鈴音ハルカSIDE。其の四
胸元に汗が伝い、おへそのあたりまで垂れ落ちる。脇汗はバケツで水をかけられたかと思えるほどびっしょりと濡れて重い。動きにくくて体力を余計に消耗する。荒い呼吸音が耳にへばりついてくる。
「疲れたか? 一旦休憩するか」
「ふー、ふー、よ、よろしくお願いしますぅ……」
息も絶え絶えに返事をすると私はその場でしゃがみ込む。
「こらこら、地べたで休むな。女の子なら恥じらいを持てよ」
そう言うとサウスさんは手近にあった平らな岩の上を手で払い砂埃を飛ばす。そして私に貸したハンカチとはまた別のハンカチを胸元の空間から取り出し、綺麗に敷く。
「使え。王族の椅子より座り心地は悪いがな」
「ゼェ、ゼェ、うっひょー……優しさに百合の芽が生えますわぁ……」
遠慮なく使わせてもらう。薄い布一枚なのでクッション性は当然ないが、お尻に触れる感触はシルク生地のように滑らかだ。美女の胸に挟まってたハンカチを、パンツとズボン越しに感じるのはムラっとくる気がする。
私がミリオタだから耐えれたがガチ百合なら耐えれなかった。戯れに百合の気持ちに触れてるライト層だから耐えれた。
「どれ、ブーツも脱いでみろ。大丈夫、周りに敵はいない」
サウスさんは手早く私のブーツの靴紐を解いていく。屈むことにより胸の谷間が衣服からチラリと見え眼福である。
「うっへぇ〜、魂が棒状に隆起しますわ〜」
「なに言ってんだ嬢ちゃん? 頭やられたか?」
周りに敵がいないと言ったが、ルチアさんとザビー、スパーダが見張りをし周囲に目を光らせる。
「居ねーって、敵はよ。この周りには鳥とカエルと虫しか居ねーって。すっごく小ちゃいヤツな」
「でも、警戒しとくに越したことないんじゃない?」
ルチアさんが反論するとサウスさんは目を向けずに首を振る。
「二十四時間休まず戦えるヤツなんていないさ。出来る戦士は休むのも上手いんだ」
サウスさんは横目で勇者を見る。アルベインさんは地べたに座り込み、足を放り出してダラリとしていた。
「むっ、失敬な。警戒はしておりますぞ?」
「見栄を張るなよ。俺と遊んでんだぜ? 一日で回復する訳ねぇだろ」
「遊びですか。耳が……痛いですな」
今のは分かる。ザッツ、バッドコミュニケーションだ。相手の自尊心というガラス板に剣山を擦ってる。アレでは勇者のメンタルはカキ氷のようにガリガリ削られる。学校のクラスにいたイジりっこタイプだ。
若干やムードが悪くなる。自衛隊さんはいないので空気を変える人はいない。ならば、出来る女の私が変えなければ。
「そうだ! さっき言ってたヤバいヤーツの話題! 他にもいるんですか?」
私の発言に全員がサウスさんの方へ向く。
「んー? そうだなー、ヤバい奴か。まっ、その前に……」
小さなポーチから紙タバコを二本取り出すと火を点けて一息吸う。そして地面に二本そのまま置く。
「お前ら足を出せ。毒ヘビ対策だ、ズボンに煙の臭いを染み込ませろ」
促され足を出すと今度は短めの葉巻を取り出して火を点け始める。モクモクと紫煙が昇り、足に纏わりつく。
「そうだな。キメラもヤバかったが野生の生き物も危険だ。ヘビに鹿に、特に狼がヤバかった。まだ年端もいかんガキの時分だったが、命の危機を感じたぜ」
この人でも死に瀕する時があるのか。意外だ。獅子に千尋の谷へ突き落とされても余裕で上がって来そうなのに。
「あとは蟻人だ! 虫人族っつてな。知ってるか? 奴らは群れで行動するんだが、多いのなんのってな! 特に蟻人族は斬っても突いても潰しても無限に湧いて出て来やがる。最終的に森ごと巣を燃やしたんだが色んなところから怒られてな!」
興がノッて来たのかベラベラと喋ってくれる。思い出を振り返るのが楽しくなってきたのか上機嫌そうだ。少なくとも冒険者達を斬り殺した時よりは。
私もミリタリー語りをしてる時はこんな感じなのだろうか。今度からもっと熱く語ってやろう。楽しくなってきた。
「燃やしたといえば、森の守護龍を殺った時も燃やしたな。俺が住んでる村に油を撒いてその火の中で戦ったんだよ。あれはヤバかった! アンドリューにお前は頭がイカれてるって言われたな!」
「アンドリュー?」
