アゝマタ誰ヲタノムベキ
融通の気かない地頭をフルに動かし、これまでの全ての戦いを振り返り、導き出した勝利の導線。思考の果ての至高の結果を目指し、俺は足を踏み出す。
「これ最後だから」
魔法を掛けるとルチアはグッタリと項垂れる。ガックリと落ちた首には汗がびっしりと付着し、インナーの綿の服を色濃く濡らす。
度重なる防御の魔法、それも日に何度も使えない魔法を幾度となく掛けた身体は、回復の薬を使っても無駄なほど疲労しきっていた。
「おいおい、本当にその戦法で平気なのか?」
「なんだ? あんなに悪態ついてたのに俺の心配か?」
「んなっ!? んなわけねーだろ! 俺の能力を使って負けるなんて承知しねーぞって意味だ!」
慌てて目線を逸らして訂正するスパーダを他所にし、俺は改めて考える。
特攻作戦。俺が考えた二つの戦法は同じ特攻でも似て非なるモノだ。
当初の作戦は捨てがまりと名称されるかの有名な戦法だ。殿を務めたモノが激甚な鉄砲射撃により追いかけてくる敵を撃退し、退却をしてはまた待ち構えて射撃をおこなう。関ヶ原の島津といえばこれが一番有名で狂ってる。この戦法は殿を全うする模範的な戦法といえよう。人命を注視していないことを除いて。
対して、改良案の方はいわゆる神風特攻隊。こちらは殿どころか敵に当たって死ぬ前提で作戦を組み立てられている。国土に迫り来る怨敵を身一つで防衛特攻する玉砕作戦。帰還することはほぼ叶わない、人命度外視な最低の愚策といえよう。
だが俺はこちらを選んだ。
後者を選ぶ悔いはない。最善の策であることには変わりないのだから。それに、肉薄するための仕込みはすでに終わっている。
「人事を尽くして天命を待つ……か」
「なにそれ? 誰が言ったの?」
「知らん。お釈迦さまでは無いのは確かだ」
龍と視線が合う。相変わらず生気のない曇った眼をしている。死後は極楽浄土でのんびりしたかっただろうに、なんの因果か醜態を晒している。こんな最期は迎えたく無いものだ。
俺の相手はどうして醜いゴブリンや恐怖の首無し騎士や趣味の悪い人工物が相手なのだろうか。やっと王道物語のようにドラゴン退治が出来ると思ったら悍ましいドラゴンゾンビと来たモノだ。ファンタジーのお決まりパターンはどうした。ロマンはどうしたと一言物申す。
ぐちゃりと湿った足音を出し、俺は動き出す。龍の鎌首が持ち上がると矛先を俺に定めよう視線が動く。蛇に睨まれた様にとはよく言ったモノで、実際に巨大な爬虫類に睨み付けられる気分とはこんな風かと思える。
迫り来るプレッシャーを全身に受けた俺は、そのまま龍に向けて走り出す。
「……!」
緩やかに反応した龍は魔法陣を顔の周りに展開し俺の方へと口を向けてきた。
「そうくるのは分かってんだよっ!」
俺は走るスピードを一気に上げる。龍は動きこそ鈍いが獲物を狩らんとする瞳孔は鋭いままだ。
双眸が曇れど殺意は消えず、冥府に落ちた御身であろうと龍の魔法は俺を容易く焼き殺すだろう。
しかし、そうはならない。
「……??」
今、恐らく、一番疑問に感じているのは龍の方だろう。自身が唱えようとする灼熱のブレスの魔法が一向に唱えられないのだから。死した龍の動きよりもさらに緩慢な速度で魔法陣が構築されていく。
「だろうなぁ? わからんか? なら、美少女エルフに教えてもらいな!」
魔法とは魔の声を聞くことなり。
龍の魔法は火のブレスだ。魔法とは大気中の魔の質に色濃く影響を受ける。これだけ岩肌が露出した地形ではザビガガのように石の魔法が強力になり、龍を相手に時間をしっかり稼ぐことができた。反対にこれだけ朝露や湿った濃い霧の中では火の魔は限りなく少なくなり、昨日のゴブリンを諸共冒険者達を焼き殺した炎ほど範囲も広く無い。しかも度重なる攻撃で火の魔力を大分消費していので尚更その影響は強くなっていて、徐々に魔法の感覚が長くなっていたのだ。強力な攻撃に目を取られがちだが、魔法を使えない俺の目は誤魔化せない。
