銀狼のスパーダ
荒れた岩肌を戦闘靴が踏みつける。分厚い靴底越しにも伝わる岩石の堅牢さを踏み締め、俺は反動をつけて坂を登る。弾帯に備え付けてある水筒から水を少量口に含むと舌で転がす。口内を湿らせやがて喉を潤し、空きっ腹の胃袋に送り込む。
見上げれば、斜面はまだまだ続く。東の空を見ればそこに太陽はなく、頭の上からやや西に存在していた。
「これは順調なのか? そこそこ歩いた気がすっけどよ」
「今は四合目といったところか。順調といえる。我々はな」
背中に大型の十字弓を二丁と十数本の矢、更に野営道具。腰には大きな鉈を差したテッドが答える。
「意外でしたな。他の冒険者達は山道に足を取られているのに、ハジメ殿は随分と余裕に見えます」
背負った大荷物を手で押さえつつ、アルベインは息を荒げる。その前で同じく大荷物を持つ俺は勇者の背中に回り、傾いている荷物のバランスを整えてあげる。
「伊達に自衛官やってねぇよ。富士山なんて何回も登ってるしな」
「ふじさん? ハジメはよくそんなに元気だね?」
小さめな荷物を背負うルチアは額にかなりの汗を流している。鎖帷子などの防具を身につけているとはいえ、体力の消耗具合が激しい。
「俺は事務作業よりも演習の方が好きだからな」
大荷物に軽機関銃。そして、龍退治のとっておきとして持ってきている84無反動砲もつけている俺が何故こんなにも他の者と比べて自由に動けるか。
答えは単純に慣れだ。自衛官としての山での訓練。休日にタケさんに連れ出された山登り。行軍中にへばった隊員の二十キロはゆうに超える背嚢を代わりに持って歩くなんて慣れっこなのだ。
対して、この世界の住人は高い山を登るという習慣はほぼないらしい。
なぜならこの大陸には高い山というのは大陸中央の円の山脈ぐらいしかなく、その山も凶悪なモンスターや龍と呼ばれる存在により危険とされている。
山を登る可能性のある職種は命知らずな冒険者か、命を捨てたい人間。後は希少な鉱石を手に入れるために、命より金が大事な人種だけだ。
武具に使われる鉄鉱石は山の麓でも撮れるらしく、質も充分。なら何故、今回の依頼のように山の上を目指すのか。理由は明瞭。そこでしか手に入らないモノがあるからだ。
円の山脈には活火山があるらしい。そこでしか手に入らない素材。希少な鉱石やら稀な魔物の素材。俺達の本来の目的である硫黄も現在は利用価値がそれほどないがこれから一気に需要が増える予定だ。商人の国である大陸南部には見逃せない案件である。
これらのモノはタダでさえ危険な場所にある。その上でさらに危険な龍という存在を野放しにしてしまえば仕入というモノができない。いわゆる商いにとって死活問題というヤツだ。
生命線となる文字通りの宝の山。だからこそこれだけの人員を何度も揃え、派遣できるのだ。今回は龍討伐が目的だが、他のタイミングでもこういった派遣はある。その度に冒険者や傭兵に需要が生まれていく。大陸南部の商業都市群国家こうして繁栄していっているのだろう。
「先頭に来ちまったな。俺達の前にいるのはあいつらか」
視線を上の方に向けるとそこにいたのは冒険者の一団。その最後尾には俺達と行きの馬車で乗り合わせた少年ロックであった。
少年の身に不釣り合いなほどの大荷物を背負わされ、おぼつかない足取りで身軽な仲間の後についている。
先頭の男が恐らくスパーダだろう。サーフィンを趣味にしてるチャラけた男のような風体。浅黒い肌に金髪。サングラスをかけて白い歯だったら真夏のナンパ師そのものだ。
「……」
「うん。気持ち良くはないね」
楽しそうに尻軽そうな女と話すスパーダと対照的に、大荷物を背にするロックの弱々しい姿。無言で見てた俺を察してか、ルチアが気持ちを代弁してくれる。
どう見ても非効率だ。違う。この言葉は適切じゃない。非人道的というべきだ。俺は臓腑の奥で銀狼級の冒険者とやらが強要しているえげつない行為に腹を立てる。
「ちっとよぉ、一発言ってくるわ」
ガシャリっと装備の音を軋ませ俺は歩みを早める。っがその肩をテッドに引っ張られ止められる。
「やめとけ、奴隷問題は根が深い」
「王国が特別なのですぞ。他の国や地方は奴隷がいるのが普通ですぞ?」
引っ張られた肩を雑に振り回しテッドの手を外す。俺は振り返らずにそのまま歩く。
「知らぬ他人なら見て見ぬふりするさ。俺もそこまでお人好しじゃねえからよ」
俺は軽機関銃を包む布を外し、リンク弾をいつでも装填できるように準備する。
「でも、同じ窯の飯を食べたヤツは他人じゃねえ。んならよ、見過ごすのは男じゃねぇわな」
ルチアが俺の左手側に並んで歩く。
「窯じゃなくて焚き火で、食べたのはカエルの肉だけどね」