初めて出る名前に私が質問すると、サウスさんはニコニコと笑い、本当に楽しそうに目を緩ませる。
「俺の大切な仲間さ。桃色のお嬢ちゃんにとっての迷彩柄と同じようにな」
話を振られたルチアさんは無表情を装っていたが、目と耳は反応してピクっと動く。
「ほう、お仲間さんですか! 是非ともお近づきになりたいですよ!」
「貴公ほどの者の仲間ならさぞや強いのでしょうな」
強いとか仲良くなりたいというとサウスさんは困ったように鼻を啜る。バツが悪そうに口を開くと少し目を伏せた。
「悪いが遥か昔に死んでんだ。この世にいない奴は強くもないし紹介も出来ねぇな」
「おぅ……そーりー」
私としたことがバッドコミュニケーションをしてしまった。ベリーシットだ。
「気にすんな寿命だ。人間だったしな。そういやアイツはお前らの国の地方出身だったな」
「グロリヤス王国のですかな?」
「グロリヤス……いや待てよ。あれ? 何年前だ?」
サウスさんは目を瞑って考える。
「ヤツが死んだのがオークの一件の辺りで……死んだのが八十歳で子供が生まれたのが百年前で、いや、一人目はもっと前か? 初めて出会ったのが奴が十代で、俺は百五十歳は過ぎてたよな? お嬢さんって言われたし、まだガキだったような……」
うんうんと、ブツクサと、昔の記憶をひたすら考えおもいだし。おデコを押さえて唸る。大学受験二週間前の学生みたいな姿だ。少し可愛くも見える。
昨日今日の出会いだが、思っても見なかった姿に知らぬ一面を見てギャップにドキッとする自分に気付く。
「芽吹いたわ、百合の芽が、山肌に。五、七、五、著者はわたくしルカちゃん」
「なに言ってんですか? ハルカサン?」
ロック君の純真な眼差しが、せっかく咲いた百合の芽を刈り取る。次はショタの芽を咲かそうか。しゃぶり尽くしてやろうか、その若く青い未熟な双玉を。
「おい、そこの雑魚。グロリヤ王国は今建国何年だ?」
「俺を雑魚って呼ぶんじゃねぇ!」
「建国は確か百三十年前ですよ。去年の建国際が百二十九だったので」
代わりにザビーが答えるとスパーダはブツブツと文句を言ってから黙る。
「そうかそうか、もうそんな前か。てことは出会ったのは百五十年前か。全く、月日が経つのは早いもんだ」
目を瞑り、しみじみと過去を慮る。中々絵になる姿だ。元の世界へ高性能一眼レフカメラを取りに戻りたい。
「アンドリュー……アンドリュー?」
勇者が何か呟いているが、こっちはどうでも良い。網膜に焼き付けて撮るなら女だ。
「オークの残党もそれなりに危ないが、あとは魔王だな」
「魔王? 世界の半分ってヤーツですか?」
私にとって魔王のイメージはそんな程度だ。よく分からんファンタジー的なヤツより白い死神と呼ばれた狙撃手の方が百万倍強いと思う。
「魔王って確か、パーゲタリィって国の王様だよね?」
口を挟んだルチアさんへ銀髪の頭を左右に振って答える。
「そいつは大して危険じゃない。いや、ある意味ヤバい奴かな? ともかく俺が言ってるのは他の魔王さ」
「他だぁ? 他に魔王なんているのか!?」
「うるせぇゴミ野郎。話を遮んな。喉潰してやろうか?」
ぐぬぬと悔しそうに歯を食いしばるスパーダ。いい気味だ、もっと悔しそうな顔を私に見せてくれ。あわよくば挑んで素手で返り討ちにされて欲しい。きっと良い絵になるはずだ。
「ゾンビやスケルトンなどの魑魅魍魎を従える死霊の王。そして無機物の魔法生物、つまりゴーレム達の親玉。アーマーキングって名前だっけな? あとは吸血鬼の王とかだな。真祖は良いヤツだが。それと蜂人族の女魔王、ビークィーン……いや、奴らは円の山脈から少し前に引っ越したか? 待てよ、女王は俺が駆除したか。ハチミツを食べた記憶はあるんだが……」
知らぬ名を次々と羅列していく。正直な話、知らぬ魔王の話は面白くないが、その魔王達をガトリングで撃つ妄想をするのは楽しい。
「っとまあ、危険な奴らは沢山いるからな。気をつけろよ……あっ、そうだ!」
「わっ! なんですか急に?」
突然サウスさんが声を大きくするので思わず私はビックリしてしまった。
「お前ら絶対に円の山脈の内側、つまり内地にいるエルフと一切関わるなよ! いいか、絶対だぞ? 命の保証は無いからな? 強くて美人なサウス様との約束だぞ!