だが、腐っても鯛。死に朽ち果てても龍。
龍の魔法陣はゆっくりながらも完成し、待ってましたとばかりに発動される。口の辺りに収束した魔力が溜まっていき、今まさに発射されんとする。
「スパーダ!!」
龍の口元から黒く染まった炎が漏れ出すのを確認し、俺は声を上げて合図を出すと同時に俺は姿勢を低くする。
「俺のはちと荒っぽいぜ! 行けッ! 飛翔ッ!」
合図を出すと身体全体を薄い布生地で包み込まれたような違和感を感じた。子供がカーテンで遊ぶみたいに、魔力でぐるりと包まれれ、さらに背後から強く吹き飛ばされたような衝撃を受ける。
放出された火の塊が霧の水分を蒸発させ、大気を熱して迫り来る。それを飛翔の魔力で押し出された俺の身体は髪の毛一本分、文字通り間一髪のところで避け地面が赤黒く燃やされるのを後ろ目で見送る。
「駅のホームはお気をつけてかぁ!?」
通勤ラッシュでサラリーマンに押し飛ばされたようにたたらを踏むと、また身体が押し飛ばされたように吹き飛ばされる。さっきまでいた場所に岩の破片が吹き飛んでくるのを気配で感じると俺は魔法の勢いをそのままに走り出す。
この特攻作戦はいかに相手に肉薄するのが最大の焦点であった。全力で走っても魔法で防いでも近づく前に吹き飛ばされる。
ならばどうするか。簡単だ。こっちも吹っ飛べば良い。
銀狼のスパーダは能力を持っているが、他の異世界からの人間の例に漏れず魔法を使用でき、自分の持つスキルを有効活用するために飛翔の魔法を組み合わせて使っているのだ。飛翔の魔法限定でいえば、練度は本職の魔法使いにも劣らないはずである。そこを利用させて貰った。
屈強な自衛官であり、タケさんの下で鍛えに鍛えた身体ならば多少吹き飛ばされても身体は無事だし、不整地などや険しい地形で戦闘訓練を行ってきた俺の体幹ならば魔法の推進力を利用して一気に龍に近づけるとの判断だ。
そして、その判断は間違っていなかった。
「はろーはろー、警衛明けの新隊員みたいな顔だな。そろそろおはようの時間だろう?」
眼前に見上げるは龍の顔。ブレスを吐き終え、チリチリと口元を焦がした龍は、開いてるのか閉じてるのか判断し難い双眸をこちらに向けてくる。
俺は目線を全く合わせず素早く背負っていた84無反動砲を降ろす。握把を握りトリガーへとを指を曲げずに伸ばし、左手を支えの役目を果たす前方の握把へ向け、握りしめる。
異世界式神風特攻作戦の第二段階。無反動砲による近距離攻撃を行う。
本来ならば後方爆風の関係で打ち上げ気味の射撃は自殺行為だが、龍の息吹すら一撃は耐える魔法の盾ならば後方への殺意が高い後方爆風であろうと身を守れるであろうし、着弾からの衝撃もある程度防いでくれる筈だ。
これが生き残りを賭けた特攻。死中に活を求めた戦法である。
「後方悪し! 目標、前方の死に損なぁいッ!」
俺は後ろを見ずに声を荒げる。ここまで来たら後ろを振り返る必要は全く無い。狙いを定めて撃つのみである。
狙うは頭、ではなく致命となったであろう首の大きな傷。
龍の身体は甲冑が如く重厚な血の外殻に包まれているので、防御力は並みではない。だが、隙が無いわけでもないのだ。
古来より戦争に明け暮れた人類は最強の武器を作ることと、最高の防具を作ることに苦心していた。武器は銃という完成形に至ったが、防具は未だに至高に辿り着いてない。機動性と防御性の両立という課題に永遠に悩まされ、至高を見ることすらできないのだ。
