二人。
槓桿を引き、薬室に弾丸を送る。カチャリッという金属音を伴うその動作を今まで幾度と繰り返してきたことか。
銃を扱う仕事をしてる人間ならば、といっても自動小銃を日常的に持つのは自衛官ぐらいか。ともかく、手に馴染んだこの動作は、テレビやマンガを見ながら歯磨きするのと大差がないくらいほとんど淀みなく行えるほど慣れている。
だが、この一つの動作をここまで長く感じたことは今まで一度たりとも無い。
視界に映るモノが酷く遅く感じる。アスリートが極限の集中力を発揮して全てがスローモーションに見えるゾーンと呼ばれるモノや、死を目前にして走馬灯が流れてゆっくり見えるとはまた違う。目を奪われているとの表現が一番的確だと思う。
俺はあのダークエルフに恐れを抱くと共に、ある種の憧れを抱いていた。殺しをするところでは無い。この異世界で、物語の主人公のように自由に生きているところだ。
アイドルやスーパースター、ヒーローを見るように、子供がテレビを食い入るように観るのと同じように目を離せなくなる。それと同じ。
「フフッ」
弾を込め終え、いざ目線と照準と標的を合わせたところで俺はダークエルフと目が合い、少しだけ笑っているのが見えた。
その微笑みに向けて、引き金を引く。フルオートで。
引き金を引き絞り、弾が出る感覚を肌で感じるよりも若干早くサウスの持つ大剣が動き地面に刺さる。それから。
目の前の地面がいきなり、全て爆ぜた。
「ウォォオォオッッッ!?!?」
日頃の演練の成果で指の感覚で六発ほど射撃したのを分かったが、後は目の前に拡がり迫る砂や土の煙幕と石飛礫から身を守るのが先になり、とてもじゃないが射撃なんてできない。
俺は咄嗟に身を屈めて腕を腕で顔を覆おうとした。だが。
一瞬にして視界が真っ暗になり、次いでナニかが顔面にぶち当たる感覚を味わった。衝撃は顔に当たったはずなのに、グルっと身体が縦に回転した感覚を味わい、地面に身体全体が叩きつけられる。
「ッッッ!?」
槓桿を引いてから構えて銃を撃つ。その淀みない動作。それからの回避。四秒にも満たないこの時間の結果は、俺が地面に熱烈なキスをして終了というモノであった。
(ナニが起こった!?)
天地無用とばかりに吹き飛ばされ、地を這う俺は混乱する頭を収束しようと現状把握に努めるが、周りは噴き上げられた土と砂埃で視界が悪くとてもじゃないが周りを把握できない。
ヒュンっ。
風切音だけが聞こえ、すぐさまナニかの破裂音が耳に届く。続いてまた爆発のような破裂音が聞こえ人の断末魔のような声が遅れて聞こえてきた。
(この状況はマズイッ!)
っと思うのも束の間。周りを確認しようとなんとなし右を向いた俺の鼻先にナニかが当たり通り過ぎる。そして右耳から誰かの悲鳴が聞こえる。
「ヒノモト殿ッ!」
声が聞こえてきたと思った矢先に人影が俺の前に現れてまたもや飛んできたナニかをすかさず剣で叩き落とす。
「アルベインッ! 助かったぞ!」
「無事で何より、恋敵が減らずに残念でしたぞ!」
この窮地に美形の男が命を救い、ニッコリとイケメンスマイルを見せたら惚れない女はいないだろう。あいにく俺は男だが。
「状況分かるか?」
「この目眩しに合わせてナニかを投げてきてますね。それもえらく速い。あの男の取り巻きが一人頭を吹き飛ばされてましたな」
背筋がゾクリとする。あの顔に当たった衝撃はそれほどのものだったのか。鼻先を触ると革手袋の指の部分にベッタリと赤い血がついている。どうやら最初の一撃か地面に落ちた時に鼻血を出してしまったようだ。
俺が生きてるのはルチアの魔法があったからだろうが、龍の攻撃を受けてもダメージを全く受けない強力な守護の魔法が、たったの一撃で無力化されあまつさえダメージを与えてきた。
このことが意味するのは単純だ。ダークエルフのサウスは龍よりも強い。それも僅差ではなく遥かにだ。
「何を投げてるかわからんが、避けるしかねぇ。あの女の手荷物はなさそうだし、弾も尽きるだろ?」
「ですな。手応えから察するに金属の球でありましょう。質量からして沢山持てはしないでしょうし」
会話が終わるやいなや、またもやナニかが飛んでくる。アルベインが剣で弾き返すと火花を散らし砂塵へと消える。
「視界が確保できたら撃つからな。流れ弾に当たるなよ」
「なんと、無言で私に当てると思ってましたぞ?」
「シツレイナっ。恋敵が減ったら寂しいだろ?」
ヒュンヒュンとモノが飛ぶ音の中、少しずつ砂塵が晴れていく。俺は身を屈めてアルベインの影に隠れ、敵からの球を防ぐのと死角からの不意打ちで射弾を撃ち込む準備をする。
