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Assault 89〜異世界自衛官幻想奇譚〜  作者: 木天蓼
七章 異世界自衛官サバイバル
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神話の

 大木と見紛う腕は野人の剛健な身体を容易くへし折る。飛び出た骨と血で濡れた色は夜の闇でも隠しきれない。


「なっ……っ!?」


 ふと、シャンプーのCMが頭をよぎる。女性の艶髪を思わすほどのしなやかさで蛇の身体はもう一匹の野人の足を捉える。既に半ば絶命しかけていたが、足を締め潰すという最悪の気付で意識を取り戻させている。


「なっ、なんだよ……っ!?」


 背骨をへし折られた野人、足を締め潰された野人、否、オークは百獣の王さながらの只住まいを放つ獅子の頭の前に放り出された。


「何だよテメェっ!?」


 一つ一つの歯が俺の持つ銃剣よりも鋭い。触れただけで髭も剃れそうだ。その鋭き刃でオークの頭を噛み千切る。

 命の危機を重ねてくる異形の生物は頭蓋を咀嚼し、尻尾の位置にあたる蛇の頭は残った身体を丸呑みにし始めていた。


 俺は急いで身を翻し草むらに逃げ込む。そして脱兎の如く逃げたがる両足と心を無理矢理抑え付け、乱入してきた敵を見る。


 肉を喰らう獅子と蛇を他所に、背中に付いた山羊の頭は高いところにある木の葉っぱを呑気に食べていた。


 あのオーク達の目的やらはよく分からない。何故視界の効かぬ夜の闇で行動をしていたのか。理由を訪ねようにも既に胃袋の中へと外出中だ。

 だが、あのバケモノだけはなんの目的を持っているかは分かる。


(狩人だ。狩るか狩られるかの世界で、奴は狩る側の生物!)


 食物連鎖という地球上全生命体が強制的に組み込まれるカースト制度なモノがある。草は草食動物に食われ、草食は肉食動物に食われるってヤツだ。ヤツはこの地における全てを喰らう捕食者であることは間違いない。草も食うし肉も食うしなんでもござれの食べ放題コースってヤツだ。ビザでも食ってろと言いたい。


「クチャラーはモテねぇぞ……」


 グチャグチャと汚らしく鳴る咀嚼音を背景に、俺はずりずりと腹ばいになって後ろに下がる。匍匐前進の経験が異世界で活かされるとは思いもしなかった。新兵時代に真面目に訓練に取り組んだ自分を褒めたい。


 とにかく身を隠しながら逃げなければ。奴らの視界に入れば間違いなく俺は死ぬ。


(あの三頭、まじで最悪の組み合わせだぜ)


 異なる頭を持つあの生物。爪や牙や角などの武器も厄介だが、何より危険なモノが一つある。


 それは目だ。いや、視覚と言った方がよいか。


 蛇の頭は先の龍との戦いでも前述したように、ピット機関を持っていると思って間違いないだろう。効果もその通りの筈だ。龍が持ってて蛇が持ってない道理は無しである。


 問題は獅子の頭だ。猫科の動物は本来夜行性。ライオンなんてまさしく夜に動き回る。夜目が効くからだ。この暗い森でも獅子は昼と同じように獲物の姿を捉えるだろう。


 そして、最も危険なのは山羊の頭だ。草食動物でよく見る四角い瞳孔は肉食動物からいち早く逃れる為に、両目を合わせてほぼ全周囲を確認できる構造になっている。

 狩られる側であれば逃げに使うが、狩る側になればどうだろうか。視界の悪い森の中で、全周囲の獲物をどこまでも視認できるのは死角無しの狩人として重要な要素となる。


 湿った土が胸ポケットに入っていく。鼻に土の匂いがこびりつく。左耳に着いた地面の感触、音は何もしない。ただ手の平から伝わる振動が、俺はまだ捕食者の傍にいるのだと証明する。


(焦るな、焦るなよぉ!)


 一目散に逃げ出したい気持ちを抑え、跳ね上がる心臓の音を全身で聞き、震える手と足をぎこちなく動かす。

 一つ一つの歩みは遅くとも、着実に距離を空けられている。獣の牙が届かぬ位置まであと少し。



 パキッ。



 俺の右足のすぐ真下で、木の枝が折れる音がする。


 神はなんと無情なことだろうか。こんな湿気だらけの森の中で偶然乾いた小枝があるとは。火付けの時は全く見当たらなかったのに。


 運命はなんと残酷なことだろうか。これが平時であれば足元の小枝なんてすぐに気付いたのに、目の前のギリシャ神話から出てきたかのような化け物のせいで足元がお留守になってしまっていた。


 現実はなんと過酷なことだろうか。一縷の望みを掛けて、素知らぬフリをしてやり過ごそうとしたとき、山羊の目と俺の目が合ってしまった。


(〜〜〜ッッ!!)


