屑と屑鉄
「ふーん……随分とゆっくりなんですね。いや、早かったとでも言うべきですかね?」
フーバーは不敵な笑みを浮かべたまま反対の意味の言葉を口にする。
ぐにゃりと上がった口角の笑みは以前の89小銃に目を輝かせて触っていた笑みとは顔は同じながら表情はまるっきり違っていた。
「……説明してもらいましょうか。フーバー君。この状況全てを」
アロイスの声が今まで聞いたことがない低さで出る。明らかに怒りと敵意の感情が滲み出ているのが後ろにいる俺にも分かる。
「あぁ、聞いてくださいよ。アロイス先生ェ。ヒュンケル君がこれの封印を解こうとしましたね、僕が必死に止めたんですけど暴れて言うことを聞いてくれなくて、咄嗟に持ち合わせていたナイフで抵抗したんですけど、勢い余って刺してしまいましてねぇ……あれ? 信じてくれませんか?」
棒読みの大根役者もいいところだ。全くの感情を乗せずに喋るこの少年は明らかにおかしい。友達の胸に短刀が突き刺さっているにも関わらず、流れる赤い液体を土足で踏みしめながら雄弁に声を発している。
「貴方が犯人である。その認識で間違いありませんね?」
「先生ェ。あの蜘蛛に何人殺されましたか? いやぁ……見たかったなぁ……人間が死ぬところを……」
「……っ」
恍惚の表情すら浮かべるフーバーの姿は、もはや自分が犯人であることを隠そうともしてない。数日前の無垢な少年のような笑顔は見る影も無く、歪んだ性癖を曝け出す犯罪者の顔付きに変わっていた。
「……フーバー。お前が異世界転移者か?」
「転生者ですよ。自衛官のお兄さん。気づきました? えぇ、だって隠してましたから。目立たずに、気取られぬように、出しゃばりのカスとお節介焼きの売女の陰に隠れて本当に目立たずに!」
急激に俺の全身の毛が逆立つ。出しゃばりとお節介焼き。その二つが指す人物がヒュンケルとリリィであることは明白だ。
このクソ野郎は、自分の友達を、ゴミや廃棄物としか思っていない。人を人と思わぬその態度が俺の神経を逆撫でするのだ。
「そうだ、自衛官のお兄さん。一つ教えてくださいよ」
フーバーの声と自分の心臓の鼓動が共鳴する。奴の下卑た口から言葉が発せられるたびに沸々と怒りがこみ上げてくる。
「なんか上手くナイフが刺さんないんですよね。どうしたら刺せます? 得意でしょ、軍隊なら人殺しの方法とかさぁ?」
「テメェッ!」
俺は一瞬にして思考が真っ白になり、銃剣付きの89小銃を握り、突撃しようと走り出そうとした。
だが、その身体をルチアとリーファが止める。
「ダメだってば! ハジメ、もっと冷静になってっ!」
「バカか貴様ッ! あんな見え透いた挑発に乗るなッ!
「ぐぅぅぅ……」
腕と胴体を掴まれ、怪力のリーファに無理矢理持ち上げられて後ろに降ろされると若干冷静になれた。まだ怒りの感情に臓腑が煮え繰り返っているが幾分頭はクリアだ。
「ヒャッハッハ! やっぱり自衛隊なんて低学歴の人間がなる職業ですね〜。もしくは不良とか? あー、こんなのに日本の平和を守らせてるんですねぇ?」
「フーバー、テメェは……いい加減にしろよ……」
これが挑発なのは分かっている。こんな言葉を言われるのは元の世界で自衛官の職務に従事しているときから慣れている。
けれども、慣れているということは許しているということではない。
「取り消せよクソ野郎。友達を傷付ける屑人間にそこまで言われる筋合いはねぇぞ」
「さいですかぁ。そりゃどうも申し訳あ〜りませんでしたっ!」
まるでピエロのように、どこか愉悦混じりの顔と仕草で頭を下げるフーバー。顔を正面に向けると同時に足でヒュンケルの身体を小突いた。
「うぐっ……」
小さな呻き声を上げ、緩慢な動きで手を動かそうとするが、力を感じられない腕は何も掴むことなくパタリと落ちる。
「ヒュンケル! 生きてんのか!?」
俺の呼びかけにヒュンケルは倒れたままで反応するそぶりは見せない。しかし、苦しそうにうごめく様はまだ息がある証拠だ。
「さ〜て、お歴々の方々。ここでお願いです」
俺達の怒気を一身に受けながらフーバーは楽しそうに恍惚の笑みを浮かべ手を広げる。
