最後の一兵になろうとも
「生きてる……?」
この一言だけが口から絞り出せた。
身体を焼くような火炎の熱量、視界を埋めるほどの炎の赤、有無を言わさずに焼き尽くす地獄の業火のような無慈悲さ。人の生命を絶つには充分過ぎる状況である。
にも、関わらず。俺は五体満足で生きている。
「ふぃ〜……成功。初めて使った魔法だから不安だったけどね」
気の抜けるような声を出すルチア。前に出された手の先には巨大な盾のようなモノがあり、魔力の流れ俺達に注がれているのが分かる。どうやらこれがあたり一面を焼き尽くした龍の魔法を防ぎ、俺達の命を繋いだモノらしい。
「なんだそれ……つーか俺、なんか元気なんだけど?」
自分で言葉がおかしいと思いつつも、自身の身に滾る得体の知れない活力に戸惑っていた。腹の底から漲る怒張のようなものさえ感じる。
「陽神教の守護魔法よ。あ、ハジメは魔法を使えないから分かんないか? ピカピカ光るスゴい魔法の盾よ! 身体も守るし元気にもなるし!」
「煽ってんのか?」
陽神教の魔法というのはなんとなく分かる。陽神教は生命を尊ぶモノであり、回復や補助の魔法や守護魔法などに優れていると聞く。恐らくその魔法には生命力や身体能力を上げる副次的な効果もあるのだろう。
以前にも首無し騎士を倒す際に神官のエレットから対炎のエンチャント魔法をかけられたことがある。あの時は気づかなかったが、いくらゆったりとした服とはいえ女性の修道服を着た状態でもかなり機敏に動けた。火事場の馬鹿力だと思っていたのだがアレは陽神教の魔法の効果だろうか。
「特にこのね、ニナの盾って魔法は防御性能に優れててね〜」
「ニナ……ね」
陽神教で崇められている女神ニナ。この名を聞いて思い浮かべてしまうのは元の世界でインターネット上の歌姫ニナを思い浮かべてしまう。運命的なモノを感じるのは俺がロマンを求めてるからか。
「ルチア殿ー! ハジメ殿ー! どこにおられますかー? ジョンはここにおりますぞー!」
短い思考を遮るように、燃える大地の向こう側から声が聞こえる。この喧しい声を聞いて安心する場面があるとはこの旅で想像だにしなかった。
「生きてたか! みんな無事か!?」
「ハジメ殿! 皆生きておりますぞ! 龍もどこかに行ったと思われますぞ!」
無事の知らせと危険が遠のいたこと聞き俺は安堵する。火炎の海はあらゆる生命を焼き尽くす。そのあらゆるに仲間が含まれて無いのは良いことだ。他の冒険者達も生き残っていればいいが。
「ハジメさんでしたっけ? 動かないでくださいねー、待ってくださいねー。アイスフィールド!」
とても呑気そうな声が耳に届くと、火の渦の中心にいるにも関わらず冷たい風を感じた気がした。っと思っている間に目の前の炎が一瞬で氷で覆われる。火が揺らめくその形のままに凍ってしまったのだ。
「すっげ……!!」
ありきたりな感嘆の言葉しか出ない。この世界に来てから魔法というモノにはある程度は触れてきた気でいたが、先のルチアの魔法然り、今の氷の魔法といい現代化学では達成出来ない領域と言える。早く現代も砂漠に水の魔法使いを呼ぶ時代にならなければ。
「俺達や他の冒険者達はシーマ殿の魔法に助けられてな。彼女はすごいぞ。豪火を上回る氷魔法の使い手は中々いない」
「おお〜! テッドさん、見かけによらず褒め上手ですね〜! もっと褒めてください!」
褒められてかシーマは顔をふにゃふにゃにしながら髪の毛をクルクルと指でイジる。こうして見ると可愛らしい女の子といえるが、テニスコート十面分はあろう空間を炎ごと氷漬けにして文字通り涼しい顔してる化物といえる。
「だぁぁぁ! クッソ! あの龍野郎! ただじゃおかねぇぞ!」
罵声を上げる方を見てみると、スパーダが顔を手で押さえて苦しそうに叫んでいた。取り巻きの女達が必死に治癒の魔法をかけているが、指の間からも酷い火傷を負っているのが分かる。
「あぁ、あの人は態度が気に食わなかったので守りませんでしたよ?」
「良い仕事だシーマ。勤務良好、優秀隊員だな」
「お褒めに預かり光栄です。ついでにあの鼻と臭い口を氷漬けにしときます? 我慢の限界でしてねー」
「そりゃ死んじゃうからやめとけって」
互いに笑顔で言葉を交わす。俺はあくまで冗談で言ってるつもりだったがシーマの目の奥は笑ってない。笑顔の裏にとんでもないモノを飼ってそうだ。
「さて……どうするか」
俺はここぞとばかりにタバコを取り出し、先っちょにライターで火を付ける。ルチアが嫌悪感丸出しの顔をしてるのでそちらは見ないように目線を逸らす。
「普通ならば退却だろう。どうするもこうするも、そうするしかないのだろう?」
問いかけと紫煙に応えたのはテッドだ。
今回の龍の討伐はまだ失敗とも成功とも言えない。損耗は多々出ているが、まだ龍を討伐するだけの戦力はぎりぎり残っているともいえる。
