戦場は混沌と
〜〜四年前。五月、演習場にて〜〜
「ま〜だ見つかんねぇのか?」
「いやー……厳しいっすよこれは」
演習場内の草むらを掻き分ける新兵を尻目に俺とタケさんはタバコを吸いつつ愚痴も吐き出す。
新兵達は鎌を手に草を刈り取りそれを後ろの方へと持っていきまとめていく。その量は高く積み上がりお馬さん達がこの場にいれば大喜びでモシャモシャ食べるだろう。
「弾倉無くした馬鹿はどいつだっけ?」
「西野ですよタケさん。戦訓中の匍匐で弾嚢の金具が壊れたのを気付かなくて、その上で脱落防止の紐も付けてなかったらしいです」
「そいつはぶっ殺しモンだな。見つかったら全員で腕立て五百回はやるぞ」
「俺もやるんですかね? 俺もですよねー……班付ですもんね」
当然だろう、っとニヤッと笑ったタケさんは煙をまた吸い込むとわざとらしく肩を揺する。
「お前も探してこい。このままじゃ演習場の草を全部刈らなきゃなんねぇ。したら演習場管理班は大喜びだろうけどな!」
吸い終わったゴミを携帯灰皿に入れるとタケさんは俺の背中を押す。
「班付の仕事をしろよ!」
言葉を背中に受け俺は草むらを探す新兵達の元へ向かう。
新兵達は全員泥だらけだ。それもそのはず、つい先程まで戦闘訓練を行い、タケさんの気まぐれで匍匐前進やら早駆けを何度もやらされていたからだ。水溜りに突っ込み、草むらに顔面から突っ込み、砂利の上で何度も匍匐前進させた。汗と泥とドーランで顔の肌色は完全に消え疲労困憊の境地に達していた。
訓練が終わりやっと帰れると思ったところで、西野が弾倉を無くしてしまい、休む暇もなく捜索にあたっているのだ。
当然、新兵の士気はかなり低く、さらには日頃の行いが悪い西野のミスということもあり俺の目から見てもほぼ全員が探してるフリをしてるのが分かる。ただ一人を除いて。
その隊員は誰よりも地面に這いつくばって血眼になって探している。肘を地面に突きすぎたのか、泥と重なるようにじんわりと赤い色が滲み出ているのが分かった。
「精が出るな。西野」
「日本班付……」
俺は近くに屈むと目を凝らして地面を見る。当然、そこに弾倉はない。
「ここら辺か? お前が落としたと思うのはよ?」
「はい、いや、多分です……」
普段とは違って自信なさげな西野はひどく小さく見える。俺はそんな西野に対して何も言わずに草を掻き分ける。買ったばかりの新品の革手袋はすぐに泥と砂に塗れあっという間に中古品にしていく。見栄を張って高いのを買ってしまっていたが、俺は気にせず黙々と探すことにした。
「なんで、なんも言わないんすか?」
しばらく探していると西野がポツリと言った。その声はとても小さく、風の音かと聞き間違うほどかぼそく自信がない。
「口より手を動かせよ三等兵」
俺は西野を見ずにさらに探す。
「分かってんすよ。みんな本当は探したくねぇって。俺が生意気だから手伝いたくねぇって。こんなことよりさっさと帰って休みてぇって」
「早く探せよ三等陸士」
俺はさらに草を掻き分けて探していく。
「アンタもそうだろ? 事あるごとに噛みついてたからさ。アンタが一番面倒なんだろ? 俺なんかのために泥だらけになるのが……」
「西野」
俺は立ち上がるとポケットからタバコを取り出し火をつける。そして一本取り出すとそれを西野に無理矢理渡して吸うように促す。渋々と受け取った西野のタバコに火をつけ互いに煙を吐き出す。
「俺達は他人同士だ。年も違えば価値観も違うしよ。特に俺はお前のことはクソだと思ってる。言うこと聞かねぇし生意気で、さらに弾倉もなくしてるからな」
西野は黙って俺の言葉を聞いている。俺はさらに煙を吐き出すと言葉を続けた。
「けど、それがどうした。ミスをしねぇ人間なんていねぇしよ。嫌われない人間もいない。色んな人間がいるのが普通だろ」
俺は咥えタバコのままで弾倉を探す。
「でも自衛隊ってのそんな色んな人間が助け合って一つのことを成し遂げる組織だと俺は思う。今は嫌われ者のお前がみんなに助けられてるってところだな」
「班付……」
話しつつも手に何かが当たった感触を俺は見逃さなかった。石や木の枝、草むらにではない。硬い金属質なモノ。俺は拾い上げるとそれがナニかを確認してニヤリと笑う。
「だからよ。今度は嫌われ者のお前がみんなを助けるってこともあるんだ。きっとある。そんときは全力で助けてやるんだよ。お前を嫌いな俺が、今、お前を助けたようにな」
