疎まれる者と敬われる者
〜〜五年前、五月〜〜
「おい、貴様……この整備の仕方はなんだ? ナメているのか?」
「いえ、東城区隊長! ナメてません!」
俺の目の前で分解した89小銃の銃口を覗く東城は、綿棒で銃口を擦りそこに付いた汚れを俺の目の前へと突き出す。
「いや、ナメているな。自身の命を預ける銃の整備を疎かにするとは何事だ!」
「はい、申し訳ありません!」
この東城区隊長に怒られるのは何度目だろうか。
事ある毎に俺は東城に目を付けられ難癖をつけられていた。ある時は整理整頓が甘い。またある時は目付きが挑発的だ。さらにはお前の名前が気に食わんとまで言われていた。
俺に落ち度があればそれでもいい。だが、全てが俺が悪いわけでは無い。目付きが悪いのは自覚しているが。俺自身、この日本一という名字と名前には思う所がある。子供の頃は嫌だった。いや違う、今も嫌ではある。
だが、名前とは親からの最初の贈り物だ。名字とは親と子を繋ぐ、血とは違う絆の形でもある。それをこのクソ野郎は事ある毎に馬鹿にしてくる。
「何が日本一だ。クソみてぇな名前で恥ずかしく無いのか!?」
また、俺の名前を馬鹿にしてくる。自衛隊に入隊してから早一月。もはや我慢の限界はすぐそこまで来ていた。
「あ、あの東城区隊長! い、言い過ぎ、では無いでしょうか……」
俺を庇うように前に立つ影、それは俺の訓練における相棒となっている同期の隊員。
北村由紀。俺よりも二歳年下の女性なのにできた性格の人間だ。
東城区隊長の威圧的な雰囲気に怯みながらも俺を擁護するために震える手を必死に握り締め誤魔化していた。
「ほぅ、北村自衛官候補生。そんな震えた声では何を言っているのかわからないぞ? 邪魔だからさっさと下がってろ」
手を伸ばせば届く距離にいるのに、聞こえないはずは無い。まるで挑発するように見下す目が俺の神経を逆撫でしていく。
「あ、あ、あの……」
勇んで俺を庇ったはいいが、本来自衛官とは上官の命令に服従する義務があるのだ。邪魔といわれてしまえば退がるしか無くなってしまう。由紀は納得こそしていないがゆっくりと退がっていく。
「情けない。なぁ、日本一? 男の癖に、女ごときに庇われるとは情けなく無いのか?」
ブチッ……
俺の中で何かが切れる音がした。一瞬にして視界がモノクロの様に変わり、そのまま真っ白に変わっていった。
気付けば俺は東城の襟を掴み今にも殴りかからんとしていた。目の前には信じられないという様子の東城区隊長が顔を白くして何かを言っていた。
「ま、待て、俺は上官だぞ! 殴るのなんて許されんぞ!」
俺の耳にはその言葉が何を意味しているのか……よく分からなかった。握りしめた拳は真っ直ぐに、クソ野郎の鼻っ柱をへし折ろうと振り下ろされた。
ーーーーーー
玉座では人の良さそうな笑顔を浮かべこちらへと視線を注ぐ賢王ディリーテと呼ばれた男。
好々爺という言葉がここまでしっくりくる男はいないだろう。だが、人の良さそうな笑顔と一緒に映るのは服の上からでも分かる鍛えられている身体。
恐らく、今はともかくとして昔はかなりやる男だったのだろうと予測できる。
(ま、あくまで予想だけど。それよりもなー。……うるさいんだよな)
「ハエ、イセ、ワハオ?」「アガアイン?」「ケイルル、エアロルヨ!!」「ステオペ、グロリヤス、ベエ、フオロ? ウェスタ、ぺロエシエデエンテ」「ハエ、イセ、シオオル!」
玉座の前で跪く俺の頭上に飛び交う言葉の弾丸は、俺の耳になんの余韻も残さず過ぎ去っていく。それもそうだ。なにせ何を言っているのか分からないのだから。
「ケイルル、エアロルヨッ!!」
今も叫ぶようにまくし立てている金属の鎧を着込んだ禿げた頭の武人の言葉も俺には伝わらない。俺を何度も指差して興奮しているのか、頭を茹で蛸のように真っ赤にしてる様から判断するに、俺に対しては良い印象を持っては無いと思える。
「……俺が何をしたって言うんだよ?」
小さな声でボソリと呟くと、周りの声がまた白熱する。近くにいるものにしか聞こえないぐらいの大きさで喋ったのに耳が良い人達だ。
「パイセン。静かに。手間になるので喋らないように」
横から小声でウェスタが注意をしてきた。こちらを向かず跪いた姿勢のままで俺と同じように言葉の弾丸に耐えていた。
「静かにしてたらもう少しで終わるはずですから」
「終わる?」
「ええ、来たようですね」
