弱者と強者
〜〜同日。グロリアス王国、郊外の森〜〜
「あったあった、ありましたねぇ」
朝靄が残る森の中、私の嬉々とした声が静かな森に拡散されは消えていく。
『これですか? もしこれが我々の目的のモノだとしたら……ルチアはよく平気でしたね?』
手の平に収まるのは幻想調査隊の一人、知識の精霊ノウだ。知の本と呼ばれる古ぼけた本の端々が破れたページにちょこんと座る知識の精霊は、まるで行儀の良いお人形のようにも見える。
「えぇ、まぁ、パイセンが助けに入ったおかげでしょうね」
汗ばむ額を土で汚れた手で拭い私は大きく息を吐く。
鎧を脱ぎ剣と盾を地面に置きっぱなしにし、傍にあるのは一つの土で汚れきった円匙のみ。長い木製の柄の先端に付いた薄くて少々湾曲した切っ先は、鈍色の輝きと茶色い土の汚れで装飾されていた。
「さてと、こんなものでいいでしょう。ノウ、頼みますよ?」
『はい。探索解析』
言葉が早いか、目を閉じ念じるのが早いか。
彼女にとって幻想の行使は、言葉など不要な要素であることが伺える。
彼女はただ単に雰囲気作りで呪文を唱えているのだ。
しかし、これがなかなかどうしてか。彼女の性格と幻想に合っているのだろう。結果として彼女の解析の精度を上げる要因になっていた。
【信じる者は救われる。それが真だろうと虚だろうと構わない。救われた者だけが信じるのだから】
目を閉じ念じる彼女の視線の先にいるのは三つのモノだった。
頭に小さな穴が空いた三つの人間、その残骸だ。
「死後三日……あれ、四日でしたっけ? どっちでもいいですけどね」
土盛りされた簡素な墓から顔だけ掘り起こされた三人の男だったモノを、私は冷たく見下ろしている。その目はとてもでは無いが人に向けてよいものでは無いと、自分でもわかっていた。
(もし、この場にパイセンがいたらなんて言われますかねぇー? どうでもいいっすけど)
頭の中に浮かんだ人物が、墓荒らしという非道な行いに怒りを隠さず猛り狂う様を想像して一人でそっとほくそ笑む。
『ウェスタ? 呆けているところ悪いけど……いるよ』
「おっとと、すいませんね。何匹ですか?」
『えっと……ウワァッ!?』
ノウの言葉を待たずに、突如として目の前の生物だった成れの果てが小刻みに動き出す。
中身を埋めていた赤い液体は既に土に吸われ残ってはいないはずなのに、ゴポゴポと泡を立て小さな穴からは透明な液体が溢れ出す。液体と共に溢れてくる死体独特の臭いが私の鼻を刺激した。
ドロリとした粘菌状の透明な液はまるで意識でもあるかのように飛び出して、鼻を手で押さえる私の眼前に迫り来る。
「シィッ!」
それに怯みもせずに地面に刺してあった円匙を振るい、一息で粘菌の塊を吹き飛ばす。塊から飛沫と変わる透明な液体は地面に付くと同時に形を為さなくなり地面を濡らしていく。
『合計三匹っ、あと二匹だよ! 解析結果……奴だ、奴の分体だよ』
私の手の平の上で喚くノウは、少しだけ焦ってるようにも見える。
それはそうだ。分かっている。
私の強さを、俺は知っている。
この強さをノウも知っているが、それは私が聖剣と呼ばれる代物を使用した際の強さだ。その聖剣は後方で盾と一緒に地面でお昼寝中だ。今この手にあるのは工兵や農民などが持つのと変わらない、何の変哲も無いただの円匙だ。
けれども、それだけあれば充分だ。
「舐めるなよ。クズ共」
今度は二つの小さな穴から同時に粘菌が飛び出してくる。先程よりも密度の濃いのだろうか、体色は透明でありながら何処か濁ってるようにも見え、その中心には丸く細胞の核の様なものが浮いていた。
