メンター
処理が甘い革製品の不快な臭いが目を刺激する。金槌を叩く音が鼻を抜けて地に張り付く。舞った木屑のカスが皮膚に触れると口の中にシナモンの味が蘇る。
「みなみの、ミナミノ、南野……」
五感があべこべになるのをいとわない程に、俺は一つ文言に夢中になる。
「ルッ? ヅゥンツ、ミーゥヴェウ」
目の前でゲルダと名乗った女オークの胸が左右に揺れるのに合わせて思考も揺れる。
「ミナミノ、みなみの、聞き間違いじゃ無いよな?」
「ルー、オブウイツ、ツホアシ、ミーイサホ」
木製の椅子にテーブル、部屋の端に鎧立て、部屋の隅に雑に投げ出された剣や斧、大きなハンマー。革を基調とした帽子や木材を組み合わせた兜、獣の皮を木の板に鋲で打ちつけただけの盾。この雑多な雰囲気のある場所は、粗末な作りの武具で満たされており、おそらくこの集落の武具庫であろう。
「ミーイサホ!」
身体に長方形の鉄板を縫い合わせた革の胸当てをあてがわれる。革製品独特の質感に肌が反応する。
「南野武久。タケさんだよな? 南野って。まさかこの集落にいるのか? オークの?」
散らかった空間も、肌に密着する感覚も、ゲルダの鼻の先端が互いにツンっと触れても思考はそれ一色で変わらない。
「オークに転生してんのか? いや、元から顔怖いし違和感は無いか」
目を瞑って記憶を振り返る。インテリヤクザよろしくな顔が脳裏を過ぎる。
真夏の訓練、服装がだらしないと頭をヘルメットごと蹴られ首がムチウチしたこと。腕相撲大会をしたときに叩きつけられて手の甲の骨にヒビが入ったこと。足払いを受けたらグレープフルーツでも埋め込んだのかと思える程にふくらはぎが腫れ、医者からは大型バイクに轢かれたんですかと言われたこと。あとはボクシングにハマってアッパーを受けたとき顎の骨をやられたか。さすがに謝ってくれて治療代と高級焼肉を三回奢ってくれたが。
「アレ、ろくな思い出がないか? もっとこう、あるだろ?」
「ルー?」
街で飲んでたらその筋の人っぽい方々絡まれ、困っているときにタケさんが通りかかり、八人の強面達をボコボコにしてトドメに全員の両小指の骨を真っ二つに踏み折って警察沙汰になりかけたエピソードを思い出す。アレはヤバかった。相手が表沙汰にできない職種じゃ無ければ懲戒免職を喰らってただろう。
「シワゥルヅ、ミーイサホ」
バルジさんから貰った小ぶりな剣をゲルダが腰に差して据える。
タケさんが、銃剣でヒグマ追い払った噂を思い出す。北海道での転地訓練中に熊の足跡が発見され状況が一時中断。その後、足跡付近で斥候に出てたタケさんがヒグマの指の一部と血だらけの銃剣を携えて無傷の帰還を果たした話だ。俺は転地訓練に行ってないから詳細を知らず、あくまで噂の域が出ないが本当だと思う。
「ホウリミーウツ、ミーイサホ」
頭に分厚めの革を重ねた帽子を被せられる。革製とはいえ防御力はありそうだ。
休日に、通販で革製の投擲用スリングを買ったから試すと言われついて行き、空き地で鉄のフライパン目掛けて軟式野球ボールを投擲しベコボコに鉄を凹ました。やばいのは五十メートル以上離れてても、一球も外さず当てていたことだ。原始時代でも生きていけるぞあの人は。ボールを六個投げ潰して飽きてきたところでその場を後にした。
「シホゥウシ、ミーイサオ?」
乾かした草を捩って合わせた簡素な靴、いや、わらじを足に履かされる。素足よりかなりマシだ。
何年前だろうか。うん、新兵卒業したあたりだ。気まぐれで応募したフルマラソンの大会に参加した際、トレーニングを兼ねてと二十キロのウェイトベストを装着して靴はわらじというスタイルで走っていた。記録は二時間二十分と言っていて十キロ以上を走るの初めてだからペースが分からなかったと言っていた。ちなみに俺は同じ装備で四時間半掛かった。シンプルにあの人は化け物だとは思う。
「ルオアシウ、ヨェイル、ホオンヅ!」
ゲルダに両手を掴まれ、上げるよう誘導されて万歳をする。腰のところにスルッと手を回され腰蓑を巻かれる。恐らく俺が作ったヤツだ。
フィジカルモンスターの名前を欲しいままに、タケさんは体力自慢が揃う空挺団の訓練に参加した際も、今すぐ異動願いを出して空挺団に来てくれと願われた程だ。どうやら二十キロのウェイトベストと腰に十キロの重りを二個つけて空挺の隊員二名を両足にぶら下げたまま、懸垂を余裕で両手両足の指の倍の数をやったらしい。言ってる意味が分からない。何かの世界記録にでも挑戦するつもりか。
「ルー、ミーイサホ、シエ、ミーイサオ!」