 声にならぬ悔し声を出して俺は立ち上がり、手に持っていた簡素な槍を全て捨てて脱兎の如く背を向け走り出す。


(気付かれた、気付かれちったっ! ヤバイヤバイヤバいやばいっ!)


 頭の中が危険信号で一杯になり、残りの神経は足元にだけ集中する。地表に飛び出た木の根に弁慶の泣きどころを強打しても、俺は全速力で駆け抜ける。


 異世界の夜は現代社会と比べて明るい。大気汚染が進んでないからか、それとも月の明かりが地球より強いのかは分からないが、意外と視界が効く。暗い森の中といえど、現代社会の街灯のない田舎の田んぼ道を走るよりはまだマシである。

 しかしながら、流石に素人が全力疾走するほど安全ではない。自衛隊で夜間訓練に慣れた俺だからこそなんとかなっている。それでも視界と足元に神経を注ぎ込まなければ、たちまちおむすびころりんの童話になってしまう。


「ウゴッケェェェァァアアァアァァァッッッ!!」


 咆哮一閃。俺の神経は全て停止する。一瞬だけ。背後を振り返ると化け物はこちらに向けて走りださんと姿勢を作っていた。俺はすぐさま全力疾走を再開する。


「ヤバいヤバい、やべぇってッ!」


 胸の内では無く声を大にして、身の危険を孤独な夜に伝える。背後からは巨体には似つかない、驚くほど静かな駆け足の音と獣の大きな咆哮が聞こえる。


「クッソッ! どうする!?」


 どうするもなにも、一から十まで逃げの一手でしかない。よもやこんな小さな銃剣と短剣で戦えというのか。無理だ。あのダークエルフが持ってた大剣レベルの武器がなければまともにダメージを与えられるとは思えない。それかせめて軽機関銃で二百発ぐらい弾をくれ。あと安全な陣地を。


 出来るだけ木々が多いところを通り、あの巨体を撒こうとしてるのだが臓腑に響く低い唸り声は一向に離れてくれない。

 それもそうだ。相手の目ん玉はこっちの三倍。視力はもっと差がある。俺が選ぶ道よりもヤツは楽な道を見つけられる。


 唯一のアドバンテージとなっているのは、体躯の差。鬱蒼とした森の中、ヤツは密集する木々を避けて俺を追っている。樹木を薙ぎ倒して追ってこられたら俺は今頃は頭と胴体が離れ離れに食いちぎられていただろう。

 ヤツが思春期の破壊衝動のような行為に走らないのは分かっていた。何故ならこの一日の探索の間、近辺にそんな痕跡は一切見つからなかったからだ。


 多感な十代の反抗期ならばまだしも、道端の雑多なモノに八つ当たする人間は少数派だろう。それと同じように、わざわざ自分の身を隠し、狩りの成功率を上げる要素である木々を薙ぎ倒したりはしない。ライオンが草刈機でサバンナの草を根こそぎ刈るかと問うみたいなもんだ。二重の意味で馬鹿な問いだ。


「フッ、フッ、フッ……」


 走りながらも息を整える。劇的に距離は空かないが、詰められもしない。ならば最後にモノをいうのは気力だ。


 牙も毛皮も捨てた現代人類。銃火器が誕生するまでなぜ絶滅しなかったのかとの議題がある。野生の力を捨て、知恵に能力を振った人類にも戦える手段はあるのだ。


 一つは投擲力。投げ槍を代表する原始時代のマンモス狩りを象徴する能力。戦国時代でも投石部隊が存在したほどだ。人類の投げる力は全生物の中でも群を遥かに抜いている。


 そしてもう一つ。それは。


「俺の体力、舐めんなよォっ!」


 大地を踏み締め、枝をへし折り、小さな小石を彼方に蹴飛ばす。


 体力、心肺能力、いや、シンプルにスタミナと言おうか。サバンナを走り回るライオンは人類よりも速いが、短い距離しか早く走れない。反面、人はどこまでも走り続けられる。ゴールが無くとも道が無くとも、何時間でも動き続けられる。歩みは遅くとも必ず先に進むのだ。