そんな細かいことはどうだっていい。
「気性が荒いんだってさ。スパーダって人。何かあったら私が守ってあげるから」
剣帯に差すサーベルの柄頭を指でなぞり、いつでも抜けるように手を置く。心配してくれるのは嬉しいが、その喧嘩腰は誰の影響なのか。
「会って一日でクソッタレと言うヤツのセリフじゃねぇなぁ? フゥッシケ、ヨォウだっけか?」
「あー……アレは初対面の異世界人に舐められないように強気で行けってウェスタがねー」
「初対面は強気ねぇ」
懐かしい話題から目を逸らしたルチアを笑い、俺は歩みを早めた。ガシャガシャと装備の音を鳴らし、一番前のスパーダがいる集団にやがて追いつくと俺は威勢よく声を出す。
「よぉロック! 凄い荷物だな。お仲間さんは箸より重たい物を持てないのか? よっぽど小さい器で飯食ってんだな?」
「それは強気じゃなくて喧嘩売ってんのよ?」
呆れるルチア。俺に声をかけられたロックは最初こそ驚いた顔をしたが、後半で一気に青ざめた顔をする。すぐに慌てて俺の元に近寄り滝のように汗を流す。
「ひ、ヒノモトさん! 今すぐ謝ってください! スパーダ様を怒らせちゃダメです!」
「腰振ってねぇで荷物担げって言った方が良かったか?」
「私、下ネタ嫌いなんだけど」
謝罪を求められたがもう遅い。先頭の男は俺の言葉に反応し、踵を返して俺の方に向かってくる。
金髪に薄青い眼。この世界ではよくある見た目だ。その顔が明らかな怒りに塗れてなければの話だが。
「よぉよぉ! テメェさんよぉ!? 誰に向かってツバ吐いてんだコラ? おっ?」
ヤンキーみたいな言葉遣いで俺に詰め寄ると、胸につけた銅牛級の証に目を向ける。
「一番クソな銅牛のくせによぉ、エリート冒険者様なスパーダ様にナメた口聞いてんじゃねぇそコラ!?」
「口の悪さなら肥溜め級か。さすがは金魚の糞級冒険者様だな」
「ハジメっ! メッ!」
「スパーダ様。相手は格下です!」
俺はルチアに止められ、スパーダは取り巻きの女冒険者達に止められる。
「あー、悪い。謝る。すまねぇ。実は頼み事があって声を掛けたんだが……」
「テメェの話なんか聞かねぇよ! ブッ殺すぞ!」
とりつく島もない。流石に煽り過ぎてしまったようだ。今にも背中に背負った剣を抜かんとしているスパーダは取り巻きの女達になんとか抑えられてる状態だ。
「スパーダ殿。少し待ってくれないか?」
一触即発の空気の中、仲裁する声が聞こえる。見ればテッドが背負っていたクロスボウを装填した状態で手に持っていた。
「無礼な振る舞いは詫びる。しかし、彼らは王国出身で奴隷をみると気持ち良くなくてな。そう、何かをしでかしかねないのだ。分かってくれるかな?」
「んだこのハゲ頭がよぉ? テメェも喧嘩売ってんのか? コラァっ!?」
「スパーダ様、この方はテッド殿です! 依頼主の……ジネス殿のご友人の……」
取り巻きに抑えられ、渋々と引き下がるスパーダ。地団駄を何度も踏むと俺達に背を向けそそくさと歩き出してしまった。
「おい! クソ奴隷! テメェはそいつらを俺に近づけねぇように監視してろ! んで、荷物もさっさと持ってこい! 分かったなコラァ!?」
捨て台詞を吐くとガタガタ震えるロックをそのままに先へ行ってしまった。
「お前は普通の馬鹿だと思っていたが、訂正する。なんも考えないただの馬鹿だったな」
「違うわテッド。喧嘩っ早い凄くお馬鹿さんなのよハジメは」
「散々だな。馬鹿なのは否定しないがよ」
いざとなれば正当防衛を理由にぶん殴ってのしてやろうと思っていたのだが、テッドの助け舟に感謝しなければ。
「あの……僕は……」
オロオロするロックの肩に手を置き、何度かポンポンと叩く。
「んまぁ……結果オーライってヤツだな」
俺はロックの背の荷物に手を伸ばして奪うとグイッと引き上げ肩に担ぐ。身軽になったロックは意味が分からず呆然とする。
「スパーダって野郎にゃよ。荷物を持ってこいってのと、俺達を監視しろって言われたんだろ?」
「……っ!」
予定では説得してロックの荷物を減らしてやるつもりだったのだが、これはこれでアリだ。なにもスパーダの命令に反していない。
「でも……」
「いいのいいの! ハジメはこれくらい重しを載せないと勝手にどこかにいっちゃうからさ!」
「耳が痛いな。誰か回復魔法をかけてくれ」
「ふふ、ははは、なにそれ? 意味わかんない……はは……」
俺とルチアのやりとりにロックが初めて笑う。戸惑いながらも子供らしい屈託のない笑顔だ。
これでいい。奴隷という身分だけで子供の笑顔が奪われるなんてあってはならないのだ。
善でも偽善であろうとも問わない。しかし見知った者を一人でも救えたという小さな義の心が俺の歩みを先程より軽くする。