茶会
陽光が窓から差し込み、足元を優しく暖めてくれる。まだ昼前だというのに眠気を誘う心地良い感触を肌で感じ俺は鼻歌まじりの上機嫌になっていく。目の前にある汚れ一つ無い真っ白いテーブルの上には高級感満載のこれまた純白の茶器が存在感を強かに主張し、その横には色合い豊かな茶菓子が皿の上お行儀よく並んでおり、目覚めから何も口に入れていない俺の食欲を唆る。
「それでな、俺は言ってやったんだよ。タケさんにな? 唐揚げにレモンは……あ、これ美味い」
俺は口を動かしつつ指で皿に乗っているクッキーのようなものを摘み、言葉を発してる最中の口に放り込む。
歯で噛み砕くと同時に鼻腔を過ぎ去る香ばしい風味。生地には茶葉が練りこまれているのだろう、噛みしめるたびに甘みの中に強かな茶の味が滲み出る。この甘みは恐らく砂糖。抑えめの甘みは上品な味となり俺の舌の上を何度も転がり、優しく優しく口内を幸せに満たす。最後に柑橘系の香りがする紅茶で流し込むと、たった一枚のクッキーとは思えないほど心が満たされているのが分かる。
「美味い!」
満点だ。空腹も手伝ってはいるが文句無しに美味い。俺が料理大好きお爺さんなら星三つをあげたいと思えるほどにだ。
最近巷に溢れている、値段が高いだけの写真栄えするお菓子とは比べ物にならないぐらい美味い。
続いてもう一枚クッキーを頬張り、紅茶を流し込む。上品な甘さと胸を過ぎ去る確かな温もりが身体の中心にまで達し俺は確かな満足感を何度も感じていた。
「ハジメ?」
「ん? あぁ、このクッキー美味いなって思ってさ」
目の前には俺の話を聞きながらクッキーを食べ続けるルチアがいる。一つ、また一つと手に取り口に運ぶその姿はまるで小動物のような愛らしさがある。
賢王ディリーテとの謁見が終わった後に俺はまた廊下をしばらく歩かされ、廊下に面した数ある部屋の中の一つに俺は案内されそこで待つように言われる。
部屋の中には座り心地が良さそうなイスと豪華な調度品が置かれており、白いテーブルの上には何も入っていない空の茶器だけが置かれていた。
「ここで待つように。ルチアはここでハジメ殿を監視しとくように」
ウェスタはそれだけ言い残し、俺を痛めつけた仮面の子供とお供の兵士を連れてどこかに出て行ってしまった。
残された俺とひとまずこの部屋で休息を取ることにしてくつろいでいると、汚れた手を洗ってきたルチアがお茶と茶菓子をどこからか持ってきてくれたのでそれを頂いていた所だった。
「それにしてもこのお茶美味いな、このクッキーも」
俺はティーカップを口元に運び一気に飲み干す。賞賛の言葉を空になった皿に贈ると満足気に大きく息を吐き出す。
「フフフ、ハジメ? テエア、イ、ワアセ、ベロエワエデ!」
「どこで買ったんだ? それともこの世界のお茶は全部美味いのかな?」
「イテセ、ムーエ! ア、……スゥロロヨォ」
いきなりルチアが大きな声を出してきたので俺は吃驚してカップを下に落としそうなる。慌てて手を素早く動かしなんとか持ち直し机の上に置き、ルチアを見ると申し訳なさそうに肩を落としていた。
「スゥロロヨォ……」
ルチアは目に見えて落ち込んでしまっていて、それがなんとも言えない庇護欲を俺の胸に湧き上がらせるのだが、それは良くない。俺は慌ててルチアを慰めるべく優しく声をかける。
「いや、気にしてないって」
出来る限りの穏やかな声で慰めの言葉をかける。するとルチアは顔を上げて俺に対して柔かな笑顔を向けるとお茶を啜り始めた。その姿を見て俺はホッと一息ついてイスにもたれかかる。
「……ルチア、一ついいかな?」
「オカー」
この返答が肯定なのか否定なのかはわからないが、今の俺の胸の中には一つの疑問、そして一つの仮説がある。俺は息を吐いて逸る気持ちを一旦落ち着かせ、湧いていた疑問をルチアに尋ねることにした。
「もしかしてさ……俺の言葉わかってる?」
「セウロエ」
ルチアは短く返すと残っていたお茶を一気に飲み干し、惚けた顔で余韻を楽しんでいるように見える。
「それはどっち?」
この場所に来てからルチアは俺の言葉がわかってる様に見えるのだ。森の中で出会った時は身振り手振りを交えつつ、時に疑問の声を混ぜてなんとか気持ちをお互い伝えていたのだが、今のルチアは俺の言葉に対して疑問の感情を見せることが少ない。
