えげつない行い
地面に脚を着く度に泥が跳ね足元を汚す。付着した泥の水分が服に浸透する前に、風に押されて後ろへ飛ぶ。木の幹に脚が触れると樹皮の欠片がぱらりと剥がれ、遥か彼方の後方で地面に力無く落ちる。
時折り大きく跳躍すると高い木の葉っぱ達が鋭利な刃物のように迫るが、二本の片手から繰り出される斬撃が自然の刃を討ち果たす。遅れて落ちた枝葉が俺の前腕に当たると確かな痛みだけ与え、地面へと向かい役目を無意味な役目を終える。
疾風迅雷、電光石火、韋駄天走。速さを表す四字熟語は枚挙に暇が無いほど多いが、そのどれもこれもが疾走するダカの動きの形容に相応しい。
地を跳ね岩を越え木々を乗り越える機動力は平地の馬どころか現代の機動偵察隊のバイクにも引けを取らないと見える。
もちろん、整地された直線でのスピードであれば馬の脚力や、ガソリンとピストンの産物である現代エンジンに軍配が上がるが、ここは未開の森の中。未整地の悪路において複数の手脚は二本の脚やタイヤを優に上回る機動力を持つ。
「はんやっ! 速い! 速いっつーの! つ、捕まってんので精一杯だ……」
「ルッ! ゴェ! ゴェ! ダガッ!」
邪な気持ちが一切無いことを前提にいうが、今俺はゲルダの逞しく割れた腹筋に両手でガッチリと前から抱き付く形になっている。オークの集落から出たタイミングで急加速され大きくバランスを崩してしまい、気付けばこの形になってしまったのだ。
バキバキの腹筋としなやかな背筋に側頭部を両方からサンドイッチされてる状況だ。はたから見れば人外美女二人の間に挟まる男なのだが、ガチガチの腹筋に昆虫の外殻のような背中に挟まれた俺はくるみ割り人形の胡桃の気分を理解しかけている。頭がパッカーンとなりそうだ。
あれよあれよとあっという間に、視界の端に映る景色は後方へと過ぎ去っていき、そろそろ俺のこみかみが大根おろしになりかけた所で急制動が掛かる。
「ダガ、ヒエレゥシツ、ヒアウリヅ。ル……」
「ヒィッサカッ!」
頭の上での短い会話が終わり、俺は六つに割れた板チョコの様な腹筋からようやく解放される。そして前方を確認すると目に映る景色に俺は言葉を失う。
「ホゥヨ! オリエ、ヨエイ、オリヴェウ?」
「リアヴィンゴ、 ツホアンゴシ、レウシプエンヅ!」
ゲルダとダカの声が怒りと悲痛が混じった声。血溜まりと肉片、そして物言わぬ複数のオークの身体が散乱する現場に直面する。
「コイツはヒドイな、ミンチじゃねぇか……」
一番近くに倒れていたオークの身体を改める。喉を鋭利なモノで突かれたような傷。それだけで致命傷なのに頭や背中に肉厚な刃を叩きつけられたような裂傷が幾つもある。頭の後ろをみると酷く陥没しており鈍器で殴られた跡が伺える。
「えげつねぇな」
木の幹にもたれかかるように重なった二人のオークは両耳と手の指がすべて切り取られている。顔を確認すると両目がくり抜かれ空洞となり、虚空を見つめていた。
凄惨な現場に思わず吐き気を催すが、彼女らが懸命に生存者を探してるの自分だけへこたれてる訳にはいかないと踏みとどまる。
「人じゃねぇ、これをやった奴は人じゃねぇッ!」
木の上に吊るされてるのは小柄な子供のオーク。子を殺す非道も唾棄すべき行為だが、さらに非道なのは木に吊らせたロープの素材が、母親と思われる女オークの一部あった事だ。臓物を臍の緒のようにお腹に繋げたまま、幼子の首と足を絞めて逆さに吊るしている。元の顔付きは魔法都市で会った時のゲルダのように可愛らしかったであろうが、元の原型を留めない程、ぐちゃぐちゃに腫れている。
「酷いことを……」
魔法都市においてエルフに対するオークの非道な歴史や行いを聞いているので怒りは分かる。しかし、俺が見た限りここまでの扱いをされる必要があるのか甚だ疑問だ。怨嗟や遺恨がいくらあろうと非戦闘員である幼児まで虐殺するのは倫理観から離れすぎている。
ひとまず剣を抜いて幼子に巻き付く臓腑を切り、亡骸を縛りから解放する。
「ルー……ヅォウヅ」
悲しそうな声が物言わぬ死体に掛けられる。こんな時にどんな言葉を掛ければよいか。死体の山に立ち会ったのは昨日今日で二回目だがまだ勝手が分からない。
助けに向かった先で仲間が全滅してる事実に気を落とす二人と俺。ふと、視界の隅でナニカが動くのが見えた。
「オイ! 動いたぞ!」
