賢王
〜〜五年前、四月〜〜
「……以上をもちまして新隊員入隊式を終わります。各新隊員は事後の行動にかかって下さい」
この日、俺は自衛官になった。だが、まだ何者でもない新兵だ。上着の腕に縫い付けている階級章は色褪せていない新兵特有のものだ。
今はまだ何も分からない新兵だが、いずれは一人の男として成長する。いや、させてくれる。厳しい訓練、服務。何でも来いと息巻く俺は、いつの間にか足を止めてしまっていた。
「おい、な〜にボヤッとしてんだ?」
「ハッ!? す、すいません!」
後ろから肩をポンッと叩かれ、俺は反射的に振り返り頭を思いっきり下げる。それを見た目の前にいる上官は吹き出すように笑っていた。
「中元班長……」
寝癖が残る頭をボリボリと掻き、欠伸交じりに笑う姿はやる気など微塵も感じられない。
新隊員教育隊、第一区隊班長。中元昴その人だ。俺は何となくこの上官の人柄が好きだった。
「いいって。そんな焦らんでもよ。気楽にいこうぜ?」
適当で不真面目。酒と煙草が好きで、下ネタも多い。それでも面倒見は良く、俺はこの人柄が嫌いじゃなかった。人としてどうかと思う要素が多いが、今日を迎えるまでの一週間は色々と教えてくれた。
「あ、でもタケちゃんには気をつけろよ? あいつ、指導には力入れてくって言ってたからよ」
「み、南野班付ですか……わかりました」
南野武久班付。
南野班付。
初日から目をつけられ、腕立ての数で心を折られた相手だ。この人にだけは勝てる気がしなかった。
「他にもあいつは……おっと。やべ、無駄話はここまでだ」
「へっ?」
中元班長が逃げるように離れた、その直後。
「何をしているのだ? 日本自衛官候補生」
背後から、怒気を帯びた声が落ちてきた。
東城平八。
新隊員教育隊区隊長。
俺はこの人が嫌いだった。
ーーーーーー
「俺、偉い人嫌いなんだよな」
「……」
「……」
陽の光が差す長い廊下を兵士に両脇を固められた状態で俺は行先も知らずに歩いていた。
前を歩くウェスタと俺の背後をピッタリと付いてくる仮面の子供に向けて声を出すが返答の声はない。
「いや、別に頭が良い奴が妬ましいとかじゃなくてさ。偉ぶって人を見下す奴いるじゃん? そんな奴が嫌いなんだよ」
「……」
「……」
廊下の途中には見るからに高価そうな花瓶が置いてあり、そこには見たことのない綺麗な白い花が生けられている。
俺が一瞬、足を止めて純白の花弁に花を近づけ嗅いでみると可憐な匂いがした。前を歩くウェスタが呆れ気味にため息を吐くと俺はまた歩き始める。
「……反対にさ、人間できた人とか、いるじゃん? そんな人だとまた嫌になるんだよね。なんつーか、いかに自分が小さい人間なのかって思い知らされてるような気がしてさ」
「……」
「……」
俺の言葉に反応を示すものはおらず、靴の踵が床を鳴らす音だけが静かに響いていく。
「俺の話。聞いてる?」
「聞いてません」
「ンオテ、テオ、ハエアル」
「聞いてんじゃん!? ……おっと?!」
二人の返答に思わずその場でズッコケそうになるが、両脇の兵士がそれを許さない。一瞬で拘束するよう羽交い締めと両足を押さえられてしまい、バランスを崩し地面に倒れこむ。
ウェスタはまたもや呆れたようにため息を吐き、後ろにいた仮面の子供はどさくさに紛れて俺の尻に蹴りを打ち込んでくる。
俺は力尽くで兵士の拘束から逃れその場に立ち上がる尻を押さえて周りを見ると兵士達が剣に手をかけていたので俺は慌てて両手を挙げて降参の姿勢をとる。
「ずいぶんと警戒されてんだな?」
俺はあえて戯けた調子で明るく言ってみたのだが、俺を挟むように立つ兵士達の目は真剣そのもので血走ってさえいた。
「ステオペ、イテ」
ウェスタが落ち着いた声で兵士達に話しかけ、制するように手をかざすと兵士達はようやく剣の柄から手を離し俺から離れていく。そして相変わらず仮面の子供はひたすら俺の尻を蹴りつける。
「……イテェなこのガキッ!」
俺が仮面の子供に折檻しようと手を伸ばす。だが俺の手は空振りし、お返しとばかりに素早く指を絡め取られ関節技を極められる。
「デオンテ、フゥッシケ、ワイテハ、ムーエ!」
「アタタタタッ!? ギブ、だめだめ、折れる折れるってば!」
「ぷふぅ……何をやっておられるのかな? もう着くというのに」
この短い距離の中で何度目になるかわからないため息を吐いたウェスタは、揉みくちゃになりながら掴み合いをしている俺と仮面の子供を一瞬だけ微笑ましい目で見たのちに、キリッと目つきを鋭くし眉間に皺を寄せ厳しく真剣な顔を作り上げる。
「着いたって、これか……」
仮面の子供がじゃれつく手を振り払い、俺は目の前の建造物を見上げた。
見上げるほどの大きな門。材質は木材だと思われるが、一体どんな種類の木を使えばこれだけ大きな門ができるのだろうか。天井にまで達する扉に刻まれた年輪はそのまま歴史につながっているようにも思える。扉を補強している金属は金で装飾されているが、豪華な装飾というよりも剛健さの中のしたたかな華美という印象をうける。
その扉がゆっくりと開かれ始め、内開きの間から中の様子が見て取れる。
広い。まず抱いた印象はそれだった。次に抱いた印象は明るい光でもなく、左右に居並ぶ屈強な兵士でもなければ、奥の上段にいるいかにも偉そうな中年共でもなかった。
綺麗な茶色のウェーブが掛った髪。着ている服は周りにいる肥えた中年の男達よりも豪華だったが、不思議なことに嫌な雰囲気は纏っておらず、むしろよく似合う。
俺が一歩ずつ中へと歩みを進めるごとにその表情がよく分かった。穏やかな笑みの奥に、何人もの人生を見送ってきた者だけが持つ、深い静けさがあった。
「賢王ディリーテ。グロリヤス王国の、我らの偉大な王です」
ウェスタは跪いて頭を垂れる。
俺は慌てて真似をして頭を下げた。チラリと上目で様子を伺うと目が合ってしまった。
(あ……)
この行為が無礼にあたるかはわからないが俺の胸には余計なことをしでかしてしまったという思いがこみ上げてくる。だが、視線の先にいる優しい眼差しの老人は頬を軽くすぼめると、心配ないと言わんばかりに口角を上げる。
偉い人は嫌い……そのはずだった。
だが、目の前の王を見て、その言葉は胸の奥で、少しだけ揺らいだ。




