another kingdom
七色の光が教会内に差し込む。木製の床板を優しく且つ鮮やかに照らす光は革靴の先を掠めている。見上げた先の光の元には穏やかな温かみに負けない優しさを感じる若い女性の絵がガラスに描かれていた。
グロリアス王国の首都であるこの都に、陽神教の総本山として設置された建物。内装は下品になり過ぎない程度に華美で綺麗な出来栄えで、元の世界でもここまで立派なモノは中々ないと思う。長年西方将軍として方々を回ってきたがここはお気に入りだ。
「どう思う? 太陽神ニナ様の姿は。神々しい?それとも可愛いって感じ?」
声を掛けられたが、顔を向けずに俺は口を開く。
「陽神教の最高責任者が神のことを可愛いなんて言っちゃいけないでしょ?」
「あらゆるモノを可愛くするのは日本人の専売特許でしょ? 戦国武将ですら可愛い女の子になるのだから」
反論されて思わず笑ってしまった。確かに元の世界ではそれが普通になり過ぎて疑問に思わなかった。クトゥルフ神話ですら女の子にする感性は世界的に見れば異常か。この異世界では分からないが。
「そしたら俺も美少女になっちゃいますね? だって高名な将軍ですもん」
「そうね。松永弾正だって女の子になるんだから、人の業と度し難いモノよ」
ひとしきり笑うと俺はようやく振り返り、目の前の少女と目を合わせる。
「かしこまった挨拶でもします?」
「いらない。誰かいる訳でもないし」
「ご無沙汰しております。西方将軍ウェスタ馳せ参じました。この度は陽神教の最高位、聖女様に拝謁つかまつり光栄、この身に余る名誉と心得ます」
「いいっての、何十年の付き合いだと思ってんの! 三十年前から知ってるわ!」
近づき俺の腹にボスっと右ストレートを打ち込んでくる。革のジャケットに小さな手は弾かれたがついでの二発目が同じとこに当たり、シワを作る。
「ソフィア、痛えっすよ。高いんすよこの服は」
ソフィアと呼ばれた少女は三発目を腹に打ち込み、鼻息を荒く吐き出すとヒゲを掴んで来てグイと寄せる。
「イタタタっ!? なにすんすか!」
「いや、なんとなく。立派なヒゲをこさえたもんね。昔みたく付け髭かと思ってさ」
「自前っすよ! チャームポイントなんだから!」
ヒゲをさすり、まじまじと目の前の少女を見る。齢にして十を少し過ぎた程度の幼なげな姿しか見えない。日本人とヨーロッパ系の血が混じったような顔はハーフと言うのが正しい。仰々しい司祭の服を身につけてなければ、街の花売りでも手伝ってそうな雰囲気だ。
「いやー、若いっすね。ほんとに。よくそんな見た目で信者から信仰を得れますね?」
問われた少女はくるりと身を翻し一回転するとクスクスと笑う。
「人望よ人望。アンタみたいにヒゲを生やして威厳を保つ必要なんてないのよね」
こんな見た目なのに万を遥かに超える信徒の敬意と信仰を集めているのには理由がある。一つは陽神教の規模を帝国を除いた大陸全域に広めたこと、もう一つは現人神、要は生きた神と言われていることだ。人間でありながら何年経とうと年を取らない。この三十年間全く見た目を変えずに生きている。エルフであれば当然だが人の身で成し得ているので神に選ばれた人として信仰を集めているのだ。
「何言ってんだか、ただのスキルじゃないですか?」
「バレなきゃいいのよ」
ピースオブケーキ。一切れのケーキ。それがソフィアの幻想。能力の詳細は……
「今のところは四分の一ってところっすか?」
「二分の一って言いたいけど、悲しいかな。年取ったし察しの通り四分の一よ」
美しい亜麻色の髪をたくし上げ目尻を触る。そこに皺などないが、まるで忌々しいモノに触れるようになぞる。
「四、五年前に四十歳の誕生日しましたもんね!」
「三年と十ヶ月前よ! 盛るなッ!」
再び拳が当たる。ズンっと響く一撃は腹の底まで敵意を感じる。
彼女の能力。それは自身に関わるありとあらゆる事象を二分の一以下にしてしまう。半分は当然、四分の一や百分の一にだってできてしまう。
そして事象とは温度や風などの自然現象は勿論、肉体的なダメージですら対象である。一度、斧による真っ二つに唐竹割りされるような攻撃を受けていたが、能力を発動して生き延びていたことがある。側から見て肝が冷えたが青アザができる程度の負傷しか負わなかった。
