一番下の銅牛
冒険者ギルドと聞いてまず最初に想像するのは木目の床。その上を粗野な酒飲みの大人が足を踏み鳴らし、怒号混じりの空気の中で美人な受付からマニュアルを聞きコルク製の掲示板からお手頃な依頼の紙を剥ぎ取り、陽光を浴びながら冒険の旅に出る。っというモノがある。
「あながち間違ってもいないか。どう思う?」
「ふむ、一理あります! ロマンですな!
「ハジメってたまーに独り言を言うよね。口が寂しいの?」
「煙草吸っちぁおうかなー」
「ルカちゃん的にハードボイルドなんでオッケーですが、嫌いな女性も多いんですよー?」
ギルドの内部は概ね想像通り。屋内が禁煙では無いのは剣と魔法の時代だからなのか、どちらにせよこの世界のほうが喫煙者に優しい。マルボロもラッキーストライクも無く、異世界産の紙巻き煙草は基本的に不味いので人々はパイプに葉を詰めて吸うのが主流だ。
煙を嫌い、口元を押さえたルチアは足早にギルドの受付へと行く。その背中に俺は付いていく。見た目はまるで西部劇に出てくる銀行のようにやたら頑丈な作りの受付は人が集まれば正しい人間ばかりが来るわけではないという世の中を表してる。
「緑と黒に茶のまだら模様……貴方達のお話は聞いておりますので。そしたらこちらの書類にサインをお願いします」
受付の二十後半ぐらいの年齢の女性が俺を見るなりすぐに書類を取り出して俺に羽根つきのペンを渡す。どんな話を誰から聞いたのか気になるが、手際良く進むのは嫌いじゃない。とは、いえどもだ。
「俺の死んだ婆ちゃんが無闇に書類にサインするなって教えてくれたんだ。連帯保証人には友情が破滅してもなるなってよ」
「ハジメ殿は意外にも家訓を大事にするタイプなんですな?」
「これでもおばあちゃん子なんだぜ? 特に正月はな」
なんて書いてあるか分からぬ書類にサインするほど俺は図太くない。居並ぶ文字列に対し、見知らぬ海外ゲームの英語レビュー並みに目を滑らせた俺はルチアに書類を渡す。
「ん、書いてあるの見た感じ問題ないと思うよ? 別に深く考えなくても平気だよ。騎士とか王様とかが冒険者になっても不思議じゃないしさ」
「自称、自然派野菜ソムリエとかと一緒だな。名乗れりゃ誰でも冒険者っつーわけだ」
「サルでもなれる異世界冒険者ですからね~」
今のは俺を馬鹿にしたのだろうか。ニコニコと可愛らしく笑われると怒るに怒れない。さすが軍事オタク、使える武器は全部使ってくる。
俺は目配せしてルチアに文字を一字ずつ教えてもらう。グロリア文字を読み書きできない俺にとっては名前を書くことすら至難の技だ。
書き上がった書類を渡すと受付の女性は机の下から五百円硬貨と同じ大きさの銅板を俺に渡すと用済みだと言わんばかりに他の仕事に手を付け始める。少しばかり待ったが特に何かを言われることもなかったので俺はルチアを伴い仲間達の元へと戻る。
四人掛けのテーブルに座ると俺は貰った銅板をよく調べる。簡略化された牛の顔が刻印されているそれはよく言えば生産的。悪く言えば雑に作られた、数を作れれば良いという創作理念を掲げたモノにも見える。
「説明とかねぇんだな」
「希望者が多いんですよ。冒険者ってなるだけなら誰でもオッケーですねらね。三歳児でもなれるし、ヨボヨボの八十八歳のジジイでもなれますん。ギルドの人がいちいち説明するほどお人好しなのは王都だけです」
「申し込めば合格か。アマチュア無線三級試験より楽だな」
笑ってるのは俺とルカだけだ。しかも、苦笑い。そんなに今の冗談はつまらなかったか。
