売買の街ニキータ
活気。その二文字だけでも賑わいのある様子を表せる。そこに活気ある市場と繋げれば言わずもがな、人が沢山いる商売繁盛な雰囲気は当然伝わる。
俺が肌で感じているのはそんな当然のことなのだが、目で見えるのは二文字だけでは表せない光景だ。
「うおっ!? なんだなんだ? 今日は正月か? 縁日なのか?」
「すごい。南部は初めて来たけど王国よりも人が多いね!」
人、人、人、見渡す限りの人の波。買い物をする者に売る者。歩く者に立ち止まる者。その他大勢、一人一人がなにをしているかなど到底事細かに見れぬ程の人の数に俺達は圧倒されていた。
馬車から降りた俺達がいる場所は南部の国の中でも一番大きく、且つ商いが最も盛んな街。ニキータと呼ばれる街の入り口だ。
「まだまだこんなものじゃない。ここはほんの入り口。中央のメインストリートは歩くのもままならない程の人混みだ」
「マジかよ。俺、結構人酔いするからそこ行きたくねぇわ」
現時点でもマスクを着けておきたい人の濃さだが、あいにく俺が持っているのは顔を覆い隠せる防護マスクだけだ。求めているのは口を隠せる風邪予防の方なのでマスク違いである。
「ハッハッハッ! だらしないですぞハジメ殿ォッ! 人の上に立つ者を目指すならば、人を酔わせる程の男にならねばですぞ!」
嫌な意味で濃い奴が居るのを忘れていた。やっぱり防護マスクを装面しようか。他人のフリをしたい。
「俺はどっちかというと人の下につく人間だからな。まだ階級は陸士だし」
「りきし?」
「それお相撲さん」
「スモー?」
「惜しい。でも今は関係ないから後で教えてやるよ」
「え〜っ」
相撲と聞いても今一つ想像出来てないルチアのことは置いておき、俺は街並みと人の様子を観察する。行く人来る人、よくもまぁ途切れなく人が行き違うモノだ。さながら渋谷のスクランブル交差点を思い出す。
荷物をまとめながらしばらく眺めていると俺はあることに気が付く。
「人ばっかだな」
当然と言えば当然の話なのだが、俺の視界にはいる人々は人間ばかりだ。いや、人間しかいない。俺は自分でもよく分からない違和感を感じる。
「良いところに気がつくな。良くも悪くも」
「その心は?」
「後で教えてやろう」
俺が言ったばかりの言葉をテッドは含みがあるように口にする。その態度に俺は怪訝な顔をしたが、裏でクスクスと笑うルチアの方が気になる。
「何笑ってんだよ?」
「ん〜、後で教えてやるよッ! かな?」
「もし今のがジェリコだったら俺は助走を付けてラリアットしてるからな」
意趣返しの意味を込めたルチアに俺は釘を刺しておく。可愛い女の子だから許せるがここまでしつこく繰り返されると俺だってムッとする。
「さぁ行きましょうぞハジメ殿ッ! このアルベイン、たとえ恋敵の相手であろうとも、いかなる悪から守り通す所存ですぞッ!」
「うるせぇぞスピーカーボイス! つーか、お前ってそんな喋り方だっけか?」
「あっ、今のすぴーかーぼいすの意味は分かった。悪口でしょハジメ?」
正解を答えたルチアに俺は親指を立てて返事をする。その瞬間、アルベインが物凄く不満そうな顔を見せたがすぐに気を取り直し、落ち着いた口調に改める。
「当然です。以前お会いした際はイオン殿の手助け無ければデュラハンすら倒せぬ人物だと判断してましたから」
ウェスタの屋敷で会ったときとはまた違い、別人かと思えるほど冷静な口調に俺が面食らっているとアルベインはそのまま話を続ける。
「しかし、ハジメ殿は北部の任務でマザータラテクトと呼ばれる女王蜘蛛、神話に語り継がれる巨神兵オグマ。さらには最強と称される赤眼のダークエルフとも一戦を交え生き延びています」
後半にゆくにつれて段々とアルベインの言葉に熱がこもっていく。
「異世界から来たとは言え一人の戦士としては充分過ぎる戦果。ならばこそッ! このアルベインはヒノモト……いえ、ハジメ殿を対等な恋のライバルと認め、また敬意を払うべき相手としてるのですぞッ!」
熱量のある決意の言葉。真っ直ぐな感情をぶつけられ俺は自分がさして嫌な気分では無いことに気が付く。
「よせやぁい。褒めすぎだろ、なぁルチア?」
