鈴音ハルカSIDE。其の八
カタン、コトン、またカタンっと小気味良い音が室内に鳴る。紡がれる糸がやがて一枚の大きな布生地となり床に置かれた箱へ落ちていく。視界の端に存在するドアの向こうからは独特な匂いが漂う。これは布を染める染料の匂いらしいが、元の世界でもこの世界でも嗅いだことの無いモノに私の嗅覚は興味津々にヒクヒク動く。時折、ジョボジョボと絞られた液体が滴り落ちる音が聞こえてきて耳までピクピクしてしまう。火の魔結晶を組み込んだコンロの上には銅のヤカンはシューシューと蒸気を吹いている。
「おいマールー、お湯が湧いてんぞ!」
私の横で椅子に座り、ダラリとくつろぐサウスさんは奥で作業してる人影に声を投げる。
「うるさいなぁ、サーシャがやってよ。ダラダラしてないでさ!」
言葉を返すと同時に、大きな布切りハサミがジョギリと盛大な音を出す。断ち切られた布を手に持ち現れたのはサウスさんと異なるエルフであった。
淡い金髪に整った顔付き、グリーンの眼はとても綺麗だ。尖った耳はエルフの特徴通りである。そして胸は結構普通だ。むしろ控えめで私の勝ちと言える。
ザッツァ平均的な美男美女エルフ。それが私がマールーさんに抱いた印象だ。
「ほら、サーシャ! 私は仕事で忙しいのだからあなたが客人をもてなしてよ!」
「俺も客だろ?」
「あぁもう! みんなが甘やかすからこんな風になっちゃったのかな?」
「失敬な。甘やかされてないぞ? 奴らが勝手にやってることだ」
「サーシャ! それが甘やかされてんのっ!」
先ほどからサウスさんはサーシャと呼ばれている。仲良いモノ同士があだ名で呼び合う的なやつだろうか。ともかく、短い付き合いとはいえサウスさんがここまで遠慮なく文句言われてるのを見るのは初めてだ。
「めんどくさいなー」
「ほら! エナもアンタを見て笑ってるわよ」
マールーさんがそう言うと、壁に立て掛けていたサウスさんの刀が床に倒れる。鈍い音を立てたそれを拾い、自分が座っていた椅子に載せると褐色の身体を大きく伸ばす。
「しゃあねぇな、怒られちったからもてなすか。ほら何が飲みたい? 紅茶の種類は知らんから適当に言えよ?」
「ウバのミルクティーが飲みたいです! 茶菓子は米軍の人が食べてるチョコレートで!」
「なんだそれ? 無いぞそんなもん。適当に淹れるからな」
私を適当にあしらい、サウスさんは茶器に葉を入れ湯を注ぐ。コポコポと良い音が鳴り、注いだ茶を私達一人一人に自ら歩いて配りにいく。
「職人の工房とはこんな雰囲気なのですね。貴重な代物が所狭しと……」
ザビーの言う通り室内を見れば布の束に高そうな宝石や魔物の角などが分かりやすくタグ付きで整頓されている。壁に掛けられてる工具は金槌やノミ、巨大な鋏などの物々しいモノから精密ドライバーみたいな小さなモノや職人が付けてそうな単眼鏡のゴーグルまである。
「緊張してきた。まさか俺が世を代表する職人と会えるとは」
禿頭のテッドさんはかなり緊張してる。この街の代表である私の兄に会っても緊張しなかったのに、マールーさんに対してカチカチだ。無理もない、言うなればファンと神絵師と交流するようなモノなのだろう。分かる、分からんけど分かるその気持ち。
「すげえな、やっぱマールー作品は最高だぜ! なぁロック!」
「ちょっと! 気安くロックくんの名前を呼ばないでくれる? 怯えるでしょ!
