乱入者+
手に伝わる鱗の質感は絶妙に温い。爬虫類の身体は冷たいと思っていたが、気温が下がった夜の森では丁度良い塩梅で温かい。
蛇の身体に頑丈さがあるイメージなんて無かったが、よくよく考えてみれば全身が筋肉の塊であり爬虫類特有の固い鱗もある。筋肉の柔軟性と鱗の硬さは肉厚の中華包丁でも叩き切れないほど強靭だ。
「ど、ど、ど、どーすんだ俺ッ!」
勇んで掴んでアラクネの背後を守ったはいいがこの後の決定打が無い。蛇を相手にアルゼンチンバックブリーカーでも仕掛けるか。もしくはハーフネルソンか。必殺技のエメラルドフロージョンでも良い。決着に三カウントが含まれるなら俺の勝ちだ。レフェリー判定を頼む。
ジタバタと暴れる蛇は俺が万力のような力を込めても一向に絞め落とせそうにない。
蹴るか、殴るか、頭突きか。どれもがこの状況では全く効果が無い。いっそのこと鼻の穴でも塞いでみるか。鼻の穴に指を突っ込んでガタガタ言わせてやる。
「いや、待てよ?」
だが、もっと良い決定打があったことに気がつく。手の届く場所にある。
龍との戦い、奴へのトドメは恐らく俺が刺した。だがあれは爆発の威力だけで殺せたかというと半分正解だと思う。丁度良い弱点が目と鼻の先に合ったから殺せたのだ。
「喉ぉ、感じるんだっけ?」
羽交い締めにして抑えた口。そのすぐ下にある柔らかい喉。モノを飲み込む為、発声する為、撫でられてゴロゴロ喉を鳴らす為、理由は様々だがほとんどの生物において柔らかく存在する部位。
俺はそっと喉元に、柔らかい喉元に銃剣を突きつけ、両手で自分の方に貫通させる勢いで差し込む。刃先が俺の迷彩服の胸の部分にチクリと当たる。
「ジュァアアァァァッッッ!!!」
蛇ってこんなに叫ぶんだ。そう思ったのも束の間、荒れ狂う大河なんて流れるプールにしか思えない程の勢いで蛇が暴れ出す。
地に、木に、空へ振り回して俺を振り解こうとする。小学生の頃、浅草の遊園地にて初めて乗った絶叫マシーンで吐きそうになった記憶が蘇る。背中が地面に強打される度に衝撃で口の中の唾が全部外に出る。そのうち臓腑まで出てきそうだ。
「キイィィィィアァイァァァッ!」
「ガオアォォォッ!」
悲鳴と怒号が叫ばれるカオスな戦場。蛇にヘッドロックを掛けて黙々と戦っている俺を見習って欲しいもんだ。皆さんが静かになるまで三分掛かりました。小学生のときの先生が言ってたぞっと。
(いかん、ヤバい、げ、限界かも……)
さっきから小学生のときの記憶が散々脳裏を描くが、もしやこれは走馬灯ではないか。死の淵に瀕すると見るという。次は中学生でもくるかな。空をグルグルと振り回されてるから観覧車の思い出が観れるかもしれない。
とりあえず、眼前に大口を開けて待ち構える獅子の顔は、富士の動物園のライオンではなさそうだ。
「うおぉぉォォォっ!?」
間一髪で空中で身を捩り、獅子の赤く汚れた牙を躱わす。それと同時に顔の鼻と顎の部分を両太ももで縦に挟み込み口を開かないようにする。
「グルルォア!?」
殴る蹴るでは無い、変な反撃に獅子の顔は戸惑う。太ももデスクラッチとでも名付けようか。ムチムチボディのミニスカメイドにやってもらえれば至福だが、あいにく俺は筋骨隆々な二十歳半ばの自衛官だ。現職の鍛えられた内転筋を堪能してろ。鼻血を出せ。
三つの頭の内、二つ抑えたはいいが残り一つはどうするか。
簡単だ。手伝って貰えば良い。
