分隊長として
左手首に着けている腕時計が示す時刻は四時二十分。この時計が正しい時を刻んでいるなら良い頃合いだ。
空は薄らと白み、屈んで掬った砂は指の体温を奪うほど冷たい。衣服がしっとりと濡れて重いのは山登りによる汗だけでは無い。山の中では高い場所にいるので草木は少ないが、足元の背の低い草に触れてみると指先が濡れたのが分かる。
「良い景色だ。そんでもって、良き眺めよ」
タケさんの荷物から拝借してからずっと使ってる双眼鏡を覗き込んでる俺の目に対象物が見える。
円の山脈と呼ばれるこの地の八合目付近。一つ高さを落とした位置にある平らな場所。そこへと繋がる岩肌の斜面に俺達はいた。
龍は山際近くの不釣り合いにぽっかりと空いた洞窟の入り口のような空間にいる。
「この世界にも似たような形のモノがあるが、よく見えるなソレは。どうやって作ったんだ? 王国の高級品でもここまで遠くは見えないぞ」
「ネット通販で一万四千円で売ってたらしいぜ」
「またお前は訳のわからないことを……」
呆れるテッドは置いといて、俺はさらに監視を続ける。
目標は微動だにせず、尻尾と羽を器用に畳んで丸くなっている。身体の体温を冷やさないように腹などは内側にしていた。猫の寝方といえばその通りである。
額の汗を指で拭い、風を確かめる。装具の弾帯ベルトについているマルチポーチから板状のプラスチックでカバーされたコンパスを取り出し方角を見る。
現在地、龍より東側、風、西風、時刻の確認し、日の出まで今少し時間がある。
「オッケー、やるぞ。名付けて寝起きドッキリ大作戦だ」
「やっぱりダサいねその名前」
ルチアに出鼻を挫かれたが、俺達は手早く動く。
まずはシーマが氷の魔法を周囲に放つ。ただでさえ一帯は凍れるように冷えていたのに霜柱が続々と盛り上がるほど寒くなる。直ぐに白い息が出てしまうほどだ。とても寒い。
寒さで息を吐く中、俺の隣でミリタリー娘が双眼鏡を受け取りご機嫌な様子で監視を継続する。
次にルチアが俺目掛けて光の守護魔法を唱える。これにより射手と観測者である俺達二人の身体をえもいえぬ温もりを持った光が包み、後方には盾のような物体が現れた。
その間、俺は84無反動砲の弾薬が入ったプラスチックケースから弾を取り出す。このケースには弾が二発入る計算ではあるが、この世界に来る前はあくまで実弾射撃演習の一環の訓練であった為、実弾はこの一発しか無い。文字通り、一発勝負という訳だ。大切に、慎重に弾を込める。
概要を要約する。
この作戦のキモは絶大な威力を誇る84無反動砲をいかに当てるかにかかる。当たりどころさえ良ければ一撃で終わる、もし一撃で絶命に至らなくても戦車を破壊する一撃だ。甚大な損傷を与えられることは間違いない。少なくとも現時点での戦力の中では最も遠距離から安全に火力を出せる手段である。味方の損害を出さない最善の手段だ。
撃つために解決しなければならなかったのはやはり後方爆風。現地で最適な地形が見つかるとは限らなかったのでいかに爆風を逃すかが主題だったのた。
そして俺は主題を変えることで問題を解決する。
爆風を逃すのではなく、爆風に耐えてしまえばいいのだ。
龍の火炎ですら防いだルチアの魔法で後方爆風を防ぐ。魔法で補えないのを知恵と技術で。知恵と技術で補えないのを魔法で補う。それが異世界での最適解である。
射撃の際の衝撃による粉塵はあらかじめ地面に凍らせて固めておくことにより軽減させる。もし仮に撃ち倒せなくともピット器官を無力化し発見を遅らせ自己の態勢を立て直させる時間稼ぎとする。
射手、厳密には砲手だが、役割を分けることにより俺は射撃に集中して構えられる。これはミリタリーなお嬢様が双眼鏡で弾着を見たいという私情も挟んでいるが理想的な配置だ。
これが名付けて寝起きドッキリ大作戦。名前の参考は言わずもがなだ。その通りである。
「フヒ、フヒヒっ! げ、現職自衛官が使ってる双眼鏡ォ……上がる! 気分がアガる! フヘ、ちょっとレンズ舐めてみてもいい?」
「やめろ! そりゃ借りモンだぞ!」
観測手が不安だが、メンバーの中でも役割的には彼女が一番だ。なぜなら彼女は相手が何を望んでいるのかが分かる能力を持っている。双眼鏡越しでもその効果を発揮するのは既に実験済みで、その能力を使えば相手が寝てるのか起きたがっているのかが分かる。此度の作戦に必要不可欠な力であるのだ。
