その胸にあるものは
陽が落ちかけた街を歩く人々の雑踏は、服装や人々の人種を考えなければ俺がいた日本とそう変わらないように見えた。
俺の身長の三倍はあろうかという女の巨人。その肩に乗るのは俺の身長の半分程しか無い子供のような姿をした髭面の中年。
視線を横に向けると全身が毛の塊の人型の毛むくじゃらが、若い人間の女性から手渡しでパンのようなものを受け取り、生い茂る体毛の中に押し込んでいた。
「色々な人達がいるんだな?」
「えぇ、色んな人達がいるでしょ?」
俺の言葉にルチアは楽しげに頬を緩ませ答えてくれる。かすかに揺れた首元の青いペンダントが揺れ、淡い光を醸し出す。
「これ、便利だな?」
「えぇ、便利でしょ?」
俺は自分の首元に着けているルチアが持つものと全く同じ光を放つペンダントを手に取り、指先で弄ぶ。
「魔結晶って言ったか?」
街へ出るその直前にウェスタから貰った魔結晶の首飾り。半ば強引に持たされたのだが特殊な素材で出来ているらしく、指先で何度か弾いてみるとまるでガラス玉ような見た目とは裏腹に鉱石のような堅牢さが感じられる。強度はかなりあると見て間違いないだろう。
「えぇ、魔結晶って言ったよ?」
「ルチア、一ついい?」
俺は目の前に置かれている茶色い液体を口に含む。
ほのかな苦味とミルクの甘さが口内を巡り、どこか懐かしい味を思い出す。
(やっぱり、コーヒーだよなこれ?)
タバコのお供によく飲んでいたコーヒー。それにありったけのミルクも砂糖を入れたような味。昔懐かしの面影が感じとれる味の余韻。微かな苦味が俺の言葉を止める。
「えぇ、ハジメ。一ついいよ?」
ルチアは俺と同じコーヒーを飲み、器を空にして追加のおかわりを頼もうと忙しい雰囲気の店内へと手を挙げ店員を呼ぶ。
「さっきからそれはわざとやってんの?」
「えぇ、わざとやってるよ?」
ルチアの明け透けのない正直な返答に俺は一度ため息を吐く。
「やっぱりか。俺の話聞いてないのかと思ったよ」
「ふふ、聞いてるよ? いいよね、言葉が通じるのってさ!」
ルチアは胸元のペンダントを手に取り、夕暮れの街に照らす。紅に染まった光が青い宝石に反射しとても綺麗に見えた。
「このちっこい魔結晶にウェスタの翻訳の魔力が込められているんだよな」
「正確に言うとそれには〜、おっと店員さーん! 注文お願いしまーす!」
ルチアは途中で言葉を止め店員を呼び止めると、猫耳メイド姿の可愛らしい女性がこちらにトコトコと足音を鳴らし歩いてくる。俺の前に立つと頭を下げ猫耳を揺らして気持ちの良い笑顔を向けてくる。
「はいニャはいニャ、お客さま〜注文でしょうかニャ〜?」
「コーヒーを一つ、ミルク多めで!」
「ふにゃふにゃ、コーヒーのミルク多め一つニャ〜?」
猫耳店員は服のポケットからメモ帳を取り出すと鼻息を鳴らしながら書き込み、次いで俺を見る。
栗色の毛並みが思わずもふりたくなる衝動を駆らせるが、俺は何とか我慢をして注文をする。
「俺もコーヒーがいいな。ミルク少なめで」
「はいニャ? お客様は今なんて言ったニャン?」
「あー、ハジメェ? いいよ、私が注文する」
コテンと首を傾け、指先を口に持っていき疑問の表情を浮かべる猫耳店員にルチアが助け舟を出すように俺の代わりに注文する。そして何やら耳元に口を近付け内緒話を一言二言すると店員は何やら納得したのか俺を哀れむような目線を送り、そっと肩を叩いてくる。
「安心するニャお客様! 気を落とすことは無いニャ! 実はわたちも頭はあんまり良くないニャ〜。仲良くしてやってもいいんニャよ?」
「頭悪いのは見りゃわかる」
「はいニャン! ではまたニャ〜」
俺の言葉を理解したのかしてないのか、最初とはまた違った意味で気持ちの良い笑顔で俺に頭を下げると、お尻に付いている毛並みの整った尻尾を左右に楽しげに振り、またトコトコと足音を鳴らして離れていった。
「何言った?」
「ハジメハトテモカッコイイッテイイマシタ」
「誤魔化すなって! まったくよぉ。これがあれか、受信しかできないってやつか」
俺はもう一度胸元のペンダントを見る。出会った幻想調査隊の面々が持っていた宝石と比べると若干大きさは小さく、また透明度も比べてみると濁っているように見える。
ルチアの話によると魔結晶には等級があるとの事だ。等級が高ければそれだけ込められる魔力の量が多く、等級が低ければそれだけ込められる魔力の量が少ない。
俺やルチアが持っている魔結晶はかなり性能の良いものらしいがその分貴重であり、異世界の人間が持つとされる幻想の力を宿すにはやや力不足という話だ。これ以上の力を持たせるにはもっと等級が高いモノにしなければならない。