一人ひとりに指を向けて必ず守るように念押しをしている。顔の真剣さから冗談じゃないのが分かる。
「言うほど危険なの? エルフの知り合いはいるけど、危ない感じはなかったよ?」
ルチアさんの言い分は最もだ。私だってエルフと話したことぐらいはある。誰もが理性的で知能と教養を感じる好印象の方々ばかりだった。
「円の山脈の外にいるエルフは平気だ。社交性ある奴が多いしな。ただし、内地にいる一部のエルフはヤベーと思え。特に俺と世代が同じくらいのヤツら!」
エルフもダークエルフも外見で年齢は分からない。どこを見て判断すればいいのだろうか。
「なぜでしょうか? 御教授を」
「俺の世代はよ。さっきも言ったヤバい奴らとバチバチに戦争してたんだ。殺しも殺したり、血を血で洗う戦を二百年以上やってんだよ。そしたらどうなると思う?」
ゴクリっと私は唾を飲み込む。
「戦闘経験がメチャクチャ豊富で、頭がぶっ飛んでるヤツが生まれる。いいか? 特に鼻が抉れて無いエルフと口が真横に裂けたエルフの二人に出会ったら死ぬと思え!」
唾をもう一度飲み込むと、隣の勇者と後ろのスパーダが息を飲む音が聞こえる。この人にこうまで言わせるとはどんなエルフなんだろうか。
「あっ、ザラってエルフは話が通じる方だから内地で困ったら頼れ。敵対さえしてなけりゃ斬り掛かられる前に会話できるからよ」
さすがは会話より前に人を斬ったエルフだ。言葉の安心感が違う。
「でも、どうしてそんなに心配してくれるんです?」
「俺は人の縁ってのを大事にしてんだ。出会いは血塗れで最悪だったが、生きてこうして話してるってのは何かの縁だしな。長生きしてると見知ったヤツが死ぬのは結構堪えてくるんだぜ?」
少し寂しそうに空を見上げてる。その気持ちは分かる。
「ルカちゃんも漫画小説アニメで推しが死ぬと線香をあげてました。同じですね」
「なに言ってんだ? よく分からんが、悲しいって意味なら合ってるよ」
同意を得られたことで私は満足だ。
「さてっ、無駄話はこれくらいでいいか。さぁ、いくぞ」
「イエッサー、ボス!」
「あっ、一つよろしいですか?」
ここに来て勇者が話の流れを無視してきた。私みたいに空気を読んでもらいたい。
「どうぞ。無駄話の続きでもするか? 百年でも二百年でも話してやるよ。ネタは三百年分あるからな」
勇者は苦笑して断ると、苦笑いの顔のまま口を開く。
「先ほど言っていたアンドリュー殿ですが、会ったのは百五十年前とおっしゃってましたよね?」
「おう。十年とかズレてても文句言うなよ? こちとら長生きしてんだからよ」
勇者は頷き、続きの言葉を口にする。
「もしかしてアンドリューとは、グロリヤス王国の初代国王、アンドリュー・ブレイブ・ウィズダム・グロリヤのことではありませんか」
「違う」
「…………えっ、違う?」
答えに自信があって発言したが見事に外してしまった勇者は赤面してしまっている。おぉ、勇者よ。間違うとは情けない。自重しろ目立ちたがり屋さん。
「アイツはそんな立派で長い名前じゃ無いさ。もっと短いさ」
「へぇー、じゃあなんてお名前なんですか?」
私の当然のような質問を受け、サウスさんは少々困った様子で辺りを見る。それぞれと視線が合うとフウッと息を吐く。
「まっ、別にいいか。秘密じゃ無いし。減るもんでもないし、はるか昔の人間だし、知ってる奴もおらんし」
自分に言い訳をしたサウスさんは勇者に向けて口を開く。
「ミナミノ・アンドリュー。俺の百五十年前の大親友はそんな名前さ」