ブリューナク
街の道という道に点在する魔結晶の洋燈がにわかに光を放っていく。それは日が完全に落ちる前の太陽の残り香と合わさり街を照らす。
本来ならば、祭の第二の本番として花火が上がり、人々が賑わい、活気溢れる光となるはずだった。
それが今は、新たな武器を片手に迫る巨神兵オグマを照らす用途にのみ使われている。
ギョリギョリと音を立てて回転する刃は光を反射し、歪な輝きを放っている。
「何あのグルグル剣!?」
「グルグル剣じゃない、チェーンソーだ。全く、ここはゾンビが出てくるゲームかっつーの!」
「ファムちゃーん! アレはヤバそうだから気を付けてね!」
見る者を不安と恐怖に陥れる鋸はさらに回転数を上げていく。チリチリと火花のようなモノまで散っている。
巨神兵の身体を下から照らす洋燈。それらを踏み潰し、オグマは小さな足からは信じられない速さで迫ってくる。
「うわっ、来たよ!」
「ファム、取り敢えず反撃しろ! 足元を狙え、ローキックだ!」
「ろーきっくってどんなの〜?」
言う間にオグマは迫り、腕を真っ直ぐに突き刺してくる。下からの洋燈の明かりによってギラついた回転が迫る。
そしてそのままファムの腹部を貫いた。肉を巻き込み裂いていく。
「ファムッ! 大丈夫か!?」
無惨な光景に俺の頭にあの出来事がフラッシュバックする。
首無し騎士との戦い。その最中で胸を貫かれたイオンの姿を。流れる血の赤を俺は覚えている。白い柔肌が朱に染まってゆくのを脳髄が鮮明に記憶しているのだ。
鋸が回転する。緑の体液を撒き散らかし蔓の繊維が宙へ飛ぶ。一向に収まらない回転の勢いはファムの血肉を削っていく。草木をすり潰したような強烈な緑の匂いが辺りに充満する。
「つっかまっえた〜」
「えっ?」
のほほんとした声。ファムの手がゆるりと動き、両手で回転する刃をガッチリと握りしめる。
当然、そんなことをすれば手指は連なる刃の斬撃によって吹き飛ばされてしまう。現に、緑がかった指は散り、植物の繊維にぶら下がっているのみである。
それでもファムは離さない。そればかりかさらに腕も絡ませ、貫かれた腹部の植物繊維を伸ばして鮫の歯のように鋭利な刃に絡めていく。
「ファム……お前、痛くないのか?」
「うん! ぜ〜んぜん痛くないよ〜。それよりハジメェ?」
心配する俺とは対照的な呑気声のファム。痛覚が無いのだろうか。それとも馬鹿だから痛みを感じ無いのだろうか。
ギチギチと鳴る繊維の音に紛れてファムはクスクス笑いながら俺に質問をする。
「ろーきっくってどうやるの〜?」
気付けば外のオグマの動きが先程から止まっている。稼働停止に陥ったわけではないのは、今なお動く様を見れば分かる。何故動かないのか。その答えは窓から身を乗り出して下を見れば分かった。
回転鋸、チェーンソーの刃に複雑な形で無数の繊維が絡まっている。刀身は無論、根元まで、恐らくはファムの身体を突き抜けた刃先も含めて。ビッシリと緑の蔓が絡まっているのだ。腹部と両手分の蔓が全てが動きを拘束する役目を果たしていた。
絶好の間合いだ。今ならどんな攻撃も当たる。俺はニヤりと笑い、ファムに答えを教えた。
「そりゃ……思いっきり蹴ることだな。相手の心がへし折れるまでな!」
「オッケ〜、よく分かんないけど分かったよ〜」
ファムの身体が傾く。足を思いっきり後ろに振り上げ、勢いつけて一撃を放つ。股ぐらに吸い込まれるように垂直に入った蹴りはオグマの身体を僅かに浮かす。
一回ではなく二回。二回で終わらず三回。四、五と続けて放たれその度にオグマの身体は浮き上がる。
その技の名称はローキックでは無い。
人が格闘戦によって与えられる痛みの中でも最高峰。
日本発祥の拳法、少林寺拳法では玉攻めという名称。
所謂。金的蹴り。ローキックとは似ても似つかない技だ。
「おりゃ〜、トドメだよ〜!」
最後の蹴りは真正面に放たれる。身体に引きつけるように上げた太腿。折り曲げた膝を真っ直ぐに、相手の腹部に当たるように、打撃の瞬間、爪先を突き刺すように伸ばして打ち込む。
