より少しばかり背の低いルチア。そのルチアよりもさらに頭二つ分小さくした背丈。真っ直ぐに立っていればそれぐらいなのだが、曲がった背中のせいか頭二つ分どころか三つも四つも低い。
頭に付いている髪の毛は元は美しい銀髪だったのだろう。手入れこそされているが年齢を感じさせる顏の皺も相まって銀髪というより白髪と述べたほうが正解だ。
顔の皺。そう、顔の皺なのだ。樹齢数百年の大木の皮を思わせる皺は鉈で打ち付けられたかのように深く刻まれている。
右手を添わせる杖は木製で、真っ直ぐ地面を突いており単純ながら実用的な杖であることが分かる。
その杖をコツコツと音を鳴らしながら俺へと歩み近付く姿は、パッと見ただけでは男とも女とも判断し難い。ただ身に纏っている年齢に不釣合いなメイド服がその人物が女性である事と老婆である事を証明していた。
老婆は俺の前に立つと杖を大きく振りかぶり、勢いを乗せ俺の膝へ打ち付ける。
「イッテェェェェッ!? 何すんだこの野郎ッ!」
突如行われた無言での武力行使を前に俺は膝を押さえて蹲る。その様を見た老婆は鼻息を荒く吐き出すと杖を地面に突き小さな音を立てる。
「痛えじゃ無いんだよこのクソ餓鬼ッ! あたしゃ朝までに片付けろって言ったろう? この部屋はなんじゃあ、クソの掃き溜めか!? 自分の尻も拭えなんか!」
罵詈雑言をまくし立てる老婆は憤っているのか、部屋の床を何度も杖で鳴らし唇を震わせる。
「だから昨日言ったじゃねぇか! 射撃の為に朝掃除するのは難しいですってよ! それをなんだよ、初対面だったのに思いっきり俺の頭叩きやがって頭イかれてんのか?」
俺は自分の頭の天辺を触り、昨夜の出来事を思い出していた。出会って数分で暴君が如く振る舞ったこの老婆を俺は許していない。
「ほう、良いのか? このあたしに向かってそんな言葉を吐き捨ててのう?」
「ぐぬぬ……クソ、なんでもねえよ……」
自信たっぷりに不敵な笑みを浮かべる老婆に俺は歯痒く思いながらも口を噤む。
俺が黙ってしまうのには理由がある。その口惜しくも理解している答えを、半ば呆気にとられた様子のルチアが答えてくれた。
「クラフおばあちゃん。ハジメのことイジメすぎちゃダメだよ?」
自分の名前を呼ばれ、嬉しそうに振り返るその姿は俺の膝を打ち付けた人物と同一とは思えない程、柔和な笑顔を浮かべている。
「おぉ、ルチアは優しいねぇ……ばあちゃんはルチアが優しい子に育ってくれて嬉しいよ……」
「ふふ、おばあちゃんに育てられたんだもん。当たり前だよ〜」
そう、俺が頭が上がらない理由はこれだ。
目の前にいる意地悪で性悪で鬼のように暴力的な老獪従者クラフは、同じく目の前にいる優しくて可愛くてちょっと抜けてる性格のルチアを育てた人物なのだ。
【良い人間が必ずしも良い親になるとは限らない。その逆もまた然りだ】
俺はまだズキリと鈍く痛む膝を押さえ、これからの生活に一抹の不安を覚えてしまい、小さく嘆きのため息を吐くことしか出来なかった。