「んだらば、このルカちゃんが説明をばさせてもらいますねー」
ルカは冒険ギルドの入り口にあった紙っぺら一枚をテーブルの上に置くと指で文字列を指差しながら説明をする。
「冒険者ギルドの三訓。一つ。人道的であれ。二つ。挑戦的であれ。三つ。賢明であれ。意味は……」
「意味なんていらねぇ。俺、社訓とか聞くと虫唾が走るタイプなのよ。自衛官の心構えも半笑いで唱えるほどの逸材だぜ俺はよ?」
「うっわ。社会不適合者じゃないですか。日本伝統の社畜魂もってないんですか?」
「母ちゃんの子宮に置いて来ちまったよ。ん? 親父の金玉袋にだったかな?」
「その言い回し、ルカちゃんも使っていいですか? 玉金袋って」
女の子が下ネタをいうんじゃない。っと俺はルカの頭を手刀で軽く叩き、説明の続きを促す。
「まずですね。ランクってのがありましてね。一番下が誰でもなれる銅牛級。真ん中が中堅から玄人までよろしくな銀狼級。上がヤッベェ奴らしかいない金獅子級ってな感じなんですよ」
「ドンドン豪華になってくわけか。銀狼って言葉カッコいいな。一生それでいきたいぜ」
銀色オオカミなんて如何にも少年心をくすぐる言葉に俺は身を半分乗り出す。
「ぬふふん! ちなみにルカちゃんは銀狼級です。ワンワンバゥバゥですよー」
「へぇ、賄賂はどのくらい積んだんだ?」
「ニキータのギルド長にちょいとアレなお店の八割引き券を渡しました! ゲヘヘ、世の中ってのは金と性欲ですぜお兄ちゃん!!」
冗談のつもりで言ったがまさか本当に汚い手段を使っているとは思ってもいなかった。
だが、世の中というのはなにも腕っぷしだけが力ではない。持ち前の金や運も実力の内だ。そういう意味ではこの世界の中堅と言っても過言ではない。
「銀狼級になると様々な特典があるんですよー。例えばギルド管轄のお店が割引されたり、宿の宿泊や食事代もかなり割り引いてくれたり、飲食店の中には貴重な一品を馳走してくれちゃうとか?」
「うわ、なにそれいいな! 私も冒険者登録していいかな?」
飯のくだりで身を前に乗り出す。ルチアのそういうところは可愛らしいが、些か食欲に傾き過ぎじゃないかと心配になる。
「冒険者とか異世界っぽいよなー。始めにこっちにすりゃよかった」
転生や転移とか経験した以上、誰もが一度は通りたがる場所だ。
「そう? そしたら私と一緒にいれなかったよ?」
「なら今のでよかったわ」
「んふ!? ハジメはたまーにいいこと言う」
俺が正直に話すと、照れた感じでルチアは俺から目を逸らしてしまった。その反応は言った俺自身も照れてしまうからやめて欲しい。
「そしたらこの……」
「お前まで冒険者になるんじゃねぇよ。属性をどれだけ重ねる気だ?」
言葉の半分で制止する。これ以上は情報過多だ。勇者の上に冒険者なんてなった日には、行き着く先は冒険王にでもなってしまう。
さすがにそれは冗談なのだが、王国の特権階級である者が低ランクの冒険者になるなどあってはならないと俺は思う。総理大臣が五流大学に入学するようなモノであり、即ちそれは国の威信というモノがガタ落ちになってしまうのだ。異世界の国とはいえ知らぬ世界ではないので俺はグロリアス王国の名誉を守るためにアルベインを引き止める。
「ランクを上げるには冒険者ギルドに寄せられた依頼をこなすのですよ〜。クエストってやつです」
「そしたら最初は薬草採取か? 任せろ。草刈機と熊手を使わせたら俺は連隊一番だぜ!」