よって、ウェスタの幻想である翻訳の力は俺の持つ小さな魔結晶には充分に込められず、この異世界において受信しか出来ない。
つまり、俺はこの異世界において相手の言葉は分かるのだが相手は俺の言葉を理解することは出来ない。
ルチアが持つのは俺が持つのと同じ等級で受信しか出来ないらしいが、ルチアは元々この世界の住人なので言葉の点はさして問題では無い。
会話できるのは単純にお互いの魔結晶が受信の力を持つおかげだ。断じて俺がグロリヤ語を喋っている訳でも、ルチアが日本語を喋っている訳でもない。
「これじゃあナンパも出来ないな?」
「目の前に美少女がいるってのにヒドイ話じゃない?」
「美少女とは……?」
「あ、ひっどーい」
「ルチアは美女だろ?」
「あれ? 嬉しいね。ここは奢ってあげるよ!」
目の前でころころと変わるルチアの顔に俺はフッと自分の頬が緩んでいるのがわかった。
(部隊にいた時は男所帯で女はあんまりいなかったからな)
俺は昔から男社会に生きていた過去がある。
男子校に通っていたし、部活動は闘球部という野球や蹴球などの華となるスポーツでは無かったのでどうしても女性に縁は無かった。
そのせいなのか、女性に対しても男と同じように対応してしまうのでどうにも女受けが悪かった。
(仲良かったのは……由紀だけだったな……)
今はいない、同期の彼女を思い出してしまう。
優しくて……いや、優しくは無い。よく殴られた。
器量も良……いや、良くは無かった。不器用だった。
美少女で……いや、美はともかくとして少女は無い。
女性らし……いや、むしろ男勝りなとこもあった。
お淑やか……いや、お淑やかの、おの字も無い。
それでも好きだった。そんな彼女が好きだった。そんな彼女だからこそ俺は北村由紀の事が好きだった。
「……」
「ハジメ、どうしたの? コーヒー飲みすぎたの?」
俺が黙っていると心配そうにルチアが顔を覗き込んできた。ルチアの顔はどことなく由紀に似ている気がする。それは今でも思う。
しかし、彼女はルチアだ。
北村由紀は北村由紀。ルチアはルチアでルチア以外の何者でも無い。彼女は俺の目の前で死んだ筈なのだから。
(……あれ、待てよ? もしかして……)
俺はある事に気がついた。それは叶う可能性の低い仮説だが、決して可能性はゼロでは無い仮説だ。
そう、俺がそれだったのだからありえなくは無い。西野がそれなのだから可能性はゼロでは無い。
「なんでそれを考えなかったんだろうな……全く、異世界に来て浮かれてたのか俺は?」
「ハジメ? どうしたの、何か悪いものでも食べた?」
「お前も同じの食べてんだろが」
「あぁ、そっか」
ルチアは自分がちょっと間抜けな事を聞いた事に気付き、少し恥ずかしそうに追加できたコーヒーを飲む。湯気が立つそれを熱そうに飲み、一息つくとルチアは改めて俺を見る。
「で、ハジメ? どうしたのかな?」
口元にミルクとコーヒーの茶色い髭を付けながら、ルチアは真面目な視線を送ってくる。
俺は一瞬その事に突っ込むか迷ったが、無視をして自分の意見を言う事にする。
「決めたよルチア。俺は幻想調査隊に入る」
「本当にっ! いや、多分入ってくれるとは思ってたけど今日の今日で決めるとは思ってなかったよ?」
ルチアは一瞬喜びの顔を俺に見せてくれたが、それと同時に俺の決断に何やら疑問があるようだ。
「意外か?」
「うん。いや、うーん? なんか分かんないや」
うんうん唸るルチアの目は嬉しいのかそれとも思う所があるのか、言葉にし難い色を浮かばせる。
「やりたい理由が見つかったんだ。いや、理由を見つけたいんだ」
「ごめん、ちんぷんかんぷんだよ。何それ?」
ルチアは首を軽く傾けると訝しげな視線を送ってくる。俺はそれに苦笑いで答え、目の前の冷たくなったコーヒーを一気に飲む。
「分かんなくていいさ。俺の勝手な理由さ」
「ふーんまぁ、ハジメが来てくれるのは嬉しいからいいかー」
ルチアは器の底に残った砂糖の塊を銀のスプーンで器用に取ると、甘味を噛みしめているのか目を瞑って幸せそうに何度も頷く。
(わかってるさ、意味わかんないのは。それでも可能性があるなら俺は藁にでも縋り付くさ)
それはか細い可能性の糸とも取れる。
ただの幻想を期待しているだけなのかもしれない。
それでも俺は想いを抱かずにはいられない。
(この世界にいるかもしれない。あの時、俺と同じ状況だったんだから。確証は無い。でも)
北村由紀。彼女も自分と同じようにこの異世界にいるかもしれない。
不意に抱いた一つの幻想を、俺は確かめずにはいられなかった。
かつて、伝えられなかった想いを胸に秘めて。




