賢王
〜〜五年前、四月〜〜
「……以上をもちまして新隊員入隊式を終わります。各新隊員は事後の行動にかかって下さい」
自衛隊の駐屯地内にある体育館。これにて俺は正式に自衛官となった。女性自衛官のアナウンスの声で体育館に集まっていた同期の新隊員達は一糸乱れぬ足取りで体育館から粛々と退館していった。
この日を迎えるまでの間は俺達はいわゆるお客様扱いであり、特に厳しい指導などは受けなかった。それはまだ俺が自衛官では無く、自衛官候補生として扱われていたからだ。
上着の腕に縫い付けている階級章は正規の隊員のものとは違っていて色褪せていない新兵のものだ。
今はまだ何も分からない新兵だが、いずれは一人の男として成長する。いや、させてくれる。
厳しい訓練、服務。何でも来いと息巻く俺はいつの間にか足を止めてしまっていた。
「おい、な〜にボヤッとしてんだ?」
「ハッ!? す、すいません!」
後ろから肩をポンッと叩かれ、俺は反射的に振り返り頭を思いっきり下げる。それを見た目の前にいる上官は吹き出すように笑っていた。
「いや〜、いいってそんなの。そういうのはこれから指導してくからよ〜、気軽に行けって!」
「中元班長……」
寝癖が残る頭をボリボリと掻き、欠伸交じりに笑う姿はヤル気など微塵も感じられない。
新隊員教育隊、第一区隊班長。中元昴その人だ。俺は何と無くこの上官の人柄が好きだった。
適当。不真面目。飽き性。酒好き。風俗通い。煙草好き。下ネタ好き。女好き。車好き。バイク好き。ギャンブル大好きで宵越しの金は持たない主義。
ちょっと人としてどうかと思う要素が多いが面倒見も良く、自衛官候補生として駐屯地入りしてから今日を迎えるまでの一週間、色々と教えてくれた。
「あ、でもタケちゃんには気をつけろよ? あいつ、指導には力入れてくって言ってたからよ」
「み、南野班付ですか……わかりました」
南野武久班付。
俺は駐屯地入りした初日から目をつけられた。学生時代に闘球をやっていた俺は体力には割と自信がある。
そんな俺に南野班付きは初日の顔合わせの後に一緒に筋トレしようと誘ってきたのだ。
単なる腕立て伏せだ。だが数が違った。
「いや〜、俺はタケちゃんにはキッチリ言ったんだぜ? 正式に入隊するまでは無茶やらせんなってさ?」
「五百回も腕立てをやらされるとは思ってもいませんでした。体罰かと思いましたよ?」
「ん、まぁ。タケちゃんはそのくらいの数は朝飯前にやっちゃうからな〜。あれでも手を抜いたつもりだろ。これからはもっと厳しくやるって言ってたぞ?」
「マジすか」
この人にだけは絶対に勝てない。
そう思わせるだけの力、尊敬に値するだけのナニカが南野班付にはあった。
「他にもあいつは……おっと。やべ、無駄話はここまでだ」
「へっ?」
中元班長は何かを見つけると、俺からそそくさと離れ音の鳴らない口笛まで吹き始めた。余りにもわざとらしく、あからさまな行動に疑問を感じた俺は意味も分からず立ち尽くす。
不意に背後から強烈な怒気を感じ、素早く振り返る。
「何をしているのだ? 日本自衛官候補生」
「は!? 東城区隊長! 申し訳ありません」
ドスの効いた低い声が耳に届くのとほぼ同時に、俺は謝罪の言葉を反射的に口に出してた。
陽に焼けた浅黒い肌、常に怒っているかのように眉間には皺が寄っている。
筋肉質なわけでは無いが、日本人としては長身な背丈から見下ろす眼光は、明らかに俺を下に見ている。
東城平八。
新隊員教育隊区隊長。
俺はこの人が、嫌いだった。
ーーーーーー
「俺、偉い人嫌いなんだよな」
「……」
「……」
陽の光が差す長い廊下を兵士に両脇を固められた状態で俺は行先も知らずに歩いていた。
前を歩くウェスタと俺の背後をピッタリと付いてくる仮面の子供に向けて声を出すが返答の声は無い。
「いや、別に頭が良い奴が妬ましいとかじゃ無くてさ。偉ぶって人を見下す奴いるじゃん? そんな奴が嫌いなんだよ」
「……」
「……」
