あと5日。
「籠城戦だ」
噛み潰した幼虫の汁を呑み込み、口内に苦味感を残したまま俺は言い切る。すっかり慣れた虫の味は悲しいことに旨みすら覚えてきた。
「ンホォツ?」
「ワハテ?」
同じように虫をバリバリと食べる人外二人は揃って疑問の声をあげる。
「守るんよ。グロリヤ語だとデェフェンスエ、ベアテテルェって言うんだっけ? つまりこちらから攻めるのは悪手なんだ」
発言をダカが訳し、ゲルダに伝える。するとゲルダは咀嚼中の虫を噴き出す勢いで捲し立てる。
「ンエ、ワォヨ!? サエワォレヅ! ジェウレク! シプアンウリウシシーサホアサクゥン!」
何度も指差し、恐らくだが罵りの言葉を連ねてるのだろう。骨無しチキンとでも言ってそうだ。
「お怒りはもっともだが、玉砕覚悟で突っ込んでも粉砕されるだけだ。もっと頭を使えよ」
「フーッ、フーッ! シャァアアッ!」
猫のような唸り声で威嚇してくるゲルダは置いておいて、俺はダカに意見を求めようと視線を向ける。
「イ、アガロエエ。イ、ワス、アルロエアデヨ。ペルアンインガ、オン、テハァテ」
「うんうん、そのグロリア語は同意だよな?」
同意見であれば助かる。正直ここから説得する流れとかになったら時間が掛かってしまう。奴らは猶予をくれたが守るとは限らないし、俺が考えていることを実行するのには時間と人足が必要となるからだ。
「いいか? 絵を描きながら話してくぞ。絵が下手でも文句を言うなよ?」
日本語で断りを入れてから右手で手頃な木の棒を掴む。
「まず、さっき言ったように正面衝突は馬鹿がやることだ。グロリヤ語でフオォル。お前のことだぞゲルダ?」
棒人間の絵を複数描き互いに向かい合わせ、矢印で交差するようにした。俺の言葉をダカが訳すとまた猫のように威嚇し、拳を背中にお見舞いしてくる。痛みにこらえながらも交差した矢印を棒でぐしゃぐしゃにする。
「んだら、奇襲も無理よ。猪突猛進な奴にはそんな繊細なことは出来ん。お前のことだぜお馬鹿さん」
棒で指差すと馬鹿にされたのかと感じたのか、同じ所を殴られる。
「じゃあ残された手段はなんだと思う? 戦うか逃げるかだ。フィガハテかフルエェって方法だな」
訳され伝えられるとゲルダは間髪入れずに拳を振り上げ咆哮を上げ始めた。うるさい。とてもうるさい。
「こればっかりはゲルダの言う通り。戦うのが正解だ」
「テハエ、ベアテテルエ、イン、テハエ、フオロエステ、アデヴェンテアガエオウス。フオロ、テハエムー」
「うん、そう。逃げた先の森林戦は奴らが有利だ。アデヴェンテアガエオウスって有利の意味だよな?」
断片的にしか言葉が分からないので通じてるのかいまいち分からない。意思疎通が出来ていることを願おう。
「じゃあどう守るかだな。これは簡単だ」
俺は立ち上がり、腰に装備した携帯円匙を組み立て展開すると地面にザックリと突き立てる。ボゴっと捲れた土を足元へ払った。
「塹壕戦だ。第一次世界大戦が泥沼で血みどろの戦いに陥った要因よ」
「ペイテフアルル?」
「ペイテフアルル? 違う、落とし穴って意味じゃ無い。そういやこの世界に塹壕戦って言葉はなかったな」
どうやらこの世界に塹壕戦という概念は存在しないようだ。それもその筈だ、塹壕戦とは遠距離からの銃弾や砲迫、航空機からの爆撃から身を守る為に存在している。戦法として古来より存在したとしても、使用されるたのは近代戦に近くなってからだ。
ならばこそ、奴らエルフにとっても予想外の戦法になるに違いない。未知の戦略とは往々にして優位に事を進められる。
「とにかく穴を掘る。掘って穴と穴を繋げるんだ。交通壕ってのだな。敵から暴露せずに動けるんだ」
「ンホォツ?」
「ワハテ?」
「うーん、そうだな。潜伏だ。待ち伏せ攻撃、隠れるって意味と戦う……アンブッシュだな。フィガハテとアムーベウスハだ。そんでもってよ」
略式的な家の絵を複数描き、その家々を囲むように円を描いた。
「ぐるりとこの村を囲うように掘る。そんでアリの巣のように張り巡らせんだ。人一人が通れるのがやっとな道をよ」
掘った交通壕を通れば敵からの暴露が少なくなり行動を悟られにくい。まだ向こうは飛び道具を使って来てないが、弓などの攻撃も容易に防げる。
「そんでもって……」
