金勘定と秘策
〜〜四年前。五月。新隊員教育隊隊舎にて〜〜
「あ、あー、あ、あ、うん。顎がめちゃくちゃ痛いんですけど。夕飯食べんのめっちゃ大変だったんですけど」
椅子に座った状態で何度も俺は声を出し、その度に走る額部への激痛に顔をしかめる。
「お前が西野をブン殴ろうとしたからだろ。その前に止めたんだから文句言うな」
新隊員教育隊の隊舎の一角。就寝用のフランスベッドとキャビネットにロッカーだけの飾り気の無い部屋で俺とタケさんは話していた。
「自衛隊病院に行くの俺は四度目ですよ? そのうち三回はタケさんに殴られたの。あっ、今回ので五度目でしたわ。四回はタケさんの愛のムチのせいですからね?」
「骨折れて無かったんだろ。ならいいじゃねえが。これでも加減したんだぜ?」
加減してあの威力ならこの人はそのうち熊相手でも素手で倒しかねない。俺の顎は折れてこそいなかったが重度の打撲と診断されている。
「タケさんは殴るのに、俺は殴っちゃいけないんすね?」
当然、昼の一件のことを言っている。タケさんは読んでいた週刊の漫画雑誌を乱雑にベッドの上にそっと置くと俺の方をジッと見る。
「知ってるか? 班付ってのは右も左も分からん新兵を自衛官に導く為の存在なんだぜ?」
ベッドの上に座ったままタケさんは続ける。
「お前を愛のムチでシバキまくったのはお前がそうすると成長すると思ったからだ」
「まじでタケさん自衛隊でよかったすね。外だったら社会不適合者ですよー?」
「ブチ転がされてぇのか?」
俺は言い過ぎたと口をつぐむ。
「西野にも問題が八割がたあるが、二割はお前だ」
俺にも問題があると言われムッときたが叩かれるので俺は黙って聞き続ける。
「たかが二十パーセントの問題だがよ。二十歳もいってねぇ餓鬼には十分に納得いかない問題だ」
「なら、俺がどうすりゃいいんです?」
「知らねー。俺は班長の仕事で忙しいんだ。自分で考えろ」
タケさんはそう言うと読みかけの漫画を再び読み始める。もうこうなるとまともな問答は続けられない。邪魔すれば漫画のキャラのようにぶっ飛ばされる。
「明日は新兵の初めての戦闘訓練だ。お前がハイポートの声出しやんだから色々治しとけ」
「色々……っすかね」
タケさんの含みのある言葉を俺は繰り返し、俺は立ち上がって敬礼をしてから部屋を出る。
―――――
「そんでもってよ。色々あって結局受けることにしたんだわ。その依頼をな?」
夜食のスープに入っていた肉片を胃袋に流し込むと俺はすかさずパンを食べる。タンパク質と炭水化物の相性抜群の組み合わせの前に言葉を話すのは無粋なので会話は最後だ。
「俺が帰ってくるのを飯も食わず待っていたのはありがたいが……色々と、なんとも言えないモノを引き受けたな」
少し疲れた顔をしたテッドは暗めな肌の色を蝋燭の炎で揺らしていく。心なしか呆れも混ざっている。
「やっぱりダメなのかな。私達って冒険者とかいけないんだっけ?」
温めたミルクをちびちびと飲みながら、ルチアは不安そうにテッドの額を見る。
「全く問題ない……とまでは言わないが、基本的には問題ない」
「さっきからなんだその言い方は? 逆に不安になるぜ。曖昧な表現は日本人的に大好物だがよ」
含みのある言葉を繰り返すテッドに、俺は苛つき三割と茶化しを七割込めた言葉を送る。
「実はな、今日、ジネスから同じ内容の相談を持ちかけられた」
「同じ内容ですか?」
剣の手入れをしていたアルベインが口を挟む。砂汚れを拭き取った布をテーブルの上に丁寧に畳んで置く。