「だ、大丈夫ですハルカさん。スパーダ様、龍との戦いが終わってから少し優しくなってきましたし、今までの事を謝ってもくれましたし」
座った私の腕に包まれた彼は意外にも私に反論する。確かに山を降りる途中も降りてからも、スパーダがロックくんに何かしたのを見ていない。改心したのか。ヤンキー更生物語は嫌いなジャンルなので同担拒否したいが、ここは意見を尊重しよう。私は他人の好きを貶さないオタクなのだ。ただしネトラレ、テメーはダメだ。万死に値する。反論あるならとことんやってやる。やんのかオイって感じだ。
「実るほど頭を垂れる稲穂かなってヤーツ? いや、違う。覆水盆に返らずかな? 今更謝ってもオソイゾーインガオーホってヤツかなー」
「良い言葉だな。エルフの言葉だと落ちた果物は祈れど戻らずって言うんだぜ」
「違うよサーシャ。零れたミルクは嘆いても戻らないよ」
「なんだよ、好き勝手言いやがって。仕方ないだろ? 今まで謝ったことないんだからよ!」
不服そうなスパーダの肩をサウスさんがそっと叩く。目はどことなく優しげだ。
「お前がクズっての短い付き合いでよく分かるし、話を聞くに、その子に散々酷いことしておいて一つ謝ったところでチャラにはならんよ」
もう一度、今度は少し強めに肩を叩いた。
「でも世の中謝ることすらできんクズが多い中、お前は謝れた。意外と出来ないんだぜ? バカはプライド高いからよ、死ぬまで謝らん」
「謝れるクズですね。褒められて良かったじゃんかスパーダ」
褒められてるのか、貶されてるのか。どちらにせよスパーダは悪態を吐きながら満更でも無い様子で椅子に座り、一度だけロックくんを見ると目を逸らして紅茶を飲み始めた。
「さすがサーシャ。経験者が語ると重い言葉になるね」
「おいおい、俺は死の間際に伝えてんぞ。ありがとうってよ」
「なんの話ですか?」
「嬢ちゃんには内緒さ」
グビッとカップのお茶を飲み干すと手近にあったお茶請けの干した果物とナッツを手に取り食べる。ボリボリと鳴る咀嚼音は有料ボイス並みの価値がある。
「んで、マールー。頼んだモノは出来そうか?」
「もちろん! これだけ龍の素材を集めてくれたんだから作れるよ!」
マールーさんは作業台の上に置かれたパンパンに詰まった袋を見る。サウスさんが山の上からえっちらほっちら持ってきた龍を解体した素材達だ。
「でも私も肉食べたかったなー。ほら、思い出さない? アンドリューが作った龍の干し肉ジャーキー。食べると辛いのに、飲み物がウィスキーしか無くてみんなベロンベロンに酔ったことあったよね?」
「ありゃ最悪だった。しかもアイツ謝んなかったしよ! おかげで二日酔いでオークと戦うことになってヤバかったぜ」
「アンドリューのヤツ、途中で寝ちゃってアンタとザラに蹴飛ばされてたよね! エナが止めなきゃもっとポカポカ殴られてたでしょうね」
楽しそうに話す二人。気の置ける友人同士と言うのはこう言うことを言うのか。友達が金より希少な私にとって羨ましい。
「龍素材を使った特注品の着衣。並みの金属の防具より強固で耐久性もバッチリで格式も高い。それを私が丹精込めて作って贈ればどんな身分の人物だろうとイチコロで懐柔よ!」
マールーさんは龍の素材を手に取りウキウキとした表情で木製のマネキンに当てがい線を付ける。私に服を作る知識など無いが、彼女独特な作り方をしてるのだと思う。
「そんな高価なモノを誰に贈るんです?」
「ん? あぁそうだな。教えてやってもいいぜ」
サウスさんは重い素材を自ら運び、職人の手伝いをする。あらかた運び終えると空のティーカップにおかわりを注いで飲み始めた。
「狂魔イーニッドで知られてる魔王なんだが知ってるか? あれ、知らんか? なんだよ知名度無いなアイツ」
「魔王! なんちゅうファンタジー的な響き! えぇ、ルカちゃんも当然大好物ですよ、魔王と勇者!」
魔王という語句が出た後に私は勇者アルベインの方を見る。でも、当の本人はどこ吹く風を装っている。それも当たり前だ、彼は勇者の身分を隠しているのだから。顔面真っ黒メイクはまだ残っている。いつまでやるつもりなのだろうか。
「魔王か。円の山脈の内側には複数の魔王がいると聞くがその一人ということか」
意外にも博識なテッドさんの質問にサウスさんはさらに紅茶を飲み干してから答える。
「パーゲタリィっていう一番デカい国の王だな。今まで何度か戦ってる。十年ちょい前かな? でっけぇ戦争して今もまだ小競り合いはしてる感じだな」
「そこと同盟組もうって話しなのよ。エルフと魔王の同盟。仲良くしようねっていう贈り物をサーシャが集めてきてくれたの」