「僕はとても機嫌が良い。良いのです。オグマの起動も無事にできそうですし、ムカつく友人をいたぶれました。ですので……このまま見逃してくれませんか?」
口調こそ丁寧だが言っていることは支離滅裂な内容だ。にやけた口からふざけたことしか言ってない。
「見逃すって選択肢が俺達の中にあると思ってんのか?」
「イェア! 正確にはその選択肢しかないのですよ。このお馬鹿さんッ!」
罵声を浴びせるようにフーバーが吠えると、上から大きな物体が落ちてくる。
響く音。揺れる地面。咄嗟に後方へ飛んで距離を取る。舞う土と砂埃が視界を一瞬塞ぐが徐々に晴れていき、それに合わせて落ちてきたナニかの形も判明していく。
「あれは……確か……ロジーのゴーレム!?」
寸胴方の胴体に丸太を何本も束ねたような巨腕。唯一違うのはあのときのように真っ赤な単眼ではなく濁った紫のような色の眼であるということだけ。天井にでも張り付いていたのか、太い腕の先にある三本指の手には土くれがこびりついていた。
「正式名称は汎用対人対物殲滅特化型有人無人兼用強化ゴーレム八型。愛称はEz8。制作のお手伝いや試運転を頑張った僕が名前を付けたんです。洗車からとったんです。良い名前でしょう?」
「名前なんて知らねぇよ! それよりも、そいつがなんでここに……」
長ったらしい名前や何処かの国のような愛称もどうでもいい。問題なのはあのゴーレムがいたのはロジー工房だ。そう、リリィが避難しているロジー工房にいた筈なのだ。
「お前、まさか……」
「……あの売女がいたのはビックリしましたがねぇ。案外、可愛い泣き顔を見せるもんですよ。あのクソ餓鬼は!」
機械音と共にゴーレムの胸部が開く。そこへヒラリと身軽な動きで乗り込むとフーバーは倒れるヒュンケルの方を指差しながら再度大きな声で俺達へ吠える。
「さぁ! どうします? 戦いますか? 逃げますか? 血塗れの子供を守りながら、この僕と戦いますか!?」
操縦席にあたる場所でふんぞりかえるフーバー。わざとらしくその場で何度もゴーレムを足踏みさせてヒュンケルの身体を地響きで揺らす。
もし、この場で戦うならば圧倒的に不利なのは俺達だ。瀕死のヒュンケルを救い、庇い、尚且つ通常のゴーレムよりも強力な敵を相手にしなければいけない。さらに言えばルチアやリーファはともかく、俺は残弾無し、アロイスは魔力が全開ではない。
最初から敗戦濃厚な勝負に俺は歯噛みしていた。
「……フーバー君。君は一つ墓穴を掘っていますよ?」
憤りを感じながらも前に出れない悔しい思いをする俺とは違い、冷静な様子のアロイスが一歩前に出てそうフーバーに告げる。
「オグマの起動も、そのゴーレムの操縦も、君のような普通の少年の魔力でどうこうできるモノではありませんよ」
考えてみればその通りだ。オグマの完全な起動は実際不可能なことであり、あのゴーレムも通常の魔力では短時間でしか活動できない。だからこそロジーは汗水垂らして自分で試乗しながら苦心して開発していたのだ。
この場でフーバーが言うことは全て実現不可能なことばかりである。
そのはずなのだが、フーバーは不敵な笑みをまだ浮かべている。
「どうこうできるモノではない? 本当かなぁ?」
フーバーが右手を挙げるとそこに魔力の渦が巻き起こる。決して大きなモノではないが、その魔力の流れはオグマの方へと吸い込まれていく。
それと同時にもう片方の手をゴーレムに押し当てると途端にゴーレムの単眼が真っ赤に染め上げられる。全身から軋むような音が響き、徐々に稼働していくのが分かる。
「っ!? おかしい。なぜだ? 普通の人間、それも子供ではゴーレムを起動させる魔力すら足りない筈だ!」
冷静だったアロイスも困惑の表情を示している。同じく魔法を使うルチアも魔力の流れに不可解な点があるのか、珍しく難しい顔をしている。
「なんか変だよお義姉ちゃん! この場に存在する魔力とは別の流れがあの子からするよ!」
「そ、そうだな。なんか分からんが危ない気がする……ルチア、後ろへ」
庇うようにリーファが前に出る。合わせて俺もその横へ並び立った。
明らかにナニかがおかしい。しかし、俺はこの不可能な事態に一つだけ思い当たる情報を既に持っていた。
