好物。スキナモノ
太陽は空の頂点に立ち、陽の恵みを大地一杯に注ぐ。豊穣の光は作物に力を与え、作物は食物になり生物に力を与える。
世界のあるべき循環の一つとして食があるのだ。たとえ通常の死から離れた存在である不死者の僕でも良く分かる。
「それにしても、料理というのは厄介だ。どうしてこうも手間が掛かる!」
滞在する宿の厨房の一角を借り、僕は汗水を垂らしながら鍋の火加減を見ている。切った具材を油で炒め、玉ねぎが透明になるまで炒める。跳ねた油が監視者特注の黒いコートに飛び散る。
「あぁ、イオン様! お召し物に油が! せめてエプロンにお着替え下さい!」
宿に勤める下女が僕を心配する。一応、金を払って使わせてもらっている以上、僕を強い言葉で注意をすることはないが心中は穏やかではないだろう。怪我でもさせたら下女の方がご主人に怒られてしまう。
「心配するな。このコートは耐熱加工されている。それに僕はエプロンをしたくないんだ!」
料理のときはエプロンをするのが普通だ。戦場で鎧兜を着込み槍を持つのと同じように、厨房ではエプロンに包丁を持つのが習いとも言える。
それらを僕は理解してなお、頑なに拒む理由がある。
(あ、あんなの着て……ハジメくんの前に立てるか! し、し、新婚さんみたいじゃないかッ!)
一度だけ着てみたが余りにも普段の格好とかけ離れた姿に僕は絶句し、さらに着ていると悶々とした想像が掻き立てられてしまうので絶対に着ないことにしたのだ。
「い、イオン様! 焦げてます! 焦げてますよ!」
「し、心配するな! ちょっと焦げた方が美味しいかもしれないだろ? アレンジだ!」
「お言葉ですが、それは料理が上手な方だけが言っていい言葉です!」
うっかり想像の世界に入り込んでしまい、鍋の野菜を焦がしてしまった。下女の言葉に反論してみたが逆に説き伏せられてしまいぐうの音も出ない。
「えっと……次は煮込んで……何分だっけ?」
僕はあたふたとした手つきで調理台の上に置いたレシピ本を手に取る。これは王国で手に入れた料理の本だ。王立図書館の職員にかなりの無理を言って手に入れた貴重なモノだ。
資料としての価値が高いのは勿論、料理の手順についても事細かに丁寧な文章で書いてあるので料理初心者でも食べれるモノが作れる。
僕は本に書いてある通りの水を注ぎ入れる。後は二十分ほど煮込み、あらかじめ準備していた調味料や香辛料を投入して味を整えれば完成だ。
「ふぅ。やっと一息つける……」
僕は額の汗を拭う。いつもの仮面は着けていない。料理の際に邪魔になるのは勿論のこと、着ける必要が無いからだ。
開けた視界で厨房を見渡すと料理人や先程からちょいちょい言葉を挟んでくる下女が忙しく働いている。
それもそうだ。今の時間はお昼真っ盛り。働き手は昼食の時間である。その食事を厨房内で作っている。
「僕も何か手伝おうか?」
宿泊代を多めに払っているとはいえ、昼食の忙しい時間帯に厨房の一角を使わせてもらっているのだ。少しでも負担を減らせるように手伝いたい。
「でしたらリンゴの皮剥きをお願いします!」
「任せろ。ナイフの扱いは得意だ」
「包丁です!」
「……」
忙しくて手も口も出す暇が無い料理人達に変わり下女が答える。敬語こそ使っているが、段々と口調が荒っぽくなっているのは余裕が無いからか。
僕は手際良くリンゴの皮を剥く。一つ二つ三つ四つっとリンゴを裸にしていきハタと気付く。
「しまった。すりおろしたリンゴも入れるんだったな。一つ貰っていいか?」
「ご自由に! お代は払ってくださいよ?」
目と口はこちらに向けず、声だけで返事をされた。 僕は特にそれを気にせずにリンゴ一つ剥くとおろし金でまるまる一個すりおろした。
それからいくつかの行程を挟み、厨房の熱量も落ち着いた頃に僕の料理が完成する。
「よし、出来た! ……うん。香りは中々良いな!」
出来た料理の名前はカレー。僕の持つ本によれば米やパンにつけて食べる料理とのことだ。
「イオン様! 美味しそうな香りですね!」
少し余裕が出てきたのか、下女がクンクンと鼻を鳴らして鍋の中を覗き込む。美味しい香りを前に幸せそうな顔をしている。
「僕のまかない料理だ。皆さんで食べてくれ。そして感想を言ってほしい」
僕は厨房で働く全ての人に向けて頭を下げお願いした。もっとも食べてくださいとは言ったものの、まずは戦場と化した厨房を片付けてからの話だ。
僕は下げた頭を戻すと山積みになった洗い場の皿を一つ綺麗はしていく。
ある程度片付いたところで何人かは手空きとなり始め、各々が昼食を取り始める。勿論、今日は僕がまかない料理を作ったので皆が食べるモノは決まってる。
