鈴音ハルカSIDE。其の三
「止まれ。ゴブリンだ」
前を歩くサウスさんが握り拳を耳の横に作り静止を促す。特殊部隊のハンドサインさながらに手で指示を出してくる。あれは[目標を警戒せよ]の合図だ。ピースサインを両目に向けてから人差し指で進行方向を指す。
「姿勢を低くしな」
手の平を下にし、二度ほど上下させる。そしてショートパンツの布をたくし上げ太ももを露わにする。
「おおっ、びゅーてぃふぉー……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
煮卵のように綺麗な褐色、しかしツヤとハリは卵と比較にならないほど美しく、光沢すら見える。美だけかと思えばそうではなく、ダビデの石像を思い起こさせる見事な筋肉の線は、銃にしか興味が無かったはずの私の頬を熱く紅潮させる。
たくしあげられた大腿部にベルトと共に固定された小さなナイフ。恐らく投擲専用だと思うモノをサウスさんは一つとる。柄頭に輪っかがついていてそこに紐を結びつけると、腰の小さなカバンから金属製の筒を取り出し紐と結び合わせる。投げナイフに筒という酷く不格好なモノが出来上がった。
作業中にひょっこりと身を乗り出して双眼鏡で前方を確認すると、正面約百五十の位置に赤い体色に毛皮の帽子を被ったゴブリンが二匹いるのが分かる。この距離で気付くのか。
「レッドキャップ。平地のゴブリンより強い個体だな。念の為殺しとくか」
そういうとサウスさんはどこから取り出したのか、小さな斧を片手に持っていた。女はポケットが多いというが、あの豊満な胸にでも隠していたのだろうか。
「無理に戦闘を行う必要はないのでは?」
「この山は俺の仲間も使うんだ。それに……」
ザビーの意見を目すら見ずに否定すると、斧を大きく振りかぶった。
「戦闘じゃねぇ。駆除だ」
メジャーリーガーかと思える投球モーション。違うのは白球ではなく、フランキスカと呼ばれる投げ斧であること。ホレボレする筋肉の躍動に目を奪われ、美を堪能しようと脳が思考するより早く、斧が骨を割る音とゴブリンの悲鳴が聞こえた。
「すっごっ! こんな離れてるのに!」
命中したのも凄いが、音だ。パァッカーンと弾け割れる音が百五十メートル離れてても聞こえてきた。斧でそんな音出せるとは、十二.七ミリの弾頭でも当たったのかと錯覚する音だった。
「もういっちょっ!」
今度は投げナイフを投げる。先ほどの投げ斧もそうだったが、一般的な遠投による放物線を描いて届くとかではなく、野球の弾丸ライナーのように一直線の軌道を描いて着弾している。今も双眼鏡越しに見てるが、今度は刺さるどころか投げナイフが身体を肩甲骨ごと貫通して通り抜けてしまっている。胸の向こう側で紐に繋がったナイフがぷらぷら揺れる。
サウスさんは腰のポーチから葉巻を一本取り出すと先端を噛みちぎり咥え、マッチを擦る。葉巻をゆっくりと回しながら、全体が赤くなるように着火する。
トドメは刺さないということだろうか。一匹は頭を砕かれ即死、もう一匹も虫の息だ。確かにほっといても死にそうだけど、半死でも魔物である。生命力が強く、胸が貫通したままどこかへと逃げようと動いている。
「レッドキャップ、いやゴブリン種の厄介なところはな。頭がいいとか残虐性とか色々あるが、なにより素早いってとこだ」
確かに双眼鏡越しに見える動きは手負いとは思えぬほど早い。台所の黒い悪魔よりはさすがに遅いが。
「その素早いのが集団を作る。んで二匹単位の斥候ってのをよく出すんだ。それが今の奴ら。知恵が回るんだ。あの身なりでよ。なんかあったらすぐに知らせに戻るんだ」
手負いのレッドキャップは見えなくなってしまった。ただ一つの、白煙の痕跡だけ残して。
「だがゴブリンの知恵なんてそこまで。離れて行動は無理だから近くに集団は待機する。そこにケツに火がついてる斥候が戻ってきてどうすると思う?」
