開始線は底辺から
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
一人生き残った俺は分隊が壊滅した地域から少し離れた場所にいた。
背中に無線機を背負い、さらに背負い紐で無理矢理な形で西野の置き土産であるLAMを背負い、89小銃を三点スリングにぶら下げる形で両手を自由にする。
何も武器を持たない両手は銃の代わりに雪を掴み、寒さに耐えながら積み上げていた。
時刻は昼。冬の雪というのはこの時間帯になると表面の感触が変わる。フワフワとした表面からサクッとした質感に変わり、押し込むとギューンと身体の芯まで冷える。わたあめのような見た目のくせに決して甘くない。
「帰ったらラーメン食いてぇ。カップラーメンでもいいや。とにかく温かい飯が食いたいぜ」
動かす手は雪ではしゃぐ子供のように、心の中は雪に辟易するしゃがれた老父のように。俺は一心不乱に雪を重ねていた。
ふと、胸元に何かが振動しているのが分かる。戦闘用の手袋越しに防弾チョッキの内側を弄ると、微かな音量の音楽が流れるスマートフォンが出てきた。
流れる曲は俺が好きな電子の歌姫ニナの歌。聴くだけで心癒される歌だ。戦場には全く似つかわしくない曲調である点を除けば最高の音楽だと思ってる。
「やっべ。マナーモードにすらしてねぇや」
本来ならば、訓練中は火急の要件以外で携帯の類は使用しないのが規則であり情報保全上の徹底事項だ。こんな場面を上官にでも見られたら状況や事の次第では始末書モノだ。
「タケさんかよ」
その上官からなので俺に電話に出ないという選択肢は無かった。
「もしもしタケさん。何ですか。熊でも出てきて状況中止にでもなったんですか?」
「だったら今夜は熊鍋だ。知ってるか? 熊の手って案外美味いんだぞ」
他愛の無い冗談を交わす。
「いやなに。俺たちは今な、死亡者後送の車両に乗っててよ。暇なんだよ。何か面白い話をしろよ」
無茶を言う上官だ。こちらが今何をやっているのか知らずに呑気なことを言っている。
「実はですねタケさん。戦車を倒す手段を考えたんですよ」
「へぇ、面白いな。聞かせろよ」
「ええ。実はこんな作戦を……」
俺は分隊を壊滅させた戦車に逆襲の一撃を喰らわせる為の作戦をタケさんに伝えた。
「ブハ、アッハッハッ! 馬鹿じゃねぇのお前? 最低の作戦だな。そんなん作戦と呼べんのかよ? 孫子に謝れ土下座しろって! 孫子兵法書で読書感想文書けよ!」
せっかく考えた作戦を笑われてしまった。
タケさんにここまで言われてしまうと、悔しいという思いとやはり荒唐無稽過ぎる作戦なのかという思いが頭を巡る。
「……チッ。誰にも言わないでくださいよ?」
「舌打ちすんな。まぁ安心しろよ。死人に口無しだ」
自分で言ってまた笑っている。戦闘から離れた解放感に酔っているのだろうか。今日のタケさんはつまらん洒落ばかり言う。
「冗談はさておき良い作戦だぜ。最低な戦法が最高の戦果を生むこともあるんだからよ」
最後に褒められて俺は思わずにやけてしまった。
何はともあれ、タケさんは上げるところは上げてくれる。良い作戦と言われれば嬉しいのは当然だ。
「戦車倒したらラーメン奢ってくださいよ?」
「チャーハンと餃子にトッピングでメンマ乗っけてやるよ。んじゃ、怪我しない程度に頑張れよ!」
その言葉を最後に通話は終わった。
俺は電源を落として胸ポケットにスマホをしまい込み。作戦のための作業を続けた。
―――――
人っ子一人いない閑散とした街の中に夕陽が差し込む。幻想的な趣の街は俺が絵描きならばいつまでも描いていたいと思わせられるほどに綺麗である。今、尚も続く足元の小刻みな揺れが無ければの話だが。
