現地到着
決して遠くは無いラッパの音。懐かしい起床ラッパの音色は俺の心に在りし日の郷愁を思い起こさせる。
教育隊入隊して最初の朝を迎えた時、中元班長に熟睡していた俺の耳元で思いっきりラッパを吹かれて心臓が飛び出るほど驚いた事。
ラッパ吹奏訓練の時、俺が吹いた後のラッパを由紀に渡したらアルコールスプレーで除菌された事。
吹いて見たらあまりにも下手すぎてタケさんにブン殴られた事。
西野がラッパの才があり、ドヤ顔で俺に見せつけてきた事。
中元班長のラッパを間違えて不燃ゴミの日に出してしまい、高い金を払って買い直した事。
着隊してから日頃の訓練で疲れ果てているのに、この音色で何度も叩き起こされた事。
(あれ、ろくな思い出無いな?)
蘇る懐かしい日々は決して良い思い出とは言えず、俺は可笑しいなと思いながら首を捻った。
「ハジメくん。行きたいのかい?」
後ろからイオンが呆れが混じった声を出す。
俺は振り返り肩をすくめるとイオンは手を腰に当て深めの溜息を吐き出すと俺の足元を指差す。
「ラッパの音の方向にさっきから少しずつ移動している。バレないとでも?」
「あれ? 本当だな」
足元を見ると地面にはまるで何かを引きずったような跡があり、その跡はピッタリと俺の足にまで続いている。どうやら自分でも無意識のうちに音が聴こえてくる方向へと動いてしまっていたようだ。
「これは君の試験だ。君の調査任務だ。君がやる調査だ。そう言っただろう? 好きにすると良い」
そう言うとイオンは俺の返事を待たずして俺よりも先にラッパの音が聴こえてくる方向を歩き出す。
「さぁ、行くぞ」
「イオン?」
イオンは帰るという意思表示をしていたので、てっきりここから先は手伝ってくれないと思っていた。
五歩程歩いた所でイオンは振り返り、戸惑っている俺を見ると溜息をまた吐いた。そして、トコトコと歩いて俺の側まで来ると手を引っ張り歩を促す。
それでもまだ俺が疑い深く目を細めているとイオンの小さな手が軽く俺の腹を殴りつけてきた。
「俺と付き合ってくれ。そう言っただろう? 優しい僕は君に付き合ってあげるよ」
背は低く、子供のような体型のイオンが並んで立つと図らずとも俺を見上げる形になる。俺に見下ろされたイオンはどこか無邪気な子供を思わせ、嬉しそうに胸を張り俺の返事をまっていた。
「イオン、お前って思ってたより良いやつなんだな。ただの尻蹴り仮面ゴミ野郎じゃ無かったんだな!」
俺の言葉にイオンは下からの渾身の蹴り上げで答えてくれた。
―――――
「近いな。イテテ、まだ痛えや。ケツがキレそう」
内股でひょこひょこと小刻みに歩く俺の耳に明瞭な音色が聴こえてくる。聴けば聴くほど、このラッパ吹奏は俺の知る起床ラッパの音色で間違いないと思える。
(いったい誰が吹いてるんだ? そして何故吹いているんだ?)
