オークのご飯
人生で幾度目だろうか。
常人の人生であれば一度たりとも経験しない。もしくは一度体験しとけば二度目の経験はぼぼない。稀に何回も何十回も経験する人間もおろうが、まず常識的な人間であれば反省して二度と入らないと誓う。
何が言いたいか。短い異世界人生でまたもや牢屋に収監されるとは思わなかったという話だ。
朝焼けの光は、作詞家ならば一曲作れるほど見事に美しい。緑緑しい葉の揺れも、木漏れ日も、足裏に感じる土の匂い。肌に感じる風のそよぎ。一句読めそうだ。
「異世界で、裸一貫、檻の中。しまった季語がない」
厳密には季語が何なのか分からない。裸一貫辺りは季語でもありそうだ。そんなこと言ったら俳句の先生に怒られるかもしれないが。
モゾモゾと身体を動かして周りを観察する。まずは何よりも周囲の状況と自己の状態を把握するのが大事だ。
まずは自分。見事に裸にひん剥かれている。お腹周りをみると自衛隊の時よりも筋肉が多くなり、なお且つ引き締まっている。腹筋はより割れて、胸と腕も昔より一回り大きい。俺を囲む木製の檻ぐらいなら逆水平チョップでへし折れると確信できる。しかし、この檻は天井が低く立つことは出来ず、往年の名試合よろしくのチョップは満足に出来なさそうだ。
度重なる戦いとジビエ寄りの食習慣。肉体への良いストレスと良質な栄養でこの身体を作り上げた。見事なモノである。我ながらよく鍛えた自慢の逸品だ。今日までよく練り上げた。本当に自慢だ。
ただし、周りのオークの目線を気にしなければ、もう少し悦に浸れただろう。
「こっち見んな! シッシッ!」
手で払いのけるように振り追い払う。
この状況、ハッキリ言って分からない。
目が覚めてかれこれ二時間は経過している。寝起きこそ薄暗さの中で視界は効かなかったが、陽が出るにつれて周りが見えてくる。周りの生物も。環境も。
村、ここはオーク達の集落なのだ。それも恐らく大きい。今まで異世界にていくつかの集落を見てきたが大体が数件の家がまばらに建ち、人口も五十人にも満たない場所ばかりであった。だが、この場所は遠くに見える防護柵に大小様々な木製の家、広い畑も見える。物見台もだ。俺がいる場所はメインストリートなのだろう。魚や肉を軒先に並べる建物が多いので市場なのだろう。人、いやオークの往来がとても激しい。王都ほどでは当然ないにしろ、三百人ほどの大きな村と予想する。
最初こそ取って食われると思い恐怖心があったが、半ば見せ物小屋の珍獣のような雰囲気で放置されてしまっているので少し薄れてきた。これから俺はどうなるのか。
「まさか、突然のマグロ解体ショーとかはやめてくれよな?」
俺がここまでのんびりと冗談を言える理由は二つある。一つは周りの雰囲気があまり殺伐としてないからだ。
こちらを興味深そうに見るモノが多いが、敵対心というモノを感じずむしろ好奇の目で見てくる。下手に暴れて刺激するよりまずは様子見を貫くのがいいだろう。逃げるにしても周りの情報を掴んで夜の闇に紛れて決行するべきだ。
もう一つ。それは俺をここに連れてきた二人の存在だ。見た目が蜘蛛の女性。とりあえずアラクネと仮称した彼女は恐らくこの集落の中心人物だと思う。俺は檻にぶち込まれる直前で目を覚ましたのだが、そのときも周りにオークが沢山いて皆が敬意を表すような態度だったのだ。オークの集団のリーダーが蜘蛛とは変わった話だとは思うが、異世界の、特にこういった人種の認識がない俺には判断できない。
もう一つはルゥ子。オークの少女だった彼女は現在筋骨隆々な乙女に変わっていた。見た目の変化もそうだが立ち振る舞いも魔法都市で見た時とは異なり、いわゆる逞しい雰囲気なのだ。子供の成長は早いというが早すぎる。タケノコかっとツッコミたいぐらいだ。
