無知な
〜〜四年前、五月、演習場にて〜〜
「見てたぞ」
天幕のすぐそばで煙草を吸っていると声をかけられた。咥え煙草のまま俺は敬礼すると、相手も煙草に火をつけて同じように咥え煙草で敬礼を返す。
「タケさん見てましたか」
「見てた見てた。思い出すねぇ、お前が新教隊の時に銃剣を落としたねぇ」
苦笑いで返すしかない。新隊員教育隊にいた際の記憶が鮮明に蘇る。
「ヤバかったですよねー。その日に見つからなくて、次の日も課業開始から捜索決定でしたもん」
吐き出された二筋の煙草の煙が一つになり上へ昇る。
「結局、見つかりましたけどね」
片方の煙の筋が大きくなった。
「お前が朝早くから起きて草むらを探す。それを俺が見つけて咎めて二人で探してすぐにな」
「あの時はマジ寒かったですよ。身体が濡れちゃってね。五月でも山の朝を舐めちゃいかんって分からせられました」
「山を舐めるなよ? 今度、八甲田山のDVD見してやるよ」
「八甲田山ってなんですか?」
疑問の顔を見せた途端、お前は自衛官なのに八甲田山も知らないのかと、やんわりと怒られてしまった。
「八甲田山とブラックホークダウンは自衛官の義務教育だ。見とけよ」
「すみません。アニメばかりじゃなくてそっちも観ます」
「いや、アニメは見ろよ。特撮もだぞ?」
クックックっと、一つ笑った後にタケさんは煙草を吸って煙と息を吐く。
「なんでもいいから学べ。映像でも本でもな。それが教養になるんだ。陸曹目指してるんだろ? 十人ぐらいの分隊を率いるようになるんだ。無知で無能な指揮官になるなよ?」
その言葉を俺は胸に刻みこむ。煙草の最後の一吸いは吸わずに火を消した。
―――――
東京などの都会の夜に慣れてしまった人々には想像し難いと思うが山の中というのは意外と明るい。鬱蒼とした木々の中なら暗く視界は悪いが、月明かりが差し込むと人にもよるが数十メートルぐらいなら動いてるモノを視認するのは容易い。
演習場での訓練で夜間の斥候などを経験してきたが、大気で汚れた夜空の下でも情報収集という業務を不足なく行えるくらいに月明かりとは明るいのだ。都会の電灯には劣るが自然の光とは視認性を一定のレベルで備えている。
それが大気汚染とは無縁な異世界ならどうだろうか。
「月が綺麗だねー」
「その言葉の意味知ってんのか?」
「ん? 月が綺麗だねって意味だけど? なんで?」
男から、手に花の一輪でも持ってれば小洒落た口説き文句にもなろうが、持っているのは軽機関銃に無反動砲。相手が持つのは剣と盾。食べかけのパンが入った袋。ムードもへったくれもない。
夜空は幼い少女が集めた宝箱をひっくり返したように、分かりやすく光が多い。
「ザビガガさん。山頂まではまだ遠いのか?」
「まだ歩きますし遠いですが、山頂の手前に平たい場所があります。恐らくはそこが目的地になるでしょう。頂上までは行かなくて大丈夫ですよ」
「道案内ありがとうな。この山に登ったことあるのアンタだけだからさ。この作戦の生命線だよ」
返答してくれたザビガガに礼を言うと俺は再び前へ歩き出す。
「ハジメ殿、そろそろ教えてくれてもいいのでは? 説明もなく、早く行かなければっと急かされては皆も大変ですぞ?」
「山が少ないグロリアス王国の方は知らないかもですが、山歩きって結構疲れるんですよ? 理由が分からなければ尚更です」
二人の意見はもっともだ。達成目標のない仕事など苦痛でしかない。防御陣地構築で掩体を五つ掘れと言われるのと時間が許す限りやれと言われるのは違う。終わりの目処が立たないと人間の作業効率は落ちる。
「ぜーっ、ぜーっ……フヒッ、絶対、撃ってるのみたらぁ……」
このように体力が全くない女子でもオタク気質を発揮させる目的があるば信じられない体力を発揮する。
「歩きながらでもいいから作戦を教えてくれないか? 他の冒険者連中に内緒で出た理由もな」
時刻は深夜から朝の時間の間。丑三つ時をちょいとばかり過ぎた頃と言おうか。
ここにいる仲間達を除いた冒険者組、銀狼級のスパーダ達も含めて集結した小屋の中でぐっすりと寝ている。子供であるロックはもちろん置いてきている。年端も行かない少年に龍退治などさせるのは良い大人とはいえない。
「ざっくり言うとな、龍に奇襲をかけるつもりだ」
「奇襲……成功するのソレ?」
ジャリっと小石が擦れる音が、人の間から夜の闇に吸い込まれていく。
「あくまで仮説だが、龍は恐らくは爬虫類だ」
「ハチュールイ? なにソレ?」
「ぜーっ……ふーっ……爬虫類、はーっ……は、爬虫類ね」
説明の為に落ちた歩みのおかげで遅れてきたルカもようやく足並みが揃う。
「ハジメ殿、龍は龍。特にあれは飛龍の類ですぞ?」
この世界においても学問というのは当然あるだろう。勇者として教養を修めているアルベインが言うのなればその通りなのだろう。
「ふぅ……進化論ね。知ってる知ってる。ダーウィンだっけ?」
「ダーウィンだけが進化についてをまとめてるわけじゃないがな」
