Another empire
去り行く背中を見送り、完全にその姿が消え足音も聞こえなくなった頃に、膝をついて冷や汗をドッと流す。
「隊長! 大丈夫ですか!」
「あぁ、平気だオリバー。緊張が緩んで力が抜けただけだ」
若い兵士、オリバーが肩に手を置き揺すってくる。山の薄い空気と殺気まみれの雰囲気に意識を飲まれかけたが、いくらか頭がハッキリとしてきた。
「隊長、奴はヤバいですぜ。対峙して分かった、反論しただけなのに槍でブッ刺されたような殺気を当ててきやがった!」
「ドルチ、お前程の猛者でもプレッシャーに押されたか。では、この俺が膝をつくのも当然だな」
そんなプレッシャーを眼前に叩きつけられよくあの場で泣いて逃げなかったと自分を褒めてあげたい。
チラッと一人離れたところにいる女兵士に目を配る。顔を隠してて表情は分からないが、飛んでる蝶々に気を取られてる様を見るに俺達と同じ事は考えていなそうだ。
膝に手を付いてゆっくりと立ち上がる。長い髪の毛を触り、金髪の髪が恐怖で白くなってないかを確認した。昔、何かの物語でオバケやら怪物やらに捕まり、食べられてしまう恐怖で髪が白くなった話を見た気がするが、気持ちがよく分かった。
「ドルチ、オリバー申し訳ないが我らの荷物を取りに行ってもらえないか? この通り動くのも大変でな」
「了解しました! ですが、お一人で大丈夫ですか?」
「そこの女に守ってもらうから平気さ」
俺が指差すと熟練兵士であるドルチがあからさまに嫌な顔をする。
「隊長、アイツはなんですか? 急に編成されたと聞きましたが喋らないし協力しないし、急にふらっと居なくなって数日ぶりに何食わぬ顔で合流してきた。兵士としての素質を感じられませんよ!」
熟練兵士らしい言葉だ。コミニュケーション、連携、協調性、そんな言葉が好きなのだろう。それはとても良い事で元の世界においても社会でのチームワークはとても大事だ。
「気にするな。俺の顔を立ててくれ」
納得してなさそうな顔を見せるが、やがて渋々とした様子で離れていく。荷物を隠した場所までは少し遠く、また重量もあるので時間が掛かりそうだ。
後ろ姿が見えなくなるまで見届け、俺は女兵士の元へ向かう。
「お前、ふざけるなよ?」
開口一番。俺は彼女の行動を咎める。怒られた兵士はなんのことか分からないのか、肩をすくめて首を傾げている。
「分からないとでも? お前、あの女に殺気を飛ばしただろ。接触しても刺激はするなと散々言っただろうが!」
バレちまった。っと言わんばかりにこの女はフルフェイスの兜の頬を掻く。そして反論するために俺へと向き直る。
「ちょっと試しただけよ! いや〜、冷えた冷えた、肝がね? 鉈で頭をかち割られたかと思ったよー! もう冷や汗ダラダラだよ? ダーラダラだって!」
言葉の最中、徐ろに兜を取り外して素顔を露わにする。その行動を俺は慌てて静止した。
「バカっ! シーマ! 他の隊員にバレたらどうするんだ!」
俺の前で顕になった顔。水色の髪で長さを肩のところに合わせた女性であった。女の子とも言える見た目でもある。
汗だくの顔をハンカチで拭うと俺の物言いに笑いながら答える。
「バレないって、仮にバレてもよろしくねー、お兄ちゃーん!」
妹の甘え声に俺は肩を落として諦める。これ以上は何を言っても無駄だと、前世も今世も身を持って知ってるからだ。
「まったく、お前はもっと自覚を持て。本来の軍の立場ならお前の方が上になるんだぞ」
「もー、立場とか地位とかって嫌なんだよね! 早く階級上げてよ! 上へ行って私を甘やかしてッ!」
駄々を捏ねる妹に心底呆れてしまう。コイツは今自分が何を言っているのか分かってない。
「お前の上の階級? バカを言うな。お前の上はもう無いんだぞ?」
「へっ? そうなの?」
俺のハンカチで拭き切れて無い場所を拭ってあげ、髪を手櫛で整え見栄えを良くしてあげる。