それらを私は円匙の一振りで粉砕する。細胞の核が弾け飛ぶのと同時に力に耐えきれなかったのだろう、木製の柄がボキリと音を立てて二つに割れる。随分と軽くなった円匙の取っ手を乱雑に地面へ投げ捨て一息をついた。
「もういませんかね?」
『調べます。広域探索』
ノウの身体から淡い緑の光がもうもうと煙の様にでてくる。それらはノウが目を閉じ強く眉間に皺を寄せると、あっという間に森の中へと消えていった。
私はそれを見届けると胸元から一つの箱を取り出し、その中にぎっしりと詰まった紙製の筒を一つ取り出し口に咥える。そして人差し指を立て私は一つの呪文を唱える。
「ファイアボール」
咥えタバコで呪文を唱えると人差し指の先からは小さな小さな、火の玉が出現しタバコの先端を赤く染める。チリッと音を鳴らして先端から煙が発生するのを確認すると俺は口をすぼめて吸い込み、紫煙を吐き出す。
『……うん。いませんねぇ。ってウェスタ? それってハジメさんのタバコですよね!? 勝手に貰ったら怒られますよー』
ノウの注意も俺の耳にはどこ吹く風。だが流石に手の上で何度も咳き込まれると罪悪感は少し感じる。タバコを半分まで吸うと俺は地面に投げ捨て足で踏み潰してもみ消し、ノウに頭を下げる。
「バレないですって。これでも隊長ですし、将軍ですし、バレても役得ですから」
『はぁ……私は知りませんからね? 怒られても助けてあげませんからね!』
「ははっそれは困りますね! ……ところで改めて聞きますけど、これは奴で間違い無くて?」
ノウの力強い頷きを見るに、これらが我々の探している目的の一部である事は間違いないらしい。
「幻想調査隊、最重要討伐対象。最弱強者……又は底辺にして頂点、あとは何がありましたっけ?」
『史上最悪最強最低最高の雑魚』
「あぁ、そうでした。……って違います。それは酒の席でふざけて付けた名ですよ?」
『わかってますって! 強欲粘菌……最強で最凶のスライムですよね』
ノウはその言葉を口にした途端、まるで忌々しい物でも見たかのように、一度身体を震わせるとその小さな手で自身の肩をギュッと掴む。
俺はノウの震える手を右手の人差し指で優しく叩くと、もう一度タバコを取り出し口元で火を付けた。
(願わくば、今のパイセンには出会って欲しくは無いですね)
―――――
「俺も結構大飯食らいだけどさ……これは予想外だわ」
呆れて吐いた俺の溜息は目の前の光景には、何の効果も示さない。
目の前にあるのは大きな牛の様な生き物だった成れの果て。食い尽くされ、骨の髄までしゃぶり尽くされ、骨だけとなった身には当然肉などは一欠片も付着いてはいない。
では、その肉は何処へ行ったのか。
その答えの代わりとばかりに、俺は自分の腹をさする。
確かな満腹感と肉の脂の重みを腹部で感じ、若干前屈みにならなければ支えることもままならない。
「いや、美味かったよ? 何つーか、肉って感じ。野性味な味だけどさ」
俺は小さくゲップを吐き、タバコを取り出しライターで火を点ける。
先端を赤く焦がして一息吸い込み吐き出そうとすると、俺の後頭部に衝撃が走り、危うくタバコを落としかけてしまう。
「ゴホ、ゴホ、ハジメそれ煙いってば!」
「いやいやルチア。食後の一服は許してくれよ!」
ルチアの手刀を何度か頭に受けながらも、意地でもタバコから手を離さない俺はルチアの抗議の声を退がって避ける。
「僕も煙いな。ハジメ君、蹴り殺されたいのかな?」
そんな俺に後ろから声をかけ、俺の尻に足の裏を押し付けてくるのはイオンだった。仮面なので表情こそわからないが、声の調子を見るに戯けた様子がうかがえた。
