七日後
顔を見れば見るほど、サウスとこのダークエルフは違う。顔付き体格、髪の長さとか見た目的な話だけでは無い。物腰、佇まい、雰囲気、そういったモノがまるっきり違う。この女が戦ってる姿は見てないが、サウスの野生的で暴力的な武力の雰囲気を感じ取れない。どちらかといえば、騎士リーファのように礼節と力を兼ね備えてる印象だ。だからと言って高潔な騎士っという感じでも無い。そう、言うなれば歴戦の戦士。その表現が的確だ。
「……厄介そうだ」
沈黙の中、ボソリとこぼす。ただでさえ窮地なのに困難な理由ばかり見つかる。
もう一人の美女を見ると視線に気が付いたのかニッコリと笑い手を小さく振ってくる。もちろん、知り合いでは無い。日傘を差した姿と青っ白い皮膚から箱入りお嬢様っぽく見えるが、言葉を発したり、足を少し動かしたりしただけで指がかすかに動く。もっといえば顔も目も笑っているが、心の底の警戒心がビンビンに最大値なのが所作で分かる。
呼びかけに応え現れたこの集団、特にこの二人。明らかに格上だ。俺の仲間の中で最も強い、勇者アルベインを引き合いに出しても全く劣らない。寧ろ上回っているのでは無いか。
「ザラ。スハァルル、イ、テアルカ、テオ、ハイムー?」
いっそのこと全力疾走で脱兎の如く散り散りに駆け抜けようかと考えた時、日傘を差した美女がダークエルフへ話しかける。思わず耳を傾けるが何言ってるかよく聞こえない。もう少し聞きたくて身を前に乗り出した際、美女が俺に向けて声を掛けてきた。
「ヨォウ、グロリヤン?」
声掛けに身体がビクッと強張る。考えがバレたのかと思いヒヤヒヤしたが、美女の綺麗な声に俺の耳は緊張感を無くす。
「……そうだ。いや、違う。ヨェス。ヨェスグロリヤン」
なんで答えるか迷ったが、コイツらがグロリヤ語を喋っている以上、王国の人間と答えても悪い意味にはならないだろう。
「フ〜ン。ヨォウ、カンォワ、アンドリュー?」
「知ってるって聞いたのか? アンドリューってのを?」
なんだアンドリューって。人の名前だとは思うが、まさか地名とか代名詞なのか。アンドリュー地方とか変態の代名詞がアンドリューみたいな。
「誰だアンドリューって。安藤竜って日本人か?」
「ンー、ワハテ? ニホンズィン? フーン……」
今の質問はなんだったんだろう。このエルフ達の思考は俺には分からない。
「ミア。ワハテ、デオ、ヨォウ、テハインカ、オフ、テハイス、ガウヨ?」
「ヨエアハ、イ、デオンテ、テハインカ、テハエヨロエ、エンエムーイエス。イルル、テアルカ、テオ、ハイムー、スオムーエ、ムーオロエ」
「ハウロロヨ、ウペ。クチナシ、ハナナシ、アロエ、オン、テハエ、ワアロペアテハ」
ダークエルフの口からイカレ二人の名前が出たのでそっと振り返ると、待てをされた大型犬のように荒い吐息と血走った目で俺達を見ている。
視線を戻すと日傘の美女がこちらへ歩いてくる。白い傘に衣服は白いワンピース。肌と併せて全てが白く髪の色まで白い。目だけが鮮血のように赤い。まるでアルビノの猫のような神秘的と童心を両立させた存在に俺は半歩下がってしまう。
「ステオペ、ミア。デオンテ、ガエ、シルオスエ!」
近付いて来る美女にダカは声を荒げる。イカレエルフ達もそうだがこのミアと呼ばれる美女とも知り合いなのだろうか。ということはあの短髪のダークエルフとも知り合いでありそうだ。
「ロエルアズ、ダカ。イ、ジェウステ、ワアンテ、テオ、テアルカ、テオ、テハエ、ガウヨ」
「ミア、ヨォウ、デオ、ワハアテエヴェエロ、ヨォウ、ワアンテ……」