これもローキックでは無い。広く言えば前蹴り。厳密に言えばトゥキックという技だ。
どちらも痛みを与える危険な技であるが、その効果は抜群だ。
ファムの胴体部分に複雑に絡まっていたチェーンソーの剣が、蹴りの衝撃に耐えられなくなったオグマもろとも吹き飛ばされる。
ぽっかりと空いたファムの身体を他の蔓が補うように覆い、すぐさま穴は塞がっていく。
「お前……どこでこんな技覚えたんだよ?」
「ん〜? イオンだよ〜。イオンが教えてくれたのよ〜。護身術だって〜」
確かにイオンの格闘術は素晴らしい切れ味を誇っている。特に蹴り技は俺の尻が横に割れて四分割になってしまうかと思えるほどだ。
今の躊躇の無い金的蹴りを見るに、今度イオンに会うときはファールカップを付けなければいけない。もしくは怒らせないようにご機嫌をとるしか無い。可愛いよとか言えばいいだろうか。
とにかく、護身術の範疇を超えているのは目の前の光景が物語っている。
親指の形に穿たれた腹部に歪んだ下半身。特に股間が執拗に凹まされている。
蹴り上げた風圧で、ただでさえ倒壊していた家屋が、トドメとして吹き飛ばされ更地となっている。これはこの家の住人に後々説明するのが面倒だ。いっそのこと全てオグマがやったということにならないだろうか。
グチュグチュとぬめった音が聞こえてくる。ファムの身体の至る所で蔓が伸び、損傷した箇所を覆っていく。胸部の傷も、あまりの蹴りの威力によって潰れた自分の脛やつま先も、春の芽吹きのように蔓が伸びては埋めていき、完全に傷口を癒していた。
「いけるいけるぞファム! このままやっちまえ!」
「りょ〜かい〜。行ってきま〜す!」
まるで散歩にでも出かけるかのような能天気な返事。ここが倒壊した街の中でなければ俺も鼻歌混じりに着いて行きそうになる。
新緑の匂いを風に乗せながら、ファムはオグマに走って近付いていった。
っと思ったらいきなり急停止をする。慣性の法則で俺の身体は前に飛ばされ、危うく外に投げ出されそうになる。
「キャアっ!?」
「危なっ!?」
ルチアの女の子らしい短い悲鳴が飛ぶ。ギリギリで落ちずに済んだが危ないところだった。
文句を言おうと窓から顔を出し、ファムの大きな顔を見てみたはいいが、なにやら難しい顔をしていた。
「むむむッ!? む〜ん?」
「どうしたのよファム? まさか、ジェリコさんがオナラしたのがバレた?」
俺は無言でジェリコの尻を引っ叩く。どうりで硫黄臭いと思った。
『あっ、ハジメさん! アレ見て下さい』
鋭い声に誘われるまま、小人の指が指す空間を見る。
オグマの円筒状の腕。それは俺達ではなく空に向けられていた。
その腕の先。魔力の塊のような、とても大きな円球の物体が宙に浮かぶ。ドス黒いモヤがかかったような見た目は少々気味が悪い。
ファムは黒玉を眉間にしわ寄せて見ている。
「魔法か? ファム、食っちまえ!」
「う〜ん、美味しく無さそうだよ〜」
どんな手段を取ろうとも、魔法である以上はファムに効果は無い。
この剣と魔法の幻想世界で魔法に頼りたくなる気持ちは分かるが、悪手としか言えない手段を取るのはどうかと思う。
ズルズルと地を這う蔓の束が伸び、巨神兵を駆るフーバーの足掻きを無に帰す。徐々に黒いモヤが晴れていく。
「あれ〜? ……あちゃぱー、これはやられちゃったかも……」
ファムは何かに気付いたのか、怪訝な声を漏らしている。
「どうかしたのか?」
「ごめん。みんなぁ、すっごく揺れるよ?」
急に身体が浮く。無重力空間に投げ出されたかのような浮遊感に胃が浮き上がる感覚がする。そのまま天井に頭をぶつけそうになるが、頭髪に蔓が掛かったところでファムの蔓が俺を掴む。
周りの蔓の形が崩れ、円状の防御空間は消失する。蔓は形状を変え、毛糸のようにほぐれてクッションのようになった。それらは俺達を優しく包むと幾重にも層を作り、さながら毛刈り前の羊のようにモコモコとした玉コロへと姿を変える。
その俺達を含むモコモコを、ファムは一切の遠慮も無く、後方へぶん投げた。
「ファムゥぅぅぅぅ!?」
