行く先は唐突に
夕暮れの酒場は一仕事を終えた者達の重要な休息地だ。どこの世界でもそうであり、異世界でも例外ではない。行きつけの店は昼の時間は小洒落た喫茶店だが夜の時間は労働者達の息抜きの場となる。
「ふにゃ〜! 忙し忙し!」
猫耳メイドが慌ただしく店内を周り注文を取っては料理を運ぶ。運び終わっては注文を取る。また運ぶときにペロペロと忙しく舌で口周りを舐めている。すっかりこの店の常連となった俺は厨房に顔を出すたびに賄いの品をパクリと食べる彼女のことはよく知っている。
廻る猫耳亭の看板娘。リパという名の騒がしい猫の獣人だ。昼夜問わず忙しい姿の彼女はいつ休んでいるのか。
「リパちゃーん! こっちにビール二つくれ!」
「ハイな! 直ちにハジメちん!」
「女の子がチンとか言うなって!」
俺の方に顔を向けず尻尾を振り、止めろと言っている敬称で返事をする。そしてわざとらしくこちらを向いてはペロッと舌を出している。顔が可愛いから許しているが、もしもジェリコが同じことをしたら助走をつけて飛び膝蹴りする自信がある。
「ったくよ。オジさんは心配だぜ。あんな若い子が汚ねぇオッさんの溜まり場にいるなんてよ」
俺の愚痴が聞こえていたのか、周りにいるオッさん連中はゲラゲラと笑う。違いねぇやと口々に言う彼らは俺の背中をバンバンと叩く。
「すっかり慣れたみたいっすね。上官の俺としては一安心っすわ」
ジョッキに並々と注がれたビールを片手に、髭周りを白い泡で装飾した中年のオヤジが嬉しそうに俺を見る。一見すれば親子ほど歳が離れているが、言葉使いのせいで見ためとは裏腹に若年の気が感じられる。
「お前の見た目にも慣れたがな」
幻想調査隊の隊長。そして王国の西方将軍であるウェスタだ。普段は金属鎧を着込んだ姿だが、今は麻製の服に頭にバンダナを巻いた労働者っぽい服装をしている。街にくりだす際のお忍びスタイルが様になっている。俺の目から見ても単なる仕事終わりの中年にしか見えず、よもや王国の守護を任される将軍には見えまい。
「はーいニャ。お待ちどうさま〜」
「うっひょお! これ大好物!」
テーブルの上に荒々しく置かれたサイコロカットの肉の山。ホーンカウと呼ばれる一本角が生えた牛の肉だ。以前に野生のモノを食べたことがあるが、食用に育てられた肉は一味違い脂の旨味が凝縮されている。俺はレアで焼かれたこの料理が涎が垂れてしまうほど好きだ。
一切れを口に含み何度も噛みしめる。歯ごたえのある食感の野生の肉も良いが大事に育てられた家畜の肉は脂が乗って格別に美味い。特に角の付け根にあたる部位はコリコリとした食感がし、元の世界で酒のつまみに食べていた砂肝を思い出す。
最後に氷魔法によってキンキンに冷やされたビールを喉に流し込めば明日への活力が生まれてくる。
「あー……うめぇな」
最高の気分でジョッキをテーブルに置くと俺はすかさず胸元のポケットに手を突っ込みタバコを取り出す。手慣れた動作で火を点けると紫煙を盛大に吐き出す。
「美味そうっすねー。俺のと交換しません?」
俺の吸いっぷりを羨ましそうに見るウェスタの手には木製のパイプが握られている。二、三口吸うと俺と同じように紫煙を吐き出し、役目を終えた吸い殻の葉を灰皿に落とす。
「やなこった。この世界のタバコは変な味するからよ」
「慣れちゃえば平気っすけどね」
カーン、というパイプを金属製灰皿へ叩く高い音。交渉が決裂したのを悟ったウェスタはパイプをしまい苦笑いを見せる。シワの多い顔にさらにシワが生まれる。
「なにはともあれ。魔法都市の件はご苦労様でした」
「任務を果たしただけだ」