龍の鱗を手作業で研磨し、翡翠のような美しい色合いを作り上げる。まるで宝石のようにな一品は見るモノを満足させ、女性ならば喉から手が出るほど欲しい欲を刺激する。私は宝石よりもNATO弾の薬莢の方が好きだが。
「だからルチアさんに着替えてもらってるんですね。贈り物のデザインの参考にする為に」
ザビーの言葉に引っ張られ私の目が奥のドアへと続く。あそこで今ルチアさんは生着替えをしてる。部屋の壁やドアが分厚いのか、向こうの声も布が擦れる音も聞こえない。
「引き受けてくれて助かるわ本当に。なんせ龍の素材を鎧にするのはともかくとして、服に加工するなんて久しぶりなのよ。素材も沢山あるしまずは手慣らしに作ってみたいの!」
世界的なデザイナーに服を作ってもらうのを喜ばない女性はいないだろう。だがしかし、生憎ワタクシ鈴音ハルカは女の前にオタクである。せっかくの面白い話を聞かずにいるなんて勿体無い。なのでルチアさんに着せ替え人形になってもらい、私は推しとの会話を楽しむことにした。
「おっ、そうだ。マールー、ついでに刀の手入れもしてくれないか?」
「私はあなたのお母さんじゃ無いのよ? 次は何言うつもりかしら、飯炊け風呂炊け茶を注げって言うつもり?」
皮肉る物言いにサウスさんはどこ吹く風だ。
「持ち手がほつれたから新しくしてくれ。分解は俺がやるからよ」
慣れた動きで刀の柄をバラしていく。紐を解き、トントンっと何か叩くと何かの部品が出てくる。あっという間に外れていき刀身のみが残る。
「手入れならば手伝おうか? 鍛冶屋をやってるモノでな。その剣は気になる」
「であればこのジョンも手伝わせてもらいたいですぞ。サウス殿ほどの怪力無双の力に耐えうる剣、後学の為に見ておきたいですな!」
「あらそう? 整備道具が奥の物置部屋にあってさ、紫色の箱に入ってるから準備してもらっていい?」
マールーさんに勧められ二人は奥の部屋へと移動し、程なくしてゴソゴソと音を立てた。
銃の分解なら大抵のモノが分かるが刀は専門外だ。何してるかよく分からない。なので私は手伝わない。しかしぼんやりと分解作業を眺めていて一つだけ興味をそそるモノを目にした。
「あっ、漢字が彫ってある」
刀身の持ち手部分、普段は柄で隠されてる部位に何やら漢字が刻まれているのを発見した。
「あら、漢字が分かるのね? ってことはアナタは異世界から来た人ね」
「そうなんですよー、漢字が分かるってことはマールーさんも異世界から来た人なんですか?」
これだけ現代的なファッションを作る人だ。文字通り現代の人なのかもしれない。しかし、マールーさんは首を左右に振る。
「違う違う! 知ってるだけよ、伊達に長く生きてるわけじゃ無いのよ?ねぇ、サーシャ」
「そうだな。三百年も生きてりゃ色々と知識を蓄えられるんだぜ?」
確かにファンタジー的な世界観で言えば長命のエルフは知識人なイメージが多い。私も三百年生きていればあらゆるコンテンツを網羅してるだろうし。
「ハルカさん、このカンジってのは何て書いてあるんですか?」
「ん、そんな難しい漢字じゃないよ? 人の名前かなー?」
頼られるとお姉さんぶりたくなってしまう。いけないいけない。私は弾丸に操を立てた女。浮気は良くない。今更だが。
「南野武久と……南野恵奈って書いてあるね。エナさん? タケヒサさん? 誰ですか?」
私が問うとマールーさんは困った顔をする。
「エナってのは私達の仲間よ。元ね……」
含みのある言葉。常人ならばここで察するが、私は土壇場でアクセルベタ踏みする知りたがり女。好奇心は猫をも殺すとの言葉があるが、あいにく私は紅茶を飲む前から頭がキマッちゃっている。
「えっ、喧嘩別れですか?絶交したんですか!?」
サウスさんは無言で葉巻の先端に着火する。家主であるマールさんは静止しようとしたが、手をスッと下げる。
「ハルカ。人には触れられたくないモノがあるんだぜ?」
大気を凍らすが如く冷たく、しかし火山が噴火するかのような熱い血潮を同時に褐色の肌と赤い眼に感じる。空気の読める私だからこそ分かる。今、余計なことを言えば首を刎ねられる。名前を呼ばれたからと浮かれたら死ぬ。
「サーシャ、やめなよ。悪気は無いわ」
静止されると目を背けられ、大きく息を吸い込んでいる。葉巻の全長があっという間に半分になるほどの一息を口に含むと、サウスさんの口からモクモクと煙が吐き出され、ナニカの果物のような甘く熟れた香りが室内に立ち込める。
静寂が流れ、誰も何を喋らない。一秒、十秒、いや、百秒経ったかもしれない。永遠に続くかもしれないと思える緊張感満載の静寂は奥の部屋からドンッと音が鳴ったことにより破られる。