 そして俺は厳しい訓練を修めてきた人間だ。心は折れども、諦めが悪いのが俺の人間性だ。


 走った。転んだ。すでに満身創痍だ。立ち上がる間もなく後ろの化け物の咆哮が俺の背に襲いかかる。

 身体中が泥だらけで、頬には小枝が切り裂いた傷が残る。走って身体は熱くなってるはずなのに、背中に迫る音は背筋を凍らせる。


「クソったれっ! 本当にクソッタレだ!」


 気合いの罵声を吐き出し、駆け抜けると目の前に飛び込んで来たのは俺が待ち望んでいたモノであり、最も今、目にしたくなかったモノであった。


「水……? 川かっ!?」


 月明かりに反射する水面、緩やかに流れる澄んだ水は闇夜の月と相まってとても神秘的に見える。反射した揺れる円は中秋の名月よりも綺麗だ。


 だがしかし、これは最も最悪なシチュエーションだ。馬糞、牛糞にも劣るクソだ。


「逃げられねぇっ! チクショウっ!」


 逃げ道が無いのだ。一つたりとも。


 川に逃げ込むか。馬鹿である。足を取られて追いつかれる。陸上競技は川の中でやらない。


 水中に隠れるか。アホである。丸見えだ。かくれんぼ初心者か。夏の蝉より自己主張が激しくなる。


 来た道を引き返す。面白い。一昨年の忘年会で見せたキレッキレのムーンウォークを見せてやる。拍手喝采を送ってくれるかもしれない。歯を噛み合わせることでだが。


 取るべき手段が無い八方塞がりな状況、この状況を回避できる手段はもはや無い。


「ほんっとッ! 嫌な世界だなこの異世界!」


 俺は腰の銃剣を抜き、身に付けていた弾帯のジョイントを指で押して外す。水筒や携帯円匙が弾帯ごと地面に落ち、動きが身軽になる。


「ガルルルルルゥ……」


 頬を叩いて気合いを入れたところで森の中から唸り声が聞こえてくる。見れば追いかけっこで身体が温まっているのか白い湯気が夜の陽炎のようだ。


「フッ、ふっ、くそっ、ふっ、ふっ、こぉぉォォォ……」


 あのダークエルフのサウスを呼吸を真似して臨戦対戦を作ろうとするが、目の前のプレッシャーが対峙するだけで息を絶え絶えにする。


 フッ、と目の前が暗くなる。反射的に身を捩った俺の肩口の間近を、獅子の爪が通り過ぎる。


 死。


 それだけを意識させられ、俺の心が折れかける。


「クッソォォっ! こんなところで死んでたまるかッ!!」


 折りめ目が付きそうな心を地面に踏み付ける。ここで闘志を奮起しなければ、明日の朝にはこのギリシャ神話崩れな見た目の混合獣(キメラ)の糞になる。獅子糞か山羊糞か、それとも蛇糞になるかの三択問題なぞ選んでたまるか。


「来いっ、キメラ野郎っ! 化け物退治なんて、異世界二日目にはもうやってんだよッッ!」


 魂に発破を掛け、自らを奮い立たせる。

 銃剣を両手持ちに構え、震える刃先を獅子の顔へ向けた。そんな俺を山羊の顔がまるで嘲るように口角を歪ませ、目つきをニヤつかせる。


 その目が、上へと泳いだ。


 まるで空から落ちてきたかのように、天上から月明かりに照らされたを振り回すナニカが落ちてき山羊の頭に白銀の刀身を打ち下ろす。


「メェぇぇぇっ!?」


 狩りの横槍を入れられ、面食らった化け物は大きく後退りする。山羊の右のツノが地面に転がる。まるでタケノコだ。茹でた後の。


 そんなモノを見るよりも、俺にはもっと見るモノがあった。


 天上より舞い降りたのは天使では無かった。


 肥大化した尻尾のような、そう、まるで蜘蛛のような下半身。()()の足は人間の骨格をしておらず昆虫を思い起こさせる。

 上半身は下半身の異形とはうって変わって人間の形をしているが、ナニカ変だ。身体の左側に()()の腕がくっついていたのだ。


「な、な、なんだぁ!? お前はっ!?」


 飛び込んできた謎の生き物は俺の声に反応してこちらを振り返る。


 まず、目を向けたのは豊満な胸部。次に腰と蜘蛛のような身体の結合部。くびれが凄い。そして、顔の左側にある四つの目。固く結んだ口の端には内側へと伸びた鋭い牙があった。


 その姿に、認識に、俺は覚えがある。


「神話の世界は腹一杯だぜ……」


 神話に登場する蜘蛛の身体を持つ美女、アラクネと呼ばれる人外の生物そのままであった。


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木天蓼です。 最新話の下方にある各種の感想や評価の項目から読者の声を聞かせていただきますとモチベーションが上がるので是非ともご利用ください。 木天蓼でした。
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