断続的な風切音。アルベインの肩越しから敵を伺う。また一つ風切音。砂塵で視界が悪い中、平らな線のようにしか見えない飛翔物は誰もいない方向へと飛んでいく。
「今のは外しましたな。ヒノモト殿。視界が晴れますぞ!」
砂が晴れ、視界の先に山の澄んだ青空の景色が見え、景色の中にダークエルフのサウスはいた。距離は十五メートルといったところか。拳銃でも当てられる距離だ。
元の位置からも動かずにいるサウスは大剣ではなく手にナニかを持って振り回しているのが分かる。投石するための道具だろうか。細く長い紐の輪っかの連続みたいな、よく分からないモノがブンブンと振り回されている。
「んん?」
一目で分からなかったが、照準するために視野を集中させた瞬間、紐の正体を理解する。同時に俺は今まさに距離を詰めんと踏み込んでる最中のアルベインの足を思いっきり引っ張り転ばせる。
「んが!?」
「伏せろっ!」
言うより為すが早く、俺はアルベインを無理矢理伏せさせてから叫ぶ。一呼吸おいて俺達の頭が有った場所にナニか平べったい残像が通り過ぎる。それはサウスの手元に吸い込まれていき、パシッといい音を鳴らす。
俺は勘違いをしていた。奴は投げていたのではない。武器を振り回していたのだ。その武器は砂塵が完璧に晴れてその姿を露わにする。
鎖鎌。
先ほどまで扱っていた血まみれの大剣は影も形も見えず、持っていたのは鎖を幾重にも繋げロープのように長くしたものだ。長い鎖状の紐の先には円筒型の六角形の金属の重り。今しがた手元戻ったのは血がベッタリと付着してる点を除けばどこにでもある普通の形状の鎌だ。
「忍者かっ!? ありえねぇ!」
忍者が異世界にいることではない。鎖鎌を平然と振り回してることだ。
古来より鎖とは重量物を固定したり、あるいは暴れる猛獣を捕縛するモノなど、いわば麻では耐えられないほどの強力な力に耐えられるように作られている。強度の分、重量もかなりのものである。
以前、タケさんとのトレーニングの一環でベンチプレスに鎖をつけて行ったが、一メートルほどの鎖でもかなりの重量であった。あのダークエルフが振り回す鎖はトレーニング用の鎖よりもさらに太く見える。即ち重量もそれに見合って超重量だろう。
それを目測で十五メートル。いや、それ以上の距離を飛ばしてることと、手元にまだ鎖の余裕があることからさらに長かろう。
あり得ない。サウスと呼ばれるこのダークエルフは、目算にして百五十キロは下らない重量を目にも止まらぬ速さで、しかも片手で振り回し、あまつさえ正確に頭部に当てるという離れ業を行っている。人間技ではない。ダークエルフだから当然人間ではないのだが、女性にしては背が高く大柄とはいえとても扱える重量ではない。規格外の腕力を持つか、何か特殊な魔法や能力でも使っているのだろうか。でなければあの重量物を使いこなせない。
そのあり得ないモノの塊が、眼前へ迫る。
「ふっ!」
髪に触れるやいなやのところでアルベインが分銅を弾き返す。鉄製の分厚い剣が火花と一緒にギシリっと音を立てている。今はまだ上手く弾き返せているが、いつまで剣が持つかも分からない。
「分かれるぞ。やられなかった方が攻撃する」
「名案ですな。どっちがやられても恨みっこ無しですぞ」
有効打を与えなければ、こちらはいずれジリ貧で追い詰められる。ならば、一か八か攻勢を仕掛けるしかない。
二人同時に散って攻めればターゲットは分散される。見るに相手は鎖鎌以外のモノを持っておらず、周りにはさっきまで使っていた大剣も無い。隠せる大きさのモノでは無いので暴力的な腕力で誰かに向かって投げつけたのだろう。
相手の武器が鎖鎌なら接近戦にさえ持ち込めれば勇者アルベインの実力なら優位に立てるはず。作戦の問題は鎖分銅を投げつけてくるのはほぼ間違いなく俺だということだ。
当然だ。あの分銅を俺は弾き返せない。つまり、死に物狂いで避けるか、宝くじに祈ることの逆をしなければならないのだ。どうか外れてくださいっと。
俺は背負っていた荷物と装填済みの無反動砲を降ろす。少しでも身軽にする。息を深く吐き出し、大きく深呼吸をすることによって不安を和らげる。
そして。
「いくぞ!」
「承知!」
覚悟を決めた。死亡率激高でクソみたいな作戦だが、これでいくしかない。
【最善の作戦が最高の結果を生むとは限らない。唾棄すべき作戦からでも最高の結果は生まれる】
ほぼ同時に走り出した。荷物のない俺の方が早いと思いきや、アルベインの方が速かった。否。アイツは左右に分かれるといったのに直線で走りやがった。
(いきなり違えじゃねぇか!)