「そうだよ……頼むから自覚を持ってくれ。お前は帝都三将の、帝国の大将軍の一人だと言うことをっ!」
たなびく髪をそのままに、シーマは俺の顔を見る。我が妹ながら美人ではある。しかし、元の世界やこの世界での素行の不出来さから褒めるに褒めれない。
「おぉー、いつの間にやらそんなに上がったんだ! この世界に来てから早三年。私ってもう大学生ぐらいの年だっけ?」
「お前はまだ十七だろ。全く、しっかりしろッ!」
口では叱りつつも、正直、剣の腕だけは認めている。
九州鹿児島の中学生。名を島津芽衣子。六つ下のやや歳の離れた妹だ。家族の影響で始めた剣道は今や警視庁機動隊所属のこの俺よりも上だ。否、むしろ中学生の時点で警察の寒稽古等に参加し、突き技無しという中学生ルールとはいえ男とも同等以上に渡り合っていた。むしろ全く気後れせず体格も経験も上の相手を技術だけで渡り合っていたのだ。
心、技、体。武道において大事な要素。心は元から強く、技は幼少期から剣道七段の祖父に鍛え上げられ、そしてこの世界に十四歳の年齢で俺と一緒に転生した。
筆舌、口頭、何にしても表せない濃い三年間だ。日本より遥かに治安が悪い世界、生まれてくる時代を間違えたと言われ、鬼島津の再来とまで賞賛された若く才気溢れる剣道家が剣一本で生まれ落ちたとなればどうなるか。その問いは武力を是とする帝国の大将軍の地位に、成人を迎える前に到達してしまったことが答えだ。
成長と実戦によって練り上げられた体はもはや人外の魔物ですら相手にならない。
「それよりお兄ちゃん! 出来たの?」
「ん? あぁ、ダメだったよ。俺の能力、ステータス閲覧は反応しなかった」
質問する妹の手を握るとゲームの画面のような空間が浮かび上がり、何やら数字と文字が羅列される。
この世界に別の人間として転生した際に、いつしか使えるようになっていた力。手が触れた相手の身体能力や技能が見えるという変わった能力であった。特に気にしてはいなかったが、この世界で成長しやがて兵士として仕事をし始めた頃、転移したという妹と再会した際にこの能力名を提案された。なんでも一昔前に流行った異世界モノのテンプレ能力らしい。
「本当に? お兄ちゃんは能力の練度が低いからな〜。使いこなせて無いんじゃない?」
痛い所を突かれてしまった。この能力は当たりだと妹は喜んでいたのだが、こういったスキルは鍛錬によって伸びるらしい。故にこの能力を使ってこなかった俺はステータスが見えるとはいっても相手の身体に三秒以上触れないと使えない。実戦はおろか日常生活にも活かしにくい。
「うーん、反論できない。でも一つ気になるのがあったんだ」
「気になる事?」
「あぁ、ステータス覗いた時にな。数字は無かったが一文だけ書かれていたんだ」
できるだけ思い出して、っとまで振り返らない。何故ならその文はパソコンが苦手な俺ですら見た事があったからだ。
「深刻なエラーが発生しました。ってな」
「へぇ〜、変なのが出るんだね?」
「そう、こんなこと初めてだ」
使ってこなかったとは言ったが、この異世界人生において重要な局面では使ってきている。路地裏の乞食でも貴族の令嬢でも極悪な犯罪者でも、それこそ国の将軍や異世界から来た者達であってもだ。魔物だろうと亜人であろうと同じだ。
しかし、あの女。サウスはこの世界のどんな生物でも出なかったエラーという単語が出現した。これはどういうことなのだろうか。
「うんうん、まぁまぁ、お兄ちゃんの能力はそんな頼ってないから大丈夫。本命は私でしょ?」
言い方にトゲがあり引っ掛かるが妹の意見の方が正しい。
「あぁそうだ。お前の能力で帝国に敵対するモノ達の情報を引き出す。それが我々の任務だからな」
「うん、そだね。さて、結果は見てのお楽しみだよ」