彼女が恐らくこの集落の二番手なのだろう。敬われてはいるが、仲の良い一つ上の先輩への態度に近い態度と言おうか。気さくさが伺える。
二人の長が連れてきた俺は手出し出来ない相手なのかもしれない。
しかし、これも希望的観測だ。俺が勝手に思っているだけで実際は全く違うのかもしれない。今にあそこの家の陰から大きな肉切り包丁を持った巨漢が出てくるかもしれん。
「ゴルラファルゥゥ……」
そう思っていると本当に軒先の陰から、俺の頭よりデカい刃渡りのナタを持ったオークが現れ、こちらに向かってくる。目は明らかに血走っており、他のオーク達も慌てて身を引いてる。ボロボロの革鎧と他と比べ明らかな肥満体型が不信感と嫌悪感を助長させる。
「ちょっ!? こっちくんなって!」
いきなりヤバいヤツが現れたので思わず後退りしてしまう。しかしここは檻の中、逃げ場など無い。
「ゴルファァッ!」
「やめっ! ……んん?」
迫り来る巨体を前に腕で防御の姿勢をとったが、俺の目の前に差し出されたのはナタでは無く別のモノであった。
「スープ? それとこれは……ラムチョップ? 羊肉か? なんでこれを……?」
戸惑う俺の前に肉とスープを優しく地面に置いた巨漢のオークはナタを乱暴に振るうと、近くの切り株に突き刺した。
「ウオツ、グエェヅヒエェヅ、ウオツ!」
「ぐえ? 食え? これを食えってか? 俺が? これを?」
オークが持ってきたのは肉とスープ。どちらも熱々で湯気が立っている。肉の匂いは羊に近く、食欲をそそる一品である。そこは問題無い。問題はスープの方だ。ドロリと濁った白濁液に野菜のような物体と肉のような物体とよく分からない丸い物体が浮いている。
匂いは悪くないが得体の知れない感じは俺の脳内アラートを厳かに鳴らす。まるでオペラだ。荘厳に警報がなっている。汝、食うこと勿れと言っている。
だが、目の前のオークは俺がメシを食うまで離れる様子が無い。コイツは何だ、給食当番か。分かりやすく割烹着でも着てくれ。白いヤツを。
食べる以外の選択肢が無い、ならばせめてまともそうな方から食べようか。
骨付きのラムらしきモノを手に取り、前歯でほんの少しだけ齧る。
「美味っ! 羊か? それとも山羊? 分かんないな。でも美味いな!」
美味い。肉の旨みと独特な臭い、それを打ち消す為に香草がまぶしてある。意外にも手の込んだ料理だ。このオーク、二十五歳の一般成人男性よりもよりも料理スキルはあるのかもしれない。人というのは見かけによらないモノだ。
俺の反応を見た巨漢のオークは満足そうにウンウンと唸る。料理を褒められて嬉しいのだろうか。
思いのほか美味しかった肉を食べ切り、続いてスープを手に取るが、残念なことにスプーンが無い。仕方なくラムチョップの骨を使って中身を掻き混ぜる。
「大丈夫かコレ? 人の指とか目玉とか入ってないよな?」
カニバリズムな映画のワンシーンでそういったものが出てくるのを思い出す。猟奇的な映像、スプラッタとはこういうことなのかと思えて。
「返品オッケー?」
「ゴル? ゴルファ!」
「ダメかー、そーなのかー、食えってかー」
一縷の望みを賭けてオークの前にスープを返したが、手を押し除けられてしまう。返品不可というわけだ。もう一度やりたいが、機嫌を悪くして俺の指がスープの具材になってしまうことは避けたい。
とにかく入ってないことを祈ろう。さもなければ十八歳以下立ち入り禁止、大人になって出直せ的な絵面になってしまう。
ひとまず、スプーン代わりの骨に付いたスープを舐める。
「うーん、これはまぁまぁだな。ちょっと塩味が足りんな」