「距離は……四百メートルってところか」
89小銃による肉眼での射撃訓練で実際に撃ったことがあるが外す距離では無い。問題は撃ったことのない84無反動砲と外した場合に備えているMINIMI軽機関銃が射撃精度に難があるということだ。
もう少しばかり近付きたい思いはあるが、リスクを考えるとこの距離になってしまう。こうなれば気合いと根性で当てる他ない。
俺は膝立ちの姿勢で息を整え、右手を砲の握把に回し砲身を肩に委託させて身体をリラックスさせる。
射撃に上手い下手は勿論あり、基本的には水物だと教えられる。その日の気候、風、日射、湿度、射手の心情諸々が直に出る。運が絡む要素が意外と多いのだ。
ならばその運を少しでも上げられるように、俺は目を瞑って精神を統一していく。
「監視は頼んだぜ」
「サー、イエッサー」
龍の監視は双眼鏡を持ったルカに全て任せる。龍からの隠蔽はシーマに任せる。よしんば龍が急に起きて攻撃をしにきてもテッドやアルベインに任せる。撤退は道を知るザビガガに任せる。砲を撃つ際の守護は全てルチアに任せる。
全て人任せの作戦だ。だから、龍を撃ち殺すのは俺に任せてくれ。
「……」
日の出までの僅かな時間、静寂が山を包む。
閉じた瞼の中、黒が全ての世界の中でほんのりと光を感じる。
「自衛隊さん、日の出。龍は動いてないかな?」
声を聞き、俺は目を開ける。日の出の光が夜の影を押し流してゆく。明るさが世界に広がっている。
俺はゆるりと砲を構えると照門に目を向け、照星と目標を合わせる。
対象は動かず、目線の先にいる。
「龍うごかず、周囲、彼我無し。日の出、龍に到達だよ!」
観測手の声に反応し、俺は無反動砲の安全装置を外す。僅かな手応えを親指に感じた後、深呼吸をする。
大きく、深く吸い。吐いてまた吸う。軽く息を吐いたところで呼吸を止める。これはどの精密射撃を行う際の俺のリズムだ。自衛隊の中ではありきたりな呼吸の一つだが、一番集中出来る。
(うん。いい感じ)
言葉にし難いが、自分でも集中してるのを感じる。初めて検定射撃で満点の特級を叩き出したときと似ている。外す気がしない。
極限まで高まってきた集中力そのままに、引き金に指をかけ引き絞らんと、うごか……
「っ!? 自衛隊さん待ってッ!!!」
……そうとしたところで急に声を上げられ俺は反射的に安全装置を掛け直してから、砲を降ろして隣の観測手を睨む。
「バッカ野郎ッ! いきなり大声出すな! 危ないだろ!」
「しょうがないじゃん! 緊急事態だったんだから!」
緊急事態という言葉を聞き、俺は直ぐに肩掛けで背負っている軽機関銃を抱えると姿勢を低くする。
「なんだ? またゴブリン出たか? 新手の龍か? Web小説の更新通知が来たとか言ってたら往復ビンタの刑だぞ?」
「そんなんじゃないよ! なんか変なの!」
変とはなんだと思い、俺は双眼鏡を受け取り覗き込む。対象は変わらず動かない。強いて気になるといえば朝日に照らされた身体が赤く反射してるぐらいである。
「なんも変じゃないぞ? 動いてないうちに撃ちたいんだが」
「そう! 動かなすぎるの!」
寝返りぐらい龍だってするだろうが、しないことがそんなに変なことではないだろう。もしかしたら女子高生鈴音ハルカは思春期真っ盛りの現代寝相アートを毎日作るから違和感でも感じているのだろうか。
「多分違う想像してそうだけど……私の能力は相手が何を望んでいるのか分かるの。それ理解してる?」
コクリと顔を動かす。
「食べたいものは分かるし、欲求も分かる。相手が寝てたらね、起きたいのか寝てたいのかも分かるの」
ウンウンと顔を上下に振る。
「それでね。あの龍をずっと観てるんだけどね。なにも求めてないの。欲求が何もないの!」
「なるほど、賢者タイムか!」
振りかぶった右ストレートが頬に突き刺さる。前世はオタク女子高生なのに腰の入ったいいパンチだ。
「ゲホっ、即身仏にでもなったんか?」
「もしくは何も感じなくなるようになったか、つまりはですね」
二人とも黙りこくり、顔を見合わせる。考えられる可能性はいくつもあるが、まさかそれはないと思っていた。
「……ジョンとシーマを呼んでくれ。龍が死んでる可能性があるってな」
討伐しにきておいて、既に目標が死んでいる。自然界において無くはない状況だが、相手が相手である。
俺は嫌な胸騒ぎを覚えながら仲間たちに合図をした。