モゾモゾと比較的綺麗なオークの身体が動く。うつ伏せのままだが確かに手が僅かに動いてる。
「ルッ! オリヴェオ! オリヴェオ?」
生存者を見つけた嬉しさからゲルダの語尾が上がる。急足で向かい、膝を着いて倒れたオークの身体に触る。
「オリヴェオ? ワオアツ! ゲルダ!」
ダカが叫ぶのとゲルダの太い腕がオークの身体を抱き上げたのは同時だった。
ぐるっと回して正面の顔。口から下、首の前側まで深く抉られ既に呼吸は止まり濁った目が地面を向く。乾き始めた血は独特の粘りがあり、ゲルダの太い前腕に赤い筋を残す。このオークは既に命を終わらされた後だ。
「ツレオプ! リィン、オワオヨ! ゲルダ!」
「ッ!? ヤベェ! これは罠だ、逃げろゲルダ!」
声よりも早く状況は動く。顎無しオークのすぐ真横の茂みがゴソッと大きく動く。
「キャイイイッッ!」
奇声と共に鋭い剣が飛び出し、抱えていた亡骸を庇うよう身を逸らした身体に向け刃が突かれ、迫る。
「グっ……!」
すんでのところを掠めた剣は髪の毛数本を切り離す程度で終わる。だが、返す刀がゲルダの頭を叩き割ろうと振り下ろされる。
「あぶぅッッねぇだろがっ!」
俺は咄嗟に抜いていた剣を思い切り投げる。技術もへったくれも無い投擲は不安定な回転をして襲撃者の頭にゴツンっと当たり、めり込んだ剣の柄が襲撃者の整った顔を潰す。尖った耳が地面に当たって折れ曲がり、綺麗な金茶の髪色が土色に少し滲む。
「んえっ!? まさか、エルフっ!?」
ゲルダを襲った相手の正体。それは耳が長く、鼻も高く、目も若干大きく、そして肌は白く明るく、髪は金寄りの茶色っぽく。詰まるところ美形寄りの造形な顔付き。魔法都市で出会ったラルクの雰囲気を変えて大人にしたような姿の戦士がいた。
「お前ら本当にエルフと、あのサウスと戦争してんのかよ!?」
できれば翻訳の聞き間違いであって欲しかった。もしくは昔は戦ってたが今は違う〜って事を想像したかった。そんな幻想は全く無く、ダカの話の通りなら少なくとも十三年間も戦いを続けていたと言うわけだ。そして今日も戦争をしているのだ。
「ンーッヅ!!」
ゲルダが低い声で雄叫びを上げ、振り上げた拳を叩きつける。俺がノックダウンさせたエルフの頭はミカンを押し潰すよりも抵抗感なく、ぐしゃりと潰れて形が無くなる。残った身体が一瞬ビクッと動くがそれっきり微動だにしない。
「クッソっ! あの女に俺は無関係って大嘘ついたら許してくれっかな? 馬鹿か、無理だろ!」
自分で自分に阿呆なツッコミをいれる。
たった今、明確にあのサウスと敵対関係に陥ってしまった事を理解してしまった。
魔法都市や円の山脈で戦った時は恐らく敵としてまでは認識されて無かったと思う。食事時に邪魔な蝿を箸で追い払うが如し、ただ目的のモノを倒すついでに遊んでいた。そうでなければ、あの残虐な行為をした奴が俺を殺さず、あまつさえ助けに来ることはありえなかった。
そう、あの時にアキラメルナっと声を掛けた顔。思わず俺が最も頼るあの人を思い浮かべてしまうほどに、諦めかけた精神を持ち直してくれる姿であったのだ。
それと完璧に敵対してしまった。この異世界にて地上最強の戦士、相対すれば即ち死に繋がる化け物とだ。
「ルーっ!! ハジメっ!」
思考と後悔の沼に陥りかけた俺の頭をゲルダの声が引きずり上げる。
「フシュルルル……ッ!」
慌てて周りを見れば剣を構えたエルフが数人、こちらを囲んでいる。全ての顔が男女問わず美形だが目には殺気が満ち満ちている。
どう考えても、これからお茶を飲んで優雅なティータイムを楽しみましょう。スコーンを添えて。っと言われる面構えと雰囲気でないのは確かだ。どこぞの戦国時代の第六天魔王よろしく、刈り取った頭蓋骨を装飾して酒の肴にするって顔だ。
「ちくしょうっ! もういい、やってやる! やらなきゃ死ぬんだろ? 今ここでよ!? やってやラァっ!!」
半ばヤケクソ気味に俺は死んだオークから棍棒を拾い上げ、野球の四番バッターのようにどっしりと構える。
ここまで来たらヤリきるしかない。半端に動けば死ぬし、ここで裏切ってエルフ側に付くような恥も外聞も無い人間でもない。
そうであるならば、この南野の名を持つゲルダの謎が解けるまで戦い尽くしてやる。せめてタケさんの情報の一つを手に入れ無ければ死んでも死に切れない。それだけ思うと武器を構えて敵の集団に雄叫びを上げて突っ込んでいった。