絶対に守れない箇所。それは関節。軽快に生物が動くためには外側はともかく内側を外殻で覆うわけにはいかないのだ。つまりブレスを使うために首を動かす以上、弱点である首の斬傷そのままなのである。そこへ上手く当てれば傷口から上を千切り飛ばせるだろう。
照準し、狭まった視野のピントに斬傷が重なる。滴る黒い液体が俺に向かって落ちてきて手に掛かった、気にせず俺は敵を見上げる。そして撃とうと指が僅かに動く。
「死ねぇぇぇェェッッ!!」
雄叫びを上げ引金の指を動かしたところで俺は違和感に気がつく。
「えっ?」
いくら引金を引いても弾が出ないのだ。無論、この土壇場で安全装置を解除し忘れるなんてミスはしない。異世界に来た当初ならまだしも、今更そんな初歩的なことはやる訳ない。
手応え的にはナニカが引っかかり引金を落とせないが正しく、俺は不思議に思い目線を右手に移す。
そこにあったのは思いもよらないモノ。
右手に纏わりつくのは無数の粘液、いや、蠢く粘体であった。
「んなっ!? スライムかこれ!? このゲル野郎!」
慌てて振り払おうとするが真っ黒なスライムはヌルリと湿って滑っていき、掴み所が無くその身は遂に右手を覆い尽くしてしまい、俺の手から84無反動砲を滑り落とさせた。
「このヤロっ! どっから湧いて出て来やがった!?」
否、湧いて出てきたのではない。苛立ちから不意に上を見上げた俺の目には、龍の首の傷口から無数の黒い粘体が落ちてくるのが見えた。奴らは上から降ってきたのだ。龍の中から。
次々に降ってくる黒いスライムは互いが重なり合い結合されていき、徐々に大柄な俺の身体に迫る質量になっていく。
「ちょちょ!? 待てってーの!」
覆いつくさんとばかりにへばりつく粘体を落とそうと必死に両手を振り回すが、効果は薄く、俺の口を塞ぐに至るまできてしまった。
玉砕上等の特攻作戦を実行していながらも、何も果たせずに死ぬ。それのみならず、山の上でスライムに塗れて溺れ死ぬとは冗談ではない。必死に抵抗するが腕は粘液に絡め取られて満足に動かせなくなっていく。
(死に様これかよ……ッ!)
こんなことならば、先のダークエルフの手に掛かって死んだ方が死後の武勇伝として名を残せただろう。最強の生物に殺されたなら箔がつくが、最弱のスライムに殺されたとなれば名誉に泥が塗られる。
遂に目まで覆わんと粘体は迫り、長く止めていた呼吸に肺は限界を迎え視野が狭窄していく。もはやこれまでと意識が朦朧としてきたところでナニカが視界に飛び込んでくる。
銀と黒の二色。たなびく銀の線が薄れゆく視界の中に映ると、黒の中から白い歯のようなモノが見えてきた。
「ヨォウ、ガォデ、ヴェロヨ、ガォデ」
それだけ聞こえると俺の耳はスライムの粘液に塞がれてしまう。
狭くなった視野で最後に見えたのは白い歯を見せて笑う何者か。どこからとも無く革の袋を取り出し俺に向けてぶち撒ける。ビー玉サイズの黒い玉が俺の顔にパチパチ当たると、俺の目まで黒い粘体が包み込む。
視野が黒に染まるまさに今、赤目のダークエルフであるサウスが己の両手首に装着している腕輪を思い切り上下に交差させる。耳が塞がっているのに聞こえる甲高い金属音が鳴るとほぼ同時に火花が発生する。先にぶち撒けた黒い球に火花が触れると、有無を挟む間もなく玉は爆ぜた。
「うわァァァァァァッッッ!!!」
爆破を見たことある人間はいても自分が爆破されたことがある人間はいないだろう。少なくともこの世には。
瞬間的な爆炎と熱、全身を吹き飛ばすような衝撃、身体に纏わりついていた大量のスライムがいなければ俺なんぞは即死していただろう。計らずとも耐衝撃剤と冷却剤の役目を果たした黒い粘液は直上にいた龍もろとも吹き飛ばされていった。
スライムから解放された俺は座り込みゲホゲホと大きく咳き込む。その前にサウスが立つ。だが、こちらは爆破の衝撃と粘体の不快さを咳で吐き出すのに忙しく顔を見る余裕はない。