「オラっ、チャンスだぞっ!」
呆気に取られてこちらを見やるアラクネに顎で指図する。
「……?」
「チャンスだっつーの!」
俺の合図に訝しげな様子のアラクネ。言葉が通じずとも状況がよければ通じるかと思ったがそう上手くはいかないらしい。種族の壁は思ったより厚いのかもしれない。ルチアのように上手くはいかない。チャンスはフイにされてしまう。
そうこうしているうちに、足で押さえつけていた獅子の顎が激しく動く。口を開いて俺に噛み付かんと上下左右に捻って拘束を解こうとしてくる。
「わわわっ! ど、ど、どうする!?」
あのアラクネが最後に山羊の頭を仕留めてくれれば他は拘束できていたので消化試合となるはずであったが、やはり衝動的に動くのと、言葉が通じない相手と連携を取るなどは困難なことなのである。現に俺の右足左足は窮地に陥っており、それぞれ獅子の上顎と下顎をギャグ漫画かのような姿勢で押さえている。
「フンヌヌヌナァ! あっ」
急に身体が浮遊感を感じた。全力の気合いがこもっていた足が宙にバタつく。喉を貫かれた蛇が最期に渾身の力を振り絞って俺の身体を空に振り上げたのだ。
振り上げたモノはどこに降ろすか。目下には拘束が解かれ自由になった獅子の口がある。そこ目掛けてぶん投げられ、俺の身体は一直線に百獣の王の胃袋への片道切符を切らされた。
「フゥシケッ!」
思わずグロリヤ語で悪態をついてしまった。視界がコマ送りになり、スローモーションで獅子の大口が迫る。
久遠にも感じる死のオウンゴールを前に、俺は思い違いをしていたことに気がつく。
別に、あのアラクネは俺を助けるとかそんな都合の良いこと考えては無く、ただ単純に出会った魔物と戦っていただけなことを。自意識過剰もいいことだ。
そしてもう一つ。思い違いしていたこと。
あのアラクネはチャンスを逃してたのではない。既に終わらせていたのだ。俺がしていたのは蛇足であったということを。
獅子の喉奥まで、喉につっかえた魚の骨すら見える距離。あと三センチもあれば俺の頭を丸齧りな距離で急に口が閉じられる。閉じた後、巨大な棍棒が俺の目と鼻先を掠めて地面を叩きつけた。
「ワッツ!?」
眼前で獅子の頭は叩き潰された。なにが起きたか一瞬で理解出来なかったが、とにかく太いナニカの物体が獅子の頭を砕いたのだ。
頭を砕かれ、喉を貫かれ、散々な目に合った三つ首の化け物は、一つだけ残った頭をフル回転に思考させる。
「メェぇヤァぁァァァッ!」
一つ甲高い声で鳴くと、最初に俺が見せたような脱兎の如き素早さで森の中へと身を翻していった。蛇の尾と獅子の頭を地に引き摺りながら、木との衝突音を響かせながら森の中へと消えていく。それを追いかけるように黒い影が森の方へと走る。
あっという間に戦闘から解放され、地面の上でポツンとうずくまる俺の前に新たな問題が立ち塞がる。
最後に思い違いしていたこと。それは目の前に立つ相手が必ずしも味方というわけでは無いということだ。
向こうからして見たら、知らぬ奴が勝手に暴れ回り今は地べたに伏しているということだけ。種族すら違う相手だ。しかも恐らくは……。
「ンホエオレウユオィ?」
「やっぱり全く通じねーのかよ!?」
アラクネの牙付きの口からでた言葉は日本語は勿論、グロリヤ語とも異なる発音。
「困っちまったなぁ……」
久方ぶりの言葉が通じないという苦労を前に、現実逃避の煙草を吸いたくなってしまった。