「オンエ、オン、オンエ。ワエ、ワイルル、ハアヴェエ 、アデヴェンテアガエオウス」
ダカは指を一つずつ立て、俺が地面に描いた一つの道の所で交差させる。まるで剣を鍔迫り合いさせるように動かすとニッコリ笑った。こちらの意図を汲んでくれたダカに笑顔を返す。
「そう、狭い所で一対一なら勝負になる。数の不利も無くなり身体能力に優るオークに利がある」
「ルッ、ルッ! ジェイシツ、ジェイミープ、エヴェウレ、アツ?」
ぴょんぴょんと飛び、地面の絵を飛び越えるゲルダ。こんな穴なんて余裕で渡れると言いたいのだろう。
地面に転がる他の枝を拾い、積み上げ組み合わせる。簡単で手のひらサイズの柵を作ると絵の場所に置く。
「馬防柵と呼ばれた戦国時代御用達の防御方法だ。この柵を交通壕の穴から内側に設置して飛び越えられんようにする」
元の時代ならば有刺鉄線や鉄条網でも構築したい所だが手持ちに無いモノをねだっても意味がない。今ある物資で活路を見出すのだ。
「さしずめ長篠の戦いってか? 信玄公が相手よりはマシか」
柵や壕、土盛を使って戦うとなると歴史の有名な戦いを思い出すが、厳密にいえば長篠・設楽ヶ原の戦いは武田勝頼である。強い相手が敵という意味では間違い無いが。
「ルゥ……?」
ゲルダがどことなく悲しそうな顔をしている。どうやら俺がやろうとしてる事が分かってしまったようだ。
「そうだ。俺はお前達の故郷を丸ごと、この一戦の為だけの要塞に作り変えようとしてるんだ。勝っても負けてもこの場所はボロボロになる」
この場所に何の郷愁も持たない異世界の人間だから出来る発想だ。
貴方の思い出の場所、家、土地、景色をたった一戦の為だけに潰して使い捨てて良いですか、っと聞かれたらどうだろうか。間違い無く反対するだろう。納得できるものでは無いし、そもそも守ろうとしてる場所を捨てようとは思わないはずだ。
赤の他人だからこそ、この考えに至れる。逆の立場なら怒り狂って発案者を殴り殺してしまうほどの愚策だ。
しかしゲルダは意外にも憤ることなく、ただ頭を抱えて唸っている。頭脳はなくとも、戦士の直感でこの方法でしか戦えないということを感じてるのだろうか。だから今、相反する思考に頭を悩ませてる。
「ベウテ。ヨォウ、カンオワ? ワイルル、ルオスエ」
「ルオスエ……負けるっていったか? そうだな。これだと負けるさ、ジリ貧でな」
あくまでここまでの戦略はまともに戦えるようにしただけだ。以前として数の不利やイカレた二人の対処など問題は山積みだ。特に一番の懸念事項が頭の隅から全く離れない。
「そして奴らに弓や魔法を使われたらもっと負ける」
俺は空動作で弓を引く真似をする。ダカも大きく頷くと二本の両腕を組み、残りの一本で顎を触る。随分と人間らしい考え方をするモノだ。この場で最も人外なのに。
「ペルアン?」
「今のは意見を求めたのか? 俺に打開案があるかってか?」
問われた俺は質問者と同じように腕を組み顎を触り、そして最後に頭を両手で掻き毟ると答えを出す。
「無い! アイディアなんて全く無い、名案は都合良く思いつかないだなこれがよ!」
お手上げなのだ。弓や魔法を使われた時点でほぼ負けが確定する。魔法はともかくとして弓とはそれ程までに戦場において完成した武器なのである。指一本か二本分の刃が同じサイズの刀剣よりも容易く命を奪い去る。それが遠間から雨あられと飛んでくるのだ。こちらも遠距離武器を待たねば反撃も出来ず殺される。
よく創作物語で矢を剣で叩き落とすとかあるが無理だ。飛んでくる蚊を爪楊枝で突き刺せと言ってるモノなのだ。不可能。アサルトライフルの銃弾を刀で弾き返したダークエルフがいるがアレは例外だ。その他は無理である。
「っという訳でまずはやれることからやろう。果報は寝て待てってヤツだ。いや、違うか?」
一人で発し、一人で訂正して乾いた笑いを出す俺に、ダカとゲルダは何とも言えない顔で見つめてる。言わんとすることはよく分かる。けれども思考と言葉を止めてしまうとこのままズルズルと何も対策が出来ぬまま決戦の日を迎えてしまう。
焦り逸る気持ちを抑える為に、俺は異世界産の茶色味がかった色の不味いタバコに火をつけ、煙たい紫煙を森の方向へ向けて吐き出した。