「煙いよ! 臭いからタバコ吸わないで!」
この部屋にいないので空気が全く見えていないルチアさんの言葉を受け、サウスさんはもう一度深く吸い先端をチリチリと焦がすと用意された灰皿に置いて飲み残しの紅茶を掛けて消火する。
「アイツも、エナもタバコ嫌いだったな。みんな嫌いだったか? いや、アンドリューは吸ってたな」
「ザラは途中でやめたよね。妊娠したからだっけ?」
「あぁ、ミアから止められてたな。身重が吸うんじゃないってな。俺も近付くなって言われたよ。副流煙とやらがなんとやらってな」
談笑していくうちにサウスさんの目が優しくなっていく。まるで思い出のアルバムを一つ一つめくるかのように。穏やかな声色だ。
「エナはエルフの鍛冶屋でな。俺の武器を沢山作ってくれたんだ。この刀もそうさ」
刀身だけの刀を愛おしそうに眺める。子を見つめる母が如き目は先ほどの噴火しそうな激情が嘘のように見える。
「百年も前に死んじまってよ。今は思い出の中で生きている」
それ以上は何も言ってくれなかった。人には触れてはならない痛みがあるというが、サウスさんにとってはエナさんという方の喪失がそうなのだろう。ならば聞かずにおこうか。私は感情の機微に繊細な女、メンタルヘルスが真っ赤な相手には気を使う。
「そしたらこのタケヒサさんという方は誰ですか? 日本人? この人も死んだんですか?」
「おまっ、空気読めないのか!?」
スパーダがなんか言ってるが、それはそれ、これはこれ。私の知的好奇心は数度気まずい空気になった程度では邪魔されない。
「南野武久ねぇ……安心しろ、こっちは死んでないさ。でもなんて言えばいいかなー?」
珍しく顎を触りながら言葉を考えている。無意識に葉巻に火をつけようとしたところ、マールーさんに取り上げられしょげた顔をする。
「どこから話すか……いや、話すもんでもないか」
ブツブツと独り言を呟くと考えが纏まったのか、身体を反らして踏ん反り返る。左を上にして組まれた足がセクシャルハラスメントて私の鼻息を荒くし、一つのことを思い出させる。
「南野武久ってのはな? それは……」
「あっ、ちょっとストップ。話長くなりそうですか?ならマールーさんに先に頼みたいことがありまして」
私は手を挙げて話を遮る。
「なんだよ、話の腰を折りやがって。それともあんまりこの話は興味ないか?」
「うーん、そうですねー。刀とか知らないですし、日本人の名前が刻印されてたところで銃にしか興味ないのでどうでもいいです!」
そう言われてしょげているサウスさん。まさか興味が全く持たれなかった事で動揺してるように見える。珍しい、私はそんなにおかしいことを言ったか。
「そうかい。じゃあこの話は聞かなかった事にしろ。もっと楽しい話でもしようじゃないか。俺もこの話はあんまり好きじゃないしよ」
不貞腐れた気配を感じ、口では言いつつなんとなしに残念そうな雰囲気だ。それはさておき、私は当初の目的を達成させたい。悪いが私欲を優先させてもらう。
「さて、マールーさん。ワタクシ鈴音ハルカがここに来た目的はですね……」
ずいっと身を乗り出し、私は話を聞いて紙にメモを取るフリしてずっと描いてた一つの絵を机の上に広げる。
「性癖満載の超ド級で叡智な水着を作ってください!あっ、これ着るの私じゃなくてサウスさんでお願いします。私、指向性散弾並みに背中が曲がって猫背なので」
出した紙に描かれたのはスクール水着にありとあらゆる箇所に無駄なジッパーを取り付けたモノ。特にこだわり抜いたところは会陰部に縦ジッパーがついてるところだ。用途は教えない。
「あっ、表現の自由は十五歳以下立ち入り禁止、義務教育終わってから出直しなレベルで留めてくださいよ。私が社会的にBANされちゃうんでね?」
「……ねぇ、サーシャ。この子なに言ってんの?」
「……俺に聞くな。やっぱり昔話するか?」
「いいです? この背中のジッパーにこだわりがあって開くと肩甲骨の内側の天使の羽ラインがくっきり見えて、お腹のジッパーもこだわってて上下を限界まで開いてもギリギリおへそが見えないんですよ! 見せる、見せないのチラリズムの差が想像を掻き立てるっていうね! わかります? ドゥーユーアンダースタン?」
戸惑う二人のエルフを他所に私は熱弁を振るい、場の空気と紅茶が冷えるまで熱量は引かない。いつしかマールーさんはそっと抜け出してルチアさんの着替えや採寸を手伝い始める。それが終わるまで私は最強のエルフに相手に己のフェチズムを話続けていった。