問題は実行するかだ。恐らく討伐は不可能とは言わない。勇者アルベインに目の前で圧倒的な魔法を見せた剣士シーマ。負傷したが戦意の高いスパーダ。戦力的には悪くない。
しかしながらだ。残っている冒険者を含め、戦えば相当な犠牲が出る。ならばここで撤退して現在生存している者たちを無事に帰還させるのもアリだと思っている。
達成して相当な被害を被るか、失敗して被害を最小限に止めるか。選択に迷うところである。
俺の答えは……
「NOーーーッッッ!!! 撤退なんて絶対に認めませんわ!!」
突然の大きな声に俺と一同はビクりと身体を震わせその声の方を向く。小刻みに身体を振動し、両手を身体の前に出し手のひらを上にワキワキとやらしく動かす少女。今まで一切言葉を発さなかったルビノノがいた。
「絶対にダメ! ダメダメダメッ! だってまだ私の目的を達成してませんの!」
「ちょっと……!」
「NOーッ! ザビーはシャラップ!」
半狂乱な様子で捲し立てる彼女をなだめようとしたザビガガの手が振り払われる。
「いーじゃん! ザビーは撃ってるの見れてさ! 私なんか龍が出たからって引っ込められたのよ?」
あまりの剣幕に俺を含め、周りの冒険者達も戸惑っている。
「ざけんなっての! 銃って敵に向けて撃つモノでしょ! 危ない敵がいる時にしか撃たないっつーの! 龍が危ない? 危険なんて百も承知でこんな山まで着いてきてるっつーの! オタクの行動力を舐めんなよッ!」
ハァハァっと荒い息遣いをそのままにして喋り終えると彼女はそっと水筒から水を飲みはじめた。
「ってな訳でー、てへ?」
可愛く頭を傾げると俺の顔をじっと見る。俺はその様子を見て深くため息を吐いてしまった。
「……お前、鈴音ハルカだろ」
「分かっちゃいますー? バレちゃいましたかー?」
名前を呼ばれて観念したのか、ルビノノは頭に被っていたフードを外す。
出てきた顔は犬そのもの。クリクリとした目。モフモフの毛並みは触れば気持ちよさそうだ。
「身体の理由は魔法か? この世界に銃に欲情する物好きは一人しかいねぇ。親が見たら悲しむぞ?」
「失敬な。純愛ですことよ? ケーキ入刀ではなく銃弾ぶち込む結婚式が子供の頃からの夢でして」
「ハハッ! そりゃ親泣かせだな。言っとくが皮肉だぞ?」
俺が笑うとルカの周りに冒険者が数人集まってくる。横のザビガガ含め、険しい顔つきをしてることから彼らの仕事は龍退治だけではなさそうだ。察するに雇われ護衛は一人ではないということらしい。
それも当然。王国に隣接する商いの中心であるニキータの街。その代表格の妹となれば警護も厳格になるはずだ。なにかあったら字面通り幾人かのクビが飛ぶ。
「ルカ様ー? いいですか? 今回は市場調査の名目で街を出たのですよ? 我が国ブーシンの帝国派、東寄りの都市への旅路の設定なのですよ?」
ザビガガはやれやれと言わんばかりにため息を深く吐く。
「それを、髪の毛一本でも炎で焼かれてチリチリになってみてください。ジネス様にバレてしまい、また夜明けまで怒られますよ? 口裏合わせの誤魔化しも限界あるのですからね? 我儘言わずに帰りますよ!」
この獣人の従者は鈴音ハルカにとって特別なのだろう。先程まで自分勝手に捲し立ててた勢いは消え、頬を膨らまし不貞腐れながらも黙って聞いている。
「ハジメ殿。ザビガガ殿の言う通り退却することを勧めますぞ。ちと分が悪いですぞ?」
黒い顔で退却を促される。性格というか感情にやや難があるとはいえアルベインは実力者。彼我の戦力差は考えての発言だと思う。
それを踏まえて、決断をする。
「やるか、龍退治。喜べよルカ。明日からお前の目覚ましは84無反動砲の射撃音だ」
発言が思いもよらなかったのか、ルカは目を丸くして幾度か俺とザビガガの顔を交互に見てから感無量とばかりに拳を突き上げる。
「よっしゃあぁい!! 今日から私の抱き枕は84の擊ち殻薬莢じゃーい!」
それはどう考えても寝にくいだろうとのツッコミをしたいが、それよりも前に俺の言葉に一同が絶句している雰囲気があり、言葉が憚られる。
龍退治を断行しようとする理由は単純だ。自衛隊とは誰もやりたがらない危険なこと、誰かがやらねばならないことを自分の顧みずやらねばならぬ。そんな使命感が俺の心にふつふつ湧き上がっているからだ。
「本気なの? 無理でしょ?」
「蛮勇と勇気は違いますぞ?」
「熱意は分かるが……勝てるか?」
ごもっともな反応だ。俺自身、百パーセント勝てるとは思ってないのでこの反応をされると内心不安になる。その不安を振り払うかのように俺は親指で自分の顔を指し、得意気に言う。
「知らんのかお前ら?」
次の言葉を周囲は息を飲んで待つ。
「自衛隊ってのは、最後の一兵になろうとも任務を完遂するもんなんだぜ?」
出来る限りの得意な顔で俺は言い切った。
「……出たよ、ハジメのお馬鹿さんなところが……」
なんの解決にもなってない台詞に、ただ落胆するルチアのため息だけがこの話の終わりを物語っていた。