夏の虫
〜〜一年前の夏。隊舎内、日本一の居室にて〜〜
「ふおおぉおぉ!? 無理っ無理だってばッ!」
「ちょっとハジメ! うるさいよッ!」
「パイセン情け無いっすよ? ビビリ過ぎっすよ!」
「俺はこうゆうパニック系グロテスクはダメなんだってばッ!」
蒸し暑い夜に木霊する俺の声は女性特有の高い声と呆れた若い男の声で制される。
汗ばむ身体は部屋に篭る熱帯夜の暑さだけでなく、大型の液晶テレビに映る血みどろで脳漿が垂れた男の姿にもよるモノでもある。
『ヴァァァ……ヴォォオアァァ……』
頭に斧が刺さったらままの男はその傷口からドス黒い液体を零しながら瓦礫と化した街を歩いていく。時折苦しそうに呻き声を上げる男に俺は疑問を抱かずにはいられ無かった。
「なぁ由紀? ゾンビってなんでこんな変な声出すんだよっ!? 声帯とか腐ってんのか!?」
「うるさいってのッ! 私が知る訳ないでしょが!」
「パイセンが観たいって言ったんですから黙って観てくんないすか?」
俺が何か喋るたびに両隣にいる由紀と西野からは容赦の無い返事が返ってくる。流石に騒ぎ過ぎたと俺は反省し、頭を掻いてソファの真ん中で縮こまる。
そして次の瞬間にテレビの中の男に銃弾が当たり、頭が破裂し脳と肉片とドス黒く染まった斧が地面に落ちる。
「ウォォォ!? 頭が吹っ飛んだァァ!?」
「うるさいっての馬鹿ハジメっ!」
「うるさいっすよパイセンっ!」
ついに堪忍袋の尾が切れたのか、両隣から俺の肩や頭に拳や蹴りが飛んでくる。西野はあくまで後輩なのでふざけ半分の控えめな拳だが、逆隣の由紀は同期であるし空手の有段者でもある。決して無視できない威力の蹴りが俺に飛んできていた。
「イテッ、痛いっての! 西野テメー覚えとけよ」
「なんで俺だけなんすか!?」
信じられないとばかりに抗議の声を大にして出す西野。俺達三人はテレビに映る阿鼻叫喚のゾンビパニックに負けない程騒いでいた。
それはあまりにも五月蝿く騒ぎ過ぎた。
隣の部屋に誰がいるかも忘れて。
「テメェら、ご機嫌だな?」
熱帯夜の怠い暑さも一瞬で吹き飛ぶ程のゾッとする低い声。部屋の温度が急激に下がったと錯覚する程の殺気に当てられた俺達は部屋の入り口を見ることすら出来なかった。
「た、たタ……タケ……さん?」
俺は油の差してない人形のようにぎこちない動きでゆっくりとドアを見る。そこには案の定俺が尊敬する人物、南野武久ことタケさんがいた。
まるで幽鬼のようにダラリと弛緩しきった腕。それとは対称的にまるで飢えた獅子のような眼光は、この場の空気を緊急発進並みの緊張感に高めるのに充分であった。
「夜間訓練明けで寝てた俺を前に、良い度胸だなテメェら。そこのゾンビとおんなじ頭にしてやろうか?」
液晶テレビに映るゾンビは銃弾に倒れ、頭は粉々砕かれている。それでもピクピクと動く腕や手足が死して尚動くゾンビのしぶとさを表している。
機嫌が悪い時のタケさんは普段より遥かに凶暴だ。
俺がその事を一番理解していると言っても良い。
故に、対策もある。
「タケさん。タケさんならゾンビはどうやって倒しますか?」
「あぁんッ!?」
俺の言葉に不機嫌な声で答え、頭をボリボリと音を立てて掻くとタケさんは腕組みをして考え始める。
テレビの場面が一度二度、三度四度と変わり物語が中盤に入る頃、やっとタケさんは重い口を開いた。
「頭を潰してダメならば、まず出来る事は一つ。それから二つ目だな」
そう言いながらタケさんの手は俺の頭をガッチリと掴み、万力という浅はかな表現では形容し切れない力を込める。
「ア……ガァッ……た、たけさん……出来ることって……?」
頭がミシミシと軋むような感覚を覚えつつ、俺は辿々しい言葉でタケさんに尋ねる。
「あぁ、それはな。まずは……」
―――――
「距離、概ね五百。風向きは後方からの弱い追い風。風の強さは射弾に影響無いと思われる。ってとこかな?」
俺は銃を懐に抱き抱えて双眼鏡を覗く。
生者を求め、覚束ない足取りで進むゾンビ達。ここまでの道中で何かにぶつけたりしたのだろう。所々が擦り切れたり、肉や骨が飛び出たり、着ている服などボロボロ過ぎて機能的にもファッション的にも使えそうに無い。
「これでいいのかい、ハジメくん?」
イオンの両手にはこの世界には存在しない透明な筒状の容器が二つ握られている。その中身は薄茶色の液体で満たされ、筒の先端に当たる白い蓋には薄汚れた布が巻かれていた。
「イオンはマッチ使えるか?」
「それは馬鹿にしてるという認識でいいのかな?」
「おっと、そりゃ失礼」
いつもより若干低い声のイオンに俺はヘラヘラとした笑みを浮かべてからマッチを渡す。
先端が蝋で覆われた防水マッチを手に取りイオンは慣れた手つきで火をつけてみせた。
「頼むぜ。俺が合図したらやってくれ」
「ハジメくんのお手並み拝見だね。期待してるよ」
抑揚の無い声で期待してると言われ、俺は乾いた笑いで返事をする。
(さて、冒険者達はどうかな?)
