想定可能対処不可能
龍が吠える。折れた翼を震わせ、喉元から夥しい黒い血液を撒き散らし、咆哮するたびに全身の傷口から血が溢れていく。大気は龍の怒りに触れ戦慄いてるのか、冷たく騒ついている。
死んで亡骸を解体され、素材へと姿を変えさせられる。誇り高き龍の身から金のなる木へと落とされる辱めを決して容認出来ない、死しても認めず。そんな意思が込められてるようにも聞こえて来る。
「ストーンエッジ!」
ザビガガは大地に手を付け魔法を唱える。触れた地面から石くれの破片が集まり円盤状に形成されるやいなや、一直線に龍の足へと飛んでいく。龍の右足に当たった石の破片は鱗をいくつか弾き飛ばし、血を流させた。
しかし、微々たる損傷など意にも介さず龍は右手を振り上げて攻撃をして来た者に向け叩き下ろす。
「ぐぅぅ!?」
間一髪で避けたザビガガであったが、跳ねた石片までは防げなかったのか顔に細かな石が突き刺さる。
「ファイアボール!」
次いで放たれた火の魔法も顔を焦がすが、反撃を止めるまでには至らず龍の前腕がルチアの頭上を掠める。
「ひゃい!? ぜ、全然効いてないよ!」
「暴れすぎじゃないですかあ! 無理ですヨォ!」
鈴音ハルカの悲鳴が俺の耳まで届く。まさしく絶対絶命の大ピンチに出てくる絶望の悲鳴と言える。
このままではダメだ。可及的速やかにあの龍を行動不能にしなければ。
だがそれは即ち、相対するダークエルフに背を向けることになる。つまり、自殺志願者になるということだ。背中の傷は戦士の恥という概念が相手にあればよいが。
「行ってくだされ。こやつの相手は一人で充分ですぞ」
俺の胸を押し退け、アルベインは五歩ほど前に出る。
「丸腰は無理だろ。剣貸すから使えよ」
気持ちは有難いが丸腰は無謀だ。弾帯に備え付けてある小剣を抜いて渡そうとしたが、アルベインは受け取らず手で制止する。
「ハジメ殿、このアルベインは勇者でありますぞ」
さらに一歩前に出る。
「勇者とは王国で最も強き者でありますが、私が父上から教わったのは少し違います」
片手を前に差し出し、言葉を続ける。
「勇者とは、最も勇気がある者。仲間を、人々を命懸けで助ける者なのです! 仲間を想う心の力は鋼の剣よりも強靭なのです!」
手に魔力が集まりやがてそれは剣の姿を形取る。もう片方の手を出すとまたも魔力が集まり、上半身をカバーできる大きさの頑丈そうな盾が出来上がる。
魔力による剣と盾の出来上がりだ。魔法剣士という言葉がこの上なく当てはまる。
「行ってくだされ。今まさに、アルベインは仲間を守るために戦いますぞ! 勇者として!」
俺の前に立ったアルベインの後ろ姿は、まさしく俺が想像する勇者そのモノの姿をしている。威風堂々、勇猛にして勇敢、そんな言葉の羅列が浮かび上がるがどれも今の凛々しい後ろ姿には些か言葉不足だ。
相対していたダークエルフのサウスも勇者の姿に思うところがあったのか、どこか余裕な雰囲気は無くなり、こちらの肌がピリつくような気を発してくる。
「頼むぜ勇者! 俺は向こうへ行くから、助けが欲しかったら呼べよ!」
「呼ぶのは結婚式だけですから心配無用!」
自信満々のアルベインにこの場は任せ、俺は走って仲間達の元へと向かう。後ろを顧みずに。
「オッケー。カモン、ベイビー……」
「む……なんて言いましたかな?」
二人の会話が聞こえたがよく聞き取れず、剣戟の音へと変わる。急ぐ俺はそれらを聞こうとせずに走り始めた。
―――――
「いやこれ結構ヤバいぞ」
最強二人の戦いを背後にしたのち、俺は思わず呟いてしまった。
見上げるほど大きな龍を前に、ルチア達は魔法を使い戦っている。炎の魔法、石の魔法、よく分からない黒い塊の魔法。どれもこれもがイマイチ効いてないように見える。ケロッとした顔で龍は、いや、元が血だらけなので平気な顔ではないがとにかく余裕がありそうだ。
「自衛隊さん! ムリムリ! あいつヤバいですって!」
龍との戦闘から一番離れた位置にいたのは非戦闘員である鈴音ハルカとロック、そして気絶したままのテッドだ。慌てふためいてる鈴音ハルカはこちらへ走ってくるが短い距離にも関わらず何度も転びかける。
「落ち着け、状況はどうなってる?なんであの龍が動いてんだ?死ぬほど疲れてんだから起こさないでやれよ!」
「そうですねー! 殺すのは一番最後にしてやるってやつ〜……って違うッ! そんなボケたこと言ってる場合じゃ無いですって!」
非常事態ではあるが頭の回転は速いようだ。アホな発言にツッコミを入れて落ち着いたのか、鈴音ハルカの呼吸が次第に整う。
「ふぅ……とにかくアイツはいきなり動いたんですよ! 離脱準備完了であとは相手の出方を見て逃げるはずだったのに、推しを応援する以外で初めてあんな悲鳴出しましたよ!」
推し云々は知らないが余程ビックリしたのだろう。ともかく、話から察するに今のところ仲間は誰も死んでなさそうだ。
