残された手段
目の前には蜥蜴っぽい爬虫類の顔。薄い黄色味がかかった眼球に縦線一本の細い瞳孔。あんぐりと口を開けて驚いたように口を開けている。チロチロと細い舌を何度か動かすとようやく事態が飲み込めたのか、立ち上がって俺の肩を叩く。
「ハジメちゃんっ!? びっくりしたってば! ジェリコさんは心臓が止まっちゃうかと思ったよ?」
「ジェリコ!? あれ、ここは宿屋か?」
あたふたとするジェリコがいたのは俺が使っていたベッドの上。周りを見れば脱ぎ捨てられた靴下といい朝のまんまの光景だ。どうやらアロイスは俺達が使っていた宿屋に転移したらしい。
「ハァ……ハァ……、出来るだけ……北区から離れた方がいいと……思いましてね。宿屋ならば簡易的な治療具は備えて……おりますしね……」
足元をふらつかせるアロイスは転ばぬようによろよろと歩き、部屋の椅子に手を掛けると力尽きたかのように座り、ぐったりとしてしまった。
「とりあえずジェリコ、そこをどけ。負傷者がいるんだ。すぐに包帯とか消毒とか持ってこいっ!」
「えっ、ちょっ? その男の人がアロイスって人? ねぇその男の子は誰っ? なんでそんな怪我してんの? つーかさっきの揺れと関係あんの?」
「いいから持って来いっての! あとで説明してやるからよ!」
戸惑うジェリコに一喝をする。
色々と説明したいし、話さなければならないこともあるのだが今は優先すべき人命がある。
「ええっと、まずは外傷の確認と止血と骨折の整復とあとはなんだ……治癒の魔法か?」
頭の中でやるべきことや省略すべきことの取捨選択が堂々巡りする。服を脱がしてみると幸いにも致命の傷は無さそうだ。だが、胸に突き刺された短刀は肺を傷つけている可能性もある。となれば、肺を損傷している場合は今すぐ抜くのは危険である。しかしながら、抜かなければ治療することができない。
外傷というモノは一次的な損傷に足して二次的な損傷の方が重傷になる場合がある。肺の損傷からの外傷性皮下気腫。複数箇所の骨折による脂肪骨髄による血管の脂肪塞栓。その他にも複数あり、その場の野戦病棟よろしくの治療法では限界があるのだ。
どうしたものかと迷っているとドタバタと階段を駆け上がる音がし、勢いそのままに荒々しくドアが蹴り開けられる。
「ハジメちゃん、ゴメン治療具少ししか無かったよ! 大分出払っちゃてるらしくて……でもその代わりに……」
「大丈夫ですかハジメさんッ!? 怪我人はその子ですか?」
「エレット? なんでお前がこの宿にいるんだ」
ジェリコと一緒に入って来たのはエレットであった。今、彼女はファムやノウと一緒にオークの少女ルゥ子を探している筈なのだが、何故ここにいるのだろうか。
「細かい話は下にいるファムちゃんに聞いてください! ……うわっ、骨が折れてますね。切り傷も結構あるし……脇腹の肋骨も折られてますね……これは後が怖いです……」
神官服の袖口を捲るとエレットは言葉もそこそこにヒュンケルの身体を触診する。焦ることなくテキパキとした手際は俺とは違い怪我人の臨床経験が違うのだろう。
偶然でもいい、彼女がいてくれて助かる。彼女は治癒の魔法や治療技術、身体機能を補助向上させる付与魔法のスペシャリストだ。
「エレット、俺に何か手伝えることあるか? ルチアもいるし治療の手伝いできると思うけど……」
「結構ですよ。それよりもハジメさんは皆さんに話すことがあるのでは? お仲間の方々は皆この宿にいるみたいですよ」
エレットは手慣れた動作でヒュンケルの身体に治癒魔法を施していく。折れた腕も器用に自分の足や身体を使って牽引し元の形に戻していく。
特に俺が手伝えることもない。そう判断して俺はジェリコの肩を掴んで引っ張り、ルチアとリーファにも手招きをして階段の下へと降りていく。
「とりあえずジェリコ。とんでもなくヤバイ事態だってことだけは理解しとけよ?」
「やっぱり? なんか雰囲気がそんな感じしてたんだよね。ハァ〜、せっかくのお祭りが台無しだよ」
「そこだけはジェリコに同意するわ。私、もっと美味しいモノ食べたかったし……」
落胆して肩を落と二人を伴い下に降りるとそこには全員が勢揃いしていた。普段は食事に使う木製のテーブルに椅子。そこバルジにファムにノウ。そして……
「リィィファァッッッ!!!」
俺の横をスルリとすり抜け、最後尾にいるリーファに猛然と突進する影。何事かと思い振り向き見れば、腰に抱きつく形でしがみつくプリシラの姿があった。
「リーファアッ! 妾を……妾を置いて消えるとは何事じゃぁぁぁっ!」