「ガエテ、オウテ。ケイルル、テハアテ、オロシ。ンオワ」
何やら殺すとか物騒な意味の単語が聞こえてきた。スラングかなんかであって欲しい。少なくとも俺を殺すの意味でないことを願う。
ミアという名の美女はズンズンと歩いて迫り来て、ついには互いの手を伸ばせば届き合う距離にまで来てしまった。ダカは相変わらず警戒心を最大限に高くしており、ゲルダも警戒している。勿論俺もだ。しかし、このミアだけは日傘をクルクルと回して無邪気に笑っている。下校途中の小学生がおニューの傘を自慢するように見せびらかす。
そして警戒する俺へ、ナニカ喋るためにゆっくりと口が開く。開かれた口には異様に長い犬歯が生えていた。
「ニホンジン。アンタ、ニホンジンダロ? ワタシハ、ミア。ハナソウジャナイカ。ネェ?」
「……はぁっ? アンタ今、日本語をっ!?」
前触れも無く耳にした日本語に俺は放心してしまう。持っていた槍も落とし、ふらふらと彼女の前に吸い込まれるように足が進む。まるで自分の手足ではないように。
「ハジメッ!?」
「ヒオオトッ!?」
返事をしてから操られたように進む手足。俺の意思を全く受け付けずに小さく前へと歩み出す。左、右、左、右と足は交互に進む。
互いの息が掛かるところまで迫り、互いの表情もよく分かるだろう。日傘の内側に入り、狭い空間の中でミアの顔が俺の胸の高さにある。
「アレエ、ヨォウ、ルアデヨ?」
何か言われたが頭の中で翻訳も考えられないし、手も動かせない。ついでに声もでない。出そうとしても口をパクパクと餌を求める金魚のようにしか動かない。
そっと、ミアの顔が俺の顔に迫る。長いまつ毛、綺麗な赤いお目々、白い肌、甘さすら感じる吐息。全てが男の劣情を誘う。そして最後に開かれた口、夏の爽やかさすら感じる白い歯並びに不釣り合いな程、血の気配を感じる犬歯が俺の首元に迫る。
(吸血鬼……?)
頭の中で考えられたのはそれだけだ。
ガチンッ。っと強く噛み締める音が俺の左耳に響く。まるで怒ったチワワのように強く噛んで来たミア。その顔は俺が後ろに引っ張られることにより遠のく。
(うぉっとっ!?)
急に引っ張られてよろけてしまうと同時に、後頭部に柔らかいモノが当たる。ポヨンと跳ねた頭を振り返らせるとそこにあったのはふくよかな胸と般若も真っ青になる程の憤怒顔のゲルダであった。
「アヅアエツ!」
「ぶへぇっ!?」
左頬に衝撃が走り、視界が一回転して周囲の森がぐるりと回って草の緑と地面の茶が最後に視界に映る。一瞬のことで分からなかったが、ゲルダに強烈なビンタを喰らわされたらしい。ガクガク震える足を両手で押さえて無理やり起き上がる。
「イッテェな馬鹿野郎! 殺す気かっ!」
「シホイツ、イプ! ヨェイ、ワウアレヅ!」
互いに胸ぐらを掴み合いグイッと寄せる。俺が万力のような力を込めるとゲルダも負けずに力を入れて来る。
「アペペアロロエデ……ヨォウ、ムーアン。アレエ、ヨォウ、デオインガ?」
「なんだよダカ? ムーアンってそれ男の意味だよな? そうだよ、俺は男だよ!」
美女に顔の近くまで迫られて、鼻の下を伸ばさない男はおらんだろう。さしずめ今のビンタはヘンタイっという言葉を肉体で表したってことだ。
「ハウハ!? ンイシエ、ワオロカ!」
ミアが驚いたように口元を押さえる。指の隙間から漏れるのはカタコトの日本語では無く流暢なグロリヤ語だ。さっきの日本語は魔法の幻聴かなにかだったのだろうか。狐につままれるとはこの事か。
「日本語は幻術かなんかか? 悲しいことだが破らせてもらったぜ。なぁ、吸血鬼っぽい歯の美人さんよ!」
