馬車に揺られて
灰色の雲が視界の端まで埋まり、青色は俺の目に映らない。その代わりと言うのは余りにも不相応な黒い染みがまばらに存在する。
時刻は朝。場所は街の入り口の門。俺の手首にある腕時計は四時半を示している。新兵の頃はトラウマだった起床ラッパの音が鳴るにはまだ大分早い。二度寝するタイミングだ。踏み鳴らされた硬い地面の上でもゆっくり寝れそうだ。
「眠いな。しかも一雨くるんじゃねぇか? 雨衣持ってきて良かったぜ」
「馬車があって良かったね。着く前にずぶ濡れは嫌だもんね」
眠たげな眼を擦り、さらに欠伸を足したルチアに同意する。
俺達の周りには早朝にも関わらず、人が忙しなく動いている。市場の朝は早いと言われるが目前の景色は商いのカケラも感じないほど殺伐としている。
鎧兜を着込んだ傭兵風の男。身の丈に迫る大剣を背負う荒くれ者風の男。近くの馬車に矢筒を運び入れる薄汚い身なりの少年。毛皮のフードを顔を隠すほど目深に被った腰に大小の剣を差した剣士。様々種類の人間が門の前を埋めていたのだ。
「急げ急げ! この為に市場を止めてるんだ。損が出たら商会長が怖いぞ!」
身なりが整った偉そうな男がノロノロと準備をする人々に発破かける。あのジネスが激昂するところを見てみたい気もするが、ケツの毛まで毟られそうなので俺も荷物の積み込みを急ぐ。
「濡れ濡れの美女はいいけど、鎧に包んだ男と泥まみれになるにゃまだ早い時間だな」
俺の発した言葉に呼応するかのように周りから視線が注がれる。俺は慌てて視線を外し荷台の上に逃げ込む。
危ない。余計な軽口を言って目立つところだった。ただでさえ俺の格好は迷彩服の上に鎧というミスマッチな組み合わせで目立つのだ。その上、食欲が絡まなければ可愛い女の子を傍にしてるのだ。心無しか背中に嫉妬の目が刺さってる気がする。
「荷物をもっと端っこに寄せてくれ。多分こっちにも三人ほど乗りそうなんだ」
荷台の上で荷を捌く俺にテッドが指示を飛ばす。
「こんなに馬車があるのに足らないのか? どんだけ大所帯なんだよ?」
俺は門の方向に目を向ける。見れば俺達の馬車よりも一回り大きな馬車が十台ある。それらは華美な装飾こそないが鉄の板などで補強され耐久性を重視した構造になっている。聞けばその馬車はニキータの街所有らしく、今回の龍退治の為に用意されたらしい。他にも個人のモノと思われる馬車が数台あり、俺達の馬車もその一つだ。
「百名ほど参加してる。龍退治だぞ? この数でも心配なくらいだ!」
「前の討伐部隊は三百人なんだよね? 大丈夫なのかなー?」
聞けば過去に行われた討伐は大人数で行われたらしいが、その全てが失敗に至っている。
理由は山地ならではの特性だ。高所は足場も悪く自由に動ける場所は少ない。空気も薄いし寒く体調も崩しやすい。必然的にそんな環境では平地のように戦えるはずもなく、慣れない場での戦闘は士気も落ちやすい。さらに足して相手は地形なんぞ関係なく動ける龍ときてる。結果は火を見るよりも明らかなのだ。
「だから今回は比較的少数で動ける冒険者を中心に編成してる。量より個の質だ」
「相手は特上の個だぜ? フランス料理のミシェラン三つ星並みに、少なくて高いってヤツだ」
「ふらんす料理? 何それ食べたい!」
食い意地の張った彼女は置いておき俺は荷が崩れぬように紐で固定する。ロープワークをタケさんと練習してたのがここで活きる。
あらかた荷物をまとめ終え、俺は一息をつく為に荷台から足を放り投げズボンのポケットからタバコを取り出した。
「それ、臭いからやめてくれないかな」
火を点けようとしたその手をルチアが掴む。真剣な眼だ。よっぽどタバコの煙が嫌いなのか握られた手にかなり力が込められている。
「は、離れて吸うからいいだろ?」
「私、基本的にハジメのこと好きだけどそれ吸ってるときはアルベイン以上に嫌いだから」
友愛なのか恋愛なのか。恐らく前者のことであろうが、面と向かって好きと言われた後に反吐が出るほど嫌いと言われてしまうと、嬉しさ余って悲しさ百倍だ。俺は苦笑いと愛想を混ぜた笑みで誤魔化しタバコを持ったままその場を離れる。
「ふぃ〜……こりゃしばらく吸えんわ。残りの本数も多くないしな」
俺は紫煙を空に吹き掛け、頭の中で命の煙の残数を数える。この世界に持ってきたのはワンカートン分。かなり節約して吸っているが日を追うごとに少なくなってきている。
「無駄撃ち厳禁だな」
俺は背中に背負う武器の一つ。軽機関銃のMINIMIの銃身を触る。