街に人はいないのだが、路地裏から時折パタパタという足音が聞こえる。視線をそこに向ければ、いわゆる精霊と呼ばれる存在がいた。精霊であるノウと似たような姿のそれらは何かの危険を察知しているのか、北区の方に背を向けて隠れている。
『可哀想に。依代から離れられないから遠くに逃げられないんですね』
「人は逃げられても精霊は街から逃げられないのか。魔法都市とは言ったもんだな」
聞くところによれば精霊が力を発揮するには依代となるモノが必要となるらしい。依代から得られる魔力により活動することができるとのことだ。
それは人間や動物などの生き物であったり、本や剣などの道具など精霊の種々に応じ様々である。知の精霊であるノウの場合は知恵の本と呼ばれる分厚い辞典であり、普段はファムの鞄の中に入っている。
「そういやよ、その理屈だとファムは何を依代にしてるんだ?」
「ん〜? ハジメェ、なんかお腹空いてきちゃった〜」
「どうでもいいか」
おおかた木の精霊だから木の実かなんかを持っているのだろう。今はそれを深く気にしてる場合ではない。
「よし。作戦通りに行くぞ」
祭の中心部であった大広場に到着し、一緒に来ていた仲間達に作戦決行の合図をする。
「それじゃリーファさん。行きましょうか」
「ああ、我々はリリィという子を助けに行けばいいんだな?」
エレットとリーファにはロジー工房にいるリリィの安否確認および避難をしてもらう。
フーバーの振る舞いを見るに、工房のリリィにナニかをした可能性があり、ヒュンケルと同じような目にあわされているかもしれない。その場面を想定して治療ができるエレットと迅速に避難出来るように飛龍を駆るリーファに向かってもらう。
「救出したらそのまま避難所に行ってプリシラ達と合流。エレットは待機。リーファはすぐに戻ってきてオグマ足止めの援護だ」
現在、バルジとプリシラは避難所に向けて前進中だ。老人と姫様では言葉は悪いが足止めする戦力にはならないという判断だ。それにプリシラに万が一があってはならない。王国の一粒種に怪我一つでもさせたら俺の首が本当の意味で飛ぶかもしれないのだ。
「そして私達が本命のオグマの足止めね」
「そうだ。ジェリコお前もだぞ?」
「え〜?」
「え〜、じゃねぇよ。切り札だなんだとか言うけどよ。ファム一人に任せるつもりなのか?」
本命の足止め役は俺達だ。ファムのいう切り札が作戦の肝となるのだが、その詳細を知らない俺からすればこの食いしん坊さん一人に任せるというのは無しだ。不確かなモノを頼るほど不安なモノはない。
「ジェリコさんはファム一人でも行けると思うんだけどな!」
「お前が行きたくないだけだろ!」
ぶつくさと文句を言うジェリコは置いといて俺は装備の確認をする。
防弾チョッキに弾倉六つ。腰には弾帯に銃剣と懐中電灯ついでに携帯円匙。四肢には肘当て膝当てにナックルガード付き戦闘用手袋。身体の前には手を離しても落とさぬように三点スリングを引っ掛けた89小銃射撃補助具付き。背中には対戦車火器であるLAMを背負っている。
完全装備だ。これだけ装備が整っていれば俺も戦える。
文句をつける点があるとすれば、ズボンのポケットに何かモノがごちゃごちゃ入っているのと、この世界に来た際の戦闘で失ったケブラー繊維のヘルメットの代用品を用意して無かったという二点だ。
(人事尽くして天命を待つ……か。孫子だっけ? いや、絶対に違うな)
今の状況に相応しい文言を唱えてみたが、どうにもしっかりこない感がある。だが、元の世界の諺の語源など調べようにもない。不確かなモノでもそれはそれだと飲み込むしかないのだ。