空に放物線を描き、重力に引っ張られ、地面へと向かう。衝撃に備えて俺は全身の筋肉に力を込めたがその心配は杞憂に終わった。
ポヨンっという擬音を当てはめたくなるような柔らかな着地。痛みを感じるどころか、絹糸のように細く滑らかな蔓の感触に、触れている皮膚が喜んでいる。
「し、死ぬかと思った。恐怖で尻尾が捥げるかと思ったよ……」
「……うぷ。昼に食べたソーセージが口から出そう……」
『私も精霊からお星様にクラスチェンジするところでした……』
嗚咽混じりの声を漏らす仲間達を尻目に、俺は前を見ていた。
そびえ立つは二つのモノ。
巨体を誇るファムと、同じく巨体のオグマ。
二つの巨人の上には大きな金属球が存在していた。
それが、今、唐突にファムの頭に向けて振り下ろされた。
その瞬間の光景は咄嗟に目を背けてしまったのでよく分からない。
目を戻したとき既にファムの頭の部分はバックリと二つに割れ、その中身を身体に伝わせていた。
オグマが生み出した金属球はファムの頭を物理的に砕いて裂き、命の形を崩壊させたのだ。
「嘘だろ? おいおい、嘘だろファム!」
あまりにもあっけなさ過ぎる光景に俺はそれ以上の意味がある言葉を出せなかった。
力無く崩れるファムの身体。緩みきった蔓の束が地面へと垂れ、辺り一面を緑の海に変えていく。
「そんな、ファムが……」
手で口元を覆うルチア。先程とは異なり、今では違う嗚咽を漏らしている。
『えっ……嘘ですよね? ファムが……こんなに……あっさりと……?』
フヨフヨと浮き、俺の肩に乗るとノウは震える手で俺の襟を掴む。
俺以上の付き合いのあるノウ。俺ですら、ファムの頭が砕かれた場面を前に声も出せないのだ。親しかった彼女が受ける感情は想像することも出来ない。
「……戦いが終わったら、美味いもんとか、ラーメンとか食わせてやろうと思ったのによ……」
あの食いしん坊のことだ。本場の味には劣る即席麺とはいえ、この世界には無い食事に喜ぶことだろう。
まだ王国に残している予備を振る舞い、麺を啜り、感動する様を想像していた。
その淡く抱いた光景を、いとも簡単にオグマは砕いた。
「仇は討つぞ……」
俺は銃の握把を強く握りしめる。
そしてこれからの作戦について考えるために、仲間に声を掛けようと後ろを振り返ったところで俺はギョッとしてしまう。
「ハジメェ、らーめんって食べ物? 美味しいのぉ〜?」
そこにいたのは頭をカチ割られて死んだはずのファムであった。モコモコの蔓の上で、元々の小さな姿でで不思議そうに俺を見上げている。
「なんで生きてんだよっ!?」
「えっ? ファムが死ぬようなことあったかな〜?」
目の前でピンピンとしているファムの姿に、ルチアとノウは安堵したのかヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
俺は肩にいるノウを落とさないように手で支えつつ、もう片方の手でファムの頭や顔を触る。植物と人肌の中間のような感触にほのかな体温。ほっぺたを触るとぷにりと弾力がある。たしかに生きている。
「あー、ハジメちゃん達ってあれかな? ファムが死んだと思っちゃった?」
ジェリコは一人で愉快そうに笑っている。
「あれよ。あの状態のファムってのは所謂さ……肉じゅばんっつーのかな?」
「ファムはファムだよ? にくじゅばんってのじゃないよ〜?」
二人のやりとりを見てピンと来た。
つまり、あの巨人となったファムは、いや、さらに言うならばあの美人さんとなった姿はファムであってファムでは無いのだ。
どちらもファム自身とは言える。しかしながら、本体であるのはあくまでもこのちんまりとしたファムなのだ。
大量の蔓が本体を覆い、あの容姿を形成して成り立たせていたのだ。
だからこそ、腹を貫かれても痛みも感じず血は流さず、頭を砕かれたとしてもそれはあくまで蔓が密集しただけの部位。植物汁は流れたとしても本体にはなんの影響も無く今もこうして立っているのだ。