「プリシテラ様! も、申し訳ありませぬ! その……危険であり一刻を争う事態と判断しまして……」
「うるさいッ! 妾は心細かったのだぞォ!」
鼻声でズリズリと顔を押し当てるプリシラにリーファは困り顔であやすように頭を撫でる。はたから見れば年の離れた姉妹のようにも見える。
「プリシラちゃんはね〜、あのね〜、路地の所で座り込んでたんだよ〜。ファム達が見つけて連れてきたんだよ〜。そしたらこの揺れだもんね〜」
『すいませんハジメさん。オークの女の子は見つかりませんでした……多分、もう街の外に逃げたかもしれません』
あっけらかんとしたファムと捜索失敗の負い目があるノウは対称的な姿だ。俺は二人に軽く頭を下げると椅子に座る。
「いや、気にするな。ありがとよ探してくれて」
見つからなかったのは残念だが、あの野生児のような生命力だ。怪我の具合もエレットが治療したのならば安心していい。むしろ探しても見つからないほど身を隠すのが上手いのならば、また誰かに見つかる心配もなさそうだ。
せっかく言葉が通じるのならば、ルゥ子なんて仮の名ではなく、きちんとした名前の自己紹介を交えたかったとも思うがそれは今や栓無きことだ。
「ヒノモト殿。今尚続く揺れはこの老骨が足元も覚束無くなった訳では無いですな?」
「うん? まぁ……とりあえず、今の現状を全て話す。プリシラにリーファも座ってくれ」
バルジの冗談とも本気とも区別が付かない言い回しに俺はどう返せばいいか正直迷う。迷いはしたがその返答に時間を使う暇は当然無いので俺は一同に座るように促した。
「まずはこの揺れのことからだな……」
それから俺は出来るだけ簡略的に話を始めた。
まず真っ先に話したのはこの揺れについて。これは北区に眠る巨神兵オグマが起動しているということ。
それを実行したのが学園の生徒フーバーだということ。
彼が幻想調査隊が探していた異世界からの人間だということ。その能力は魔力無限であり、その力で巨神兵と新型のゴーレムを操るということ。
反対にバルジやジェリコからも情報の伝達があった。
現在、この街の主たる防衛戦力である守備兵や魔法使い達は住人の避難で手一杯だということ。
さらに言えば緊急事態ゆえに街からの避難命令が出ており、すでに宿の店主などは避難しているとのことだ。
「我々もヒノモト殿が来なかったら避難を始めるとこでしたぞ」
「ハジメちゃん達がそんなに頑張ってるなんて知らなったよ。知ってたらジェリコさん達も手伝いに行ったのに……」
「終わったことだ。気持ちだけ受け取っておくぜ。それよりも今は……」
「起動しかけてるオグマをどうするか。だよね?」
ルチアの言う通りだ。避難するにしても巨神兵オグマをどうにかしなければ安全を確保したとは言えない。顔の部分だけでもとてつもない大きさを誇るアレの全身が街を歩けばそれだけで街が崩壊するとアロイスも言っていた。
そしてまだ仮の話だが、あのオグマがこの後どうするのか想像してみよう。まさか田植えや畑を耕すのに使うことは無いだろう。
強大な力を手に入れた者がまずは最初に何をするか。それは過去の歴史を少しでも習ったことがある人間なら分かるだろう。
「恐らくは……王国を攻撃するだろうな。自分に反抗しうる勢力を潰すのは人の性だ」
完膚無きまでに、徹底的に、ぺんぺん草一つ生えないほどに根こそぎ全て滅ぼされる。それを文字通りに実行可能なのが巨神兵オグマなのだ。
「それを防ぐために、私はもう一踏ん張りしなければなりませぬがね……」
弱々しい声と足取りで、時折転びかけながらアロイスが階段を降りてくる。今も続く小刻みな揺れにすら負けてしまえるほどに彼は消耗していた。
「お、おいアロイス。お前休んでなくて大丈夫なのかよ?」
「休んでられませんよ。この魔法都市の危機に、私が立ち上がらなければ誰が巨神兵に抗うのですか?」
椅子の背もたれに手をかけなければ立つこともままならないアロイスだが、その眼は猛禽類のように鋭い。片眼鏡の奥が決意の光に満ちている。
「ですが、確かに消耗してます。だからこそ私はヒノモト殿、貴方達に改めてお願いしたいのです」
頭を深々と下げられた。お願いされる前に頭を下げられてしまうと中々断りにくい雰囲気なるから困る。もっとも、何を言われても断る気はない。
「この魔法都市には巨神兵オグマを倒し得る手段があります。ですが、その手段を実行するために足止めして長時間一箇所に拘束する必要があるのです」
「それはつまり……俺達が巨神兵と戦うってことか?」