思わず微妙な顔をしてしまった。チラリとオークの方を見ると少々ショックが混じった顔をしている。美味いの表情と微妙の表情は異世界現代問わず似ていて、どうやら好みの味で無いことが伝わってしまったようだ。
具材はどうだろうか。この中で一番危険ではなさそうなのは野菜だ。青々とした葉物、小松菜を思い起こさせる一つを骨に引っかかって食べてみる。
「むっ、これまた微妙な味わいだな」
強すぎる緑の臭いにキャベツの芯を超える硬さ。噛むと溢れ出す汁は雑味。料理が苦手な俺でも分かる。下手クソだこれは。
俺の苦い顔の反応を見てオークは明らかに落胆している。もしや自信作だったのだろうか。ならば忌憚なき意見を伝えるべきか。
「質問だけど、灰汁抜きって知ってる?」
「ンオテ? アウンキ?」
「まぁ通じないよな」
コミュニケーションは諦め、ひとまず全て食べる方針でいく。何が入っているとか考えずに行こう。
そのまま食事を続け、味付けの違いに戸惑いながら全てを平らげる。
「ふーっ、ご馳走様。中々興味深い味だったぜ」
完全喫食完了。やはり自衛官たるモノ、檻の中にいようと出された食べ物は残さず頂かなければ。お残しは許しません。新兵時代に食べ物残してタケさんに頭突き喰らった記憶は頭皮に刻まれている。
食器を回収する巨漢のオークは、綺麗になった器にどこか満足気だ。味や理由はともかく、俺の腹は満たされた。やはり昨日の虫を食べてからどうにも腹の調子がよろしくは無かったのだ。キメラとの戦いで漏らさなくて良かった。あの虫は今後食べない方針で行こうか。
「フーン? ンホォツユエイ、ヅエアング?」
木製の檻がギシリと軋み、揺れる。目線を向けると俺より太い前腕、そしてデカい胸がふにゃりと形を変え檻の格子に乗る。
「お、タケノ子」
「タケノコ? ンホォツ?」
タケノコと呼ばれた仮称ルゥ子は怪訝な顔をする。いきなり男から面と向かって秋の味覚呼ばわりされれば当然戸惑うか。
「タケノコってのは山とかで育つ、あのー、秋の味覚で成長が早くて炊き込みご飯が……」
「ル? ……ンホォツウベェエル。ウオツ、グエェヅヒエェヅ、リオレベェオ、クホェヲ?」
俺の言葉は遮られてしまい、代わりとばかりにズイッと出されたのはまたもや料理の器だ。フタがされていて、小さな穴が空いてまるで土鍋のような見た目。水蒸気の匂いは肉のような匂いがする。
「オークってもしかして料理好き?」
「ル?」
先程から俺に飯を食わせてばっかだ。もしや俺を肥え太らして喰うつもりなのだろうか。フォアグラにでもするつもりか。食べたらカロリー消費に腕立てでもしよう。自衛隊式のしっかりしたヤツを。
「ルゥ? ……ウオツッ!」
半ば押し付けるかのように俺に土鍋を押し付ける。受け取るとしっかり温かい、むしろ熱い。
「さっき食ったばかりだからなー。よっぽど美味しいのじゃないと入らんぞ?」
「ウオツ! ウオツッ! グエェヅヒエェヅ!」
急かされるまま俺はフタを開ける。途端に水蒸気が立ち上り顔をブワッと覆い尽くす。顔を拭うと肉の香りが混じった水滴が手から滴り落ちる。
こんなに良い香りがする食べ物とは何なのか。興味が唆られた俺は水蒸気の中身を見てギョッとして後退りしてしまう。
「おいっ、タケノ子ルゥ子。これを俺に食わせるつもりか?」
「ル?」
何のことか分からないとばかりの顔。俺が不機嫌なのが疑問なようだ。
土鍋の中に入っていたモノ。それは俺が今、もっとも見たくなく食べたくもない一品であった。
大量の、肌色の、所々赤く染まった、肉の匂いがするのが悔しくて嫌になるモノ。趣味嗜好を差し引いて食べたくないモノ。
器一杯の幼虫の蒸し焼きであった。