今もそうだ。俺の質問に淡々と答え、平然とした様子で自分の空になった器におかわりの茶を注いでいる。俺も欲しい。
「……ルチア、おかわり。量はカップの淵までなみなみで」
「オカ、ゲオ、アハエアデ」
二つ返事でルチアは俺の分も注いでくれた。なみなみと器の縁にまで注がれた透き通った茶色の液体を眺め、俺は確信した。
カップの縁まで茶を注ぐのはいくらなんでもマナー違反だ。普通ならばやるはずがない。現にルチアは自分の分には適量の茶を注いでいる。
つまり、ルチアは俺の注文を理解してその通りにしてくれたのだ。
そんなこと、身振り手振りや声のトーンだけで通じるわけが無い。言葉の意味が通じて無ければ無理な話なのだ。
「ルチア、いつから? それと何故?」
「……」
ルチアは黙ってしまった。口が滑ったと思っているのだろうか。目線が左右に泳いでしきりに落ち着かない様子だ。
「……ルチ」
俺がルチアに声をかけようとした瞬間、入り口のドアが騒がしい音を立てて開かれる。
そこにいたのはウェスタだった。先程までの緊張感溢れた凛々しい顔付きはどこぞに置いてきたと言わんばかりに、俺が西野として良く知る人懐っこい笑顔でウェスタはニコニコと笑い部屋の中に入ってくる。
「おいーっす、パイセンお待たせしました! いや〜皆さん中々解放してくれなくてですねー。ちょっと時間かかっちゃいましたよ〜」
ウェスタは喋りながら俺たちが座るテーブルのとこまで来て、懐から紙袋に入ったパンやら果物やらをテーブルに置きそのうちの一つを口に運び、もしゃもしゃと食べ始めた。
「ふぃやー、イオンひゃんがねーひぁいせんの事結構気に入っちゃったみたいふぇべー、ふぁれこべひいてきて……」
「何言ってんのかわかんねぇよ、日本語喋れや」
俺の鋭い一言を聞きウェスタは苦笑いを浮かべると、ゴクリと喉を鳴らし口内を空にする。そして何やらニヤついた笑みで俺とルチアを交互に見始めた。
「ふふ、二人とも会話は楽しめました?」
「……そろそろ、教えてくれてもいいんじゃねえのか?」
「何を、ですか?」
ウェスタはとても楽しそうに笑っている。その笑顔を見るに、俺が何を聞きたいのかは分かっているのだろう。
「……ルチア、何か喋ってくれるか?」
俺は三杯目のお茶のおかわりを注いでいるルチアに顔を向け目で促す。
ルチアは右手の人差し指を唇に押し当て何やら考え事をして、そして何かに気づいたよう顔を輝かせるとその口を開く。
「……ハジメ、唐揚げにレモンかけると美味しいって本当!? 私、今まで何もつけないで食べてたよ〜」
「よりによって今それ聞くのかよ!? ……ウェスタ。俺が何を聞きたいか分かったか?」
ウェスタは俺の言葉を聞いて何度も頷いていた。しばし沈黙を挟んでからウェスタは茶を飲み俺を見た。
「個人的にはレモンよりマヨネーズ派です」
「いや、レモンだろ。ふざけてんのか? いや、違うそうじゃない!」
俺は一度頭を押さえて気を落ち着かせる。危うく流されるがままにレモン派、マヨネーズ派、何もつけない派の論争を繰り広げる事になりかねなかった。唐揚げ論争は不毛である。
「……何故言葉が通じるのか。ですよねパイセン?」
「分かってんならさっさと言えよ」
「さて、どうしますかね。果たしてどこから、いやどれから、はたまたどこまで話せばいいのやら……」
ウェスタはイスから立ち上がり窓際へと歩いていく。陽の光がウェスタの身体によって遮られ俺の足元を暗くし、暖かさが消えていく。
振り返って俺を見る皺の目立つ顔は、西野でもウェスタでも無いように俺の目には映った。
「 幻想っと俺は呼んでます」
「幻想?」
俺は首を傾げ、何気無しにルチアの方を見る。ルチアは俺と目が合うとすぐに晒し何も無い天井を見上げて、如何にも私は何も知りませんよ〜という風に音の鳴らない口笛を吹く。
「ルチアちゃんに聞いても無駄ですよ? 幻想とは俺やパイセンのように、異世界から来た者にしか使えないものなので」
「……俺は使えないぞ? 言葉わかんないぜ?」
そんな便利なものが本当に使えるわけが無い。もし、そんなものがあるとしたら俺とルチアが森の中で出会った時にすでに言葉を交わすことが出来たはずだ。