気付けば俺の身体は四肢末端に至るまで力が入っている。ゲルダの激が効いたようだ。殴られた痛みで足腰はブルブルと震えているが精一杯の虚勢を張る。
森の中は先程までの喧騒が嘘のように静かになる。鳥の鳴き声すら聞こえない程に、耳鳴りがするのではないかと思えるほど静かだ。嵐の前の静かさとはこのことを言うのだろうと思える。無意識に腕が力む。周囲を武装した集団が囲むこの状況、誰の動きが戦闘開始の合図となるか分からない。
「ステオペ」
俺を含め全てのモノがビクリと反応する。短髪のダークエルフの短く威圧的な言葉は鋭い刃物のように耳に刺さる。一歩、二歩と足音が鳴るたびに緊張感が比例して上がる。あのサウスと同じように、強さの擬人化が目の前にいるかのようなプレッシャーを感じてしまう。
分かる。ダークエルフという種族を他に見たことないが、今まで出会ったこの二人が異常なのだ。虎は元々強いが猫のままで虎より強く育った個体がコレらなのだ。
「特異個体ってやつか」
幻想調査隊の長であるウェスタが決めた制度、成程と理解できる。こんなヤバい奴がいたらそんな仕組みを作るのは。ファムや魔物のような存在だけが該当する訳では無く人やエルフであっても当てはまるというわけだ。
「イテ、ワオウルデ、ベエ、エアスヨ、テオ、スルアヨ、テハエムー、アルル、ロイガハテ、ハエロエ、アンデ、ンオワ。ベウテ、イ、ワオンテ。デオ、ヨォウ、カンオワ、ワハヨ? ダカ?」
「……ザラ……」
今のザラって言葉は恐らく名前だ。ミアという吸血鬼っぽい女もその名を口にしていた。ダークエルフのザラ。全く聞いたことが無い。ひとまずサウスが雰囲気を変えて変装した姿では無くて一安心する。
「テハエ、ペウロペオスエ、イス、テロアインインガ。テハエロエス、ンオ、ペオインテ、イン、ムーエ、ムーエススインガ、イテ、ウペ」
「テロアインインガ? 訓練って意味か。ってことはマジかよ、お前ら練兵目的でこんなに風に虐殺したのかよ!」
憤りを隠さず強い言葉を吐くが、相手は全く気にしていない。まるで無視をしてダカとの会話を続けている。
「ンオテ、テオ、フイガハテ、テオデオヨ。テハエ、スエヴェンテハデアヨ。ワエ、ワイルル、アテテアシカ、ヨォウ、ヴェイルルアガエ」
「七日後? 襲う? ……一週間後に攻めてくるってか!」
「ッ!? フゥッシケッ!」
「ヨォウ、シアンテ、ロウン、アワアヨ、フロオムー、イテ! ハッハッハ!」
今の単語、憤るダカに笑うミア、周りのエルフ達のテンションの上がる様。全てを判断するに確定で七日後にお前らを皆殺しにすると言ったのだ。
「ザラッ!」
「エンジェオヨ、テハエ、スエヴェンデアヨ、オフ、ルイフエ!」
踵を返すとザラは森へ歩き、深い木々の中に消えていく。
エルフ達はザラの発言を聞いた後、騒がしさも静けさも無く、波が引くように去って行った。この場を死なずに切り抜けられたことに俺は安堵し力が抜け、膝をついてしまう。
「ハジメェ……」
横に立ち不安そうにするゲルダ。ゴツゴツとした手を下からそっと握ってあげる。太さ、硬さ、強靭さ、俺よりも遥かに逞しい腕が震えている。
(守らねば、護ってやらないと……ッ!)
沸々と湧いてくるこの気持ち。一宿一飯、いや二飯の恩義ではない。今俺が立ち上がらなければこの見知った彼女らはエルフ達に殺されてしまう。知らぬ土地で知らぬモノ同士が勝手に殺し合うのは構わない。だがしかし、細く弱くても出来た繋がりを無下にするようなヒトデナシでは無い。
「……やってやるぜ」
溢れ出た守護心の赴くままに、立ち上がり彼女達を見つめた。