そしてこの能力は己の老いのスピードすらも半分以下にしてしまう。その気になれば、終わりある命を持ちながら、久遠の時を生きることすら可能な能力なのだ。齢四十四歳を迎える身でも十代半ばの見た目を維持できるのはスキルのおかげである。
「そんで、わざわざ直接会いにきたのはなんなのよ?私もアンタも忙しいでしょ?」
木製の長椅子にちょこんと座り、一度教会の入り口に目をやって周囲を確認してから俺の方を向き直る。双眸の瞳の色はヨーロッパ系の蒼い眼であり、元来持っているモノだ。カナダ人の母と日本人の父のハーフは転移してきた異世界でも違和感は無い。
「なんすか? 用がないとあっちゃいけないんですか?」
「あら? 嬉しいことを。三十年前に言われれば口説き落とされたかもね」
「幼女趣味はないんでね。包容力のある女性が好きなんすよ」
「なら安心。亡くなった奥さんにちゃんと操を立ててんのね」
言葉が胸にズンと響く。喉の奥からナニカがこみ上げてくる感覚に陥ったが、唾を飲み込み押し戻す。
「子供もデカいっすからね。立派に育って良かったっすわ。子育て成功お疲れさんってね」
「さいで。私はもう子育てしたくないわー。知ってる? サッカークラブを長男にやらせると休みも社畜が如く駆り出されるし、次男も行くはヘソクリ切り崩すで大変なのよ?」
「さすが三人の子供を育てたシングルマザー。今や万を超える迷える子羊を導けるのもよく分かりますわ!」
疲れたのかソフィアは木製の長椅子に腰掛け、キシッと小さな音を出す。子供の姿には不釣り合いな哀愁込めたため息を吐き出すと頬杖ついて俺の目を見ずに口を開ける。
「双子は大変よー。二人目まで子供作る予定だったから人生設計崩れたわ。旦那が大型トラックに轢かれて死ななければ楽に働けたのに、私が過労死するなんてね。流石にマンガ連載四作と小説二作は寿命削ったわ。死んだけど」
手癖なのか、何も無い空に無手でペンを走らせる。滑らかな動きは三十年経っていても衰えない。
「アンタら知らんって言うからショックだったんだよ? 心血命注いで作った力作をさ、確かに特定の女子向けとはいえお前らに知らんと言われた創作家の気持ちが分かる? ブッ飛ばすぞっ! って思ったかんな?」
「しょ、しょうがないじゃないですか! 野球漫画しか見ないんですっ!」
手に力がこもるソフィアの機嫌をなだめようとするが、時既に遅し。彼女が触れた木製の長椅子はベキベキと音を立て半分に割れていく。足元を見ると革製のサンダルが半分に裂け始め、露わになってるつま先が地面に触れると床の石畳もパカッと高い音が鳴るとブロック一つが真っ二つに割れる。
(不味い、悪い癖だ!)
普段は彼女は口調も態度も穏やかだが、自分の創作物、創作論を全否定されるのとインクの出ないペン先、そしてサクサクじゃないフルーツタルトの生地に対して暴力的になるきらいがある。
「待ってください! そうだ、うちの新しい隊員がマンガ詳しいんで知ってるはずですよ! ありとあらゆるマイナー作も読むんで!」
今にも建物を崩しそうな振動がピタリと止む。ジロリとハイライトが消えた目で俺を見やると白い歯がにこりと顕になる。
「女? 男? どちらでもない?」
「男っすよ」
「私のは女性向けだから野郎が読んでるわけ無いだろうがッ! このスカポンタンがよォ!」
口調荒く貶してくる。普段は温厚だが自分の創作物に関して少しでも自尊心を傷付けられると手に負えなくなるのは昔からの悪い癖だ。右のふくらはぎに触れた木の椅子がベキっと音を立て半分に割れる。このまま気が高まり過ぎるとこの土地すら半分に割られてしまう。
「いや読むっすよ! 面白いモノなんでも読むタイプなんで!」
興奮したら荒い呼吸が徐々に落ち着き始める。情緒不安定になれど、ファンを大切にするクリエイター魂は持っている。この機に乗じて畳み掛けるしか無い。
「そう、あれっすよ! デビュー作の何でしたっけ?曖昧身魔院ってタイトルの」
「それは私のデビューのペンネームッ! ちっ、処女作とか文法しっちゃかめっちゃかで今思い出すと恥ずかしいわ」
しおらしい態度に変化したのは過去の自分の黒歴史を思い返してるからだろう。先ほどの憤怒した感情は収まりどこか赤面してる雰囲気すらある。
「ふぅ……そいつ、読んでなかったら怒るからね? 担保はそうね、あんたがやろうとしてる例の件にしようかしら?」
「へぇ? どの例の件か分からないっすけど、イイですよ。オッケーす」
