犬猿
木の薫りと夕食のスープの香りが組み合わさったなんとも言えない芳しい香り。暖かな家庭を想わせる食卓を俺達は囲んでいた。
この村の村長はご好意で空き家を貸してくれただけでは無く、なんと夕食の用意も済ませてもらったのだ。俺は目の前にある薄くスライスされた肉の塊と湯気が昇り立つ野菜が贅沢に入ったスープを前にただひたすら涎を飲み込んでいた。
「昼飯に食った牛と同じ肉には見えねぇな?」
「まぁ、これは調理されてっからねー」
ジェリコに言われ、それもそうだなと俺は頷いた。
昼に食べた牛の肉はイオンが蹴り殺し、ジェリコが適当に小分けに切って焼いただけのモノである。当然、味付けなどは一切無く、ある意味自然の味付けだけだった。
「ねぇ、早く食べようよっ! 冷めちゃうよ?」
ルチアはテーブルに置かれた拳大の骨つき肉に目を付け、今にも手を出そうとしている。
「ダメだってばルチア! まだイオンが来てないだろ?」
「そうだけどさ、先に食べても良いって言ってたから平気じゃ無い?」
この場にいるのは俺とルチアとジェリコだけである。イオンは案内人の役目を担う冒険者と各種の調整を行なっている。
少し遅れるかも知れないとの事なので先に食べても良いと言われたが、イオンはこの旅の仲間でもあるので待つべきだと俺が提案したのだ。
「冷めちまったらせっかくの美味い飯が台無しだぜ。なぁ、ハジメちゃんよぉ?」
散歩から帰ってきたジェリコは腹を押さえて机の上の肉の塊をジッと見つめている。
「うーん、それ言われるとなぁ……」
確かにせっかく用意してくれた料理をわざわざ不味く食べる必要は全く無い。鼻腔を刺激する香辛料の香りが、早く食べなさいと言ってるようにも見え、俺は食卓に置かれた焼きたてのパンに手を伸ばす。
「戻ったぞ。……まだ食べてなかったのか?」
ドアが開く音を聞き、俺の手は間一髪でパンを避けそのまましれっと元の位置に戻る。素知らぬ顔でイオンの方を向き直る俺にルチアの視線が食い込む。
(私には我慢しろって言ったのに、食べようとしたでしょ?)
(俺が我慢するとは言ってません!)
(なっ!? ……ハジメのばーか)
互いの目の動きと表情の変化による心と心の会話。
それを済ませると、ルチアは俺の態度に機嫌を損ねたのか、膨れっ面でそっぽを向いてしまった。
「イオン、お帰りなさい。どうだったの?」
イオンへは膨れた頬のままで質問する。一度首をかしげるイオンだったが、どうでもいいと思ったのか特に気に留める様子は無く、淡々と言葉を続けた。
「どうもこうも、やはり冒険者と幻想調査隊は仲良くなれない宿命らしい」
「どういう事だ?」
イオンは俺とルチアが座るテーブルに近付くと、椅子を引いて座り、軽く首を鳴らした。コキッという音が狭い部屋に高く響くとイオンは呆れたように言葉を紡いだ。
「商売敵、手柄泥棒、王の威を借る野犬、あとはよくわからん連中。それが冒険者が幻想調査隊に抱く心情さ」
「よくは思われてない、ってのはよくわかったよ」
馬車の中でジェリコに暇つぶしがてら冒険者の事は聞いていた。
簡潔にいうと冒険者というのは、民間、国問わず依頼を受けてその報酬で生活する者達の事である。魔物を討伐する事が生業の者もいれば、遺跡や洞窟の調査をする者、あるいは薬や武器などの素材を集める事を専門にしている者達もいて、冒険者の種類はそれこそ多岐にわたる。
何故、幻想調査隊と不仲であるのか。それは幻想調査隊が冒険者達が命懸けで達成した依頼を横から掠め取るような行いをしているからだ。
ある時は討伐した魔物を調査対象として幻想調査隊が押収し、魔物の希少な素材を冒険者ではなく国で管理するよう押し通したり、冒険者がマッピングした遺跡の地図を調査の為にと言い回収したりなど、傍若無人な事をしているとの事らしい。
だが、俺とルチアが倒したホブゴブリンの件を考えてみると必ずしも幻想調査隊が悪いとは言えない。
本来のホブゴブリンはもっと弱い魔物らしく、あれは金剛という二つ名が付くほど明らかに異常な個体であった。
(あんなのを個人がどうにかしようってのも、無理な話ではあるな)
一個人では調べる事すらままならない。だからこそ幻想調査隊という特異な現象を専門に調べる部隊があるのだ。
当然、幻想調査隊は王国の部隊の一つだ。公的な機関として存在する以上、調査協力をしてくれた人々に報酬を渡してはいるらしいのだが、当の冒険者達は良い気分では無い。
「今回協力してくれる冒険者達は功績の少ない者達だ。それ故に強敵である首無し騎士を討伐したという功績が欲しいんだろうな」
「なんか逆に俺達の手柄が横取りされたりしないかな?」
「いやー、する気だとは思うよ?」
「まじかぁ……」
淡々としたルチアとイオンの言葉に俺は一抹の不安を覚える。
目標を達成した瞬間に寝首をかかれる可能性というのは無くは無い。目標を達成することにより得られる名誉が高ければ可能性は高くなり、さらには互いに仲が悪いもの同士ならばむしろ起こるべくして起こるとも言える。
「協力しない方が楽なんじゃ無いか?」
「けどなハジメちゃん。首無し騎士を先に見つけたのは冒険者達なんだ。俺達はそれを横取りするようなもんだから、文句は言っちゃいけねぇぞ?」