廊下の途中には見るからに高価そうな花瓶が置いてあり、そこには見たことの無い綺麗な白い花が生けられている。
俺が一瞬、足を止めて純白の花弁に花を近づけ嗅いでみると可憐な匂いがした。
前を歩くウェスタが呆れ気味にため息を吐くと俺はまた歩き始める。
「……反対にさ、人間できた人とかいるじゃん? そんな人だとまた嫌になるんだよね。なんつーか、いかに自分が小さい人間なのかって思い知らされてるような気がしてさ」
「……」
「……」
俺の言葉に反応を示すものはおらず、靴の踵が床を鳴らす音だけが静かに響いていく。
「俺の話。聞いてる?」
「聞いてません」
「ンオテ、テオ、ハエアル」
「聞いてんじゃん!? ……おっと?!」
二人の返答に思わずその場でズッコケそうになるが、両脇の兵士がそれを許さない。一瞬で拘束するよう羽交い締めと両足を押さえられてしまい、バランスを崩し地面に倒れこむ。
ウェスタはまたもや呆れたようにため息を吐き、後ろにいた仮面の子供はどさくさに紛れて俺の尻に蹴りを打ち込んでくる。
俺は力尽くで兵士の拘束から逃れその場に立ち上がる尻を押さえて周りを見ると兵士達が剣に手をかけていたので俺は慌てて両手を挙げて降参の姿勢をとる。
「ずいぶんと警戒されてんだな?」
俺はあえて戯けた調子で明るく言ってみたのだが、俺を挟むように立つ兵士達の目は真剣そのもので血走ってさえいた。
「ステオペ、イテ」
ウェスタが落ち着いた声で兵士達に話しかけ、制するように手をかざすと兵士達はようやく剣の柄から手を離し俺から離れていく。
そして相変わらず仮面の子供はひたすら俺の尻を蹴りつける。
「……イテェなこのガキッ!」
俺が仮面の子供に折檻しようと手を伸ばす。だが俺の手は空振りし、お返しとばかりに素早く指を絡め取られ関節技を極められる。
「デオンテ、フゥッシケ、ワイテハ、ムーエ!」
「アタタタタッ!? ギブ、だめだめ、折れる折れるってば!」
「ぷふぅ……何をやっておられるのかな? もう着くというのに」
この短い距離の中で何度目になるかわからないため息を吐いたウェスタは、揉みくちゃになりながら掴み合いをしている俺と仮面の子供を一瞬だけ微笑ましい目で見たのちに、キリッと目つきを鋭くし眉間に皺を寄せ厳しく真剣な顔を作り上げる。
「着いたって、これか……」
仮面の子供がじゃれつく手を振り払い、俺は目の前のモノを見上げた。
見上げるほどの大きな門。材質は木材だと思われるが、一体どんな種類の木を使えばこれだけ大きな門ができるのだろうか。天井にまで達する扉に刻まれた年輪はそのまま歴史につながっているようにも思える。扉を補強している金属は金で装飾されているが、豪華な装飾というよりも剛健さの中のしたたかな華美という印象をうける。
その扉がゆっくりと開かれ始め、内開きの間から中の様子が見て取れる。
広い。まず抱いた印象はそれだった。次に抱いた印象は明るい光でも無く、左右に居並ぶ屈強な兵士でも無ければ奥の上段にいるいかにも偉そうな中年共でも無かった。
綺麗な茶色のウェーブが掛った髪。着ている服は周りにいる肥えた中年の男達よりも豪華だったが、不思議なことに嫌な雰囲気は纏っておらず、むしろよく似合う。
俺が一歩ずつ中へと歩みを進めるごとにその表情がよく分かった。
顔に刻まれた深い皺をくにゃりと緩め、穏やかな笑みの中に少年のような無邪気な好奇心すら伺うことが出来る。
「賢王ディリーテ。グロリヤス王国の、我らの偉大な王です」
ウェスタは跪いて頭を垂れる。
俺は慌てて真似をして頭を下げた。チラリと上目で様子を伺うと目が合ってしまった。
(あ……)
この行為が無礼にあたるかはわからないが俺の胸には余計なことをしでかしてしまったという思いがこみ上げてくる。
だが、視線の先にいる優しい眼差しの老人は頬を軽くすぼめると、心配ないと言わんばかりに口角を上げる。
その笑顔が見て俺は何とも言えない身体のむず痒さと、決して嫌ではない気分に心が満たされていくのが分かった。