元の世界で驚異的な身体能力を誇っていたタケさんと全く同じ名字を持つオークの女、ゲルダ。血縁か、それともまさかの伴侶か。
「お前が奥さんってことは無いもんな?」
「ル?」
間違いなくバツだろう。ルゥ子、いやゲルダは少し前まで子供の見た目をしていた。幼女趣味の域だ。オークの成長がやたら早い可能性を加味してもタケさんがそんな異性を選ぶわけが無い。
ならばあり得るのは子供、もしくは血縁。力は近いモノがあるし、言われてみれば歯を剥き出してる顔が怖いところは似てるかもしれない。
「なぁお前、タケヒサって人を知ってる?」
「ル?」
「チッ、知ってるって言葉はどんな絵を書けば伝わることやら」
絵を描くことやナニコレという単語を覚えたことにより情報収集は大きく一歩前進したが、今だ先は見えない。
「知らなきゃいけないことが多すぎる!」
一番知らなければいけなかったことは現在地の判明。ルチア達に合流するためには最優先事項である。
顎髭を触ると伸び始めでチクチクする感触。落ちてから二日ほど経ってしまっている。これ以上の離脱は探してもらえない可能性が高くなる。この広い異世界、二度と会えないかもしれない。
そう焦る一方で、タケさんに会いたがっている自分がいるのも理解している。
この世界で頼る人が全くいないとは言わない。イオンなんかは特に頼りまくった。教えてもらった基礎知識が予め無かったら最悪の展開を迎えかねなかった。
そういう頼るでは無く、精神的な柱として寄りかかれる人が必要なのだ。ウェスタではダメだ。アイツは年齢こそ上になったが西野という存在がチラつき頼れない。ジェリコもダメだ。ヤツは友達としての側面が強すぎる。
ルチアに至ってはもう、そう、家族に近い親和性を感じ始めている。弱みを見せれても心配をかけたく無い思いが上回ってしまう。
それではダメなのだ。そんなのでは良く無いのだ。
過酷な人生で自身の心が折れないために、人生のメンターとも呼べる人物が必要なのだ。
それがタケさん。南野武久だ。
その足取りが追える可能性があるという希望に、俺は仲間との合流を最下位の優先度に落とした。
「っとなればとにかく情報収集ってことだな。うん、なんでもいい。尻の皺の数まで知れたら最高だ」
自問自答の連続はここで一旦終わろう。考えはしっかりと纏まった。
目的は個人情報。好きな食べ物から局所の恥部まで余すことなく知れればなお良い。
しかしルゥ子、もといゲルダからはこれ以上情報を手に入れるのは難しいだろう。言葉が通じないのもあるが、多分こいつは普段から何も考えてない。
知識や良識。教養があるモノから情報を得なければいけない。普段の立ち振る舞いや身なりから品性を感じるモノを探さなければいかない。
そんな人間は、この集落では一人しか知らない。
「ンホォツ、オルウ、ヨォエ、ヅエアンゴ、アン、プリオサウ、リアコウ、ツホアス、ルアゴホツ、ンエワ、ゲルダ?」
「ル! ダガ! ハジメ! シワゥルヅ! ンオルルアエル!」
訂正。人間ではない。そしてオークでもない。だが、どちらに当てはまらないにしても、丁度良いタイミングに来てくれた。
「渡りに船とはなんとやら、ってか?」
建物の外から身を屈めるようにこちらを覗き込むアラクネの女性。昨夜は夜で見えにくかったが、今は明るいので顔がよく分かる。生理的に嫌悪感を感じるはずの虫の身体が、上半身の美しさで相殺されている。
「ンオルルアエル? ヨェイ、ンオル!? ヨェイ?」
「ルン! シツルエンゴ!」
「ア、シウゥ……ブィツ、シエ、ヘエエリ、ヨェイ」
ゲルダに背中を押されて外に出ると二人は会話をしだす。何言ってるか分からないが、俺を値踏みしてる目つきなのはよく分かる。
「ドーモ。べっぴんさん。ヒノモトハジメです」
伝わらない言語で挨拶とオジギをし、対話を試みる。コミュニケーションの原則は挨拶だ。これがないとスゴイシツレイに当たる。
「ドーモ? ヒオオト……ハジメ? ヨェインオミーウ? ア、ミー、ダカ。ダカ・ハンツ」
聞き慣れない言語に警戒してるのか、言葉を返してくれたがゲルダの前に一歩進むと片手で剣の柄を触る。目付きも訝しげだ。自宅の最寄り駅に変態が現れたニュースを見たキャリアウーマンの目をしてる。
「さてっと……異文化交流に当たるとするかい」
ある意味、戦いよりも緊張する。俺の一挙手一投足でタケさんの情報を得るどころか、下手したら斬られかねない。背中に伝う冷や汗を無視し、俺は蜘蛛の女戦士へ対話を試みる。