鼻を擦って照れた気持ちを誤魔化し、同意という名の俺への遠回しな評価を求める。
「でもスライム相手にビビってたからね?」
「それは言うなって!」
ケラケラと笑い、ルチアは俺があまり触れて欲しくはない話題を振る。誰だって突然鼻水みたいなネバネバが出てきたら奇声ぐらいあげるはずだ。台所の黒い悪魔と遭遇したら老若男女問わず飛び跳ねるように。
「三人共。申し訳無いが荷下ろしを手伝ってくれないか?」
一人黙々と作業をしていたテッドが俺達を見かねて苦言を漏らす。筋骨隆々な腕がまた一つと荷物を降ろしていきこのままでは俺は何一つ手伝わぬサボり魔な人間になってしまいそうだ。
「テッド殿、申し訳ありませんッ!」
「わりぃな、俺も手伝うって!」
俺はヒョイと荷台に飛び乗り、奥に置いてある飲料用の革袋や日持ちする食糧品が入った箱を持ち上げ下にいるアルベインに渡す。
「ありがとうございますですぞ! ハジメ殿ォッ!」
元気の良い言葉を聞くと俺がまだ現代にいた頃の自衛官時代を思い出す。
後輩の隊員達と仕事をしていると今のようにちょっとしたことでもお礼を言われたり感謝の言葉が頻繁出てくるからだ。本当に思っているのか、っとこちらが考えるほどにだ。それだけアルベインの元気の良さはいわゆる新隊員のように見ていて気持ちが良い。ルチアはどう思っているかは知らないが俺はここだけは嫌いではない。むしろ元気な奴を見て嫌な気分は起きない。
しかし、内心は好印象であるが実は先程から気になることが一つある。
「なぁ、アルベイン。お前のその変な敬語は誰から習ったんだ?」
荷物を受け取ったアルベインがそのままルチアに渡そうとして無視されてるのは見なかったことにして俺は返事を待つ。荷物を下に降ろすと額の汗を手の甲で拭い、気持ちの良い笑顔をで返事をする。
「敬語を真似したのはバルジ殿からですぞ!」
「納得したわ。だから、ですぞですぞってうるせぇのか」
「はい? 今なんと?」
「若いのに老紳士だなって言ったんだよ」
「ありがとうございますッッッ!」
褒めてねぇよ。っと言いたかったが、勢い良く感謝されたのでこれ以上皮肉ることもできなかった。
あの口調は落ち着きのある紳士が渋い声で言うからこそ似合うのであって、アルベインのように勢いと威勢が良い人間が使うと若干言葉がおかしくなりかねない。見た目相応、年相応の言葉使いというのはどこの世界でも大事である。
「よし、降ろし終わったな。それじゃ目的地に向かおうか」
テッドは降ろした荷物を手際良くまとめるとそれらにロープを括り付けて背負えるように形を整える。そして一気に勢いをつけて背負う。登山家も真っ青な量を背負うテッドに気圧されたが、この人だらけの中ではぐれてしまうと迷子の子猫ちゃんになってしまうので俺は自分の荷物と重そうな箱を担ぎすぐさま後を追った。
テッドを先頭に俺達は街を歩く。所々で人にぶつかりそうになるが、相手は人混みに歩くことに慣れているのか上手い具合に避けてくれる。
「皆避けてくれるんだな」
「ハジメのおかげだね」
「それって褒めてはないよな?」
「う〜ん……そだね、褒め言葉じゃなかったかも。ごめんね?」
「謝られるとちょっとだけショックだわー」
ルチアの言わんとしてることは分かる。誰だってこんな緑っぽい迷彩柄の珍しい服装の男にわざわざ突っかかってくる物好きはいない。ミリタリー風の服装はファッションとして現代では通じるが、本職の服装は現代異世界問わずちょっと距離を置きたくなるモノだ。ちょっとした異物感を感じるのだ。俺的には動きやすいし丈夫で着慣れてるから任務の際は好んで着ているのだが。
「それにしてもよ。俺達はどこに行くんだ?」
進む先はどちらかと言えば街の中央からやや外れており、人の流れに完全には乗っていない。そのせいで度々人にぶつかりかけているのだ。
大きな荷物越しにこちらを見たテッドが少々困ったように振り返る。
「……お前達。何をしにこの街に来たのか忘れてるのか?」
言われて俺とルチアは互いに顔を見合わせる。
「俺の初めてのお使い。駄賃くれんだろ? 木刀とか買いたい」