俺と同時にアルベインもハッと気付き、ミスしたという顔をしたがそのまま意を決して直線に走る。
ミスをしたと言ったが、この状況は意外と悪くないかもしれない。いや、むしろ良い。
左右に散れば相手はどちらを選んで攻撃しても後手に回るので隙を作りやすい。その隙を突いて接近戦なり射撃などができた。反面、狙われた方はかなりヤバい。無論、狙われるとは高確率で俺のことだ。なので死ぬ気で避ける必要があった。
反対に一人が直線に走れば、この場合はアルベインだが狙いは恐らく肉薄せんとする方に集中し、俺がフリーになる可能性が高い。さらに左右に散るのと同様、横に動くので銃の射線が被らなくなる。
銃の安全装置はすでに解除済み。射場なら怒られるがここは戦場で戦闘中だ。
走りながらも目視で標的を正確に視認し、俺はサウスの挙動を注意深く観察する。
ぐるりぐるりと、たおやかに、鎖を回してナニを考えているのか分からない顔をしている。
変わらぬ顔のまま、奴は行動をする。鎖鎌を俺達の方へと投げてきた。両手をぐるっと回して鎌と分銅を両手同時に。アルベインと俺に目掛けてぶん投げる。
「っ!? そ〜きたかよッ!」
持ってる武器を投げつける。戦場での最終手段の攻撃方法だが、意外にも優秀な戦法である。だが、丸腰になるその戦法を初手で行ってくるのは無謀か考え無しのどちらかである。さらに両手で同時投げは精度が落ちるのか、視認できるくらいはゆっくりで、しかも明らかに俺の手前で落ちる軌道だ。
これなら分銅は無視して射撃を行っても問題なさそうだ。すぐさま構えるために視線をサウスへ移す。
瞬間、サウスの指が放った鎖の一部に触れて微かに動いたところまでは確認できた。そして分銅が地面に当たり、跳ねる。
認識した刹那、胸部へ甚大な衝撃が背中の遥か彼方にまで貫いていく。
「カッッフゥ!?」
呼吸音しか吐き出せないほどの激痛。この世に痛みの単位を競う大会があるなら文句無しで永生一位の破壊力。生まれてから経験したどの痛みと比べても比較対象が見つからない。むしろ痛すぎて思考が逆に冴え渡る気さえしてくる。
「ヒノモト殿ォッ!?」
視界の端にいるアルベインは飛んできた鎖鎌を弾き返し、遅れてきた鎖の線を屈んで避け終えたところだ。
酷く視界がゆっくりに見える。死が迫ると全てがスローモーションに見えると何かの小説で読んだが、さもありなんだと思う。
遅れて飛んできた鎖の縄が慣性の法則の理論そのままに俺の方へと飛んでくる。
初手の分銅を跳弾させた攻撃で致命の一撃として充分だろうに、用意周到にトドメを刺しにくる。念には念をとの言葉があるが、出来れば他人に使って欲しい。
もはやここから打てる手はない。俺の前世がかの有名な三国一の天才軍師なら挽回の手が思いつくだろうが、そんなこと望めもしない。胸の痛みでもはや銃も持てず、ガチャリと音を鳴らして落としてしまった。
血が口から垂れるが、拭う手が動かない。観念して目をゆっくり閉じる。閉じる間際、鎖が俺の顔面に向かって来たのだけは分かった。
どうやらここで、長くて短い、楽しくも残酷な、異世界生活は終わりのようだ。
………………
…………
……
…
「ファイヤーボール」
閉じた瞼の向こう側が赤く光る。再び目を開けて見れば煌々と燃ゆる火炎の塊が鎖に当たり、爆ぜる。衝撃で鎖は軌道を変え地面へと落下し速度を落としつつも跳ねて俺の目の前で止まった。
「らしくないよ? 諦めちゃうなんてさー」
彼女は片手を前に突き出し、半ば挑発するように笑う。
「ルチア……」
窮地を救ってくれたのはルチアであった。ほぼ魔力を使い果たしていたはずなのにさらに魔法を使い、笑う余裕なんて既に無いはずなのに、俺を二つの意味で救う為に頑張ってくれているのだ。
そのことに気付いた俺は、諦めかけていた身体と死にかけの精神に火が入るのを感じた。煌々と心の中で闘志が煌めき燃え上がってくる。
「俺らしくなかったか……あぁ、そうだな。そう。らしくなかったなァッ!」
彼女の、ルチアの激励の言葉を受け俺は立ち上がる。俺がいつだってそうしてたの忘れていた。
近代火器が効かない。作戦も戦法もない。スキルも能力も何も無い。ならばどうするか。そんな敵をどうしてきたか。
思考を加速させる。頭が良く無い俺だが、考える事と諦めない事だけはいつだってやってきた。
今回もそうだ。決して諦めない。勝てない相手でも、決して負けない。そう生きてきたのだから。
この世界に来た最初の日から彼女に支えられて生きてきたのだから。
ならば、ならばこそ、俺は戦わなければならない。
俺は立ち上がり、再び銃を手にした。