何があろうとも
マッチを擦り火を灯す。赤く揺らめく赤い頭を目の前に持ち、そのまま口に咥えている細長い円筒状の筒の先端へつける。ニ、三度息を吸い込むと先端部分はチリチリと火が灯り薄らと煙を上へとあげていく。
息を吸い込む度に混ざり気の無い葉っぱの香りが鼻腔と肺を満たしていく。それから大きく咳き込んだ。
「ゲェ……不味っ。肺に悪い味がする」
「この世界の煙草は身体に合いませんでしたか。ジネス様に用意してもらったのですがね」
バツが悪そうにザビガガは顔を曇らせた。
「次からはフィルターも用意してくれ。それか電子タバコを頼む。無理なら禁煙だ」
不評を言いつつもまた口に咥えて一息吸う。よく分からない香草の、例えるなら夏の動物園の臭いのような風味の煙を身体に入れる感じだ。現代の煙草とは風味の違いもあるのは当然として、俺がフィルター無しの煙草を吸いなれていないのもあり中々キツい。
この煙草は元の世界の煙草の在庫が残り少ない俺を慮ってくれたジネスが用意してくれたモノであり、曰く、嗜好品として少々値が張るが一般的なモノらしい。元の世界の煙草と比べると些か風味が悪い。否、悪すぎる。用意してくれたジネスとザビガガに悪いが不味すぎる。
「ルチアはどう思う?」
「ん〜〜、ニ度とその口で話しかけないでって感じかな?」
「辛辣ぅ」
煙草ではなく今の状況のことを聞いたのだが、重い一撃で返答されてしまった。悲しさを紫煙と一緒に吐き出し、気を落ち着ける。
「さて、問題の龍はどうなってるやら」
呑気に煙草をふかしているのには理由がある。
鈴音ハルカの能力により得た情報、龍の生死を判定するためにジョンとシーマを龍の元に行かせた。二人は警戒しつつも迅速に近付き、双眼鏡で確認するに龍のすぐそばまで来ている。
近くまで来れた時点で龍の死亡はほぼ確定してるのだが、万が一にもあの龍が死んだふりをするタイプであった場合がある。
咥え煙草をしつつ、俺の右手の人差し指は軽機関銃のトリガーに添えてある。この距離ならば現代火器の独壇場だ。味方にも当たる可能性もあるので射撃は慎重なる必要があるが。
「む? 合図だ。手を挙げている。こっちに来いと」
テッドには煙草を吸うために監視を代わってもらった。どうやら状況が動いたらしい。
「行こうか。鬼が出るか蛇が出るか」
「龍でしょ?」
「ことわざですよー? ルチアさーん」
呑気なやりとりを交わし、歩みを進める。
今回の道程は龍退治という面目だが、大陸西部のグロリアス王国と大陸南部の商人達の商業国連合の仲を取り持つ意味がある。そのための第一段階として火薬や銃の有用性を証明する必要があったのだ。龍を撃ち殺せる武器ですよと言っておきながら、その相手が死んでしまっているとは思ってもいなかった。
「死んでる龍を撃って報告しちゃダメかな?」
「死体撃ちはマナー違反ですよ」
確かにFPSゲームであれをやられると腹が立つ。自分がやらぬように気をつけなければ。龍を相手に確実なトドメをという意味では間違いでは無いとは思うが。
そのまま緊張感の薄い他愛も無い会話を交わしたのち、俺達は龍の元に着いた。
「お〜……でっかいな!」
開口一番に出たのはその一言。昨日も龍を見たがあの時は混沌とした戦場で生き残るのに必死で龍を落ち着いて見ることができなかった。しかし、今改めて確認すると龍の体躯の巨大さがよく分かる。
二階建ての家屋が連なったより大きな身体。軽自動車より大きな頭。手足は大木のように太く、爪は俺の自慢の大腿四頭筋並みに太い。羽は広げたら何メートルあるかも想像できない。
「これ、84でも無理だったか? つーかどんな武器でも無理だろ?」
絶大な威力を持つ砲の火力でも正面突破は難しかろう。鱗に手を触れてみると堅牢な城壁をイメージさせられる硬さだ。こんなモノ、剣や槍や弓矢でなんとかできるとは思えない。
「ところがどっこい。ハジメ殿、こちらを見てくだされ」
先に来ていたジョンに声をかけられ、そちらへと歩く。
ジョンが指差す方向は頭部の目とその周りにある複数の窪み。恐らくはここがピット器官と仮定したモノだろう。