「山に住む火を吹く龍の討伐だ。なんでも、火薬の原料となるモノの採掘場に現れてしまい作業が難航してるようなんだ」
「山……火薬……原料……硫黄か!」
ひとくちに火薬と言っても様々な種類がある。
俺の愛銃である89小銃にも使われる弾薬の種類は無煙火薬を使用したモノであり、これは近代の銃火器によく使われる品物だ。フルオートの連射性能はこの火薬だからこそと言える。
俺の拙い記憶が正しければこれらに必要なのはニトログリセリンなどの物質だ。硫黄が使われるとかは正直覚えていない。
だが、硫黄が確実に使われている火薬は俺でも知っている。
黒色火薬。有名どころでは戦国時代の火縄銃などにも使われ、比較的近代の国産銃である村田銃にも使われている。
俺は指をパチンっと鳴らし、皮肉めいて笑う。
「火打ち銃兵を作るには大量の硫黄が必要。そこにいるのはマッチ要らずの火吹き龍ってか?」
異世界産の銃口から火を吹かすには火を吐く龍を倒さなければならない。なんとも因果めいた内容だ。もしこれが戯曲ならなんて酷いストーリーだろう。百点満点中十点だ。赤点をくれてやる。
「ってことはさ? どっちにしろ倒さなきゃならないってことだよね。なーんだ、全然問題ないじゃん!」
「そうなんだが、ちょいとややこしくてな」
能天気なルチアに対してテッドは怪訝な顔を崩さない。色黒の額にシワが寄っていく。
「いいか? いうなれば俺達は他国の軍隊。その国のゴタゴタに首を突っ込むのはよろしくない。分かるな?」
ウンウンと俺は頷き続きを促す。
「王国の軍の者が龍退治中に死亡するとややこしい。それこそ国際問題にもなりかねん」
ルチアもウンウンと頷く。
「だから俺はあくまでこの国出身の有志として身分を隠して参戦することにしたんだ。軍属としての地位は隠してだ。お前らを含めてな」
俺とルチアは二人でウンウンと頷く。その一方でアルベインは首を左右に振る。
「むむ? ならばハジメ殿とルチア殿が冒険者の身分を手に入れたのは問題ないのでは? 渡りに船で言う事なしではありませんか?」
「お前中々冴えてるな。日本のことわざを言えるなんて思わなかったぜ」
「にほ……ん?」
勿論、グロリア語の言葉を俺の翻訳の魔結晶が都合良くことわざに変えてくれているのは分かっている。ただあまりにも自然に出たのでつい突っ込んでしまったのだ。
「このややこしい事態をジネスは金で解決することにしたんだ」
そういうとテッドは一枚の白い紙を俺達の前に出す。書いてある文字は読めないがテッドの顔色を伺うに中々の金額だと思える。
「一人辺り……まぁ結構な金額だ。内密に協力者としてウェスタに多額の金で俺達を雇いいれる。との予定だ」
「携帯電話のない時代によく連絡できるもんだ」
「鳩さんが頑張るんだよ? 知らない? クルッポーっていう鳥」
意外に鳩の鳴き真似が上手いルチアをさておき、俺は自分でしでかしたことに気付く。
「ていうことはあれか。多額の金が手に入る案件を、俺らはそれと関係ないところでおじゃんにしてしまったつーわけか……?」
要はこうだ。軍から内密に借り入れた兵として雇われ、その対価として多額の報酬が受け取れる手筈のモノを、俺は同じ危険度にも関わらず二束三文の報酬で受理してしまったのだ。テッドの渋い顔を見るに本来の金額とは雲泥の差であることは明白である。
「俺が営業マンの上司だったらそんな契約取ってきた奴は首を飛ばすな」
不幸なことに上司は騎士だ。もしかしたら本当の首を飛ばされるかもしれないがそこは俺とウェスタとの仲を信じたい。
「もしかしたら、我々はハルカ殿にはめられましたな」