俺はなんともない風にジョッキを傾ける。琥珀色の液体を喉に流し込み、よく冷えたビールの旨味を楽しむ。
「なに言ってんすか? 幻想持ちの生け捕り。古の兵器の無力化。まさかの凶悪エルフ遭遇、そこからの生還。うん。俺だったら自慢気に話してあらぬことまで誇張しまくりっすよ?」
耳をちょいと澄ませば酒場の話題が聞こえてくる。職場の先輩の愚痴を話す声などに紛れて北の地の話が出てくる。
やれ、魔法使い達の生物兵器が暴れた。やれ、現れた巨大な女の鉄巨人。黒や緑のまだら模様の服を着た小型オーガが連射式クロスボウを持って暴れてたなど。色々と情報が入り混じって伝わっているのが分かる。
人の噂の精度は現代社会でのSNSがあっても怪しいのだから、情報機器も無いこの世界では眉唾モノになるのは当然のこと。
「そういやお前に聞きたいことがあるんだが、いいか?」
俺は口の中のモノを飲み込んで空にするとチラリと周りを見渡す。
「間者の心配はいらないっすよ? そもそも、オッサン二人の会話なんて誰も気にしないですから」
「……よく俺が考えてることが分かったな」
俺は考えてたことを言い当てられ驚いてしまった。
「あそこの髭の酒飲みは大通りの装飾屋の店主。反対側の頬に傷がある若いのは本日非番の南の関所の守備兵。テーブルに突っ伏してるハゲ頭は冒険者ギルドの中堅で今日は確かクマの肝採取の依頼を受けてたっすね」
スラスラと酒場にいる人間の個人情報を俺に伝えるウェスタ。俺が訝し気な目を向けると乾いた笑みを見せる。
「仮にも王都の守護者ですから俺は。ある程度の人間の情報は持ってますよ?」
考えてみればここは王都。守備を任されているのは目の前の男だ。不穏分子が情報を得ようとする酒場で敢えて会話をするのは、己の秘密保全能力が高い自信があるからだろう。
「少なくとも、ゴシップ集めが趣味のやつはいないってことか」
「噂話よりも酒と可愛い子が好きな奴らの集まりですからね。夜の酒場ってそういうもんでしょ?」
自衛隊時代に休日に居酒屋へ繰り出した記憶が蘇る。今のウェスタの目はあのときの西野と同じだ。
昔が懐かしくなったが、そのまま昔話をしてしまったら聞きたいことが聞けなくなるので俺は咳払いをして強引に気を引き締める。
「お前ってどこまで知ってたんだ?」
「全てです」
酒場内の雑音が一際大きく聞こえた気がする。
あまりにも簡単に返すものなので俺は面をくらい、言葉を続けることができなかった。動きが止まってしまった俺を見てからウェスタはジョッキの中身を飲み干し、口の周りに白ひげを作るとにこやかに笑う。
「フッフッフ。今のってなんか強キャラぽくなかったすか? いやーパイセンもそんな顔するんすね。豆鉄砲でも食らったんすか?」
「なんだよ。冗談か。……焦るだろが!」
俺は気を紛らわせるために自分の鼻を手で擦る。
ほんの一瞬、俺の気のせいかもしれないが、目の前の男がウェスタでも西野でも無い別の人間に見えた気がしたのだ。久し振りにアルコールを身体にいれたからか、いつもと違う感覚に陥ってしまった。
「んー、そうっすね。取り敢えずジェリコから貰った報告書はあらかた目を通しましたからねー」
ウェスタは追加のビールを俺の分を含めて頼むと指折りで何かを数える。
「知らんかったのはほとんどっすわ。巨神兵も知らんし、生物兵器の件も。自衛隊の武器があるってのは知ってましたけど実際には見てませんしね〜」
「本当かよ?」
意外にも早く運ばれたビールに喉に流し込むとキンッと冷えた感覚が五感を巡る。つまみに出されたそら豆のような見た目の豆を口に運び、塩っけを残したまま俺はもう一口酒を飲む。