「混ぜるな危険をすぐ混ぜるタイプ。私と同じで好奇心旺盛に、小銃の消炎制退器にベーコン巻いて焼き食べる派ということですね?」
「嬢ちゃんの言ってることはよく分からん」
煙を口に含んで大きく吐き出す。紫煙は山の空気と混じり合い、私の鼻にお香のような良い香りが漂ってくる。
「十五秒から二十秒。それ以上離れた位置に仲間はおらん。経験上な。だいたい二百以上の距離は離れてはいない」
一息深く吸い込むと先端から灰がポロリと落ちる。フーっと大きく吐き出すともう一度軽く口に葉巻を咥えている。
「生命力と負傷の度合いを計算して三十八秒後に火薬が爆発するように仕込んどいた。あとは……三、二、いち……」
手を三本立て、一つずつ折り畳み最後の一つを閉じると同時に遠くから爆発音が聞こえてきた。
「さっ、行くぞ。なんせ久しぶりにやる戦法だからよ。効果はいかほどかな?」
終始キョトンとした顔の一同へ手招きし、サウスさんは歩き出す。私はトコトコと走り横に並ぶ。
「今のってなんですか? タイマー爆弾? それに負傷兵に爆弾仕込んどいて助けに来たヤツを爆殺するって戦法です?」
「秘密さ。お前さんだって若かりし頃のポエムは秘密にするだろ?」
確かに私の黒歴史ノートは毎年広辞苑並の厚さで発行している。そろそろ跳躍を意味するあの週刊誌の同人作品を纏めなければ、マンガ登場人物全員私が好きという私的神作同人誌のデータは人の目に触れてはならぬ。
上手くはぐらかされてしまった気がするが、気にも止めず着いていく。爆発があった場所に近付いてくると鼻に独特な臭いが漂ってくる。脂というか、焦げというか、とにかく不快な臭いだ。スプラッタな光景も相まって常人ならば吐き気を催すだろう。
「使いな。お嬢ちゃんは慣れてないだろ?」
はち切れんばかり胸。その二つのメロンを押さえつけている衣服のポケットからハンカチを取り出し私に渡してくれた。
巨乳美女の胸に布一枚越しに張り付いてたハンカチ……。
人生十六年。転生十六年。合計三十二年分の女子高生人生で初めての女体への興味とトキメキ。天からの恵だ。この際、未知の性癖を存分に堪能させてもらおう。数多の雄と雌を狂わす百合の花の良さを。
「チュパチュパ、もぐもぐ……」
「口と鼻を押さえるって知らんか? あーあ、唾液でビチャビチャじゃねぇか。仕方ないな、もう一つやるよ」
先程の逞しい太腿が忘れられず思わず美女成分を接種してしまった。
代わりとばかりにサウスさんは今度はブリンっとしたお尻のポケットからもう一つハンカチを出し、私に手渡してくれた。
「すいません。つい……では、お言葉に甘えて。んんっづっ!! ずゔぅぅーッッ!! ハァ、すうぅぅぅー……」
「もっと落ち着いて呼吸しろよ」
良い。非常に良い。想像していたよりもかなり良い。汗の酸っぱさを感じると思ったが、予想に反して香るのは仄かな花の匂い。しっとりと、だがズシリと重い重厚な香り。そしてその奥には鼻腔を刺激するメスの酸味。私の高校生時代の二人目の友人はこんな世界を堪能していたのか。ショタコンは身体に馴染まなかったが、こちらは理解できる。馴染む、馴染むぞ。五臓六腑、四荒八極、身体と世界の全てに染み込む。
うん、味もみておこう。百合の花、蜜の味を。
「ぺろぺろ、じゅるじゅる……」
「味でもすんのか?」
「蒸れたメスの酸い味がしますッ!」
「はぁっ?」
私の行為にサウスさんは周りに意見を求めているが、ルチアさん達のヒいた顔を見て言葉を求めるのをやめていた。
「ダメですッ! そんなことは淑女のやることではありません!」
私を嗜めるザビー。その顔は嫌悪感満載である。この世界で十六年間一緒にいて初めてみる。そんなに奇行だったのだろうか。分からない。モデルガンのシリンダーを舐めてるのを親が目撃したときと似た顔だ。十五の夜、懐かしい。
「あっ、サウスさん。お気遣いありがとうございます。けど昨日散々嗅いだし、鉄臭いぐらいしか思わないですよ。むしろ火薬の残り香で元気出るというか」