「……ッ!」
俺は見つけた弾倉を無くした張本人に渡す。西野は一瞬茫然とした後に感極まったのか、涙ぐみながらお礼をいう。何度も頭を下げたのち、西野は見つけたと叫びながら新兵達の元へと戻っていった。
「仲間を助けんのはよ。当然だろ?」
俺は火が消えた吸い殻をサッと灰皿に収め、隊員達の元へと戻って行った。
―――――
戦鎚を振るう度に俺の手に嫌な感触が残る。
顎を、腕を、足を、頭蓋を砕く感触だ。骨を叩き壊す感覚だ。肉ごと骨を折るというのはこうも不快な感情を思い起こさせるモノなのか。救いといえば砕いてるのは人間ではなくゴブリンであり、人を助けるために振るっていることだけである。
「どうした。助けねぇのか? 仲間をよぉ?」
俺は今しがた叩き壊したモノを蹴飛ばし、言葉が通じぬと分かっていながら前方のゴブリンへ声を掛ける。
そして、返事の代わりに襲いかかってきた棍棒を避け、素早く銃剣を抜き喉元へ刺し込んだ。それを引き抜くと血を振り払い鞘にまた収める。
(頼むからこれで下がってくれよ……)
当初の勢いと威圧的な態度とは裏腹に俺は懇願している。倒したゴブリンはせいぜい数匹。当初の読み通りこの場に大量も敵がいるとしたら氷山の一角を崩したに過ぎない。増援が来たら不味い事態となる。いや、騒ぎに気付いたモノがいるのでむしろもうかなり不味い。
戦において重要なことは士気を保つことだと俺は思う。
最新鋭の戦車や小銃、新型の防弾チョッキなどの装備が整っていたとしても士気が低ければ、竹槍を手に布切れを着た農民にも劣る。音に聞こえた勇猛で剛力な戦国時代の将も落武者狩りに遅れを取るのは敗戦後の士気の低さによるものだと俺は思っている。
では、このゴブリン達の士気はどうだろうか。
俺がわざとらしく、かつ、むごたらしく数匹のゴブリンを仕留めたことにより相手は怯んでる感じはしている。だが、逃げる気配は全く無い。むしろ闘争心すら微かに感じる。
これは仲間を殺されて怒りに塗れているのではなく、戦わなければならないと、退いてはならないとの思考からきてるのだろう。
(群れのボスを仕留めなきゃなんねぇか?)
獅子や狼などは群れを形成するという。絶対的な長がいるおかげで秩序は保たれてると昔テレビでやってた気がする。ゴブリン達も逃げ出さないのはそういった存在があるからだと俺は判断する。ならばボスを殺せばいいのだが、そうもいかないのがもどかしいところ。
これが熟練の、いわゆるベテラン冒険者という存在ならば一目で判別できるやもしれぬ。しかし、俺の目からは全て同じ醜悪な顔の集まりにしか見えず、区別がつけ難い。
「わかりやすく角でもつけとけよ。異世界だろ?」
俺は新たな増援を見つけると後退りする。もはやこれまで、これ以上ここで戦い続けるのは悪手といえる。
迫り来る相手をちぎっては投げを繰り返せるのならば問題ないが、人並み以上の体力はあってもあくまで俺は人間だ。未来世界のパワードスーツでもない限りこの全てを返り討ちにはできない。真っ向から戦って逆に返り討ちにあうのは俺なのは必然である。
だがそれは、一人ならばの話だ。
「シャインアロー!」
声より先に飛んできた数多の光矢の筋がゴブリンの身体を貫通していく。木材を利用した粗雑な鎧はその一、二発ほどしか塞ぎきれず、防具が無い箇所は鮮血を噴き出し肉片を晒す。
「シャ、イ、ン! アロー!!」
さらに光の矢は数を増し俺を追わんとしていたゴブリン達へと遅い掛かる。一匹ずつ確実に倒すというのではなく弾幕を張り、点では無く面で押していくとの形だ。あまりの物量に敵はかなり押されている。
「助かるぜ、ルチア!!」
「待って……いきなり魔法使いすぎたから頭痛が……大声出さないで……」
目がグルグルと回っているかのようにふらつきつつも、ルチアは俺に親指を立てる。
「すごいでしょ? 私ってやれば出来る子だからねー!」
得意げなルチアの顔。その後頭部へとゴブリンが投げた棍棒が飛んでくるのを俺は見逃さなかった。すかさず棍棒をキャッチするとそれを思いっきり投げつけて当の本人の顔面へとお返しする。
「油断しなけりゃカッコいいんだがなぁ?」
「カッコつけて突撃した人に言われたくはないけど?」
「ありゃカッコつけじゃなくて人助けをだな」
短い会話を交わすと改めて場を見渡す。すると、先程のルチアの光の矢以外の魔法が飛んできているのが分かった。