妹は右腕を真っ直ぐに伸ばし、手の平を上に向ける。そして何度か握りを確かめるとおもむろにいくつかの呪文を唱える。
「……出でよ、プシューケー。我が声に応えよ!」
最後に凛々しい声で手に向かって呼び掛けると、手の平にまるで虫の繭のような、細い糸で形成された卵が出現する。卵の上部分が解けるように割れ、中からは極彩色の蝶の羽を持つ綺麗で小さな鳥が現れる。
「さぁ、プーちゃん! 私に情報を教えて!」
手の平の鳥へさらに呼び掛けると、プーちゃんと呼ばれた鳥は頭から虫が吐き出すような糸を生み出し、それらは妹の頭にくっ付いていく。
「ふむふむ。ほうほう、なるほどなるほど!」
ひたすら相槌を打っている。周りから見れば、手に虫とも鳥とも付かない生物を乗せて独り言を呟く危ないヤツだが、事情を知っている私から見れば問題のある姿ではない。
この鳥虫はプシューケーと呼ばれる精霊だ。戦闘能力は高くないが、特殊な能力を持っている。
我が妹はいわゆる精霊使い。ゲームに疎い俺でも召喚術とか言われれば流石に分かる。
そう。シーマは、この子は持ち前の剣術と精霊を駆使した戦闘スタイルによって帝国の大将軍の位置に値するまで武功を挙げたのだ。
多種多様な精霊がこの異世界に存在するが、プシューケーの能力はなんなのか。それは接触した相手の心を読むのと相手のステータスや状態を確認でき、その事象を術者と共有できる。つまり、後半は俺と同じだ。全く同じだからこそ、やる意味があるのだ。
「オッケー! 完了ッ! バッチリさんよ」
こちらに向け親指を立てて一仕事した感を見せる。お前は聞いていただけだろうに。っと言いたいが口には出さないでおこう。
「さて、では我らの仮説の証明。ダークエルフのサウス。彼女の秘密を明かそうか」
「うん! まずは……」
互いに指を一本立てる。
「奴にスキル。つまり異世界から来た者達の能力は一切効かない」
「ステータス閲覧が効かなかった事が証明だ。ここから仮説其の一だな」
妹は大きく頷く。
「ならば、この世界の魔法はどうか? その答えは……」
クルルっと鳥と蝶の半妖のような精霊が鳴く。
「効く。遠目に見ていたから分かりにくかったけど、あの王国の勇者の魔法を封魔石の剣で防いだのが証拠。だって効かないなら防御する必要ないじゃん」
「その通り」
同意をして続きを促す。
「ならばステータス閲覧や心読みに類似する魔法はどうか。結果はどうだ?」
「バッチリ効果ありッ! っと言いたいところだけど……」
言い淀む妹は慰めるように精霊を撫でる。まるで愛玩動物のような可愛さがあるが、これでも精霊なのだから驚きだ。
「なんだろう、プロテクトが掛けられてるみたいに、全部は見れなかったね。精霊の力を持ってしてもさー」
「プロテクト? どういうことだ?」
「なんかね、文字の羅列が壁みたいに立ちはだかってるのよ。それ以上踏み込めないようにさ」
パソコンで言うところのファイヤーウォールみたいなモノだろうか。外部からのアクセスを排除するためのセキュリティをあの女は心に掛けてるということだろう。
「厄介な事この上ない。身体だけでなく心まで隙が無いとは。本当に化け物なんだな」
こちらの仮説通り、魔法が効いたとはいえ効果が薄いとなるとまた新たな方法を考えなければならない。我らの標的となる人物は数多にいるというのに、頭が痛い話だ。
「だね〜。あーあ、こんな事なら外国語とかもっと勉強しておけば良かったよー!」
妹は興味深いことを口にしだした。
「外国語? 一体どうしたんだ? ソレがどうかしたのか?」
いきなり訳が分からない事を言い出す妹に俺は疑問を投げ掛ける。
「ん? 言ったじゃん、言葉の羅列だって。あれは多分わたし達の世界の言葉だよ。アルファベットとかハングルとか」
「はぁ!?」
「ていうか多分、元の世界の言語と文字が殆どあった思う。見たことあるけど読めないの沢山種類あったし〜」
