乱入者
蜘蛛の下半身が地面を蹴り、弾丸が放たれたかのようにキメラへと一直線に飛び込んでいく。
「シャァァァッ!」
身体をしならせる迫る蛇の一撃は音速と言われる鞭の先端を思わせる。だが、その攻撃をアラクネは二本の片足を器用に動かして跳躍することにより躱す。跳ねると同時に二本の左手を腰に伸ばし、装着していた剣と斧をそれぞれ獅子の頭に着地と同時に振り下ろす。
「ガルァァァっ!?」
迎え討つ剣が牙にそのままぶち当たり、火花と欠けた犬歯を宙空に弾け飛ばした。
「……フゥっ」
一息を挟むとさらに連続して斬撃を繰り返し、身を守ろうと手を出した獅子の腕を赤ワインでも溢したかのような色にする。
独特だが見事な剣術だ。元の世界とこの世界を含めても見たことが無い剣の技だが、惚れ惚れするような芸術性がある。
「すげぇ、でも……」
苦虫を噛み潰した顔になってしまう。理由は、浅いのだ。傷が。
あのアラクネが持つ武器は俺ですらが片手で扱えるサイズの獲物だ。剣は鋭く、斧は重く刃先が肉に食い込みはしたが傷口は小さい。出血させるのが手一杯だ。
ヒグマを撃ちに行くのに、鳥撃ち用のバードショットを使う奴はいない。弾が小さすぎて火力不足。銃であろうと致命打を全く与えられないからだ。
ちなみに小銃弾でも大変だ。少なくとも一発では全く倒せない。あくまで人間用だからだ。
化け物を倒すにはこちらも化け物を用意しなければならない。ドラゴンを倒すのにあのサウスの力を借りたように。
キメラの攻撃はアラクネが避け、アラクネの攻撃はキメラへの決定打とならない。戦況は膠着してきた。
「メェェェェぇぇぇェェェアッ!」
背中に生えた山羊の頭が突如として叫び出した。折れた角の周りに緑と白が混じったような魔法陣が浮かび上がり、身体を包んでいく。
「うぉっ!?」
驚きの声より早く、あっという間に身体中の傷が癒えていき、傷は塞がり折れた角も徐々に伸び始めている。
「こいつ魔法使えんのかよ!? 魔物のくせに?」
訂正。魔物からすれば人間のくせに魔法を使いやがってなのかもしれない。多様性は認めなければ。決して俺が使えないことの私怨は混じってない。
ルチアのような光の治癒魔法とは異なるが、傷が治っていくのを見るに性能は近いのかもしれない。
となれば不利なのはあのアラクネである。手持ちの武器は威力が今一つで手も足りてない感じがする。相手は傷も治せるし、攻撃手段も多彩だ。蹄に牙に顎に恐らく他の魔法も使える。たった一頭で、もとい、たった一体で四種の攻撃を使いこなす文字と見ため通りの化け物だ。
「……俺はどうすりゃいい?」
キメラとアラクネの神話物語同士が戦っている最中、俺は全く蚊帳の外だ。ただの実況者になっている身分だ。
答えは当然、逃げの一択だ。三十六計逃げるに如かず、武田信玄と孫子は俺の戦略面での基盤である。その二つが逃げろと頭に呼びかける。
知らぬ巷で、知らぬ化け物同士が戦ってくれているだけだ。君子危うきに近寄らず、元の世界で言葉が通じぬならず者がナイフで刺し合う喧嘩をしてて止めるか。止めるのか。止める人間は素晴らしい人間性だ。誇れ。将来は警察官か二階級特進のどちらかだ。異世界で会おう。
俺はそろりと後退りをし始める後ろは川でどうしても音を立ててしまうが、激しい戦闘音で掻き消されるだろう。泳げば臭い消しにもなるので逃げ切れるはず。
一、二、三、っで俺は後ろへと駆け出す。
「キイィアァアァッ!」
背中を向けた俺の耳につんざく悲鳴が聞こえてくる。森の奥まで聞こえる高い声だ。遠くで慌てて飛び立つ。鳥の影が見える。
アラクネが持っていた剣は弾かれ斧は地面に落ち、今しがた柄を踏み折られた。
アラクネの身体には小さな傷が沢山あり、尻尾みたいな場所にはくっきりと噛みつかれた血の跡が見える。
劣勢。明らかに押されている。顔を見れば人外の外見であっても弱っているのが分かる。
「あっ!? まさか……?」
そこで俺はハッとした。緊急事態過ぎて今まで考えていなかったのだ。
このアラクネは戦えない身体であり、無理がある状態で戦っている。
左目四つに左手二つ、足は左二つに右一つ。異形の形態が二体続いたことに気を取られていたが、身体の半身が欠けていて重傷の身体にムチを打って戦っているのだ。
何故か。分からん。狩猟か。違うだろ。俺を救うためか。知らん。だが、今俺が助かっているのは結果として事実だ。
異世界初日。何も考えずに人を助けたことを思い出す。もし仮にこのアラクネが俺と同じであった場合、見捨てて逃げるは人としてどうなのか。
振り返った先で獅子の強靭な顎が大きく開き、驚くほどの伸縮性で蛇の身体が伸び進んで前後同時にアラクネへと襲い掛かる。
気付けば身体が行動を開始していた。
脱兎の如く逃げた足を、カモシカのように躍動させ地面を蹴る。逃げるために足掻いた手を大きく広げる。蜘蛛の背後に回る蛇、その後頭部を人の腕が絡みつく。
「「!?」」
神話のような見た目の生物達もさぞ驚いただろう。眼中にも無かった人間が突如戦いに乱入してきたのだから。
急な局面と頭を羽交い締めにされて焦ったのか、蛇は大きくうねり暴れ出す。中国では荒れ狂う大河を龍に例える話はよくあるが、蛇も中々のモノだ。今ならアナコンダともプロレスできる気がする。
「どうするっ! 俺っ!?」
何も考えずに飛び込んで、身体が動いた代償として俺の頭は混乱してしまう。だが、この場の全員が混乱しているので問題無しだ。今は一秒でも早く、あと先考えない行動のツケを払わなければ。