誰が吹いているのか。それは間違い無く自衛官であると思われる。
ラッパ吹奏はある程度の訓練を必要とし、音楽の知識がある者や絶対的な音感を持ち合わせている者でもない限り一朝一夕の練習で会得できるものでは無い。
問題は何故の部分だ。
ラッパというのは電話も無線機も無い時代、軍隊の通信手段の一つとして発達したモノだ。特に剣や槍などで戦闘を行っていた時代では突撃の合図などに戦意高揚の意味も込めて吹かれていた。
そして起床ラッパ。これはその通り眠れる者を起こすために吹かれる。
では、この場に響くラッパの音色は誰を起こすため吹かれているのか。
「ツッ!? 止まれッ!」
「ヌォ!? い、イオン、そんなにズボン引っ張らないでくれ! 食い込むって……」
「いいから伏せろッ」
有無を言わさぬイオンの鋭い声は緊張感に溢れていて、俺はズボンの尻を思いっきり引っ張られつつもその場に伏せる。低い視線で辺りを見渡すが、周囲には特に変わった様子は無くラッパ吹奏も依然として続いていた。
「どうしたんだよイオン、何かあったのか?」
「血の臭いだ。それも、新鮮なモノだな」
まるで犬のようにスンスンと鼻を鳴らし、何度か深呼吸をしてイオンは断言した。
俺も真似をして鼻で思いっきり息を吸うが、嗅ぎとれるのは土の匂いや草木の緑の青々しい匂い、そして夜特有の湿り気のある空気だけだった。
「俺はわかんねぇぞ、なんでわかるんだ?」
「それは僕が……いや何でもない」
途中で言葉を濁され俺は少し違和感を覚えたが、誰にでも秘密にしたい事はあると思い言葉を飲み込む。今はそれよりもイオンが感じ取った血の匂いとやらを確認しなければならない。
俺は両手で地面を突いて立ち上がり双眼鏡で進行方向を見る。
月が雲に隠されて暗闇に染まる景色は今までと大して変わらない。変わらないのだが一つだけ気になる事があった。
「冒険者達はどこに行った?」
少し前まで見えていた冒険者達の松明の火が今は見えないのだ。勿論、松明の灯りを俺はずっと目を離さずに見ていた訳では無いのだが、冒険者達の跡をついて行く形をとっていたので少し進むたびに遠目で確認はしていた。
「いったい何処へ?」
「さあね? けど、このまま進めば目的地に着くはずだよ」
イオンは四周を見回し警戒しつつも歩みを前に進め始める。俺は念のため銃の安全装置を解除してその後をついていった。そして少し歩くとイオンが急に立ち止まってしゃがみこむ。
「ばっ!? あぶねーって!」
俺はイオンの急な行動に反応しきれず、イオンの尻を戦闘ブーツの先端で蹴ってしまう。瞬間、一気に噴き出る冷や汗が身体に迫る緊急事態を警鐘しているようにも感じた。人は急には止まれない。その事が身をもって体験できた最悪の事態だ。
「痛。今のは日頃のお返しかな?」
ギギギっとゆっくり振り返るイオンの仮面は夜の闇と相まって、さながらホラー映画のワンシーンにのように瞳に映る。
俺は素早い動きでその場に伏せ、足を折り曲げ手を地面に合わせ最後に頭を地面に擦り付ける。
日本原産、誠意と謝罪と懇願の結晶。土下座だ。
「ごめんってイオン! 頼む、なんでもするから蹴らないでくれッ!」
聞く人がもしいたならば、見ている人がもしいたならば、これほどみっともないモノは無いだろう。
筋骨隆々の大人が自分より遥かに小柄で華奢な相手に全力で謝り慈悲を求めているのだから。
(由紀に見られたらこんなん死ねるわッ!)
頭の中で想い人の顔を浮かべるが、あろう事かその想い人も俺を見て指差して爆笑しているのが想像できてしまった。
異世界に来てまで馬鹿にされるとは、同期の絆も大したモノだと俺は思う。
「案外、近かったようだね。気が付かなかったよ」
焦りと動揺で気が気でない俺の心情とは裏腹に、イオンはいたく冷静に言葉を吐く。顔を上げて見てみるとイオンは立ち上がっていて前を向いたままであった。俺もイオンに倣って横に立ってソレを見る。
「これが首無し騎士のいる城か」
目の前にそびえ立つ城。いや城というよりかは廃城と言った方が合っているだろう。
城門の体を成していない外れた門扉、崩れた城壁。周囲の草木と同化している箇所もある。門の脇に立つおそらく女性の銅像に至っては首どころか腰から上が無い。もはや砦としても使えるか微妙な線だが、城と言われればソレは確かに城であった。
「オバケ出そう……」
幽霊どころか首無しの騎士が出るという夜の廃城を前に、帰れば良かったと自分の判断をひたすら後悔していた。




