問題発生
〜〜四年前。五月。野外演習場にて〜〜
金属と金属がぶつかり合う音。苦手な者とっては耳を塞ぎたくなる嫌な音だが、この場にいる人間は誰一人として耳を塞がない。
段々と暖かくなるこの時期は日によって夏日とも言える陽射しに晒される。
本日は晴天なり。無線の導通確認の謳い文句そのままの空は、迷彩服に身を包み両手で野戦築城用のテンポンドハンマーを振るう新隊員達の体力を奪う。
「オラオラっ! U字杭が数ミリも打ち込まれてねぇぞ!? ジジイの餅つきの方が気合入ってんぞッッッ!!」
俺の発破をかける声に新隊員達は色の濃い迷彩服の色を夥しい量の汗でさらに濃くしていく。
今行なっている訓練は野戦築城の基本の一つ、有刺鉄線による鉄条網構築の訓練だ。
「日本班付! 腕がパンパンでもう持てません!」
「ああん!? 貸してみろ、手本を見せてやる!」
俺は泣き言を言う新隊員からハンマーを奪い取り地面に少ししか刺さってないU字杭の前に立つ。
「よく見てろよ」
片手で杭の頭につけてある変形防止の保護キャップをしっかりと押し込み、視線を移して周囲に何もないのを確認してから振りぶって打ち下ろす。
鉄と鉄がぶつかり合いにより生じる轟音。視界の端にいる他の杭打ち隊員が咄嗟に耳を塞いでいるのが見える。
まるで豆腐に菜箸を刺すかのように、みるみるうちに杭が埋まっていく。俺はさらに数発打ち下ろし、しっかり刺さっているのか確認する為に軽く蹴りを入れる。微動だにしない。これならば有刺鉄線の張力にも耐えうるだろう。
「こんな感じだ。サクサクやれよ、昼飯までには一線ぐらい張ろうぜ?」
俺がハンマーを返すと周囲からは小声で凄いだの怪力だの、ゴリラみたいだのと呟く声が聞こえる。本来なら上官に対する不敬となるが俺はあえて笑う。
「誰がゴリラだ! オメェら昼飯にバナナ食わせんぞッ!」
新隊員教育隊の班付とはまだ自衛官になりきれてない新米を厳しく鍛える鬼であると同時に、班長や教育隊長よりも新兵に近しい身として親和情愛の心を持って接しなければならない。飴と鞭と一言で言えば簡単だがある程度の、一種のくだけた態度を俺自身が取ることも重要だと思っている。
「チッ、やってらんねーっスわ」
「……おい、西野。お前今なんて言った?」
それでも見過ごせない態度はある。
西野は打ち終わったU字杭にテンポンドハンマーを掛け、唾を吐き捨てて言う。
「なんで、俺が他のノロマな奴の分までやらなきゃいけないんですかぁ? 俺、自分の分はとっくに終わったんですけど?」
生意気な口を聞くが言っているとうり、西野の組は早い段階でU字杭を打ち終わり手が余っているのだ。通常ならばそのまま有刺鉄線を張る訓練に移るのだが、他の新隊員達はまだ終わっておらず西野にはその手助けをさせていた。
「俺、疲れてんですよ? 十本ぐらい打って他の組はまだ半分しかやって無いじゃないですか? なのに俺がさらに打つっておかしくないですか?」
「自衛隊は部隊行動だ。助け合いってやつだ。そもそも一人で出来ることには限界があるんだぜ?」
「そしたらなんで出来る奴が余計に疲れなきゃいけないんですか? 非効率じゃないんですかぁ?」
ピキっ……
俺のこめかみに青筋が浮かび上がり、無意識のうちに拳を握り締めた指の関節が鳴る。
不満は理解出来る。だが、モノの言い方というのがコイツは分かっていない。俺自身が未熟なことだけがこの怒りの理由ではないはずだ。
「うわっ!? マジかよ!?」
俺は文句を言う西野の胸ぐらを掴むとグイっと引き寄せ拳を振り上げる。まさか俺が殴ろうとするとは思わなかったのか面食らった顔をしていた。
これは暴力じゃない。教育的指導……だ。
握りしめた不純な力を俺は西野のムカつく横っ面目掛けて振り抜く。
「うげぇ!?」
しかし、吹き飛ばされたのは俺の顔面だ。頭が衝撃を理解したのは地面の土の味を舌が味わってからのこと。
「教育的指導だ。この馬鹿チンがっ!」
そのまま俺の胸ぐらを掴み上げ追加の一撃を入れる人物。