こういった手合いのクエストといえば最初は薬草採取というのが基本のキだ。大剣を担いで飛龍を狩るハンターや、世界を救う英雄であろうと最初はそんな依頼から始まる。
「チッチッ! そんなんじゃあ百年かかっても銀狼級になれませんぜ自衛隊さーん」
わざとらしく指を振るルカに俺は大人気なくムッとしてしまった。
「危険度の少ない依頼をいくらやってもギルドの評価は上がりませんよぉ? 危険な生き物を討伐するとかしなきゃサクサクっと銀狼級になれませんよー!」
「わがままな王女様の依頼でも受けろってか。俺が知ってる王女とその従者は巨大クモより厄介だがな」
北の地で二人がクシャミをしてるのを想像する。プリシラはともかく、リーファならばたとえ雷を吐く野猿だろうと討伐できそうだ。
「簡単に上がらないんだね。あーあ、銀狼級ってのになってすぐに美味しいご飯を食べれるようになると思ったのに」
「そんな一回で上がるような都合の良いクエストなんてねぇだろ。コツコツ積み重ねるってのも楽しいんだぜ?」
なにも冒険者になったからといって頂点である金獅子級を目指すわけではない。
俺の今の職業は幻想調査隊。冒険者の身分はついでだ。ポイントカードを店で作るのと同じように、ちょっとでも得できれば良いと思っているのが本心でもある。
「むっふふん! 実はですねぇ、そんな都合の良いモノがあるのですよ」
「むむ? 凶悪な化物でもいるのですか?」
ルカは思わせぶりな態度をとると、興味深そうに身を乗り出すアルベインの前に一枚の羊皮紙を叩き付ける。勢い余ってテーブルの端の埃が飛んでいく。
「なになに……ほう! 龍ですか! しかもかなりの巨体と?」
「へー、前に傭兵五十人が返り討ちで全滅だってさ。クエストの成功報酬は……」
「報酬は?」
「……ハジメの給料半月分」
「クソ安いな! ……安いのかな?」
「自分を卑下しちゃダメだよ?」
この世界の金の価値がイマイチ理解してないので想像しずらいが、少なくとも五十人が死んでる相手と戦うには安過ぎるようだ。なにが都合が良いだ。自殺の都合が良いのか。
「ルカ、いや、ハルカちゃん。今度国語辞典買ってきてあげるから都合良いの意味を調べてきな」
「そんな改まった態度はやめて! ルカちゃんの国語の成績は五ですよ! 生活態度は二でしたけども!」
憤慨するルカは指で紙の下の方を指す。
「んー、なになに。このクエストを達成時、生存する銅牛級のモノは銀狼級に格上げされる。ってさ」
ルチアの薄桃色の唇からスラスラと文字が読み上られる。目線を元に戻すととてもムカつくドヤ顔のルカと目が合ってしまった。
「ねっ? 超都合の良いクエストでしょ?」
「お前が物語の序盤で出てくる超アホ系の仲間だってことは理解したよ」
生存する。っとわざわざ書いてあるということはそれだけ難易度が高く生還の可能性が低いということの現れだ。そんなモノを出会って数日も経っていない俺達に勧めるなど頭のネジがコンニャクで出来ているのではないかと疑ってしまう。
正直、断るべきだと頭が言っている。しかし、冒険者という男心をくすぐる言葉とジネスとの会話が残りの一割を占めている。
(龍を銃でぶっ殺すか。銃火器の有用性を確実に示せるな)
商談はすでに纏まっているが、何事も箔がつくというのは大事である。実績があればこちらに有利な条件も付けやすい。そのチャンスを見過ごすのも好ましくない。
「さてと。ここは迷うべきだな」
悩む俺は頭の動きを潤滑にするために、いつの間にかルチアが頼んでいた甘い果物のジュースを喉に流し込み、優柔不断な思考を張り巡らせていく。