「嬢ちゃん。頭おかしいと言われたことないかい? もしくはイカレてるとか?」
この人は強くて知恵が回るだけでなく、エスパーでもあるのか。なぜ私が小五の時の成績表に奇行が多いので心配ですと書かれたのを知っているのだろうか。まさか私と同じクラス出身の転生者なのか。
「サウスさん、貴女まさか転生者ですか? 私と仲良かった百合子ちゃんですか? それとも腐川ちゃん? 留学生のショ・タコンちゃん?」
「犬のお嬢ちゃん。お前さん苦労してんだな」
「分かってくれますか? えぇ、本当に苦労してましてね」
訝しげに私が二人の様子を伺うと、二人はナニカに呆れたのか、大きなため息を放つ。
「ゴブリン、ゴブリンかー……」
会話を楽しんでいた私達を置いて先を歩くルチアさん。腕や首が飛んだ複数のレッドキャップの死体を前に座り、口を溢す。
「それは食べちゃだめだぞ? 野生は臭みが強すぎて不味いんだ」
「ふーん……似たようなこと言うんだね?」
「あん? ボソボソ喋んな聞こえねぇよ」
「食べないわよって言ったの! 失礼ね!」
物言いにムッとイラついたのか、八つ当たりとばかりに吹き飛んだ首を蹴る。デロンっと垂れた力の無い舌が地面を舐めている。
「ゴブリンに思い入れがあるのかい? 悪いが害虫に恋する気持ちは分からんなぁ。人の趣味に文句を言うつもりは無いが」
「そんなんじゃないってば!」
未だイライラした態度のルチアさん。ハジメさんがいなくなって気が立っているのがよく分かる。元気がないよりはいいけども。
(まっ、ルカちゃんにはわかってるんですけどねー)
私のスキルでルチアさんが今何を求めているのかはとっくの昔に分かっている。
言うのは簡単。だがしかし。
(人の心根を突くのは藪蛇ですし、嫌われたくはないですからねー!)
この能力で酸いも甘いも味わってきたのだ。人間関係を崩すなんぞ、男子ばかりの工業高校にドジっ子美少女なサークルクラッシャーを送り込むより容易い。ならばそれをやってはいけないことも分かっている。
とりあえず話でも変えようか。ワタクシ鈴音ハルカは空気を読むことに定評があると自認している。
「サウスさんって本当に強いですね〜! ここまでくると敗北を知りたいってタイプなんじゃないですか? 実はワタシは〜ってな感じで」
破裂した肉片から投げナイフを回収し、水筒の水で洗い、整備油でヒタヒタな布で血を拭うと太腿のベルトに戻していた。
「敗北? 敗北かぁ〜」
少し短くなった葉巻を二回ほど吸って独特な良い匂いを吐き出すと、昔を鑑みるように目を細める。
「勝てなかった戦いは多いんだぜ? 苦戦したこともたくさんあるしよ」
「ほぇ〜意外ですね。生涯無敗を謳ってると思ってました」
「負けを死とするなら無敗だがな。これでも苦渋はたらふく飲んできてんだ。もう腹一杯さ」
板チョコみたいに割れた腹筋をポンっと叩く。良い形だ。腹筋で生姜を擦りおろしてホットジンジャーにして飲んでみようか。スミス&ウェッソンのM686モデルガンの握把で擦りおろしたモノとどちらが美味しいか比べてみたい。
「ほう、貴公ほどの実力者が苦戦した相手とは……後学の為にお聞きしても?」
レッドキャップの生き残りがいないか確認していたジョンさんが話に入ってくる。私が百合なら聖域に入るなと怒鳴りつけただろうが、ミリオタの私は銃口管理と引金管理以外には寛大な女。許そう。だが、弾丸と薬莢の違いも分からん奴は万死に値する。
「苦戦か。そうだなー」
顎に手を当て、千切れたレッドキャップの指を踏み潰しながら考える。そしてポンっと手を叩くとスッキリした顔をする。
「特にアレだ。こいつマジかよって思ったのはあの魔物だな」
顔の横で両手を口に見立ててパクパクと動かす。
「キメラだな。あの首が三つあるヤツ。特にヤバイのは、頭を一つだけ生かして逃した場合だ。すっげぇめんどくさくなった」