「まさか……幻想なのか?」
俺がその言葉を発するとフーバーは少年の顔では表現し得ない狂気の顔を見せてきた。
「さすがは同じ異世界からきた人間。分かってるじゃないか。アンタも持ってるんだろ?」
ニチャリとした嫌悪感しか感じない笑み。同性ながら生理的に受け付けない不快な笑みだ。
「冥土の土産に教えてあげるよ。僕のこの魔法都市に相応しく、僕が最強の魔法使いになるための幻想をッ!」
フーバーの後ろに存在する巨神兵が小刻みに震え始める。地震では無い。オグマ自身が目覚めようとして揺れているのだ。周囲の壁が崩れ始め天井からは大きな岩石が降り床を削り飛ばす。
「……魔力無限。僕はこの幻想のお陰で際限無く、永遠に使い続けられる魔力を持っているのだよ!」
天井の崩落が加速していく。俺は咄嗟に全員へ指示を飛ばす。
「撤退だッ! こいつを倒すのは今は無理だッ!」
俺は指示を飛ばすとすぐさま前へ走る。
「ハジメっ!? 何やってんの?」
撤退すると言ったそばからの俺の突貫にルチアは戸惑う。だが、あいにくのこと返答する猶予は残っていない。視線だけ移すと追いかけようとするルチアをリーファが押さえているのが見えた。
「ハハッ! なんだよ突撃かい? 頭が悪い奴がやりそうなことだねぇ!」
「うるせぇぞ屑野郎っ!」
フーバーの不敵な笑みに向けて俺は銃を構えて照準する。するとフーバーは銃撃を防ぐために操縦席に当たる胸部の装甲を閉め始めた。
(かかったなっ!)
あの胸部装甲の開閉に時間がかかるのはロジーに襲われかけた一件で知っている。俺の銃の残弾が無いことを知らないのでフーバーは攻撃を防ぐために装甲を閉めるのは当然の話だ。
自分が優位に立っていると確信している人間は危険なことはしない。自分の安全が確保されたのちに他者を攻撃する。リスクを恐れ、無茶をしない。だからこそこいつは自信満々に俺達を見下しているのだ。
それを逆手に取った。装甲を閉め切るその時間こそ俺は欲しかったのだ。
「ヒュンケルッ! まだ生きてるかッ!?」
ゴーレムを無視し、その足元の近くにいるヒュンケルの身体を俺はしっかりと抱きかかえる。
見たところ短刀の刃は肋骨に阻まれ表面で止まり、刺さるというより分厚いアカデミックドレスの服に引っかかているという表現が正しい。それよりも散々痛めつけられたのか顔面や他の箇所の負傷の方が多い。腕は不可解な方向に曲がり、胸以外にも斬られた痕跡がある。呼吸をしているがとても弱々しく、またリズムもおかしい。一目瞭然の重症であり治療のために速やかな行動をしなければならない。
「アロイスッ!」
「分かっております!」
俺の叫びに呼応してアロイスはすぐさま転移の魔法陣を展開する。本人の魔力不足からか、薄紫色の陣がとても狭い範囲で構成されていく。
「あれ、もしかして弾無いのかい? なんだよビックリさせてさぁ……ムカつくから殺そうかな?」
陣に向けて全力疾走する俺の背後から呑気な声が聞こえてくる。それは無感情に、まるで地べたを這いずる蟻を気まぐれでつぶすかのような無慈悲な声だ。
振り返らずとも分かる。ゴーレムに追い詰められるこの感覚。俺の一歩が地面につく前から揺れている。徐々に徐々に迫ってきているのが理解できる。
このままでは追いつかれる。その確信と絶望が焦燥感を駆らせる。
「おい! 屈め!」
「はぁ!?」
返答する間も屈む間も無く飛んできた白銀のナニか。それがリーファの声と、飛んできたのが彼女が持っていた小剣だと気付いたのは後ろ迫っていたゴーレムに深々と突き刺さった後だった。俺の頭頂部の髪の毛を数本持っていった後であった。
「くっ!? なんて力だ、僕のゴーレムが傷付いたじゃないか!」
憤るフーバー。それを尻目に俺は無事に魔法陣の中に辿りつけた。
ヒュンケルを抱きかかえたまま俺は振り返り、右手の中指を立てる。
「テメェのじゃねぇだろ。それとな、あとでブン殴ってやるからその中で震えてろ。俺は恩も恨みも倍返しする男だからよ」
俺が捨て台詞を吐き終えるとアロイスの魔法陣は発動した。
起動寸前の巨神兵オグマをその場に残したままに。