そう言うとウェスタはその場を立ち上がり不動の姿勢で王を見つめる。そして片手をオレ達が入ってきた入り口へと向ける。
騒つく場内に広がる動揺の声が、何か事が起きたのだと教えてくれた。
「さぁ、ご覧下さい。これが此度の成果です。我が幻想調査隊の日々の努力の賜物です!!」
ウェスタの芝居掛かった声とともにオレの背後から現れたのは、俺がこの世界に来てから最もよく見た顔だった。
「ルチア……?」
「……」
そこに居たのはルチアだった。
俺と出会った時とは違い鎧などは着込んでおらず、礼装とでも言えばいいのだろうか。俺は服の知識は殆ど無いので分からないが、とにかく高級そうな服を着ていてしっかりと濃い目の化粧もしていた。胸元に付けられている青い宝石の首飾りが男装とも取れる雰囲気の中に女性らしさを加えてくれている。
開かれた扉から風が流れ込んでくるたびにたなびくマントがなんとも言えず格好よく、俺の童心をしきりに揺さぶる。
男装の麗人。今のルチアの姿はその言葉がよく似合っている。
「……」
無言で俺の横に立ち、王に対し跪くルチアの手には袋が握られており、何かが入っているように見える。
ルチアはその包み袋を開けようと結び目に指を掛ける。あの森にいた時よりも手入れされているのか、白くて細い指はとても綺麗だ。
「……メェ」
「……ルチア?」
ルチアが一瞬だけ俺を見てすぐに目をそらす。
覚束ない指の動きで袋の結び目を解き、中身を持ち上げ、周りの人間に見えるように高く掲げた。黒くてボウリングの球程の大きさのそれを、俺はよく知っていた。
それをみて吐き気を催すほどにだ。俺は思わず舌打ちをしてしまっていた。
「いかがでしょうか。我が幻想調査隊に依頼された魔物。特別調査対象、金剛の二つ名を持つこの首は?」
ウェスタの自信に塗れた声で紹介され、ルチアが顔を背けながら嫌々な様子で持ち上げている物体は俺と激戦を繰り広げた黒きホブゴブリンのモノであった。
もはやそこに命は無く、力無く垂れ下がった長い舌と二度と光を通すことのない白濁した目が体色の黒と相まって不気味さを助長させている。
周りからはどよめきの声が広がっていき、腐臭が臭ってくるのだろうか、周囲を囲む者達からは嗚咽漏やら苦しそうにえずく声が聞こえる。
「セオ、……ベァデ」
不快そうに顔を背けるルチアの手には、黒ずみ、グスグスになった血がこびりつき、ルチアの綺麗な白い指を穢していく。俺はその光景を見て身体が熱くなるのを感じる。
美しい絵画に痰を吐きつけられたような気分だ。決して良い気分では無い。
「この金剛を討伐したのは何を隠しましょうかッ! 我が幻想調査隊に新たに加入した隊員ルチア。並びに、私と同じ異世界からの訪問者である、ヒノモトハジメ氏です!」
俺の不快な気分を余所にウェスタは興奮しているのか、上気した頬を緩ませまるで舞台演者のように身振り手振りを大きくし俺達の前へと躍り出る。荒い息遣いそのままに玉座に座る賢王ディリーテへと大きく一礼をした。
数瞬の間の後、ウェスタはゆっくりと頭を上げる。つい先程までの興奮した様子は収まりまるで別人のように落ち着いた声で王へと語りかける。
「……これが現在の成果です。全ては王国のために……」
「ロエアルルヨ……ンオワ。ウェスタ……ゲオオデ、ジェオベ」
「ありがたきお言葉で」
そう答えたウェスタは振り返り、俺達の方を向く。ウェスタの表情は朗らかな笑顔であり、片手で立ち上がるように俺達へと促す。
俺とルチアはゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってくるウェスタとのすれ違いざまに俺は低い声で話しかける。
「何一つ分からなかったんだが? 状況も言葉も」
「……いずれ、分かりますよ」
俺の方を見ずに歩くウェスタの後を付いていく。周りの人々が何やらザワついていたが、言葉の意味を理解することが出来なかったので無視して歩く。入ってきた大きな扉の前まで来たときに俺は一度玉座を見る。
そこには入って来た時と変わらない、和かな笑みでこちらを見つめる王がいた。王の口元がわずかに動いた気がするがすでに距離は離れていて聞こえず、また扉の脇を固める兵士に睨まれてしまったので俺は足早に玉座の間から離れていく。
今、何が起きているのか全く分からないもどかしさを抱えたままで。
「ヒノモトハジメ……ヨイ、ナマエダ」
扉が閉まる間際、王が発した言葉は俺の耳にはよく聞こえなかった。