ふと、足元の揺れが強くなった気がする。
弱く小刻みだった揺れが今は大きく感じる。この振動が意味するのは一つしかない。
地下奥深くに眠っていた巨神兵オグマが、長きの眠りから覚め、雛鳥が卵の殻を割って世界に飛び立つようにこの地上に現れる。その未来だけを意味している。
やがて姿を顕す。神話の世界を。
「来たか……」
ボソッと吐いた言葉は破壊音に掻き消された。
遠目で見ても分かる。地面がめくり上げられ噴きあげる岩石や土塊。離れているにも関わらず誕生の衝撃波が凄まじい。祭の飾り付けが止め紐が千切れことによりどこか彼方へ飛んでゆく。隠れていた精霊達も小さな身体で踏ん張っているが為すすべもなく吹き飛ばされ転がっている。
可哀想だが、構っていられる余裕はない。
俺達には為さねばならぬモノがある。為さねば、さらに被害は大きくなる。
「行くぞ! ファム、近付けばいいんだな?」
「うん、出来るだけ近い方がいいかな〜」
緊迫した状況にも関わらず、ファムは普段と同じ調子だ。逆に頼もしいとさえ錯覚する呑気な笑顔を俺はクスリと笑ってしまった。
飛散する土砂が収まり始めた頃に俺は手で合図をしてエレット達を促す。ロジー工房の方へ迷いなく向かって行くのを確認してから俺達も目標へ走る。
北区の演習場に近付くにつれ、被害の大きさがよく分かった。
巻き上げられた土砂によって道の半分が埋まる。飛来した岩石によって家屋が倒壊している。赤い液体が目に入らないだけマシだと思える惨状だ。
それでも俺達は走って行く。途中でファムが疲れてジェリコに背負われるという場面があったがそれでも走る。
一、二、三と秒を数える間も無く目標の姿が目に見えて大きくなる。止まっていても巨大な姿は近付けば近付くほどにさらに威圧感を放つ。
「ちょっ、ちょっ、ハジメ……アレを止めるの?」
「アレを止めなきゃいけねぇんだよッ!」
例えるのなら蟻が初めて鯨を見る感覚だろう。
艶消しの黒に似た色は日暮れの赤を無理矢理闇に落とし込もうと天を塞ぐ。ゴーレムと全く異なる体躯を誇る。
元の世界の中世石像彫刻を思わせる、人間の男を模した筋肉質な肉体。しかし、それらは人間の構造とは異なり、無機質な金属による歪な肉体美を描いていた。
十に分かれた腹筋。海洋を思わせる大胸筋。二つの連なる山脈を築く僧帽筋。大蛇の鱗のような前鋸筋。全身の筋肉を胸部に集約させたようなある種の不快感を匂わせる造形だ。下半身はまだ見えないが、考えるのもおぞましい。
それだけではない。本来頭部にあたる部位には何もなく、胸部の中心の上、人体構造的には心臓にあたる部位に顔があったのだ。遺跡の中で見た頭部、光る眼光。膜が破れ、血管が浮き出たような男性の顔を思わせる嫌悪感しか感じないモノがそこにある。
おぞましく、おぞましい。繰り返しその感情が本能の泉から汲み上げられる。
理性で蓋をして、考えぬように口にせぬように抑え込んでも滲み出てくる。ここに誰もいなければ吐瀉物を吐き散らかしたい気分だ。
「覚悟を決めろよ。お前らッ!」
「ハジメもね。今回は私を轢こうとしないでよ?」
「ジェリコさんは帰る覚悟が決まったよ……」
「よ〜し、ファムに任せてね〜」
若干三名の緊張感の無さが目立つが、ここまできたらやるしかない。
「さぁ……状況開始だ」
89小銃の槓桿を引き、弾丸を薬室内へと送り込む。いつも通りの手順が俺の精神を安定させる。
勝てる勝てない、倒せる倒せないではない。異世界人だろうがこの世界の住人だろうが関係無い。
俺達がやらねばならないのだ。この街の命運は俺達の手に掛かっている。