「一人一人が持つ幻想は違うんですよ。俺の幻想は 翻訳なので言葉が分かるんです」
「何でおまえの、その……幻想があると互いに言葉が通じるんだ?」
「言語の違いがあっても、感情やら心情とかは同じでしょ? それに作用するらしくて……まぁ、ぶっちゃけ俺もよくわからないんですよ」
得体の知れないあやふやな力を使うというのは果たしてどうなのかとは思うが、現実の話としてその効果は高いと見える。
日本にいた頃は言葉が通じるのが当たり前過ぎたので気付かなかったが、互いの言葉がわからないと相手の気持ちにも気付かない。それはすなわち信頼関係を築くのがとても難しいという事になる。その弊害というのは多分、俺が思っているよりも大きいだろう。
【救いの手は、救いを求めた者にしか差し出されない】
「元々は自分にしか使えなかったんですがね、鍛えたので他の人にまで効果出るようになったんですよ」
「……それ、俺にも使えるのか?」
そんな便利な物があるのならば使わない手はない。使えるモノは人でも物でも何でも使えというのが俺が自衛官として訓練していく最中に学んだ事だ。
「使える? いや、パイセンの幻想がどんな効果なのか分からないので何とも言えません」
ウェスタは困ったように眉をひそめているのだが、口角は内に秘める笑みが隠せないのか、少しだけ上がってる。
「なぁ、いるんだろう?」
「……何がですか?」
惚けたように肩をすくめるウェスタを俺は軽く睨みつけ、次いで横で我関せずと五杯目の茶を飲んでいたルチアへと視線を移す。
「ルチア、いるんだろう?」
「へっ、何が?」
ルチアはキョトンとして目を丸くしたまま茶を啜り中身を空にする。てっきり俺はルチアも[知っている]のだろうと思いカマをかけたのだがその目論見はどうやら外れていたようだ。
「あー、ゴホンゴホン」
ウェスタがわざとらしい咳払いをして俺とルチアの視線を集め、何が面白いのか先ほどよりも口角が上がっている。
「パイセン? ルチアちゃんはウチではまだ新米でしてね。詳しくは知らないんですよ。それよりも……」
ウェスタは言葉の途中で立ち上がり部屋の入り口へと歩き出す。そこで振り返り真剣な表情を作り、一人の漢の顔となる。その顔はすでに西野ではなくウェスタ本人とも言えた。
「百聞は一見にしかず。聞くよりも、見たほうが早いです」
「……見る?」
「ええ、そうです」
そう言うとウェスタは部屋のドアを開け放つ。それと同時に部屋の中に入ってきた者達を見て俺は驚いてしまった。言葉も失うほどに。
「ーーーッッ!?」
一人は大柄な若い男。褐色の肌にスキンヘッドで筋肉質な身体で、身長は俺よりもかなり高く二メートルはある。太い眉毛と厳つい面持ちがどこかのテレビ番組で見た職人気質の頑固親父を彷彿とさせている。背中に背負う大槌が威圧感を助長させる。
もう一人は、いや、人と言っていいのだろうか。
大きく開かれた口、耳元まで裂けている。黄色い目は元の日本ではまずお目にかかる事はない、いたとしてもカラーコンタクトだ。体表の色は深い黄緑色に近く、全身を鱗で覆われていてその一つが刃物などを通さないと思えるほど堅牢に見える。
……簡単に言おう、リザードマンだ。そう、ファンタジーゲームによく出てくる槍とか持ってる奴。ただし、目の前にいるリザードマンは槍は持っておらず、腰のところに二本の短刀が吊り下がっていた。
最後に三人目。
……これも人と言っていいのだろうか。
身体こそ人の子供のような見かけだが、全身が先のリザードマンとは比べ物にならないぐらい青々しい緑一色だった。そのまんまの意味の植物人間、いや人間には全く見えないので、植物型生物と仮名する。
その緑の子供は脇のところに一冊の本を挟んでおり何やら大事そうにしていた。
「どうすかパイセン? 全員ではないですが、これが俺が作った部隊、幻想調査隊の隊員ですよ」
「とりあえず……人種差別は無さそうだな」
ウェスタの自慢げな声は俺の鼓膜を通り過ぎ、そのままどこかへ行ってしまった。
改めて異世界の人外を見て、俺はとんでもない世界に来てしまったんだなと、漠然とした不安感だけが胸に残っていったのだった。