ジェリコの言う通り、今回の情報提供者兼案内人はその冒険者達である。恐らく彼らは冒険者だけで首無し騎士を狩るのは困難と判断したのだろう。かといって王国の騎士団を頼ってしまうとそれは軍の仕事として処理され、情報提供という報酬しか払われない。
ならば同じく国の機関ではあるが、情報料だけで無く協力者としての報酬も支払われる幻想調査隊に応援を頼むのは間違った判断では無い。
(呉越同舟とはよく言ったもんだぜ)
心の中でそう思うのと、俺の腹が鳴るのは同時であった。
気まずそうに頬を掻く俺にジェリコは楽しそうに口を歪め、手を合わせる。
「ハジメちゃんも腹減ってるみたいだな、飯食おうぜ? 俺も腹がペコちゃんなんだよね!」
腹を空かした俺達がジェリコの意見に反対するはずは無かった。
ひとまずパンに手を伸ばし、木のスプーンで器のスープをすくって食べ始める。
「首無し騎士は所謂、デュラハンという魔物だ」
イオンは鶏肉から骨を外し、一口サイズに小分けにしながら俺に集めた情報を言う。
「首無し騎士でデュラハンだから、その魔物は首が無いのかな?」
さも当然の事を口の中で肉を咀嚼しながらルチアが言うと、イオンは軽く頷き、骨から肉を取り外す作業を続ける。
「デュラハンかぁ」
「なんだハジメちゃん? なんか思うところあんのか?」
「……なんでもねぇよ」
俺はこんがりと焼けたパンに手を伸ばし千切ってから口に運ぶ。香ばしい匂いが鼻から入り全身を駆け巡り、自然の豊かさを五臓六腑にまで染み渡らせる。
昼に食べた肉もそうなのだが、この世界の食事は一部を除いてとても美味である。恐らくは自然の恵みそのものを余計な事をせずに調理しているからだろう。
森で食べた靴底みたいな干し肉も、同じ肉から作られたと聞いた時の俺の顔は相当なモノだったのだろう。ルチアが口からミルクを噴き出してしまうほどだったのだから。
「あぁ、それとな。冒険者達は今日にも動き出しそうだ」
「こんな夜更けに?」
イオンは仮面の下を少し浮かして細かく千切った鶏肉を口に放り込む。器用なのか不器用なのかわからない食べ方に俺は軽く笑ってしまった。
「そんな風に食べるぐらいなら仮面外せばいいんじゃないか?」
「……なんか言ったか?」
「いや、冒険者達もわざわざ夜に動かなくてもいいじゃないかってさ」
イオンの不機嫌な声を聞き、俺は咄嗟に話題を変える。ここでまた怒らせたら俺の尻が危ない。
「首無し騎士は夜に行動を活発化するって情報があってな。それ目当てだろう」
淡々とした口調で黙々と器用な食事をするイオン。仮面の向こう側でこの美味しい食事をどんな表情で食べているのだろうか。
俺は少しそれが気になり顔を傾け、しれっと覗き込む。
「それ以上首を傾けたらどうなるか。賢い君なら分かるかな?」
イオンは片手でフォークを握りしめ、サラダのミニトマトを突き刺す。ドスリっという食事の場に相応しくない音が鳴り、俺は瞬時に姿勢を正した。
「ナンデモアリマセン!」
早口で言い切り、俺が勢いよく頭を下げるとイオンはため息を吐き口を零した。
「まったく。ハジメ君といい、神官といい、面倒な人ばかりだな」
「神官?」
今までの話の流れとは関係の無い言葉に俺は思わず首を傾ける。
斜め前のジェリコは素知らぬ顔で細い木の棒で歯の間をなぞっていて、横のルチアは無我夢中で食事を続けているので俺は仕方なくイオンにまた質問をすることになった。
「神官ってなんだ? なんかあんのか?」
「まったく、ハジメ君はお馬鹿さんだなぁ。ジェリコ、説明しろ」
「神官達が所属する王国の教会も幻想調査隊の事が嫌い。以上!」
「簡潔な説明ありがとよ、つーかどんだけ嫌われてるんだよ!」
国の機関として活動する部隊がそこまで嫌われていていいのだろうか。
だが、よく考えてみれば俺がいた自衛隊も災害派遣などで活躍が注目されるまではかなりの嫌われ者であった事を思い出す。
やれ金食い虫だ、税金の無駄遣いやら。戦争したがりの集まりだとか。事あるごとに駐屯地前でデモ活動されるなど、本当に俺達がこの人達を守るのか。っと思えるほどの扱いも受けていた。
(でもまぁ、騒ぐほどの事でも無いかぁ……)
自衛官に成り立ての頃は確かに思うところが沢山あったが、所詮は各人の主義主張の話だ。
言葉が通じても決して分かり合えない人もいれば、言葉など分からなくても互いに理解し合える人もいるのだから。
そんなことよりも俺は気になっていた事が一つだけあった。
「もしかしてさ、その神官もさ、首無し騎士デュラハンの討伐に?」
「察しがいいじゃないかハジメ君。彼女は冒険者と行動を共にしている。なんでも、教会の命令で討伐に赴いているとか」
「神官で、彼女ね……」
イオンの言葉を俺は心の中で何度も反芻していた。
神官。女性。
その言葉に俺の新鮮な記憶の中にある女性が浮かぶ。
無邪気な笑顔で子供達と遊び、お日様の様な笑顔をした輝く金髪の女性を。
最後に、何やら含みのある言葉を吐いた彼女を。
(………………)
俺は無言でパンを千切り口に運ぶ。香しい匂いを放っていたそれはすっかり冷めていたのか、それとも俺の頭で堂々巡りする思考のせいか、何の味もしなかった。




