員数ゼロ
檻の影が濃くなり始めていく。にわかに村は活気付き、住人の行き来が多くなる。陽が出れば働くのはどこの世界の人間も変わらない。ただし、汗水垂らして働いてるのはオークだ。
「うっぷ、吐きそう……」
勤勉なオークを尻目にし、横になって休む俺は迫り来る吐き気と戦っていた。
「あの虫がトドメだ。絶対にっ!」
呪詛のようにうわ言を繰り返す俺を心配そうに覗き込み、顔を伺うのは何度見ても同一人物とは思えない姿のルゥ子だ。
「シオルルヤ、ア、ヅォンツ、ツホアンク、シウ、ブウ、ヒイリリ」
申し訳なさそうに顔を曇らせている。謝っているのだろうか。声色がそんな感じだ。
「いいってことよ。でも次からは虫は入れないでくれよ」
「ンウジツ、ブウ、ヒイリリ、ウオツ、シウ、ヅゥリアサアエイシ、サウゥクアンゴ!」
俺が声をかけるとにこやかな笑みで返してくれた。伝わってくれると嬉しい。もう虫は見たくない、少なくとも今日は。
「シオルルヤ、ポイツ、アン、オ、サオゲウ。ルウ、ヅエンツ、ホオヴェウ、オ、レアァミー。ブイツ、ンエ、リエシツ、ハジメ。ウク?」
長々と喋っているが一向に解らない。何だこの言葉。オークの言語なのだろうがグロリヤ語よりも難解だ。
「マジで聞き取りにくいな。お前はマシだが」
「ル? ア、ヅエンツ、クンエヲ?」
お互い首を傾げる。案外思ってることは近いのかもしれない。何言ってるか分からないよ、っと。
会話は分からないが、彼女はまだマシな方である。道ゆく他のオーク達の会話に聞き耳を立てていたが、言語どころかそもそも発音が聞き取りにくい。どこか潰れた、ドスが効いて、舌足らずがデフォルトと言おうか。
一方で見た目が人間に近しい彼女のようなタイプのオークは発音が綺麗だ。良い声で滑舌も悪くない。
その中でも檻越しにこちらを見る彼女は発音が格別だ。人間と全く遜色ないし、よく見たら歯並びとかも大きめな犬歯以外は整っている。パッと見た感じは人間の女性と言っても問題ない。
「ハジメ? ンホォツ、ホオププウンウヅ? 」
極め付けは俺の名前の呼び方だ。綺麗過ぎるのだ。しかもまるっきりルチアが俺の名を呼ぶのと変わらない。発音もイントネーションも。
「そうか、アイツはこんな風に俺を呼んでくれてたのか」
恐らくは魔法都市で出会った際のルチアの発音をそのまま真似してるのだろう。瓜二つであるのだ。
目を瞑ると頭の中に彼女の言葉が反芻され、瞼の裏側に顔が浮かんでくる。最初は怒った顔、次いで戸惑った顔、最後に笑った顔を思い出す。
「……今度は感動の再会が見てぇな」
「ル?」
「分からんか? お前にありがとうって言ったんだよ」
言ってない言葉で返すと俺は地面から起き上がり、座り直す。映る風景は格子越しの空から村に変わる。
「なぁ、俺はこれからどうされちゃうんだ? 食われんのか?」
「ゲエェヅ、ヲウオツホウレ! ツオクウ、オ、ヲオリク?」
行く末を尋ねて返事が来たが、返ってきたのは能天気な声。昼寝か散歩かどっちにするのか、飼い犬にでも聞いてるような声色だ。
やはりコミュニケーションは無理だ。今のところ、魔法都市でロジー先生が言ってたような恐ろしい雰囲気は無いが、それ以前に何を考えているのか分からない。
「いっそのこと、檻を壊して出てみるか」
昨日見た夢の中ではドアを蹴破らなかったが、俺の前蹴りはタケさんのお墨付きだ。こんな木製の檻など破壊できるはずだ。
手で格子に触れてみる。木製特有の弾性、樫の木に似た硬さ。押してみると麻縄で縛られた箇所がギシっと軋む。どうやら強度は高くなさそうだ。何回か蹴れば開けられそうだ。外れた木材を武器にして逃げるのは選択肢として有りだ。
「ル? ウジアツ?」
檻を調べていると彼女が興味深そうに尋ねてくる。まさかこの声色でお前を食ってやるとは言ってないだろう。
出る方法としては蹴破ればいい。問題は出た後だ。
オークから逃げれてもこの森からは逃げれる気がしない。しかも昨日の彼女の戦いぶりを見るに、戦闘力は俺よりも高いだろう。あのサウスのような異常な戦闘力ほどではないが、パワーだけなら劣らないと見た。
こんな彼女に追いかけられたら容易に捕えられてしまうだろう。逃げたら彼女は恐らく怒ると思う。仏の顔も三度までというがオークの顔は二度あるか分からない。
「ウジアツ? ウジアツ? ゴイアヅウ?」
俺が判断を迷っているとしきりに声を掛けてくる。まるで実家にいたお腹が空いた時のペットのネコにそっくりだ。無視してもしきりに鳴いてくる。観念して餌をあげると途端にそっぽを向く自由気ままな性格。
「待てって! 今どういう行動をすればいいか足りない頭で考えてんだからよ」
「ル? ルー? ル~? ル、ゴエ! エプウン!」
ガチャっと檻の鍵が開けられる。拳ほどの大きさの鉄の錠前がゴロンと地面に放り投げられた。
「はっ?」
理解が追いつかない。こいつ俺を逃がそうってのか。そしたら何で捕まえた。行動原理の説明を求む。
「ルゥ?」
促すような相槌をいれてくる。出ろということなのだろうか。
恐る恐る、探り探り、おずおずと。試しに一歩檻の外へ出てみる。
「ル! ハジメッ!」
「ひゅいっ!?」
出たとたん俺の腕をがっしりと掴む。やはりコイツ、俺を食うつもりだ。振り解こうにも信じられない力でガッチリと握り締められている。
「アメッ! ハジメっ! アメっ! ウオツ?」
身構えていた俺の前に出されたのは俺の持ち物、三時のおやつ用に取っておいたフルーツノド飴だ。最後の一つを何故か彼女が持っている。
「なんだよ? 食えってか?」
差し出された飴を受け取り、まじまじと見たが間違いなく俺の持ち物。食後のデザートにでも出してきたのだろうか。
少し警戒しながら俺はピリッと包装紙を破く。琥珀色の中身を指で摘まんで口に運ぶ。
「ンエ! ゲルダ、ウオツ!」
「うおっ! しゃぶるなっ!」
俺の指ごと飴を頬張り、舌で指をねぶり、飴を先っぽ吸い取り奪う。正直ドキドキする行為だったが、彼女の大きく鋭い犬歯を見た後だとドキドキは違う意味になる。
「ル~! シヲウゥツ!」
指先に爪があるのを確認し、ホッと一息安堵する。そして文句の一つでも言ってやろうと口を向けたが、幸せそうに飴を舐める姿を見て力が抜けてしまった。
「あーあ……さらば現代甘味料。来世で会おう」
数少ない財産を無くし、素寒貧となった俺は幸せそうな他人の時間が終わるのを裸のまま待つことにした。