焚き火の灯りが煌々と生者も死者も照らし出す。倒れているモノ達は全て首が無く、立っている者達は全て首が有った。
その中でせかせかと忙しく動き回る貫頭衣に身を包んだエレットがいた。彼女は傷付いた冒険者達へと寄り添い杖から白い光を出すと血が出ている傷口へと当てていく。
「無事だな。良かったぁ……」
多少の負傷はあるようだが見る限り死傷者はいないようであり、その事に俺は安堵の溜息をつく。
俺は冒険者達を助けるのに躊躇してしまった。己の保身を優先してしまったのだ。
それは本来悪い事では無い。自分の命も救えない者が他人の命を救える筈が無いのだから。
それでも心の中にどこか負い目を感じてしまうのは、冒険者達全てが他人では無かったという事があるのだろう。
金髪を汚れた手でかきあげる彼女を見ながら、今の自分の気持ちを納得させる。
「ハジメくん。意外と速い奴もいるみたいだ。距離、三百ぐらい。僕の目でも見える」
「ずいぶんと夜目が効くんだな?」
「まぁね」
冒険者達が態勢を立て直す中で、閃光手榴弾の灯りに惹かれたゾンビ達が俺達の方へ近付いて来ていた。拙い足運びの割には移動速度が早いようだ。
「イオン、あいつらはどうやって光や音を判別してる?」
迫り来るゾンビ達は耳はもちろん目も鼻も無い。言ってしまえば顔どころか首から上が無いのだ。考え判断する頭が無いのに、迷い無く俺達のいる場所へ真っ直ぐに突き進んでくる事に俺は疑問を覚える。
「あれはな、造られたゾンビと見たほうがいい」
俺は耳だけを向けてイオンの話を聞く。
「普通のゾンビは怨念やらを持ったモノが闇の魔力にあてられて出来る。その姿は基本的に死亡した時の姿のままで、身体能力や感覚器は死体の状態に左右される」
「ほうほう。んで、造られたゾンビは?」
俺は右手で小銃の安全装置を解除し、膝撃ちの姿勢で構える。
「死体に魔力を込めて造られてる。魔力が感覚器などの代わりとして作用するから目玉とか欠けていても魔力で補って見えているとのことだ。それを知らずにさっきの光る爆弾を投げたのかい?」
「効果あったからいいじゃねぇかよ」
盲目の人間が視力を補う為に、聴覚や触覚が発達するという話を聞いたことがある。
ゾンビ達は首から上が無いので視覚、聴覚、嗅覚、味覚が無い。その分魔力による探知能力がかなり発達していると見て良いだろう。そうでなければ一瞬だけしか光っていなかった俺達がいる場所に、迷いも無く真っ直ぐ向かってこれる筈が無い。
「ゾンビを大量に造る場合は制御しやすいように共通点を必ず造るとも言われているな」
「共通点ねぇ。もっと良い共通点あっただろうにな? お揃いの首飾りとかさ」
わざわざ首の無いモノを作るなんて、このゾンビ達を造った奴は趣味が悪いのだろう。俺は悪態に舌打ちを混ぜて皮肉る。
「そんで? 弱点は?」
「普通のゾンビは頭か心臓を壊せば止まる。だが、造られたゾンビは魔力が尽きない限り止まらない」
「つまり?」
「簡単に言えばぐちゃぐちゃにしてやれば死ぬ。あ、元から死んでるか」
「了解」
俺はそこで引き金を引いた。
破裂音と共に銃口から一瞬だけ火が噴き出し、それが収まるよりも早くオレンジ色の光を放つ一筋の線が三百メートル離れたゾンビの胸のど真ん中に命中する。
まともに受けたゾンビは大きく仰け反り仰向けに倒れる形で地に伏せた。
「命中。さて死んでくれたかな?」
銃を下ろし双眼鏡に持ち替え、ゾンビの心臓の部分からコールタールの様なドロドロで真っ黒な血が流れていくのを見守る。
「生きてるか。いや死んでるのに生きてるはおかしいか?」
「どっちでもいいだろう。さぁ、予定通りの作戦でいいんだね?」
胸からドロリと血を流しつつ、先程よりも少しだけ速度が遅くなった程度のゾンビは依然としてこちらに向かって来ていた。その想定内の事態に俺とイオンは冷静に次の行動に移る。
