揺れる決意。揺らがぬ信念。
首無しの亡者の身体が縦に真っ二つに切り裂かれ、その身に詰まるドス黒く腐った臓物を撒き散らし火に照らされた地面を黒く染める。
冒険者の男が放った一太刀は死体が故の脆さも手伝ってか、何の抵抗感も感じさせずに首無しの身体をズルリと割いていった。その断面も臓物のグロテスクな面を除けば中々に綺麗なモノであった。
「やったかッ!?」
双眼鏡越しに見えた光景に俺は思わず握り拳を胸の前で突き上げる。
「……まだだな」
そんな俺とは対称的にイオンは落ち着いており、仮面越しでよくわからないが何かを探しているようにも見えた。
「まだってなんだよ、まだなんかあんのか?」
「あれはゾンビ。いわゆる生ける屍だ」
ゾンビ。その一言を聞いた俺の脳裏に浮かんだイメージは、腐肉がこびりついた汚らしい歯、脳が飛び出ている頭、ブラブラと眼窩から垂れる眼球など。
心臓の弱い者が見たら卒倒してしまう見た目が想像できる。
しかし、俺の視界に収まるそれは斬られた断面こそグロテスクそのものなのだが、首が無いことを除けばその他の腕や足などは比較的綺麗であったのだ。
おかげさまで俺は夕飯を無駄にせずに済んだ。せっかくの美味しかった食事を外に出してしまうのは勿体無いし恥ずかしい事だ。
「ゾンビには二種類いる」
「良いゾンビと悪いゾンビってか?」
俺が悪態の意味も込めて軽口を言うとイオンは無言で俺を見つめてきた。仮面に隠されてその目は見えないのだが、なんとなく可哀想な人を見るような目で見られてる気がした。
「自然発生のゾンビと、造られたゾンビだ。特に造られたゾンビは五感以外も発達している」
「特産品がゾンビの村でもあるのかよ?」
「これ以上その軽い口を開くようならば尻から声が出るようにしてやろうか?」
イオンは素早く足を振り上げると頭上に伸びていた子供の腕程の太さの枝が、まるで鋭利な刃物で切られたように両断される。
俺はゴクリと唾を飲み込み目の前の枝に引っかかっているそれを拾い、そっと地面に投げ捨てる。
「……悪いな。怖くて、恐くて、怯くてよ。ふざけた事言わないと足が震えちまうんだよ」
笑いそうになる自分の膝を手の平で引っ叩き喝を入れる。バシッという気持ちの良い音が鳴り、俺の足に程よい緊張感を保たせる。
「ふん、まぁいい。それよりもどうするんだい?」
「どうって、もうゾンビは倒したんだろ?」
「アレで終わりでは無い……そうでなければ調査をするまでも無いからだ」
イオンの言葉に俺はある不安が胸を過ぎる。汗ばんだ手で双眼鏡を再び構えるとそこには先程よりも混沌とした光景が広がっていた。
「まじかよ。お家に帰りてぇ……」
そこにいたのは夜の闇を不快に彩る無数の首無し達だった。
首の無い亡者達が冒険者達を囲み襲い掛かる。
一体の戦闘能力はそこまで高くは無いのだろう、倒れているのは殆どが汚らしくボロボロの服装をした亡者達。だがその数が多過ぎる。
冒険者一人に対し多数で襲い、一体目が瞬殺され二体目が秒殺されても三体目が冒険者へ攻撃を加える。その攻撃方法は駄々っ子が如く腕をぶん回すなどで決して効果的な攻撃では無い。しかし、数十体のゾンビにそれをやられるとなれば話は別だ。
【百発百中の大砲一門と、百発一中の大砲百門。見世物に必要なのは前者だが戦いで必要なのは後者だ】
数の暴力とは恐ろしい。
多勢に無勢なゾンビ達を前に冒険者は少しずつ疲労していく。
「……あっ!?」
冒険者達の中にいた一人の老人が、ついにゾンビの猛攻に耐えきれず押し倒されてしまう。
老人はゾンビ達を相手に魔法と思われる火の玉を何発も撃っていたのだが、途中から体力に限界がきたのか、魔法の威力は落ちていき遂に膝をついてしまった。その隙をゾンビに狙われたのだ。
杖を使いゾンビの攻撃に必死に抵抗をしているが、老人を押さえているのはゾンビの癖に屈強な肉体を持った首無し。振り下ろされる拳が地面に激突するたびに、その威力に耐えられないのか自分の拳が砕けている。もし、老人の頭に当たれば数発で彼らと同じ首無しの出来上がりとなるだろう。
「チッ、やるしか無いか」
俺は老人を救う為に、小銃を構え安全装置を解き放つ。
姿勢を取って、構えて、狙って、引き金を引いて、弾の行く末を見守って。それが小銃射撃の基本だ。
視線の先にある焚き火の灯りを頼りに俺はゾンビに狙いをつけ息を吸い軽く吐きだし集中する。
距離は遠いが俺ならば狙える。あとは引き金を引くだけ。
そして、俺は引き金を引かなかった。
「イオン、何のつもりだ?」
鉄の照準具を遮るように置かれたイオンの白い手が俺の目を妨げる。
「ゾンビというのは音や光、匂いなどに引かれる。それを撃ってみろ、奴らはこっちにくる。その覚悟はあるのかい?」
イオンは俺の小銃をグイッと力を込め下げさせると、黒いコートのポケットに手入れ焚き火の灯りをぼんやりと眺める。
あれだけの数のゾンビが襲ってくるとなればそれはよろしく無い。なにせこちらは二人しかいないのだ。
反対に冒険者達は十数名いるうえに、現状押されてはいるがなんとか持ちこたえている。
恐らく、犠牲は出るだろうが全滅するまではいかない。その犠牲がたまたまあの老人であっただけの事。
(俺は撃たないのか?)