岩の球に火の塊に水の鎌。風のなびきに乗ってありとあらゆる飛翔物が飛んでくる。どうやら他の者達も戦闘に参加してきたようだ。
その中で一際目を引く存在がある。塗り潰したような黒色の斬撃が地面から生え、ゴブリンを余すことなく切り裂いていく。地面に散らばる赤を漆黒の黒が余すことなく吸い取り、その斬撃は苛烈さを増してゆく。
銀狼級冒険者のスパーダ。彼は俺が数体足止めするのがやっとだった緑の悪鬼を瞬く間に切り刻んでいった。
「こりゃウスノロな口だけ野郎ではありませんカァ? ゴブリンと取っ組み合いとは女にモテない奴は見境なく盛るから手に負えねぇな!」
「お前の前世は糸切りだったか。どうりで切るのが得意な訳だな。虎ロープも切れるかい?」
俺の問いに舌打ちで応えるとスパーダはさらに歩みを進めゴブリンを切り刻んでいく。憂さ晴らしにも見えるそれらは確実に敵の数を減らしていく。
「ふぅ、一息はつけるか?」
スパーダの活躍により図らずとも戦域から少し下がることになった俺は周囲を見渡す。
討伐隊となる冒険者達は極力矢を使わず魔法によって戦っているようだ。魔力のある者はこういったときに弾数を温存できるのが羨ましい。
冒険者の戦いぶりを眺めているとテッド達がいるのが見え、向こうもこちらに気付いたのか走って向かってくる。
「無事かハジメ? 突っ込んで行ったときは頭がおかしくなったと思ったぞ!」
「ヒノモト殿は勇気がありますな! 野生のオークが如き戦いぶりをでしたぞ!」
「二人とも後半の声がよく聞こえなかったが……繰り返すなよ?」
笑って誤魔化すアルベインの胸を軽く叩くと俺は戦況を分析する。
現在、極めて優勢。多勢のゴブリン相手ではこちらの消耗もあると思ったのだが、どういうことか相手の増援があまりないのだ。近くの巣穴にゴブリンがいる気配はあるが表に出てくる様子はない。外にいた敵は戦ってはいるが消極的だ。活発に動いたのは最初のロックが放り投げられたときだけである。
そのことがどうにも引っかかる。
「なーんか、思ったより楽勝だね!」
能天気な発言の桃色頭が俺の思考をさらに熟考せよと勧める。
【大の虫を生かして、小の虫を殺す。可哀想だが生き延びる為に必要な決断だ】
(ヤツらなんであんな大群で外にいたんだ?)
ゴブリンの繁殖能力が高いのは以前にイオンからこの世界の魔物について勉強させてもらったときにも聞いていた。
(こいつらはなんでこんなに弱いんだ?)
弱い理由は一つ。弱いからだ。
(じゃあなんで弱いのに、龍が来る場所で固まっているんだ?)
ゴブリンはある程度の知能があると聞く。ならば危険ぐらいは分かるだろう。これだけのコロニーを形成するのだ協調性や仲間意識ぐらいあるだろうに防衛意識もあるだろうに。・
「いやー、ハジメが無事で良かったよ! ロック君を助ける為とはいっても、自分を犠牲にしてでもとかそういうのは流行んないだからね!」
「犠牲にってよ、俺はそんな殊勝なこと考えてねぇよ。ん……犠牲?」
ルチアの言葉を聞き、俺は気付いてしまった。
全てが繋がる。なぜゴブリンがこんな天敵がいる場所で繁栄できるのか。なぜあの集団にリーダーとなる個体がいないのか。なぜやられるがままで巣穴のゴブリンは助けに来ないのか。知能があれば分かることを何故しないのか。
理由は簡単。知能があるからだ。
そのとき、俺達のいる場所に影が落ちる。辺り一面の地面の黒が濃くなった。にわかに風が強くなりそれと同時に、上から異様な威圧感を感じる。文字通り、蛇に睨まれた蛙とでも例えようか。
俺は上をゆっくりと見上げる。そして、先ほどの気付きの答え合わせが嬉しくない花丸満点解答だったと理解した。
このゴブリン達は餌なのだ。間引きされるモノなのだ。増えすぎたからか、天敵の腹を満たさせて他を生き延びさせる為なのかは分からない。ただ、優秀な血筋を残させる為にいらないモノを有効利用させている。なまじ知能があるから取れる非道な選択肢。種を存続させる為の生きる道。人間がよく行う残酷な命の選抜行為。古来より人間も神への生贄という形で歴史に残る。
それらの最も重要なキーパーソンが目の上にいる。
「……俺達、見つかっちゃった?」
「私達、見つかっちゃったね……?」
太陽を広範な大翼で隠し、遥か上空から見下ろす強大なる捕食者。真紅の鱗を持つ飛龍が今まさに俺達を全てを喰らわんと大口を開けて飛び込んで来た。