「ああ。あの国語赤点野郎。とんでもねぇな。腐っても商売人の血筋だ」
討伐隊に軍属として参加させるよりも一介の冒険者としての方が金勘定で考えると得である。あのお気楽ハイテンションなミリオタ女子高生は知ってか知らずか兄が得する方向に俺達を導いたのだ。俺はまんまとそれに乗せられ、自ら損する方向に行ってしまったのだ。
(俺の男子心を弄びやがって……)
大人になってもロマンを追求する俺の男としての心情をスキルを使って読み、利用し、得をした。さすが商売人の家計、金勘定に意地汚い。
「まぁまぁ。いいんじゃない。知ってる? 冒険者としてなら依頼中に手に入れたモノは自分のモノにしていいらしいよ?」
「そうだな。採取の依頼となれば別だが、基本は自由だ。これは軍属では出来ない利点だな」
「軍でそれやったら他国で略奪してるようなもんですからね」
「ピッケル担いで鉱石採取か。武器をソレっぽいのにして良かったぜ」
聞いたところによると宝石なども掘れるらしい。お守り代わりの宝石なら意中の女性へのプレゼントにもピッタリだとも。
「ということはジネスからの報酬はテッドとアルベインだけの分か。そうなりゃ出来るだけ貰うしかないな」
「ところがそこでまた問題があるんだ」
非常に残念そうな顔でテッドは続ける。
「勇者の称号は特別なんだ。そんな男が他国にいるだけでも本当は問題になりかねんのだ。あまつさえ、龍という存在を倒したとなれば、その影響は計り知れん」
「米国のボクサーチャンピオンが中国で拳法の道場破りするみたいなもんか? そりゃ国際問題だ。冗談や酔狂ですまねぇな」
「その例えあってるの?」
合ってるかは分からないがそれくらいのトンデモナイことであるというわけだ。俺はチラリとアルベインの目を見る。
「お前の分の報酬も無しか。何しについて来たんだ? ルチアのストーカーすんなら時と場所を考えろよ」
「ハジメ殿を守れと頼まれたんです! 龍退治をしろとは言われてませんでしたので!」
確かにアルベインがいただけで冒険者ギルドの中で気性の荒い者達に絡まれるということは無かった。性格こそ難が多少あるが、醸し出す強者の雰囲気は見る者が愚者でも理解できる。
「……ならよぉ。勇者アルベイン様って分からなければいいんだよな? 参加できるよな?」
「報酬とかは無いが、龍退治はかなり楽になるだろうな」
「龍の討伐なら十五のときに成し遂げました。無論、成体のです」
頼もしいことを言うモノだ。ならばこそ是が非でも連れて行かなければ。龍を倒せなければ銃の有用性を示すどころか大量生産の為の火薬すら手に入らないのだから。
「どうやってコイツを連れてくの? 背中に勇者じゃありませんって書く?」
「その案も捨てがたいが俺に考えがある」
席を立ち自分の荷物が置いてある壁際に行き、リュックの中からあるモノを取り出す。
「要は顔がバレなきゃいいんだろ? とっておきのがあるんだわ。まぁ見とけよ」
俺はあるモノを手に取るとルチアが引くぐらいのニヤリとした笑みを浮かべ、手にソレを持ったままアルベインに近く。
「すごい嫌な予感がするのですが……」
「なぁに、痛くは無いから安心しろよ?」
「逆に不安になるのですが!?」
ガタガタと文句を言うアルベインの頭を俺は強引に掴み、すぐさま行動に移す。
「ンギャァャー!?」
「うわぁ! 何それ、何それぇ!」
すっかり夜が更けた街並みに、アルベインの絶叫と俺の楽しげな声にルチアのさらに楽しそうな声。テッドの呆れた溜息と隣の宿泊客が迷惑そうに壁を叩きつける音が流れていった。