「お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよな」
「おやおや、心外だよハジメ君。何故だい?」
「この牛の首を蹴りでへし折ったのを目の前で見たからだ。化け物かよテメェは?」
馬車から降りた際、イオンは獲物を見つけるやいなやすぐさま走り出し、俺が気付いた時には既に獲物へと肉薄していた。
(一撃だったな。しかも一瞬だった)
イオンが行った獲物への攻撃方法、それは単なる蹴りだった。しかし、その蹴りの威力が凄まじかった。
分厚い筋肉を物ともせずに、イオンが放った上段蹴りは蹴られた牛の首がまるで伸びたと錯覚するほどの威力があり、さながら鉄板に鉛玉を撃ち込んだ様な鈍い音が響くほどであった。
俺はコートから覗くほっそりとした綺麗な脚と、へし折られた牛の首を見る。ついさっきまで生きていたのに、今ではただの食べカスとなった牛。
俺は手を合わせ心の中でご馳走様と念じ、牛の冥福を祈った。
「ハジメ君。ご飯を食べてる時も言ったけど、僕の役目は君達の監視なのだよ」
イオンが俺の尻を軽く蹴飛ばしてくる。その気になれば牛を蹴り殺す威力の蹴りだ。冗談でやっているとは分かっていても、俺は肛門をキュッと引き締め力を込める。
「……なんなら、僕への不敬ということで上に報告してもいいんだよ?」
自身の尻を守るために振り返りイオンと正面から向き合う。
イオンの背丈は俺よりも遥かに低く、その所為なのか俺と正面から相対すると偉そうな態度の割には俺を見上げていて反対に俺は見下す形になる。
「おい、見下すなよ。僕の方が偉いんだぞ?」
「無茶言うなよ?」
仮面越しに俺を見るイオンは見た目どうり子供っぽい理屈で俺に抗議をする。
「偉いのはわかってるよ。あれだろ? お目付役みたいな感じなんだろう?」
「正しくは、王直属の監視者。僕は幻想調査隊の隊員でありながら監視役も兼ねてるんだよ?」
監視者とは王国内において王に敵意を向ける個人、組織、勢力に対し監視をする立場にあるものだ。
その任務の一つとして直接的に王に反意を抱いていなくても王国の脅威と判断できる勢力に対して監視すると言うものである。
発足の由来としては過去にグロリヤス王国は騎士による大きな反乱があったらしくその対処策としてある程度の規模の集団の監視をするようになったらしい。
王国における各騎士団にはその構成員として監視者を派遣する場合もあり、幻想調査隊も例外ではないとの事だ。
軍警察、いわゆる自衛隊における警務隊と似たようなモノだ。部隊内の犯罪などを取り締まっていた警務隊は自衛官でありながら同じ自衛官を監視する役目も持っていた。
「はいはい、わかりました。偉大なる監視者イオン様、何なりとご命令を」
俺はかしこまった態度でイオンに頭を下げる。それを見たイオンは小さくため息を吐いて、仮面の頬の部分を掻いた。
「……なんだか馬鹿にされてる気がするが、丁度いいから命令するか」
「……ケツは蹴るなよ。そろそろ痔になりそうだ」
「四つに蹴り裂いてやろうか?」
「何なりとご命令をッ!」
物騒な事を本当にやりかねないイオンの言葉に俺は姿勢を正して思わず敬礼をする。
「殊勝な態度で結構。じゃあ、このゴミを処分してもらおうかな。埋めてきてくれ」
イオンが指差す先には、俺達の昼飯となった哀れな牛の成れの果てだった。
そのあまりの量に少しだけ面倒だと思ったがイオンが足のストレッチをし始めたので慌てて装具につけてた折り畳み式の携帯円匙を取り出し、少し離れた場所に穴を掘るために素早い足取りで向かっていった。