作ったカレーに焼きたてのパン。野菜の切れ端や肉の端材をまとめて調理した肉野菜炒め。僕が剥きすぎてしまったリンゴがデザートに添えられている。
「いただきまーす」
下女の大きな声にパンを頬張る気持ちの良い音。スプーンでカレーをすくう食器同士が触れ合う音。耳だけで美味しいというのが分かる。
「どうだい?」
洗い物を終え、手を適当なタオルで拭きながら僕は席に着く。咀嚼を続ける下女の口から言葉が出てくるのを待つ。
「イオン様って料理が本当にお上手になりましたね。文句無しです!強火で時短とか言ってたのが嘘みたいですよ!」
百点満点の笑顔の眩しさに安堵し、木のスプーンで自分が作ったカレーを食べる。文句のつけようが無い出来に僕は何度も頷く。
「これならハジメくんに食べてもらって大丈夫だ」
焼きたてのパンを頬張り、味付けの相性もバッチリなことを確認すると僕はさらに食を進めた。
「イオン様の想い人は幸せですよね?」
ひとしきり食を楽しんでいると下女がそんなことを言う。僕は思わず彼を意識してしまい顔を少し赤らめてしまった。仮面を着けてなかったのが悔やまれる。
「だってこんなにも苦手な料理を頑張ってるし、お顔だってすごく可愛らしいですもん。それに加えてお強い方で非の打ち所がないですから!」
「よしてくれ……っ! そんなに褒められるのは、その……慣れてない」
今までは監視者として畏怖や疎まれこそすれ感謝されてこなかったのでこうも正面から褒められるのはどこかむず痒い。この下女の裏表が無い性格が今の言葉が本心だと分かっているので尚更だ。
「まぁまぁ、イオン様。しばらくお会い出来ないのですから。この宿に滞在中だけでも想い人の妄想に耽ったらどうですか?」
そう言われてしまうと反論出来ない。頭の中で妄想するのは誰にも迷惑はかからず尚且つ自己の満足感に浸れる。想うだけなら罪にはならない。
朝陽が差し込む中、出来立てのスープと新鮮なサラダ。香ばしい香りのパンに果実の甘いジュース。寝ぼけた顔を洗ってまだ水滴が残る彼の口に熱々の料理を口移しで……
「イオン様。よだれが……垂れてます」
「おっと……」
危ないところだ。妄想は誰にも迷惑はかけないが、人目は気にしなければならないのが今ので分かった。今度から妄想するときは仮面を被っておくことにしなければ。
「しばらく会えないからなぁ」
下女の言葉を反芻した僕は今、自分がいる状況を改めて思い知らされる。現在、自分がどこにいるのかを。
カラン。っと宿の入り口のドアに備え付けられたベルが鳴る。振り向けばそこには新たな客人が立っていた。全身金属鎧の身に腰には剣。背中には盾。片手には槍を携えていた。
一見、どこにでもいる警備の騎士の出で立ちをしているが、そんじょそこいらの街では見かけられないある特徴があった。
この騎士は。首があるべき場所に無いのだ。
槍を携えた方とは反対側。剣帯のロングソードとは反対側。利き手側に持たれているのがこの騎士の頭部だ。フルフェイスの兜のせいで顔は見れない。
首無し騎士。通称デュラハン。かつて僕とハジメくんが戦った魔物と同種だ。
「お水を一杯。果実を絞ってくださいね」
丁寧な口調で首無し騎士は注文すると離れたテーブルに座る。僕は何も警戒せずに陽炎のように首から昇る炎を見ていた。
「はーい! ご注文承りましたー!」
元気な声で返事をする八つ目の下女は六本の足をガサガサと動かし、足早に厨房へと戻って行く。
彼女の種族は虫人族。その中で蜘蛛人族に分類される。魔物として広く知られる名称はアラクネである。
この二人だけでは無い。料理長も他の従業員も。なんなら、僕もそうだ。この場にいるモノは全て人間では無い。
僕は料理を食べ終えると窓の方に行き匂いの換気をするために開ける。そこから目に飛び込むのは。
空には翼が生えた翼人族。醜悪な面構えをした単眼の巨人に蝙蝠のような羽を生やしたキワドイ露出の女性。雑踏を縫うように走り回るのはゴブリンと呼ばれる小鬼とコボルトと呼ばれる犬頭の種族。路地裏に隠れるように蠢くのは全身に汚い包帯を巻いたミイラ族は不死族でマミーと呼ばれる種。
そう。ここは魔王が統治する国。人間に忌み嫌われ、人に仇なす世界。パーゲタリィと呼ばれる国だ。
国のど真ん中の首都に僕は滞在している。即ち、魔王が君臨する都の中だ。
(……もし、君がここに来たら何回気絶するだろうね?)
魑魅魍魎が跋扈する光景に卒倒する彼の姿を想像して僕は笑う。っと同時に、彼が絶対にこの場に来れないことを再認識して僕は深いため息を吐いた。