どのような手段かは分からないが、この状況を打破する手をアロイスは持っているという。地獄の底に垂れた蜘蛛の糸のようにか細く不明瞭な道だが、確実に希望へと続いている。
地を這いずり回るミミズが天を舞う鷹を仕留めるが如く無理難題な道である前提を除けばの話ではあるが。
「ご存知の通り、魔法都市マジカルテは城壁に囲まれており、魔法による防衛機構も存在し高い守備能力を有しています」
それは魔法都市に来た際にも聞いた話だ。北部の虫人族や大規模な盗賊団に対し、この都市は防衛に優れていると。
「城壁と魔法による防衛がさしずめ盾と評するならば、害虫や不埒者を滅する矛が我々には存在します」
アロイスは机の上に肘を立て、手を組んでその矛の名を言う。
「ブリューナク。詳細は機密となるので言えませんが、万物を穿つ魔矛はたとえ巨神兵オグマが相手だとしても致命の一撃を与えうるとの自負があります」
そのような秘密兵器があるのならば今の俺達にとっては朗報と言える。ただ一点、気にかかるモノを除いては。
「足止めって言ったな? 一箇所に拘束って言ったよな?」
「そうです。都市から外に出さない。最上の理想としては北区から一歩も外に出させないことです」
焦る気持ちは分かるが無茶を言う。アロイスの理想とする通りに出さなければ街への被害は最少限で済む。済むのだが、それは最大限に不可能なモノだと言っていい。
「できますか? お願いしてもいいですか? もっとも、選択肢は一つだけなのですがね……」
乾いた笑みで意地悪いことを言う。
そうなのだ。今の俺達に選択肢を選ぶ猶予も権利も無いのだ。
「やるっきゃねぇか……」
「マジかよハジメちゃん。あぁ、でも……それしか無いかぁ」
そうと決まれば作戦を立てなければならない。
あの巨神兵を食い止める手段、その方法を模索しなければいけない。
(剣で足をぶった斬る? 無理だろ馬鹿か。漫画じゃねぇんだぞ。爆薬を使って破壊する? そんなモノどこにある。TNTでも何トン必要だと思ってんだ。フーバーを倒す? ……まだ可能性はあるが……いけるか? LAMでならゴーレム壊せるよな? ……当たるのか? 弾は一発だぞ?)
俺は無言で頭の中で実行可能な作戦を構築する。
思考する頭脳は熱量を発し、砂糖の塊を頬張りたくなるほど糖分が消費されていくのが分かる。
考えれば考えるほどに実行不可能な理由しか生まれない。それもその筈だ。俺は名射手である自信はあるが、名軍師ではない。
「はいは〜い! ねぇねぇハジメェ! ファムに良い案があるよ〜!」
どこからくすねてきたのか、恐らく食堂にあったと思われる缶詰のクッキーを呑気に食べるファム。食べカスが付着したまま手を挙げて俺に自己アピールをする。
「うるせぇぞ。お前は避難先で迷子にならねぇようにプリシラと自分を結ぶ縄を用意しとけ。座席結びで空飛ぶヘリから降下しても解けないようにしてやるからよ」
構っている暇はない。今は無い頭を絞り切って策を捻出しなければならないのだ。
『いや、待ってください。ファムの言う案を聞いてみましょう。一人で考え込んでも限界がありますよ?』
「……おうどん食べたい。っとかだったらさすがの俺もブチ切れるぞ?」
割と本気の睨みをノウとファムに向ける。まともに視線が合ったノウはこっそりとファムの頭の蔓の中に隠れる。
当のファムは俺に睨みつけられながらも普段と変わらないヘラヘラとした笑みを浮かべている。そしていつも通りの口調で意見を言った。
「ファムが戦えばいいんだよ〜。だってファムは切り札なんだからさ〜」
自分の堪忍袋の尾が切れかけるのが分かった。此の期に及んで何を言ってるのだ。
「お前……だから、いい加減に……」
「それだァッ! あぁクソッ! そうか、今ならいけんじゃんよ! ジェリコさんとしたことが、こんなことを忘れるなんてッ!」
いきなり手をバンッと机に叩きつけ、ジェリコは自分の頭をガシガシと搔き上げる。
俺はもちろんのことだが、ルチアやリーファ、アロイスにバルジ、そしてプリシラも何故ジェリコが興奮しているのか分かっていない。
唯一、満足気に頷いてるのはノウとファムだけである。
「喜べハジメちゃん! 多分いけるぜ。相手が魔力無限の魔法使いだろうが関係ねぇぜ! ウチのファムならなッ!」
嬉しそうに俺の肩を掴んで揺らすジェリコに対し、何も分かっていない俺はただ呆然と揺れるだけである。
「……なんか、よく分からん」
なされるがままの状態の俺はひとまずファムが食べているクッキーを一掴みして口に入れる。
元の世界のクッキーと違い、どこかパサついた糖分を俺の脳は嬉しいような渋いような複雑な心境で飲み込んだ。