口を挟んだオタクの呼吸が整うのを待つ。色々と勉強熱心であっただろう元高校生の鈴音ハルカが言う通り、俺が考えているのは進化論、進化説だ。
学者でも研究者でもないので詳しくは分からないが、生物の進化にはある一定の規則があると思われている。定向進化や収斂など複数の種類があるが俺の考えは一つだ。
この世界は元の世界と似ている。ならば、生物の進化も似ているはずだ。
「飛ぶための羽が皮膜でできている。子孫を残す方法が卵生。体表が鱗で覆われててお腹や喉の質感がカナヘビやトカゲと似た感じだ」
エリマキトカゲの皮膜に構造的には似ていた。そしてロックがいうには卵を産むらしい。
「龍は魔法で飛びますぞ。確かに翼で羽ばたいていましたが、なんとも判断しずらいですな」
「それにさ、鳥も卵を産むよ?」
確かにそうだ。言わんとすることは分かる。俺もそれだけで判断したわけじゃない。
「ヤツはシーマの魔法を受けたあと、俺を見失ってたんだ。つまり……」
「ピット器官。生きたサーマルゴーグルという蛇の能力でしょ? 合ってる?」
答えを奪われて釈然としないが合っている。オタクというのは総じて広く知識を備えているようだ。まさかサーマルゴーグルという言葉で記憶をしてるとは思わなかったが。
「蛇にゃ見えなかったが、俺達が認識出来ないほど遠くからゴブリンを発見出来たのは、視力だけじゃ無いと思うんだよな。あんな小さなお目々だけじゃ無理だろ?」
若干都合の良い考え方だが、仮説は何個あってもいいと思う。
蛇というのは熱源で獲物を視認するという。あの時の状況は火炎で熱せられた状態から魔法で周囲一面を氷で覆った。恐らくは獲物の体温が氷の低温に紛れ判別しずらかった。
戦闘の衝撃で砂埃などが舞い、視界状況が悪い。その時のためのピット器官だがそれも使えない。となると龍は獲物を視界に捉えずらくなってるはずだ。あの混沌とした乱戦で敵を視認困難となれば賢い龍は逃走の一手を選ぶ。
「さらに夜間は動かないということは……どう思う、鈴音ハルカちゃん?」
「フルネーム呼びなのがルカちゃん気に入らないけど〜……答えは変温動物?」
「さすが学業優秀、元現役高校生だな」
「中学は不登校でしたけどね」
一言が気になるが、ひとまず置いておく。
変温動物とは文字通り体温が環境に合わせて変化することだ。暑ければ高く、寒ければ低くとのように変わる。
「今現在も分かるように、高い山というのは真夏でも涼しい。陽が落ちればさらに涼しい。そして今は真夏でもなく昼でもない。だからめっちゃ寒い」
「確かに冷えてるな。夜の山を登るという発想が無かったから気付かなかったが、防寒着を次から用意しよう」
テッドが白い息を吐いている。筋骨隆々の彼は普段が暑がりなのかメンバーの中で一番薄着の格好だ。
「山は夜も寒いが、朝はもっと寒いんだぜ。朝露が身体に纏わりついて体温を奪ってくんだ。俺も初夏の富士演習場でエライ目にあってな」
自衛官になりたてのまだ新隊員の頃、訓練の大詰めの富士演習訓練を思い出す。
「この山の龍が夜に動かないのは寒さで動きずらいからだ。陽が昇って気温が上がるまではじっとしてる筈なんだ」
「火龍という生物上、体温は高そうですがね。逆に言えば火を吹ける体温になるまで時間がかかるという見方もありそうですな」
「私の氷を嫌がったというのはありえますね。分が悪いのは相手もでしたか」
氷が放たれた後に退却してたのは体温を冷やされるのを嫌っての行動だと判断する。獲物を狩りにきてせっかく温めた体温を冷やしては元も子もない。
「私がいた部族では狩りは弱い獲物から狙ってました。わざわざ手傷を負ってまで標的を狩ろうとするのは駆除のときだけです」
「昨日の俺達だな」
穏やかな声のサビガガに答えを返し、俺は空を見上げる。
(……明るくなってきやがった)
この山の地理をある程度把握しているザビガガの案内の中であっても、山登りに不慣れな面々を率いての夜間登山はたとえ歩きやすい道を選んでも困難なモノだ。
このまま陽が昇り、気温が上がってしまうと作戦は台無しになる。理想の展開は朝日が出て敵を視認しやすく、尚且つ動きがまだ鈍いタイミングだ。その為には空がまだ黒が多い時間に着かなければならない。故に他の冒険者組を置いて行き、少しでも歩みを早くしたかったのだ。
腹は決まった。不確かな憶測ばかりの情報を元にした戦略だが、戦いとは本来そのようなモノだ。何もかも自分都合の良い状況とはならない。理不尽の中で最善を尽くすのが本来の俺の仕事だ。
「急ごう。なぁに、八甲田山の雪中行軍と比べりゃ楽よ」
「ハッコウダサンってなに?」
「ハッコウダサンネー、ワカルワカル、セッチュウコウグン、ルカチャンワカルー……」
星降る道の上、気合いを入れる為に自分の頬を両手で叩く。
稚拙な作戦とは自分でも分かっている。それでも不安を見せてはいけない。降りることもできたはずの戦いを、仲間は俺を信じて来てくれている。
無能な指揮官となり、いたずらに部下を死なせる輩にならぬよう、俺はダメ押しにもう一度気合いを入れた。