新隊員教育隊の班長。俺が尊敬する南野武久三等陸曹だった。
―――――
金属と金属がぶつかり合う音。耳が麻痺してきたのか、それとも槌を振る疲労感から来る一種の高揚感のせいなのか。ともあれ今の俺はこの音がそこまで嫌いじゃない。
宿屋の裏手の開けた場所。神輿を担いでお祭り騒ぎをするには狭いが、男二人が剣を振り回すには充分過ぎる広さのこの場所で俺は昨日手に入れた新たな武器を手に馴染ませようとしている。
「ふむふむ。ハジメ殿の膂力は見事ですな。力のみならば第一線の戦士としても問題無さそうですぞ!」
「力のみ……なら……ハァハァ……か……」
獲物から手を離して地面に倒れ、まだ熱くなってない青空を見上げ、俺は荒い呼吸と言葉をアルベインに言葉を返す。
手は乳酸でパンパンに膨れ上がり疲労の限界を伝えてくる。大量の汗は衣服から地面へと伝って行き俺がいた証を土の上に残していく。湿った土の上に手を置き、もう片方の手で今の今まで振るっていた戦鎚を杖代わりにして起き上がる。
片面は円錐状。反対面はカラスの嘴のような形状となっている。そして中央を柄の頂点となる部分は短いトゲのような形となっていた。どれも殺傷能力に極振りした存在である。
「良い武器を選びましたな。ハジメ殿にお似合いですぞ!」
「だろ? この尖ってんのガス缶を捨てるときの穴開けにピッタリだと思ったんだ」
「はて? ガスカン?」
「知らねぇよなー」
傾げるアルベインに俺は苦笑し、自分なりに面白いと思ったネタが通じないことを異世界のせいにする。
「まだ鎧は着ないのですか?」
「無理無理、重いんだ鎧ってよ。ケブラー繊維がどれだけありがてぇのなんのってな!」
防御力とは装甲の厚さと材質の足し算だ。たとえ紙っピラ一枚でも厚みを持たせれば弾丸も防げる。だが、その分とてつもない量の紙切れを重ね合わさなければならない。嵩む質量を減らすためには材質を堅固なモノに変えなければならない。
たとえば鉄。鉄で鎧を作れば紙の鎧よりもはるかに厚さは少なく済む。しかし、重さという問題もここで浮上する。戦士の装備というのは出来るだけ軽く強固なモノでなければならないのだ。
動きやすさと防御力。その兼ね合いを考えたとき、元の世界の戦士が着る防弾チョッキのケブラー繊維とはかなり優れた存在だ。軽量にして頑丈。今のご時世で金属製の甲冑を着込んだ人間など、よほどのモノ好きか名家の生まれか、異世界の創作物語の中にしかいない。
「いや、これは良く仕上げられておりますぞ。私が欲しいくらいです」
アルベインは汚れぬように敷かれた雑毛布の上にある鈍色の鎧をコンコンと拳で叩き、感触を確かめる。
言葉の通り、ウドバンが用意したこの鎧はかなり出来が良いのが分かる。優れた代物とは無知な素人ですら惹きつける魅力を備えている。
六ミリにもなる分厚い金属の層。波打つような表面の波紋は少しでも重量を軽くするためなのか、それとも衝撃を受け流すための知恵なのか。右側の袖は武器をもつ腕の動きを妨げないように余計なモノは付いていないが、反対側の左は顎の無い龍の頭部を模した肩当てがついている。見た目はどうあれ、死角からの斬撃も防ぎやすくなっているようだ。内側に備え付けられたこれまた分厚い布生地は拳銃弾程度なら防げそうなほど編み重ねられている。
鎧としての硬度は上の上。俺が試しに銃剣で思いっきり斬りつけても逆に刃が欠けてしまったほどだ。火器陸曹がこの場にいたら怒号と罵声が飛び込んでくるだろう。
「銃を構えるにゃいいんだが、武器を振り回すにゃ荷が重いんだよなー」
一度試着してみたが着心地は下の中くらいだ。違和感と重さしかない。
「慣れれば楽勝ですぞ。将来はフルプレートアーマーを着ましょうぞ!」
「着ぐるみのバイトなら時給は千円以上欲しいとこだぜ」
「ハッハッハッ!! 言ってる意味が分かりませぬな! グロリア語を喋ってくだされ!」
「ハハハ! お前は日本語喋れや!」
お互いの言葉が通じてるのを確認すると俺は近くに置いてある水桶から手酌で水をすくい顔を洗う。適温の水は火照った身体を程良く冷ましてくれる。