一応、味はともかくとしてタバコ自体はこの世界にもある。しかし、俺が持つこの銃の弾薬の代替え品は無い。
(硫黄があってもなぁ。これと同じのは作れんだろうし)
近代科学の技術があればこそ銃という武器が存在し得る。
武器を作る技術は異世界にもある。薬品を調合する知識もある。だが、人類が長く続けた科学の力は無い。なぜ無いのか。その理由は言わずもがな分かる。
「便利なもんだな。魔法ってのはよ」
目先にある馬車の後ろでは筋骨隆々な男が荷物を汗水垂らして積んでいる。その後方では魔法使いと思われる女が荷物を杖の一振りで浮かせ積み込む。どちらが早くて楽か。言に及ばず。
俺の世界の昔の時代の人間ならばテコの原理やらなんとやらで荷物を動かそうとするが、この世界の人々は力ずくでやるか魔法でやるかだ。極端な二択をとる人間が多い。化学のカの字に気付く者は決して多くはない。
そう考えると、魔法都市のロジー先生は珍しい科学者寄りの技術者なのかもしれない。彼女の工房は男心を唆るモノばかりであった。科学とは、化学とは童心を刺激する。
「ハージーメっ! もうすぐ出発になるから早く乗ってだってさ!」
呼ばれて俺はタバコの火を揉み消し、吸い殻を自前の携帯灰皿に入れる。どうやら出発らしい。
俺は軽く身につけている装備を触り、物が全て揃っているのを確認する。次いで銃を身体の前側に回し細かな部品が落ちてないかも確認し、馬車へと向かう。
「準備はいーい?」
「武器装具異常無し!」
「んん〜? じゃあ私も異常無し!」
何がじゃあ私もなのかは知らないが、軽く腰回りをポンポンと叩いた動作が可愛らしかったので俺は何も言わない。
馬車に登るための足場に手をかけ俺は足を滑らせぬように登る。登った先の車内を見ると既に先客が数人いた。身なりの汚い少年に毛皮のフードを被った剣士。暗くて分かりにくいが奥にも二人いる。
「他のところに乗れなかった人が乗ってるから場所を取りすぎないようにね」
そう言うとルチアは一番外側の席を取る。その理由は見て分かった。
「ジョン何しょぼくれてんだ? 暗い顔してよぉ?」
視線の先にいるのはアルベインだ。俯いたまま俺と目を合わせず、少しだけ身体を揺らす。
「私の馬車は……余りにもボロ過ぎて誰も乗りたがらず……そして、商人の街に相応しく無いとのことで今回の依頼に持っていくことを禁止されて……由緒正しい馬車なのに……」
それはお気の毒とは言わない。誰が好き好んであんな継ぎ接ぎだらけの馬車に乗るか。半壊してる泥舟で太平洋横断を目指すようなモノだ。
「暗い顔すんなよ? クヨクヨしても意味ねぇぜ?」
俺はポンっとアルベインことジョンの肩を叩く。
「暗い顔? ハジメ殿はよくそんな事を言えますねッ!?」
手を払い除け顔を挙げるとアルベインは俺の顔を真っ直ぐ見る。
「……ぶふぅ!」
「だっはっはっは! やっばその顔ウケんな!!」
ルチアと俺は顔を見た瞬間笑ってしまった。なぜならアルベインの顔は一面真っ黒に塗られていており、元の顔が分からなくなっていたのだ。眼球と歯だけは黒になっておらず元の色のままだが、それが殊更なんとも間抜けな顔に見えるのだ。
自衛隊員が使う偽装の一つに、ドーランを使って顔にお化粧をする方法がある。
一般的な化粧とは当然異なり、茶や緑や黄色に黒の色を組み合わせる。中には色の塗り方で部隊を識別するところもあるらしいが、今回はアルベインの顔が勇者と分からなければ良いので黒色に統一して塗ってみた。
「気分はどうだい? ジョン・ドゥさんよぉ?」
「……人を呪うという感情を初めて理解しましたぞ……」
不貞腐れたような素振りを見せるが顔色が伺えないのでよく分からない。思うに照れ隠しだろう。そう思う。
「いいじゃん! 今のアンタなら顔を見て話してもイライラしないわ! イケテルヨ!」
「むふぅ!? な、ならこれでも良いかも……」
褒め言葉では無いのは確かだ。ルチアも皮肉を言うのだなと思った。
「おい皆、出発するぞ! 無駄口叩いてると舌噛むぞ!」
一頻り笑い終えるとテッドの声が御者席から聞こえて来る。
やがて、馬車はゆっくりと動き始め街の門を後方へと置いていく。後ろから見える景色は相変わらず曇り模様だ。
「絶好の出発日和だな。どうしたジョン? 青い顔してもう酔ったのか? おっと黒い顔だってか?」
「ぶっ飛ばされたいのですかハジメ殿ォ!」
「二人共暴れないでッ!!」
隣同士で戯れ合う異世界の自衛官と異世界の勇者は二人仲良く同時に舌を噛んだ。出発早々、事故者二名を出したこのクエストは一筋縄ではいかないと、舌から血を流しながら考えていた。