ジョンは龍の首元に指先を向ける。つられて目を向けるとそこには縦に長い大きな裂け目があった。動脈に届いているのか周りには血溜まりが出来ていた。
「これが致命傷か。デカい傷だな。他の生き物と縄張り争いでもしたのか?」
「違うのですよ。よく見てみるといいですぞ?」
促されて見ても、俺は刑事ドラマよろしくと言わんばかりの敏腕な鑑識さんでは無い。ここから指紋採取やDNA鑑定しろと言われても困る。犯人はこの中にいるとの台詞は憧れがあるが。
だが、それでも分かることはある。
「これ、斬り殺されてるのか?」
「分かりますか?」
「動脈の切断面が綺麗過ぎる」
動物の牙にやられたのならばもっとズタズタになっているはずだが、この傷は綺麗すぎる。
「……あの銀狼級の男がやったのか?」
「まさか、あの男にそんな実力はないですぞ。見かけが派手なだけで上っ面しか切れてませんから」
言われてスパーダの魔法を受けたと思われる場所を見る。傷跡はあるが筋肉の表面に薄い切り口があるだけだ。首の致命傷の傷と比べれば大したダメージを与えられなかったのは一目瞭然だ。
「食事の邪魔すりゃあツバも吐き出すはな」
あの時の龍の魔法はダメージではなく食事の邪魔をされ、むしゃくしゃして全て吹き飛ばそうとしてたのかもしれない。そう仮定すると彼我の戦力差は明らかだ。こっちは死に物狂いでもあちらはご飯にたかろうとするハエを追い払ってるようなモノなのだから。
こんな感想より問題なのは、その圧倒的強者がナニかに斬り殺されたことだ。
「テッド殿、これを見ていただきたい。鍛冶屋としての意見を聞かせて欲しいですぞ」
テッドは大荷物を地面に置くと俺と共にマジマジと切り口を見る。そして、呆れ返るように頭を振る。
「斧や槍ではないな。威力は望めるが長さが足りない。この切り口、一撃で斬られている。だが片手剣の威力ではこうも上手くいかん。重量のある両手剣で斬られたモノかもしれん。いや大斧かもしれんが……この切り口、剃刀のような切り口、これは見たことがない。剣で斬ったのならば狂気の沙汰とも言えるほど研ぎ続けたのだろうな。よっぽどの名工が作った武器だろう」
「よく喋るなぁ」
俺の何気ない一言を聞いてテッドはわざとらしい咳払いをすると照れたように鼻をポリポリとかく。
「いずれにせよ、俺達以外の第三者だ。今回来た人間達の誰もがこんな風に龍を殺せる武器は持ってない」
「じゃああれか? 魔物が戦ったとか? 名工並みの牙を持つ獣とか?」
「龍を倒せるほどの魔物となると、思いつきませんな。ここら辺で強い魔物といえば一角熊やハイランドウルフ……」
腕組んでジョンが頭を捻る。
「最近ニキータの街での話題ですが、ゴブリンの上位種、ゴブリンロードと呼ばれるモノとやたら身体の大きいハイランドリザードが見かけられてますよ」
手を挙げたザビガガからは街の噂話が聞けた。
「帝国では龍を倒すのは剣士の腕試しとして最高ですからね。ドラゴンスレイヤーって感じで」
帝国の腕自慢という線もある。
どれもこれもが考えられるが、あれもこれもイマイチだ。決定だ的な推察とはいえない。
龍の亡骸の前で皆で頭を抱えてしまう。しばらく考え続けたが上手い考えが思い浮かばない。とりあえず何かしらの行動を示さなければ。
「ひとまず冒険者組と合流しませんかね? 街に戻って兄様に聞けば色々と知ってそうだし」
鈴音ハルカの提案が今のところ一番だろう。ここでいつまでもいても仕方がない。謎なモノは謎なのだ。死骸の所にいたら良からぬモノを引き連れてきそうだ。
「待って。戻る必要はないかも」
周りを警戒していたルチアが何かを見つけたのか声をあげる。そして指を遠くに指している。
目を細めて見てみればわずかに砂埃が立っているのが分かった。
「おい、双眼鏡」
「うん」
双眼鏡を受け取ると俺はすぐさま覗き込む。そして大きくため息を吐く。
「ちっ、めんどくせぇ。銀狼級の男だ」
先頭を歩く、顔をグルグル巻きの包帯で固めた男を見て俺は嫌だとばかりに顔をしかめた。