「おーいハジメ! 宿の人が昼食の準備出来たってさ!」
宿屋の一階。窓のガラス越しに俺へと声を掛けたルチアの声は透明な壁に遮られてるせいかややくぐもって聞こえる。
俺はその声に応え、置いてあった荷物を抱えるとアルベインに顔を向ける。
「今のは多分、お前と同じ空気を吸いたくねぇから窓開けなかったんだぜ?」
「はっはっは! 冗談でも次はブチ殺しますぞ? ハジメ殿」
目が全く笑っていないアルベインの様子を見て俺はルチア絡みで揶揄うのは命懸けだと身を戒める。
宿の中に戻るとそこには湯気が立つ鍋の前で器を片手に待つルチアの姿があった。
「お疲れ。朝からずっと稽古してて疲れたでしょ?」
「今ならプロテインを樽で飲めるぜ。ツマミは鳥のササミな」
「ぷろいせん?」
「ドイツかな?」
空耳を適当にあしらうとルチアから器を受け取り鍋からスープをよそって木の器に流し込む。栄養満点のシチューだ。御所望する肉もゴロゴロと入ってる。テーブルに座り手を合わせると俺は早速口に白い液体を流し込む。熱々でトロトロな液が俺の舌を軽い火傷状態にさせる。
「そういやテッドはどこ行ったんだ?」
食事の初手でやらかした俺は舌をピリピリさせてるのを気取らせないように次いでパンに噛り付き、極めて自然に話を振る。
「んー、なんかあの商会長さんに朝から呼ばれたよ。帰りは遅くなるかもってさ」
大きめの肉を頬張り唇の端から垂らした白い液体を指で拭いながら説明してくれた。行儀の悪さは褒められないが目の保養と想像を掻き立てさせてくれる。
「ふむふむ。では、ルカ殿がこの食卓に当然の如くいるのはその件と関係が?」
俺の隣で同じ飯を食べるアルベイン。その正面、ルチアの隣でさも当然のように同じ釜の飯を食う鈴音ハルカがいたのだ。火傷せぬようにとフーフーと息を吹きかけてシチューの人参を食べている。
「アルベイン。お前はそこの白のワンピースを着た子が見えるのか。なら言ってやれ、Getoutってよ。もしくは成仏ってな」
「発音よスギィ!! ルカちゃんは亡霊じゃないのですよ!?」
やたらと大袈裟な反応を見せたが俺は無視する。二日連続でこのテンションは胃がもたれるからだ。せめて中二日空けて欲しい。
「ちょいちょいちょーい! いいんですか自衛隊さーん。ルカちゃんは自衛隊さんが欲しがってる品を見つけることもできるのですよ?」
チラリといやらしく、まるで性欲を持て余した中年のような目付きでルカはルチアを見つめる。
「チッ、なんだよ。迷彩柄のシャツぐらいならくれてやるぞ?」
俺がこの街に来た理由の一つにルチアへの日頃の感謝を込めたプレゼントを贈るという目的があるのだ。
このミリオタJKはあろうことか、スキルを使って俺のやりたいことを覗き見し、それを当の本人にバラそうとしてるのだ。この目は本当にいやらしい。物品を強請る半グレオタクの目だ。
「んふふ。それも魅力的ですが、ルカちゃんの望みは違いまーす!」
木の器に残った僅かな汁にちぎったパンを擦っていく。一欠片を一息で口に放り込み水で流し込むとルカは俺へ指を向けてこれまた二チャリとした笑みも向ける。
「自衛隊さんにはですね……冒険者さんになってもらいまーす! イェア! イッツア異世界テンプレッ!!!」
あまりの話の飛びように俺はしばし呆然とする。
幻想調査隊の俺に、その職を嫌っている冒険者になれと言っているのだ。果たしてそんなことが可能なのだろうか。
ルチアの方を見ても何も分かっていないのか、ルカの勢いに合わせて拍手まで送っている。アルベインは元々そういった確執に興味が無いのかルチアの拍手に合わせている始末だ。
互いを嫌いあっている職業に同時に就くことが可能なのか。異世界の就職事情に詳しくない俺には言っている意味が実行可能なのか分からない。
「じ、自衛隊は公務員で副業禁止だしなぁ……」
混乱する俺は元の世界での常識を口にすることしか出来ない。自衛隊なのに幻想調査隊に入ってる俺はそんなことしか言えなかった。