恐らくファムは巨大化したときもあの球状の蔓の中に潜んでいたのだ。だからこそ中でタバコを吸えば怒り、脱出の際も巨人状態から分離できたというわけだ。
「いや〜びっくりしちゃったよ。あの玉々、食べれないんだもんね〜」
心配していた俺をよそに食に関する文句を言う。数分前の俺の決意を返して欲しい。
『恐らくオグマは、魔力から金属を作り出してるのでしょう。そんな魔法は今の時代に無いので、恐らく古代の魔法かと』
そう考えると合点がいく。通常の魔法では効果が無いと判断し戦法を変えたのだ。
魔法として発動すれば食べられてしまうので、魔力をそのまま金属に変える魔法を使ったというわけである。そうすれば、ファムに食べられることなく武器として使える。
あの巨大な金属球も回転鋸も魔法で作ったと判断できる。となれば、それはフーバーが想像したモノを創造したということである。
つまり、その気になれば他の武器も創造して巨神兵オグマは武器として扱える。
「ヤバイな。思ったより強すぎるじゃねえか」
「うん、強いね。古代魔法なんてすごく珍しいのにね」
無限の魔力による無限の武器。理解すれば、考えれば考えるほど厄介な組み合わせだ。
鋼の肉体で弾薬無制限、弾倉交換不要で一方的に銃を乱射するようなモノだ。戦争ゲームが好きな人間ならその脅威は分かるだろう。チートだ。そんなもん。つまらん。
「え〜? 強いかな〜?」
語尾を伸ばす癖が相変わらずなファムは、指をヒョイと動かして蔓をオグマの足元へ伸ばす。これまでに何度も繰り返した光景だ。その効果も俺には分かる。
「ファム。もうそれはあんまり意味無いって分かってるだろ? 時間の無駄だ」
「ん〜? 本当に時間の無駄だと思う?」
気付けばファムの口の端には涎が垂れていた。
「だって、あんなに美味しそうな魔力があそこに沢山あるんだよ? 本当ならファムが食べたいぐらいだよ〜?」
振り向くファムの視線の先。そこにあるのは一つの建物だ。
アートマ学園。三つの時計台が印象的なこの街の、魔法都市全体の中心にある存在。
「いっくよ〜、ヴァイン・ウィップ!」
ファムの手から伸びた蔓の鞭が凄まじい勢いで伸びていく。しなる蔓の先が向かったのは巨神兵オグマではなく、今や単なる抜け殻と化した巨大ファムの残骸だ。その身体に蔓の先が突き刺さる。
「さらにいっくよ〜。む〜んっ! グローリー・ヴァインッ!」
呪文の詠唱というよりも子供の掛け声のようなファムの声に反応し、抜け殻の巨人に変化が起きた。
脈打つ心臓のように鼓動する。隆起した植物の管が命を吹き込まれ、拍動を刻む。
そしてそれらは全てオグマの身体に巻き付いていく。巨神兵と同じ大きさであった巨大ファムの全質量が拘束のために動いたのだ。今までの蔓による拘束とは比べものにならない密度の蔓が巨神兵オグマの全周を縛る。
「おぉ! でも、これで倒せるか?」
「ん〜? だって、ファム達が倒す必要無いんでしょう」
指先から伸ばした蔓をプツリと切り離すと、ファムはとこりとこりと足音を鳴らして俺達のそばに来る。
「んふふ、時間だと思うよ? だって、すごく美味しそうな魔力だもん」
「時間……?」
ファムの言葉を理解するより先に、答えは空から聴こえてきた。
「あー、あー、本日は晴天なり、本日は……」
「学園長。もう夜なので不適切です」
「別にいいじゃろ? 雰囲気が出るからやるべきだと昔言われての」
二人の魔法使いの声が薄暗くなった空を駆ける。
緊張感の欠片も無い二人の掛け合いに、しばし放心してしまう。なので、次の言葉が来るまで俺はこの放送の意味が理解出来なかった。
「お待たせしました。皆様方。魔力充填完了しました。ブリューナクを起動します」
アロイスによる拡声魔法の端的な伝達事項は約束の時間が訪れたことを意味している。
「長いっつーの。行列の出来るごはん屋じゃねぇんだぞ!」
口では文句を言いつつも、拡声魔法の放送へ応えるように俺は拳を振り上げる。
ブリューナクの起動。
この魔法都市を救い、巨神兵を倒す唯一の手段。そのための陽動と拘束作戦。
困難な作戦を俺達は……成し遂げたのだ。