「なにぃ!?」
訳の分からない発言につい大声を上げてしまう。
「あっ、日本語もあったよ! 全部は読めなかったけどね」
一度大きく深呼吸をする。混乱した頭に酸素を送り、頭の中を落ち着かせる。
「待て、色々言いたいが……まずは一つ。なんて書いてあった?」
多量の酸素により落ち着いたが、まだ情報を詰め込めるほど容量が余ってない。一つずつ、少しずつ、咀嚼して胸の内に落とさなければならない。
妹は髪の毛を弄り、毛先をクルクルと回して頭を整理させる。幼き頃からの考え事がある時の癖だ。勉強に行き詰まるとよくコレをする。
「えっとね、日本語で【誰もお前を祝福しない】って書いてあったよ」
「……一体どういう意味だ?」
「私に聞かれても分かんないよ?」
書いてあった文言は気になるが、この謎は今考えても解けそうにない。しかし、逆に解かれた謎がここで出てくる。
「でもアレだな。この世界では無く、元の世界の言葉が書いてあったということは確定的な証拠だ」
この世界に生まれた人が何かの偶然で元の世界と同じ文字を使う。ただの偶然という言葉で済ませるには確率が天文学的数字だ。転生者が魔法障壁の呪文に異世界言語を使ってると考えた方が自然だ。
ダークエルフのサウスは異世界転生者で間違い無い。それが俺の見解だ。
「いんや〜、違うよ?」
意見を真っ向から否定される。首を左右に振る妹はやたら含みのある笑みを浮かべている。俺が訝しげな顔をしてると続きの言葉を口にする。
「私のプーちゃんの能力って王国の転生者の解析スキルと違って、現在の事実しか解析できないのよ。あっちは将来的にどうなるかまで分かるらしいけど、こっちは無理」
つまり、現在の事象、もしくは過去しか解析出来ないこちらと違い、あちらは予測的な変化いわゆる成長曲線を加味した変化を見れるという訳だ。つまり向こうのほうが同じ解析能力でも上位互換である。事実は事実としか判別できない我らとは違い。
「でも、過去を探る点においては一級品モノなのね。そんでもって言わせてもらうけどさ」
妹は精霊の頭を撫で、愛おしそうに身体を自身へ寄せる。
「あの女自身、転生者じゃないのよ。驚異的な身体能力も、鋼の肉体も、異常な程の戦闘スキルも。全てが本人の元からの素質。混じりっ気無しなのよ。神のご加護がなーし! チートなんて無かんじゃ!」
何故、最後をあつらえたかのような薩摩弁で話したのか分からないが、俺の頭は妹の言葉を反芻し脳に落とし込む。
「……となれば、あと考えられるのは一つ。異世界から来た他のモノにナニカをやられたか」
「うん、そだね。もしくはそれ以外のナニカとか?」
「それ以外?」
プーちゃんと呼ばれた精霊が光に包まれ、どこへ行くも無くその場で消える。妹は、シーマは空いた手でフルフェイスの兜を被り直すとこちらへ向き直る。
「神様とか?」
それだけ言うと、シーマはドスンっと地面へ座り込む。砂埃が舞うのを目で追うと、視界の端に部下達が大荷物を背負い向かって来てるのが見えた。
「これ以上の議論は時間の無駄か」
ここから先の論議は我らのような兵士が行うモノじゃ無い。学者とか知恵、知識のあるモノ達に任せれば良い。帝都に戻れば帝国学術院と呼ばれる権威のある研究機関もある。そこに今回の成果を報告すれば、あとはお利口さん達がなんとかしてくれるだろう。
それよりも、この場に帝国大将軍が呑気にしてるのがバレる方が問題だ。国際的にも帝国的にも大問題になってしまう。
俺はこちらに走って来る部下達に敢えて見えるように将軍を叱る。小突いて地面から立たせる姿は周りの目からどう見えただろうか。少なくとも自分としては兄が妹を躾けるようにやったつもりだ。
「痛いよ、やめてよお兄ちゃーん!」
文句を言う妹を他所に俺はダークエルフ達が去った方向をただただ見つめていた。