今撃てばあの老人は助かる。その代わりに自分達が助からなくなる可能性がある。
その事実に気付いた時、俺の腕は静かに銃を下ろしていた。
「俺は、自衛官失格だな……」
危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える事を、俺達自衛官は入隊の際に誓う。
当たり前の話だが、あの老人は日本国の国民では無い。もちろん命懸けで救う義務は俺には無い。
それでも、俺は救える命を救おうとしない自分に言い知れない嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
(情け無い奴だな、俺は……)
力が入らない手で俺はまた双眼鏡を覗いた。
そこで目に映ったもの思わず俺は声を上げてしまう。
「何やってんだよッッ! 馬鹿か!?」
「うおっ!? どうしたんだハジメくん?」
突然の俺の大声にイオンは身体をビクリと振るわせ、少しバランスを崩して危うく木から転げ落ちそうになる。
「何が見えたんだい? 見せてくれ」
そう言ったイオンは俺の手から双眼鏡を奪うと仮面に何度かぶつけながらも覗き込む。
「あれは神官か。老人を救おうとしてるのか?」
「だろうな……」
双眼鏡越しに映ったもの、それは老人に馬乗りの形で襲い掛かるゾンビに対して後ろから引き剥がそうと両腕で抱きつくように掴み掛かるエレットの姿だった。
当然、その行動は無意味である。
老人とはいえ冒険者をやっている男が振りほどけない程屈強な肉体を持つゾンビに、女性で決して力が強くなさそうなエレットがどうにか出来る筈は無い。
案の定振りほどかれ吹き飛ばされるが、それでもエレットは老人を救おうとゾンビにしがみつく。
自分の命も顧みずに誰かを助けようとする行動に、俺は胸がフツフツと熱くなる感覚がした。
「……流石は教会の神官様だ。熱心な偽善者様に僕は頭が上がらないよ……ッ!」
「イオン?」
表情は分からない。
それでもイオンが激しい憤りを感じているのが分かる。普段は無味乾燥な声とはうってかわり、怒気がこもった声に俺は少しだけ距離を離す。
「イオン。お怒りの所悪いが一つ聞いてくれ」
「なんだいハジメ君。僕は機嫌が悪いから怒らせないでくれると助かる」
俺に顔を向けず、イオンは前を向いたまま答える。俺はイオンから少し離れる為に枝の先へと移動する。体重で葉を揺らす枝は大きくしなるが折れる心配は無さそうだ。
「俺はやっぱりあいつらを助けたい」
「……これは君の試験だ。君がやる調査任務だ。だから君の勝手にやるといい」
半ば投げやりのような返答だが、イオンは悪態混じりに俺の意見を尊重してくれた。
普段は感情を感じさせないイオンの態度だが、今はまるで不貞腐れた子供のような印象がある。
イオンにも見た目通りの子供っぽいところがあると分かり俺はなんだか嬉しくなる。
「助かる。それともう一つお願いがある」
「なんだい?」
俺は防弾チョッキの前側に付いてる弾薬ポーチから円筒状の筒を取り出し、イオンを真剣な目で真っ直ぐに見つめる。
「俺の我儘に付き合ってくれ。互いの命が尽きるまでな」
「……ふぁッ!?」
まるで女の子のような驚きの声をイオンは出す。
焦っているのか驚いているのかは定かでは無いが足を内股にモジモジと動かし、その姿はさながら初心な少女にも俺の目には見えた。
「な、なんだよ気持ち悪い、急にモジモジすんなよ!」
「う、うるさい! そんな事よりどうやって助けるつもりだ?」
イオンの疑問に俺は答えず銃をイオンに渡す。
訝しげな雰囲気を出しつつも黙って受け取り、イオンは抱き抱えるように銃を持つ。
「それを使わないのか?」
「銃よりもいいモノがある」
俺は上空を見上げ、木々の間から黒の空に浮かぶ星々を確認した。
リュックの中からあるモノを取り出し、そして大きく振りかぶり、まるで砲丸投げのような投球フォームで空を目掛けて円筒状の筒を思いっきり投げつける。俺は投げた勢いをそのままにイオンに覆い被さる。
「イオンッ! 目を閉じろ!」
「ツッ!?」
瞬間空に爆ぜる筒はまるで夜が昼に変わったかのような光を放ち、その光は余韻を残しつつも直ぐに消えた。
それは閃光手榴弾と呼ばれる屋内などの閉所における突入支援の為の武器だ。
本来の用途とは全く異なる使い道だが、効果はすぐに出た。
「なんなんだ……今の光は……」
「イオン、双眼鏡返してくれ。あといきなりぶちかまして悪かった」
至近距離なら瞼越しでも強烈な光を感じる閃光手榴弾だ。多少距離は離れていたのだが夜の闇に慣れた目ではたとえ目を瞑っていても尚強力だ。己の存在感を夜の闇に示すのにこれほどのモノはない。
この閃光は俺の目的を達成するには充分なほど効果があった。
「さて、イオン。さっき言った言葉そのまんまに、付き合って貰うぜ?」
「全く。君の勝手にしろとは言ったが、僕の気持ちを聞いてからにしてもらいたいな」
眼前に広がる闇。
その中には冒険者達とまだ戦闘状態に入っていなかった残りのゾンビ達が新たな獲物の気配を察知し、狂気のままに歩みを進めてくる姿が浮かんでいた。