ここはあえてしらばっくれる。元よりソフィアには、陽神教には例の件を頼むつもりであったからだ。問題なのは極秘な情報をどう収集されたかではあるが。
「あら殊勝な態度ね。どこから情報入手したか聞かないなんて」
バッチリ心を読まれている。ただでさえ元の世界で世論に生きた証を残した海千山千に経験豊富な人物。そしてこの異世界にて生き馬の目を抜く老獪なモノどもを差し置いて宗教の教祖になった女だ。面構えが違う。
「どうせアイツらでしょう? 聖女直轄部隊の〜……なんでしたっけ?」
「黄昏の聖歌隊。私の為に動き、私の為に戦い、私の為に手を汚す。穢れた死臭を祓う為に浄化の歌を唄う。私だけの直轄部隊。すごいよね、いかにも中学生が考えた設定じゃない?」
「いいじゃないっすかぁ。男心と童心を擽る、僕の足りない頭で考えた浪漫溢るる集団じゃないっすか。俺ならその設定書、焚き付けにして燃やしますけどね」
「殴るぞお前」
度し難いことだ。国家機密を超えた件ですら探れるとは。心を読める奴でもいるのか、この世界ならいてもおかしくは無いが。
「っで、そいつの名前は?」
「名前?」
「暫定読者の名前よ! あんたのとこの新人の!」
鼻息荒くして問いただしてくる。正直驚いた、大国の国家機密の詳細を聞きたがらず、読者一人の方に興味が注がれるとは。既に機密を知ってるからだとしたら厄介だが、今はこのまま話をはぐらかそう。
「ヒノモトハジメですよ。日本って書いてヒノモト。一って書いてハジメっすよ」
「にほんいちって書くのね。ふーん、七十八点かな。面白い名前だけど一度聞けば二度目はインパクト無いわね」
「人の名にケチつけるのはやめた方がいいっすよ? 親に謝った方がええっすよ」
中々危ない話題だ。確かに自分が新隊員の時にパイセンの名札を見た時はビックリしたが、今となっては自然だ。
「そうね。ところでそろそろ本題に入らない? 終末戦争までお茶会するつもりかしら。スコーンは食べれてもフィッシュアンドチップスは嫌よ? インクの味がするから」
「なんすかそれ。知らんすよそのネタ」
「感想よ、ただのね。ちなみに英国で一番美味しいご飯屋は日本のうどんチェーン店よ」
海外旅行したことのない身として今の何が面白いのか分からない。ここで突っ込むとまた話が長くなるので膨らませないようにしようか。
「スパーッ! っと言いますよ?ウチの隊と共同戦線張らないっすか?」
「はぁ? 一応犬猿の仲ってことになってんじゃん私らさ。敵は何?」
驚きながらも話を進めてくれるのはありがたい。無駄な二の句を言わずに済む。
「円の山脈の内側っす。魔王やエルフ、虫人族、そしてオークの残党。彼の地を平定して俺らのモノにしちゃおうって算段なんすわ。奴らに味方する者おらば、諸共討ち果たして丸ごといただきっすよ!」
「うわっ、略奪者じゃん。バイキングかよ」
確かに。だが、考えて見れば元の世界でもいつだって、目的を果たすのに手段を選ばないのが人間だ。ここでもそうなだけで。
「ん? ってことはさ。当面のヤバい敵になりそなのってさ。アイツらじゃん」
僅かにソフィアの肩が小刻みに震える。差し込む七色の光は恐怖すら照らし出す。
「そうっすよ。特別調査対象、ダークエルフのサウス。円の山脈の内地で暴を振るう彼の者をどうにかしないと」
「らでしょ?」
「それは……噂話でしょ?」
ソフィアが言いたいことは分かる。ただその情報は不確定、あまりにも不確定なのである。この世界で最も縁のある人物にすら砂の一粒ほどにも伝えてないのだ。
ツゥっと汗が頬を伝う。この場にいないことが分かっているのに冷や汗が噴き出てくる。モゴモゴと口の中が動き、言い淀んでいると目の前の女性は立ち上がり俺の胸へ小さな拳を突く。
「な〜にビビってんのよ! やるしかもう道はないんでしょ!」
「ソフィア……」
不器用な励まし方に苦笑いをしてしまった。そんなにも情けない顔をしていた自分が恥ずかしい。
(もう、引き返せんところまで来ちゃいましたもんね……)
意を決し、覚悟を決め、言葉を思い決る。
「最重要調査対象、南野武久。三百年以上前から円の山脈の内地に存在すると言われるこの存在と相対する。あ〜あ、言っちまいましたわ……」
かつての上官、信頼と敬意を表す相手への事実上の宣戦布告を神に使えるモノの前で宣言したことにより、胸に黒いモノ浮かび上がるのを感じた。そしてそれをそのままに封じ込めた。