空を分厚く覆っていた雲がやがて晴れる頃、今までの暗さを払拭するかのように張り切る月は先程までの夜の闇を嘘のように晴らしていく。寒さに負けないように右手を何度も閉じたり開いたりと運動し、俺はいつでも撃てるように準備をする。
「イオン、それは何メートルぐらい投げれる?」
それは透明な筒に、もとい、元の世界から持ち込んできたジュースのペットボトルにある液体を満たし布を飲み口に巻いたモノ。はたから見れば子供が作ったただのゴミにも見えるが、俺にとっては一種の兵器にもなりうるゴミである。
「犬にボールを投げるのは得意なんだ。五十メートルぐらいは余裕さ」
「お前が犬とじゃれてるのは想像できないな」
軽口を吐きつつも監視の目は緩めない。
小銃が火を噴いたのは先程の一発のみで、あとは引き金を引く事は無くただひたすらに監視をしていた。
そして、その時は来た。
月明かりのおかげで肉眼でもゾンビが視認することが出来、おおよその距離約四十メートル。重なるように歩くゾンビが三体に散らばって歩いてくるゾンビが五体いた。
「距離四十。密集五、散兵十、後方散兵二十程度。イオン、準備」
省略した俺の言葉に応えイオンは無言で火を点ける。
布に火が付き、その炎は少しぐらいの風では消えそうに無いほど燃えていく。
「投擲」
短い言葉を言い終わると同時に俺は瞬時にニ連射する。静寂を切り裂く様な射撃音、それが消える頃には固まって歩いていたゾンビは倒れ、その胸から流れる液体は地面の色を先程までの漆黒と同じ色に変えていく。
「……十、九、八、七」
俺の射撃と全く同じタイミングでイオンは持っていた透明な筒を放物線状に放り投げていた。それを目で追いながら俺は小さな声で呟く。
「六、五」
薄茶色のペットボトルは落下の勢いに炎を揺らめかせ、緩やかに目標へと向かっていく。
「四、三、弾着……今ッ!」
火が付いたままのペットボトルは倒れたゾンビの背中に当たってすぐ横に止まる。周りを歩いていたゾンビ達は急に飛来して来た火に興味を示したのか、その場に足を止め棒立ちになっていた。
「……ぱーん」
気が抜けた様な声を出した俺は隙だらけのゾンビ達を撃たず、小さく燃える火の玉を撃つ。
撃ち抜かれたペットボトルは衝撃により薄茶色の中身を盛大に噴き出す。飛び出た液体が火に触れるや否や途端に狂った様に燃え広がった。
「追加のご注文は?」
後ろからイオンが若干戯けたように声を出す。俺は口元を軽く緩め努めて真面目な声で注文する。
「レギュラー満タンで。支払いは昇進祝いで頼む」
「よくわからないけど、了解だよ」
首を傾げつつもとりあえず了解の意を示したイオンは大きく振りかぶり、ガソリン入りのペットボトルを放り投げた。
「装甲車の燃料タンクから汲んだ貴重な代物だ。とくと味わえっ!」
一投目と全く同じ軌道を描く火炎瓶ならぬ火炎ペットボトルは燃え盛る地面とゾンビがいる場所へ緩やかに落ちていき、熱に当てられると一瞬で激しい業火へと生まれ変わる。
火に煽られ焼け落ち倒れるゾンビの身体は燃えやすいのか、火の海はゾンビの死骸伝いに広がっていく。また、火に興味を示したのか周りで伺っていたゾンビ達も自ら進んで火に飛び込んでいく。
「バカでもわかるだろうに、頭が足りねえ奴しかいないんだろうな?」
「頭ないからね」
飛んで火に入る何とやら。
遅れて来たゾンビ達も燃え盛る炎を確認すると、進路を変えてその身を焦がすほどの温もりを求めていく。
害虫駆除の電灯に群がる小虫の如く、躊躇いなく火の肥やしに成らんとするモノ達に俺は呆れてそれ以上何も言えなくなっていた。
(まずは、死ぬまで殺せば良い……か)
真っ黒に焦げ、完全に動かなくなるゾンビを見つめ、俺は強者だからこそ出た脳筋な答えに、賛辞の花丸を付けていた。