「俺が嘘つくような顔してますか?」
「なんだよ。お前、異世界に来てから鏡見たことないのか? どうりで髭面なわけだな」
ひとしきり笑い酒を再び空にすると今度は俺が酒を頼んだ。酔いが回った目で俺とウェスタは真剣に目を合わせる。
「そもそも、王国の北は北方の英雄。シカルド将軍の管轄ですから。西方将軍の俺には関係無いっすわ。シカルド将軍も異世界人の俺のことは嫌ってますから」
「そうかい。なら、信じてやるよ」
これ以上この件を詮索しても無意味なこと。ウェスタが嘘をついているからいないかの腹の内を読むほどの洞察力を俺は持ち合わせていない。それよりも俺はかねてより気になっていたことについて知りたかった。
「思ったんだけどよ。お前って異世界人が嫌われてるってよく言うけどそんなに俺らは嫌われてるか?」
この世界に来てからというもの、俺が違う世界出身だということでとやかく言う者は多くない。唯一面と向かって嫌な雰囲気を出したのは東方将軍と出逢った当初のエレットぐらいだ。北方の魔法都市では普通に過ごせていたし、この王都でも呑気に酒を飲める。ウェスタが言うようなことは一切起きていないのだ。
俺の疑問にウェスタは半笑いで酒をあおり、ジョッキをテーブルに置くと半ば酔いが回った目と指で俺を指す。
「いやいやいや、パイセン。俺が、俺達がどんだけ頑張ったと思ってんすか!? どんだけ慈善事業と根回しやったと思ってんすか? 今日に至る平穏な異世界ライフは俺の涙ぐましい努力があってこそですからね!」
ウェスタが珍しく俺に言葉の波を畳み掛ける。
聞けば、ウェスタや賢王ディリーテは三十年前の反乱の後に異世界人の名誉回復のために文字通り東西南北、方々を駆け回ったとのことだ。
王都に混乱をもたらした転生や転移をした異世界人。この世界のパワーバランスを大いに乱した者達の名誉回復のために転移者自身であるウェスタと新たな王となったディリーテの熱き武勇伝。俺は酒を傾けながら小一時間耳も傾ける。
「……とまぁ。今となっては王国の一部勢力。ぶっちゃけ東方の領地と一部の権力を持つ者を除いて異世界人の偏見は無くなったんすよ。聞いてます?」
「聞いてる聞いてる」
俺は半分ほどの量になった貴重なタバコの箱からさらにもう一本タバコを取り出し火を点ける。喉の調子を悪くしながら飲む酒とタバコは身体に良くないと分かっていても辞められない。
「お前が頑張ったから俺はこうして酒場で呑んだくれるってことだろ?」
「そうっすよ。だから感謝の気持ちとしてタバコの一本ぐらいくださいよ!」
合図する指に俺はタバコを差し出す。慣れた手つきで受け取り、少し慣れぬ動作でライターで火を点けるとウェスタは美味そうに紫煙を吐き出す。恍惚とした表情は髭面でなければ少年のようにも見える。
「まぁ……さすがに王国外となると俺も手が回り辛かったですけどね」
さらにウェスタはタバコに口をつけ煙を吐き出す。
「大陸北部の部族達はともかく、南部の商人達の一部を除いて異世界人嫌いが過ぎますからね。東部の帝国に至っては……うん。あそこは別っすね。なんとも言えないすわ」
言葉を濁すウェスタの態度は気になるが、俺はそれよりも追加で来た魚介類のパスタをいかに自分の取り分を多くするかに心血を注いでいた。
「南部はとにかく超気を付けた方が良いっすよ。あそこは金に汚い商人と金のためならなんでもする傭兵の国っすから。マジで一歩間違えるとヤバイっすからね」
「そんなに危ねぇのか?」