「南部の街って米に生の魚乗せて出すらしいのよ。それ食べたくて付いてきたの! あっ、あとハジメが心配だからかな?」
個人的にルチアの優先順位が逆だと嬉しいが口にするのもどうかと思うので俺は押し黙る。
そもそも本来の俺の目的だと当人はいない方がありがたいのだが、さも当然のようにルチアは俺達に同行している。あまり気にしてはいなかったがまさかそんな理由だとは思いもしなかった。というよりも生の魚が食べれるという話は俺も初耳だ。話から察するに寿司かもしれない。
マグロとかえんがわの寿司がもしあれば是非とも食べたい。日本人なら魚と米だ。あと出来れば醤油とわさびも。ウェスタも寿司のような食べ物があるということを教えてくれないとは人が悪い。悪いのは人相だけにしてもらいたいモノだ。
「……ハァ……」
俺達二人に呆れたのか、テッドはとても大きなため息を吐く。
「この街の商人の代表ともいえる人間にこれから会いにいく。王国に大量の火薬を仕入れさせる大きな取引だ」
気付けば俺達はメインの通りから大きく外れた道を通っていた。周りも人がいなくなっていき、どことなく周りの空気もきな臭いモノへと変わっていくのが分かる。
「南部で数少ない友好的な相手で話は付いている取引だが、念の為相手の気を悪くさせないように気を付けてくれ」
口頭での注意を俺は右から左へと聞き流す。俺の注意は今、周囲に注がれている。
浮浪者とまでは言わないがそんな雰囲気を放つ人間が周囲に増えてきている。時たますれ違う通行人の女性はかなり際どい衣服を纏っており、目で追っているとルチアに脇腹を小突かれる。
見るからに荒くれ者のような風貌の男達が俺達を値踏みするかのように見る。中にはあからさまにアルベインの高そうな装飾品を狙っているような眼光を放つ者までいる。
通りの店を見れば、看板に書いてある文字が分からなくてもいかがわしいお店であることが感覚で分かる。
「ここってよ。もしかしたら、もしかしなくても?」
どこか華やかであり、どこか闇の深そうな空気が漂う場所。現代日本の歓楽街が一つ。ここは歌舞伎町の暗い部分と似た雰囲気を持つ街並みなのだ。
「ニキータのスラム街ですな。見てくださいハジメ殿。王国ではもう見なくなったモノがありますぞ」
声のトーンを一つ下げたアルベインが示す方向を見るとそこには見たくない光景が広がっていた。
場にそぐわない煌びやかで立派な大きい建物の前、そこには鎖付きの首輪で繋がれた幼い少年少女の姿があった。
十歳に満たぬであろう少女は人間の種ではないのか、長い獣耳が付いている。その隣には少女の半分の背丈しか持たない緑色の体色を持つ小柄な生き物。以前に森で見かけたこともあるゴブリンが鉄球付きの足枷を嵌められた状態で座っている。建物の入り口の近くには大きな水槽があり、その中には下半身が魚の人間がいる。人間部分の胸部には膨らみがあり、申し訳程度の布切れが巻かれていた。
建物の周りを見れば、他にも多種多様な生物がいる。エルフの耳を持つ者、蜥蜴の鱗を持つ者、鳥の花を背中に持つ者、二つ首の犬や三つ目の猫ちゃんまでもいる。それらの全てに重々しい鉄の首輪がはめられ鎖で自由な動きが出来ないようにされていた。
(奴隷……!?)
声に出かけた言葉をとっさに手で押さえ喉元に押し込む。
奴隷という存在を見るのは元の世界の現代社会では当然なかった。この世界に来てからも、少なくともグロリアス王国では見たことはない。
「人間以外ばっかだな……」
街での光景と違い、ここは人間以外の者達ばかりであった。人間の奴隷らしき者もいるにはいるが圧倒的に少数だ。
奴隷という存在。話に聞くのと実際に目にするのとではここまで違うモノなのか。吐き気を催すこの感覚は、辺りに漂う醜悪な臭いだけが原因ではない。初めて理解した不浄な悪の気配に腑が煮えくりかえっているのだ。
「ここだ。中に入るぞ。この奴隷館の中に今回の取引相手がいる」
えもいえぬ怒りすら感じていた俺にテッドは普段通りの顔で入館を促す。
俺は一見豪華なこの建物が魑魅魍魎が蔓延る伏魔殿のように見え、無意識に唾を地面に吐き捨て館の中へと入っていった。