「ヴェロヨ、ヴェロヨ、ガォデ、グロリアン」
声が聞こえるが、俺は咳で返事をする。必死になって呼吸を止めてたおかげで黒い粘体は鼻や口で止まり、何度も咳き込むとビチャビチャと音を立てて地面に落ちる。
ふと、頭に手で触れられた感触がする。まるで労いの意味でも込められたかのような優しさすら感じる。
「あ、アンタ今……俺を助けたのか?」
俺の問いかけは無視された。端正な横顔は俺を見ずに今し方吹き飛ばした龍の方を向いている。
「ゴホッ、いや待てよ? お前がここにいるってことは……」
気付いた刹那、俺はサウスの胸ぐらを掴む。
「てめぇ! アルベインを殺しやがったな!?」
足止めした相手がここにいるということは、戦っていたモノが敗北したという何よりの証。ならばこいつが涼しい顔をして立っているということは、そういうことだ。
「オハ!? ステオぺ、ステオぺ! ンケオワ、グロリアンワオロロイヨ、ハイムー、ア、ルイヴェ!」
胸ぐらを掴んだ俺を嗜めるように手でポンポンと叩くと親指で後ろを指す。
サウスの肩越しの向こう側を覗くと奥には膝に手を付き、遠目でも分かるくらい肩を上下に動かす荒い呼吸をしているアルベインがいた。見た目はかなりボロボロで血も至る所から流れているが、致命傷に至ってそうな雰囲気はない。
仲間の無事が分かり先ずは安堵の息を吐く。っと次に思うのは疑問だ。
「なんなんだお前は? 俺達を殺したり生かしたり、挙句助けたりよぉ? 何が目的なんだ? 何がしたいんだ?」
もっともな質問をぶつけてみた。今思えばこいつは魔法都市でも戦っていた俺達を全く殺そうとしなかった。騒動の元になっていたフーバーは殺意満点で刺していたが、結局のところ命は奪っていない。かと思えばこの山では見境なく殺している気がする。サウスの行動理念がイマイチ理解が出来ないのだ。自由気ままなネコだと思えばいいのだろうか。
俺の問いかけに対して少々逡巡した様子のサウスは顎に指で触れ考え込む。今までの姿とは異なり、やや困っているようにすら見える顔で彼女は口をゆっくりと開く。
「デオンテ、ケ、ンォワ? コノオ……」
言葉は途中で止まる。サウスはナニカを察知したのか首をグリッと先ほどの爆破で吹き飛ばした方向に向けて大剣を構えなおした。
ただならぬ気配を感じた俺は急いで落とした武器を拾う。先ほどの爆発で弾薬が誘爆しなかったのは僥倖だ。自分の武器で死ぬなんて笑い事では済まない。
「グアォォォっ!!」
無反動砲を背負い、軽機関銃を構える俺の前で爆破で吹き飛ばされた龍が立ち上がる。ボロボロの身だが闘争本能は衰えてないのか、眼が赤黒く煌々としてる。
緊迫感を感じつつ銃を構える。その俺の射線を遮らず、尚且つ前衛でカバーできる絶妙な位置にサウスは移動し始める。完全に俺へ背中を見せた形になったところで大剣を担いで構える。
「アンタまさか、共闘しようってのか?」
完全に振り返らず、ニッコリと笑った横顔を見せたサウスは後ろ手で指を二本立て軽く振る。
「テイク、イット、イージィー。オーケィ?」
「…………んっ!? おいおい、今なんて言ったよ?」
俺に返答をせず、代わりに大剣をぶるりと大きく振るうと龍に相対する。
「クソクソ、クソッ! 生き残れたらアンタを問い詰めるからな!」
グロリア語ではない明らかに聞き馴染みのある発音を聞いた俺は狼狽えるが、今はそれどころではない。
度重なる命の綱渡りを経て、命知らずの特攻精神を持ち、ようやく俺という一人の自衛官は龍の足元に及んだ。先ずはコイツを他に伏せなければ後の話はない。
前衛を務める残虐非道なダークエルフの背中に絶大な安心感を感じながら俺は作戦の締めに臨んだ。