俺は自分の皿に多めの具を盛り付けると話に戻る。若干、ウェスタが俺の皿を見て呆れた顔をしたがそれでも話を続ける。
「あそこは王国と違って奴隷制がまだ残ってますからね。人攫いも普通にあるっすから。日本の新宿の治安が幼稚園に見えますよ?」
その例えはどうなのかと思うが取り敢えず南部が危険な場所であることは分かった。南部の治安の悪さと比べれば、金と暴力と薬の都会がさながら玩具を取り合う黄色い園児帽の子供と大差無いと感じるというわけだ。
「裏口のスラムとか行けばマジで犬が人の手を加えてトコトコ歩くとかありますから。超超危険ですよ!」
「分かった分かった。んじゃ、俺は大陸南部には行かないことにするよ」
君子危うきに近寄らず。俺は独り言ち、フォークでパスタに魚のフライを巻き込んで巻き、口の中に納める。
「賢明な判断の所悪いっすけど、パイセンの次の目的地は南部っすよ?」
「ぶうっ!?」
俺は堪能していたご馳走を飲み込む前に吐き出してしまう。鼻の穴からニュルッと麺が飛び出たまま俺はウェスタに文句を言う。
「おまっ、散々危ねぇって言った場所に俺を送る気か!?」
「大丈夫っす! 人相の危なさはパイセンも負けて無いっすから!」
「ブッとばすぞこの野郎ッ! その髭面を銃剣で剃ってツルツルにしてやろうか!?」
俺が中指を立てるとウェスタはケラケラと笑って誤魔化す。そして俺を宥めるように手で制す。
「安心してくださいよ。同行者は腕利きですし、戦闘が目的じゃないっすから」
俺は立てた中指を戻すとほぼ終わりかけているタバコを一吸いする。フィルターの焦げた苦味が口内に広がる。
「今度はなんだ? 草むらでボールをぶつけて奴隷でもゲットして来いとか言うんじゃねぇぞ? 俺はトレーナーじゃねぇんだからよ」
頭の中で黄色いネズミを肩に乗せる少年を描きながら俺は問い詰める。俺の頭の中を知らずかウェスタは手で何かを投げるような動作をしてから答える。
「お使いっすよ。ちょいと個人的に欲しいモノがあるんすわ。要は今回の任務はパイセンの……異世界初めてのおつかいッ! ってわけっすわ」
初めてのおつかいと聞いて俺の頭の中で独特のBGMが鳴り響く。陽気な音楽とは裏腹に俺は荒々しくタバコの吸い殻を灰皿に押し付ける。
「おつかいなんて俺じゃなくてもいいだろ!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいってば」
荒ぶる俺をなだめるウェスタは俺の耳にそっと口を近付けて耳打ちする。
「南部は女の子のそういう店もありますし……女の子向けのプレゼントを扱う店も多いっすよ?」
俺は耳打ちするウェスタを手で払いのけると少し冷静に考える。
今の言葉の前半部分を行くか行かないかはともかくとして。後半部分は魅力的だ。
この異世界に来てから大分日が経つが、一番世話になっている人間に礼をしていない気がしてたのだ。ここらで一つ。日頃の感謝を込めてプレゼントを贈るのも悪くない。
「うん。よし。行くわ、俺」
一度決めれば迷う必要はない。俺は即決して返事を出した。
「うわ。色欲に塗れてるわこの先輩。結局行くんだもん。なんすか、常在情緒不安定っすか?」
ウェスタの素直な感想を前に、俺はフッ……と軽く笑うと素早く動いて髭だらけの顔面をヘッドロックして固める。俺の腕の中で後輩は短い悲鳴をあげる。
酒場での俺とウェスタの乱闘は獣人の少女に止められ外にほっぽり出されるまで数十秒続き、後日。肌寒い夜の中乱闘する将軍と思わしき人間と迷彩柄の馬鹿の噂話が王都中に広まるのを俺は知る由も無かった。
第六章です。
よろしくお願いしまう。