「幸いにも動きが鈍いのでなんとかなってますけど、ルチアさんの魔力は回復したとはいえ限界近いし、ザビは人型相手ならまだしもあんな大きいのと戦い慣れてないし、これ結構ヤバいですよ?」」
「お前は戦えんのか? 攻撃魔法は使えないのか?」
俺の質問に何を言ってるのか分からないとばかりに、キョトンとした顔の鈴音ハルカだが、少し間をおいて理解したのかやれやれと言わんばかりに呆れた顔で質問に答える。
「魔法で攻撃なんて、銃好きに対する冒涜だと思いません? 私は炎の魔法使うよりも手榴弾を投げたがる淑女ですよ?」
「知らんのか? 淑女は手にM26手榴弾じゃなくティーカップを持つんだぜ」
「大英帝国じゃないんだから戦地にティーカップなんてありませんよ?」
冗談を言って場を和ませてみたが、互いに表情は緊張感が残る。やはり俺にはユーモアのセンスがないようだ。小粋なジョーク集でも元の世界に帰れたら買ってみよう。そんな機会は来ることないが。
「あの龍がなんで動いてんのかは知らんが、幸いにも動きは鈍い。遠距離戦でチクチクやるぞ。これが俺の十八番だしな!」
「卑怯とは言うまいね。って戦法ですね」
ゴブリン共を襲撃した時と違い、動き出した龍の動きは非常に緩慢だ。龍の魔法を唱える素振りもないし、機敏に空を飛ぶわけでもない。ただ力任せに巨体の腕や尻尾を振り回すだけだ。これならば適切に距離を取って戦えば何とかなる。
「ハルカ。お前はテッドとロックの元に行って隠れてろ。俺はルチア達をこのまま援護する」
「りょーかいです! 事後の行動にかかります!」
敬礼をした鈴音ハルカが離れたのを確認してから俺は軽機関銃の銃口を龍に向け、すかさず六連射を撃ち込む。弾丸は龍の頭の鱗を弾き飛ばし、傷付いた頭をさらに血だらけにする。
射撃に反応したルチアは俺へと一瞬だけ目配せをし、射線から外れるように横へズレるように移動する。遅れてザビガガも反応し同じような行動をとった。
射線を遮るものは無しと判断した俺は続け様に射撃を開始する。
射出された弾は確実に龍の身体を削り、ドス黒い血を吐き出させる。顔に至っては弾薬を集中的に放った為、顔面は血塗れだ。流れる血が涙にすら見えてくる。
「スパーダ様を舐めんなよッ! くらえ、斬波ッ!」
気合の入った掛け声から放たれた黒い刃の一閃は龍の胴体を斜めの一文字に切り裂き激しい損傷を与える。今までダメージを感じさせなかった龍であったが、ここにきて初めて地に崩れ落ちる。
「やったか!?」
徹底した遠距離攻撃により、龍は明らかなダメージを受け、今は倒れてからモゾモゾと動くだけで立ち上がる気配すらない。続きの射弾を浴びせるか迷うほど相手のダメージは濃厚だ。
「どうだ! 俺のがトドメだ! 見たかお前ら! お前らァ!」
ついに身動き一つ取らなくなった龍を見て勝利を確信したのか、一撃を加えたスパーダは空に向かって拳を突きあげる。どこに向けてるのかは言うまでもあるまい。
「いや、まだ油断すんなよ。呆気なさすぎる」
対人用の銃弾が龍に効いたのも驚いたが、今まで苦戦してたのに俺が到着し助力した途端に戦況が動いたのがなにか怪しい。
異世界に来てからは予想外のことが頻発してる。いきなり歳とった後輩や首の無い上官など元の世界ではあり得ない事ばかりが起きている。
【敗北をする者とは、勝利の味より先に慢心の味を覚える者だ】
油断しない。この世界では一瞬の油断が命取りになる事が多々ある。見た目は瀕死の龍でも次の瞬間には首が三六五個に分裂して一年間交代で火を吹いてくるかもしれない。日替わり定食ならぬ日替わりドラゴンだ。この世界にキリスト教はないから安息日はなさそうだ。
勝利に湧くスパーダを他所に俺はルチアへ目配せして油断しないように伝える。
見ていた時間は数秒にも満たなかったろう。油断せずに様子を伺う俺とルチアの視線の先にいる龍に変化が出始める。
ぞろり、ぞるり、ずるずると、滲み出た血は喝が入ったかのように脈動が速くなる。
噴き出ていた血が徐々に固まり、その下からさらに血が溢れて固まる。地層のように積み重なる固形化した血の塊はカサブタなんというカワイイ表現では無い。
まるで、そう、ヴァイキングの時代のノルド人。インナーに中綿入りの服にチェインメイルや甲冑を重ね合わせたかのような重厚さ。装甲に装甲を足す現代戦車の様相。戦国時代の鎧武者のように機動性度外視な重装備が如く。
血が滲み出て澱み固まり重ね合い、龍のボロボロだった身体は漆黒の血鎧に身を包み、体躯を元の倍近くに肥大させていった。さながら雨後の滝のように見るモノを圧倒させる迫力、人間がどう足掻いても対処不可能な自然の暴力のように大きな存在感を放っている。
ドス黒い赤の血鎧に身を包んだ身体から、漆黒の双眸が戦場を見渡す。生気のない目は順繰りに敵を見つめ最後に俺と視線が合った。
「ほら。言ったじゃん。油断するなって。意味なかったけどよぉ」
蛇に睨みつけられたカエルのような緊張感の中、危うく落としそうになった軽機関銃を持ち直し俺は誰に言うも無く愚痴を溢した。